第3話 無駄な時間の消し方



オフィスビルのエレベーターホールで、美咲は自分の姿を確認する。

髪は乱れていないか、化粧は崩れていないか。

そして、左手首のスマートウォッチが、やけに重く感じた。


「おはようございます、西島さん」


声をかけてきたのは、同じプロジェクトチームの田中だった。

若手社員らしい爽やかな笑顔。

けれど、その笑顔も美咲の目には「無駄な時間」に見えてしまう。


『この会話時間を最適化しますか?

予測される所要時間:3分42秒

削除可能な無駄:3分30秒』


スマートウォッチが小刻みに震える。


「あ、おはよう...」


「今日の会議資料なんですが」


その言葉を遮るように、美咲は「Yes」をタップしていた。


次の瞬間、田中の姿はなく、美咲は自分のデスクに座っていた。

パソコンの画面には新着メールの通知。

時計は確かに3分42秒進んでいる。


「なんだか、頭がクラクラする...」


椅子に深く腰掛けながら、美咲は目を閉じる。

今の「時間の削除」で、何が起きたのだろう。

田中との会話は、どんな内容だったのか。


考えを巡らせる間もなく、スマートウォッチが再び震えた。


『9時からの部内会議

予測所要時間:60分

削除可能な無駄:54分

最適化しますか?』


「54分も...?」


思わず声が漏れる。

会議の大半が「無駄」だというのか。

でも、確かに毎回の会議で、実質的な決定に要する時間はわずかだった。


「西島さん、おはよう」


突然、部長の声が響く。

美咲は慌てて画面を隠す。


「会議の資料、チェックしていただけましたか?」


「はい、問題ありません」


「よかった。では、会議室で」


部長が立ち去った後、美咲は深いため息をつく。

画面には依然として「最適化しますか?」の文字が点滅している。


会議室に向かう途中、同僚たちが世間話をする声が聞こえてくる。

週末の予定、家族のこと、些細な愚痴。

そういえば、自分もかつては。


『これらの会話も97.8%が無駄な時間です。

最適化により、本質的な情報のみを抽出できます』


新しいメッセージが表示される。

美咲は思わず苦笑する。

本質的な情報?

人と人との関係は、そんなに単純なものだろうか。


会議室のドアの前で、美咲は立ち止まる。

中からは、いつもの雑談の声が漏れている。

資料を確認し、発言の準備をし、意見を交わし、時には無駄話も―――。


スマートウォッチが再び震える。


『最適化しますか?』


美咲は深く息を吸う。

もう一度、画面を見つめる。


「本当に、これでいいの?」


自問する声は、誰にも聞こえない。

けれど、時計の針は容赦なく進んでいく。

結局、美咲は―――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る