第5話
「イアン……【シビュラの塔】のことなんだけど」
しばらく頬杖をついて海の方を眺めていたネーリが口を開いた。
「ん?」
「あれから、【シビュラの塔】が動かない理由は、イアンはどう考えていますか?」
「動かない理由か……。確かにな」
イアンは木箱の上で胡坐をかいて、腕を組んだ。
ここからでもあの天魔の塔は見える。
「フェルディナントの話じゃ今も霧の中でチカチカしとるらしいから動いてはいると思うんやけどな……。あくまでも俺の個人的な印象やけど。俺は撃った奴が扱い切れてへん気がするんや」
「扱いきれてない?」
「なんていうか、最初のも思いがけず撃った感じするっていうか。まあ、一発で別の場所の国を三つ、的確に消滅させられるような精密さがあるなら、違うのかもしれんけど。ただ、そんな正確に凄まじい威力打てるんなら、なんか海とか、誰もおらんところ撃ったって脅しにはなる思うねん。ちゃんと自分たちの武器です言うて、発射しとくから見とけ言うて海にでもぶち込んで撃ったって、十分あの塔の破壊力は伝わる。……そら、無残にやられた三国があるから俺らみたいな強国が最初から交渉なしで寄り付いたってのはあるけどな。
けど、犠牲が出ないやり方があんなら、出ないやり方の方がええねんで。別に優しさとかじゃなくてな、残忍なやり方は当然、悲しみだけじゃなく憎しみを生む。ヴェネトは今はこんなやけど元々は軍国やない。まともな海軍も持っとらん、穏やかな国民性やった。
自活の他は貿易で生きとるから、侵略したり貿易船を襲う連中とは長い間戦って来た歴史はあるけど、他国を侵略して手に入れるなんてのは、これまでのヴェネトのやり方と明らかにちゃうねん。
【シビュラの塔】の所有権を主張しないのも、やり方としては妙や。
今更他の奴がやったんやなんて言うたってな、世界中の国がヴェネトがやりやがったんやってもう知っとる。後々言い逃れするつもりで今黙っとんのやったらアホやし、来年あたりに譲位が来るかもしれへん。その辺りに所有権の発表をぶつけて来ようとして、今は外交の優位性求めて黙ってるんやったら、あの王妃高飛車やけど、相当外交侮れへん。何もかも自分の思い通りに、自信満々にやって、少しも反省しとるような顔見せてない。……とんでもなく恐ろしい女かもしれん」
イアンから見ても、そうなのか。
ネーリはセルピナ・ビューレイに対して感じた、恐れを思い出しながら、そう思った。
「あいつなら、一発目思いがけず撃ったって、狼狽えたりせず、やったもんはしゃーないわ、ってそれ自体堂々と外交に利用するくらい、やってみせるかもしれへんな。ただ、もっと自由自在に操れるものなら、俺はもっと上手く、犠牲も出さず出来た、思うねん。まあ……俺が軍人やから単にそう思うのかもしれんけど……。大体国を消滅させられるほどの砲撃って動力はなんなんや。ほんまに人知を超えた古代兵器やで。誰が何の為にあんなもん作ったんやろな。もはや神話の領域の話や」
ネーリは頷いた。
「……あいつがまた火を噴くんが怖いか?」
押し黙った彼に気付き、イアンは優しい声で尋ねる。
うん、と小さく頷くと、彼はネーリの頭をもう一度、慰めるように撫でてくれた。
「大丈夫や。そんなことさせん為に俺たちが来てる。外交をして、説得して、あんなもんは人間の手に触れさせたらあかん言うて複数の国で共同管理させて、誰も立ち入らんようにさせるんや。その過程でそんなことされたら困る思ったら、ヴェネトが絶対所有権を主張するはず。所有権を主張したら、【エルスタル】【アルメリア】【ファレーズ】を消滅させた咎を世界各国から追及されることになる。交易を遮断されて孤立したら、ヴェネトは生きて行けん。そうなったら、撃つなら撃ってみろ、いうそういう乱暴な外交にはなるけど、もうヴェネトは無駄には打てへんはずや。シビュラの塔はともかく、今いるスペイン艦隊・フランス艦隊・神聖ローマ帝国軍が振り返って王都ヴェネツィアに対して砲撃を始めてみ、神聖ローマ帝国軍なんか、竜騎兵団連れて来とるんや。王都ヴェネツィアなんぞ、一日で俺たちは攻略出来る。三国が力を合わせれば、シビュラの塔発動までにそう出来るはずや。
フェルディナントの竜騎兵団にまずシビュラの塔を押さえに行ってもらえば、王都攻略の最中にシビュラが火を噴くなんてこと、俺は止められる思うねん。王宮の連中を捕縛したら、三国共同統治でシビュラの塔を押さえて、いずれは破壊したい。あのバケモンにどんな砲撃が効くかは分からんけど、いざとなりゃ壁の一枚一枚人力で削ったっていい。時間をかけても壊すんや。あいつがあそこにある限り、歴史の要所要所でアホがまた撃とうなんて考えるかもしれへん。それだけは避けなあかんからな。
誰だって自分が一番強い力を持ちたい。けど、そんなもん軍艦だの軍隊だの、そういう領域の話や。あれは人知を超えとる。そんなもんは人間が所有権主張できる所に、暢気に置いておいたらあかん」
ネーリは驚いた。みんな【シビュラの塔】の話をするとどうすればいいのか分からず立ち尽くすだけなのに、イアンは攻略する時の話を今した。砲撃が効かないなら人力で、どれだけ時間が掛かってもいいから壊せ、と言った。そういうことをもう頭の中で個の人は考えてるのだ、とそのことに驚いたのだ。
軍人はみんなそうなのだろうか?
「どした?」
「いえ……【シビュラの塔】の話をすると、みんな何も言えなくなる。どうしようもないって顔するのに。イアンがどう攻略するかの話をしたから、驚きました。みんなは立ち尽くしてるのに、貴方はどう挑もうかを考えてる。軍人さんって……みんなそうなんですか?」
イアンが目を丸くしてから、声を出して笑った。
「そらそうや。自分の上官からあの塔折ってこい言われたら折ってこなあかんのが軍人やからな。俺らの世界じゃ『出来ません』は禁句や。俺のとこなんかそんなこと言われたら上官直々にぶっ飛ばされるで。あっ。俺の上官って基本的にスペイン王とスペイン王妃やからな。つまりオトンとオカンや。今『出来ません』って聞こえたけど言ったのどいつや言うて容赦なくぶっ飛ばして来るであいつらは」
わはは! と笑っている。
「そ、そうなんですか……僕あまり軍人さんってどういうのか知らないから」
「まー。軍人にも腰抜けはいるけどな。けど国や、家族の為に、自分の意志でその仕事を選んだ奴は、腰は据わってる。見てみ、うちの陽気な連中も平時はあんなやけど有事になれば本気でやりよる。あいつらはフランス艦隊だろうが神聖ローマ帝国の竜騎兵団だろうが、【シビュラの塔】だろうが、俺が撃て言うたら撃つわ。みんなそうやで」
ヘリオドールの瞳がイアンをじっと見上げている。
「…………フレディも?」
イアンは頷いてくれた。
「そや。ネーリはあいつのこと、絵の好きな礼儀正しい神聖ローマ帝国将校くらいにしか思ってへんかもしれんが、あいつも俺に負けないくらいの戦歴華々しい軍人や。戦場で変わる。戦場でのあいつの戦いっぷり見せたいくらいやで。何の恐れも見せん。あいつだって絶対、何かあればどう【シビュラの塔】を攻略するか、考えてるはずや。立ち尽くしたりせえへん」
安心させるように笑いかけた。それから彼は腰かけたとこから顔だけ仰ぎ、天の星を見る。
「人知を超えたものもそらすごいやろうけどな。俺は、人間だってすごいと思ってんねや。
このでっかい軍艦見てみ。見た目そらすごいけど、木で出来とるんやで。一年中どんな天候になるかも分からん大海原に、こんな巨大な木の建造物を浮かべて移動したり戦ったりしとる。誰が一番最初にそんなことやろうと思って、可能にしたんや。そいつらは絶対、不可能っちゅう言葉知らん奴や。人間が力を合わせて頭を捻ったら、きっと何でも出来る、そう信じてる奴らが、こういうものを生み出す。人間は強い。すごいんやで」
イアン・エルスバトの言葉には力があった。
この人は本当にそう、信じているんだとネーリにも分かった。
そういうことを信じて、この人はヴェネトに来たのだ。
「せやから、もう心配せんでいい。ネーリ。
今ここに、俺たちはすでにいる。
フランスのあそこにずらーっとならんどるキンピカのアホかて、腐っても強国や。こんなやり方でヴェネトの属国扱いされることを善しとなんて絶対思っとらん。
俺たちは無条件でここに来たけど、これは俺たちにも利益があってのことや。
軍艦をすんなり持ち込むことが出来たからな。
ヴェネトが近海の守備の為に要請したから実現したけど、あいつらアホやないかって俺んとこでも随分話題になった。あれが俺らなら、ヴェネトの弱点は海やから、脅した後は海に立ち入ることだけ禁じて、そこに他国の軍艦なんぞ、寄りつかせん。けどあいつらは呼び寄せたやろ?」
「それって……」
「海に入るな、いう警告は、いずれこけおどしやってことがバレるからや。シビュラの塔は万能やない。もしかしたらもう撃てへん可能だってあるんや。あれが最後の一発やったのかもしれないし。いずれ連合軍が結成されてヴェネト攻略に海軍が侵攻して来たら、シビュラの塔があったって、対処出来へん可能性が高い、証拠なんや。あいつらが俺らを呼び寄せたのは。俺らはそう思っとる。今は様子見てあの感じの悪い王妃に膝をついてても、俺のスペインも、フェルディナントの神聖ローマ帝国も、絶対にヴェネトの属国に甘んじるようなことはない。せやから、今の俺たちも、別に何も、ものを言えん立場っていうわけや、必ずしもないんや。
王都ヴェネツィアはもう射程には入っとる。
シビュラの塔の三国統治、そして破壊完了まで。
それかヴェネト王宮が戦を仕掛けてきおったら、三国連合で王都ヴェネツィアを陥落させる。俺たちの究極の任務は多分この二つや。あとはヴェネト王宮の連中が穏便なやり方で、シビュラの塔の所有権を手放し、世界に脅威をもう与えへんってなって行けば……ヴェネトの国民含め、もう誰も、泣かなくて済む」
「じゃあ【シビュラの塔】がもう撃てない状態ってもし分かったら」
「ヴェネトの脅しが無効化されるから、それが早めに分かるのが一番ええな。そうしたら王宮で威張り散らしてるあの王妃の目を見て、俺は『いい加減にせぇアホが』って言ったるねん。そんなやり方で、世界が手に入るはずないやろってな。
いや……あいつらが世界を手に入れるアホな夢見てるとかはどうでもいい。
世界の確かな一つをもうぶち壊しやがったってことが重要なんや。
……ネーリ。
ヴェネトのしたことの罪は、そやって、今王宮にいる、主権を握る連中に償わせる。
それがルールや。
ヴェネトの民が幸せに暮らしたらあかんなんてことはない。
幸せになってええんや。
その上で、君はヴェネトだけやない、他の国の人のことも考えて、涙したり、悩んだりしよる。そういうことが一番大事なんや。自分のとこだけ幸せならええ、なんて奴ばっかだったら、冷たい世界になってく。そうやろ?」
うん、と頷いて、またネーリは小さな涙を少し零した。
彼と初めて会った時、王都ヴェネツィアの治安の話をした。どうすれば王都に平穏が戻るのかと、問いを重ねて来た姿が思い浮かぶ。彼は城下で暮らしている。あれが民の本当の声だ。平和に暮らしたい、平和に戻ってほしい。
そして、他国の人間にもそうあってほしいと普通は思う。
「フェルディナントと話し、したらええ。あんなとこで一人泣いてんと。あいつがエルスタルの王子やって知って、悲しくなったことも、可哀想やって思ったことも、申し訳ないと思ったことも、ネーリの優しさから生まれた気持ちや。
あいつは憎んだりせぇへん。あいつはもっと強い、懐の深い男や。
フェルディナントもここに来た時、王妃セルピナに謁見し、挨拶済ませとる。
その時のあいつの気持ち、分かるか?
自分の国を皆殺しにした女の前に膝をついて、ご機嫌麗しゅうって言わんとあかんかった、あいつの心が。難しかったと思うで。俺なら絶対出来ひんわ。
けどあいつはやってのけた。今は、神聖ローマ帝国を守る使命がある、そう強く思って守りに入ったからや。
あいつが【エルスタル】しか心に無いなら、王妃を許せなくて殴りかかったはず。
けど違う。【エルスタル】は確かに失われてもう無いけど、それでもフェルディナントにはまだ守りたいものがこの世にあるんや。
あいつを孤独にさせない、大切なものが。
その為にならあいつは強くなれるし、戦える。
国を失っても、あいつはまだ独りじゃないんや」
「独りじゃない……」
「そや。あいつまだ十八かそこらやで。そんで竜騎兵団を任されてるってことは、国でも皇帝の信頼は相当厚い軍人や。竜騎兵団は皇帝直属の部隊やからな。あいつの若い才能を高く評価してくれる皇帝がいて、あいつは竜騎兵団の連中からも慕われてる。
数年前の対フランス戦争であいつが上げた戦功はスペインでも聞いた。
神聖ローマ帝国の民かて、あいつの名前は知っとるはずや。
自分たちの国を守ってくれる強い軍人さんや、って頼りにしとる。
あいつは幼い頃からスペインにいて、神聖ローマ帝国に仕官し、短時間だけど占領したフランス都市の統治にも関わってる。
複雑な生い立ちを歩んで来とるけど、結果としてそのことが、あいつの心を【エルスタル】だけにしなかった。もちろん母国を失った悲しみは大きいけど――フェルディナントなら必ず乗り越えられるって、俺は思ってる。
乗り越えるだけじゃなく、あいつ自身も幸せにならなあかん。
幸せだけが、大きな欠落の痛みを長い時を掛けて和らげてくれる」
「……フレディも、いつか幸せだなって思える日が来る?」
自分にそれは分からない。考えることすら、罪のような気がする。
だからネーリはイアンに問いかけてみた。この、軍人としての覇気を持った男に。
イアンがが太陽のような明るい顔で笑った。
「当たり前や! 来なくてどうすんねん!」
大きく瞳を見開いて、ネーリは驚いた。
「そうか。ネーリはそんな大きな傷を抱えてフェルディナントがこの先、幸せになれるのかなって心配やったんやな。なれるに決まっとる。
ならなあかんし、
絶対になれる。
なんでか知りたいか?」
うん、と頷く。
「あいつかて、幸せになりたいと願っとるからや」
ネーリの見開いた瞳から、涙が零れた。
ポロポロと溢れて来る。
涙を乾かす為に船乗せたけど、まあこの涙はしょうがないか、とイアンは笑った。
(それに、きっとこれが乾いたらまた明るい顔で笑えるようになるわ)
自分の言ってることは伝わってる。
「あいつは君の絵に興味を強く示した。心が凍り付いてる奴なら、そんなこと絶対せぇへん。これからの人生を豊かにしたいから、美しい絵を欲しいと望む。
君の絵を欲しがったのが、あいつが幸せになりたいと願ってる証拠や。
だからネーリは、泣いたりしてんと、今まで通りあいつにたくさん絵を描いて、それ見せてやればええ。それがちゃんと、あいつの救いや守りになってる。
せやからあいつになんか後ろめたい気持ちがあるなら、一回話をちゃんとしてみたらええ。何も怖いことはあらへん」
ありがとう……、泣きながら、そんな風に言ったネーリの身体をイアンは抱きしめてやった。
「【シビュラの塔】のことも、心配するな。
俺たちはもう、この地に集った。
絶対あんなもん、二度と撃たせん。
俺たちが絶対、あいつを何とかしたる。
――誓うよ」
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