第16話 街へ

 エリザベスの家庭教師になってから衝撃の日々が続いているが、それでも何とか折れずにエリザベスの元へ通い続けているウィリアムである。


 無論、今日という日までウィリアムが家庭教師らしい仕事をしたことはない。そもそも、おそらくはエリザベスの方がウィリアムより頭が良いだろうし……。


 本来、17歳の青年が10歳の少女に負けるようなことがあれば面白くないし不満も抱くだろうが、もはやそんな感情など諦観の彼方へと投げ捨てたウィリアムだ。


 そんなウィリアムが事前に教えられた予定通りに王女別宮へ向かうと、途中でギデオンとかち合った。


 いや、ギデオンは腕組みをして門柱に背中を預けていたので、もしかしたらウィリアムを待っていたのかもしれないが。


「……なんだ? ずいぶんと軽装だな?」


 ウィリアムを頭の天辺からつま先までジロジロと見てくるギデオン。そんな彼は麻のシャツにズボンという安っぽい出で立ち。鎧こそ着ていないが動きやすそうな革のブーツだし、いつもより着ぶくれしているのでチェーンメイルを服の下に着ているのかもしれない。


 そしてなにより、王城の中だというのに腰に剣を佩いているというのは……。護衛任務中の騎士ならばとにかく……。


「あぁ、お前の場合は魔法があるから剣を持っていく必要はないのか」


 なにやら一人で納得するギデオン。この数日でウィリアムとギデオンはずいぶんと親しくなり、以前のように顔を合わせればいがみ合うようなことはなくなったのだが……まだ以前のイメージが払拭し切れていないウィリアムとしては戸惑ってしまう。


「だが、室内で攻撃魔法を使えば自分や護衛対象を巻き込むかもしれないからな。おまえも剣くらい持って行った方がいいと思うぞ?」


「そ、そうだな。今後の検討課題としよう。……今日は剣が必要になるようなことが行われるのか?」


「なんだ? また殿下から何も聞いていないのか? ふん、お前の慌てふためく姿を殿下はことのほかお気に召したようだな」


「……一応私は家庭教師なのだから、からかうのは止めてもらいたいのだがな」


「無理な話だ、諦めろ。あの御方は妙に年相応なところがあるからな」


「そ、そうか」


 こんな場所で雑談していてもしょうがないので、別宮に入る。


 使用人に案内された部屋に入ると――見慣れぬ茶髪・・の少女が出迎えてくれた。


 いや、見覚えはある。

 あんな特徴的なビン底眼鏡をしている少女など、連合王国広といえども一人しかいないだろう。


 ただし、いつもボサボサである銀髪はボサボサの茶髪になっていたし、シワだらけの白衣は薄汚れた麻の服になっていたが。


「やぁ、ギルにウィル。どんな感じかな?」


 その場でくるりと自慢げに一回転してみせるエリザベス。どんな感じと言われても……珍妙な格好をしているな、としか……。


「良くお似合いです。さすがの変装ですね」


 あ、変装かと今さらながらに理解するウィリアム。そう言われてみれば少々裕福な商家の娘に見えないこともない。


「殿下は何を着ても似合いますね」


「ふふん、そうだろうそうだろう?」


「……そのような格好をするということは、もしや……」


「うん。ちょっと町に行こうと思ってね」


「…………」


 少し前のウィリアムなら全力で止めたことだろう。王女殿下が町に遊びに行くなど、とか。護衛はどうするのか、とか。国王陛下はご存じなのですか、とか。


 しかし、喉を突いて出ようとしたそれらの言葉をグッと飲み込んだウィリアムである。彼は知っている。こんな『常識的な』文言でエリザベスの心が動くことはないと。彼女は一度決めたらそう簡単には自分の意見を曲げないということを。


 無論、臣下としては命を賭けて主君の過ちを正さねばならぬ時があるだろう。

 だが、少なくともそれは今ではない。貴族も、王族も、子供の頃に身分を隠して町へ遊びに行くというのは一種のイベントであるからだ。


 それに、ギデオンの口ぶりやエリザベスの準備の良さからして、これが最初のお出かけというわけでもなさそうだし……。


「……暗くなる前に帰らないといけませんよ?」


「おっ、話が分かるじゃないかウィル。うんうん、可愛い臣下を困らせるつもりはないからね。夕方までには帰ると約束しようじゃないか」


「…………」


 ほんとに大丈夫かなぁと思いつつ、とりあえず様子を見ることにしたウィリアムである。ここ最近はエリザベスに振り回されすぎてスルースキルのレベルが急上昇してしまっているらしい。


 あとは単純に、危険があってもエリザベスなら転移魔法で城に戻れるだろうし……。


「ウィルは何か準備が必要かな?」


 どうやらエリザベスはウィリアムも町に連れて行く気満々らしい。臣下として嬉しいような、自然と巻き込まれて悲しいような。


「……町に行くならこの格好は少し目立ちすぎるかもしれません」


 登城しても恥ずかしくないレベルの服の裾を掴んで見せるウィリアム。よく見なくても『貴族』と丸わかりである。


「なるほど。ではちょっと着替えてきてくれ」


 エリザベスが指を鳴らすと、どこからか使用人が現れた。その手には綺麗に折りたたまれた庶民服が準備されている。


 どうやら、ウィリアムの意思は最初から考慮されていなかったらしい。


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