第4話
イアンが手を引っ張り上げてくれた。
甲板に降り立つ。
整列した軍人たちがビシッと敬礼で応える。イアンも敬礼したので、その両方を見たネーリも、慌てて見様見真似で同じ動作をやった。
「肘の角度はこうで、ここの指はこうや!」
イアンが笑いながら、少し手直しをしてくれた。
「ご苦労様です。総司令」
「みんな集めたりせんでええって俺言うたのに」
「どうしましたか! 突然船にいらっしゃったってことは、とうとうフランス艦隊と遣り合いますか! やっちゃいますか!」
「どアホ! 『とうとう』ってなんやねん! ヴェネト来てまだ何にも物語始まっとらんわ! なにいきなり最終決戦や! みたいに目を輝かせて言ってんねん!」
「なんだー……」
「なんだ違うのか……団長が来るっていうから夜襲でも掛けるのかと思ってたのに……」
「がっかりしましたよ。こんな時間に来るからなんだと思ったじゃないですか。紛らわしい時間に来んといて下さい」
そこにいた全員が途端にがっかりしたように肩を落とした。文句も口々に言っている。
イアンは口許を引きつらせて半眼になった。
「おまえらな……何のためにここにおるんか忘れてへんか?」
「忘れそうですよ。団長。俺らこの七日間釣りしかしてません。一昨日なんかこんななんか虹色にうねうねした奴釣りましたよ。気持ち悪くてすぐ海に戻しましたけど」
「なんやねん虹色にうねうねした奴って……見たいやんか。取っとけよ」
「見てください団長! ここからだとフランス艦のアホが正面にアホ面で並んでますねや! ぶち込みたいわ~~~! 死刑になってもいいからぶち込みたい! 今一斉斉射したらあいつら綺麗に燃え上がりよるで。うずうずするな~~~~っ!」
「こっちからそう見えるってことはあいつらからも俺らがそう見えとるって分かっとるか?」
「大体あいつらムカつくんだよ。船の上でも舞踏会みたいな帽子付けて気取りやがって。短パンサンダルになれや暑苦しい」
「ごめんネーリ……連れてくるとこ俺はやっぱ間違えたかもしれん……」
両手で顔を覆ってイアンが嘆いていると、並んでいた軍人たちがネーリを取り囲む。
「なんすか。団長。このちっこいのは」
「見習い水夫ですか? とんでもなくしごいてやりましょうか?」
「しごくな! 俺の客人や! ものすごい画家なんや! お前らの乱暴な力でしごいたら腕折れるわ!」
「へ~~~~画家なのか」
「女みたいな顔してんな。でも男だろ? あ。胸ない。男だ」
ぺたぺたとネーリの胸を押して確かめた男に、すかさずイアンの脳天蹴りが炸裂する。
「何してんねん!」
「どああああああ! 団長がいきなり暴れ出したぞ⁉」
「恐ろしや!」
「今そんな怒ることなにもなかったよな⁉ いきなり可愛い部下に脳天蹴りってどーいうことですか!」
「いつからそんな気難しい上司に⁉」
「みんな逃げろ! 海に飛び込め!」
わあわあと彼らは一目散に散会した。
ネーリは目をぱちぱちさせる。
「ネーリ! ごめんな! 怖かったやろ!」
部下を追い回していたイアンが戻って来た。
ぽかんとしていたネーリが、不意にくすくすと笑い始める。
「大丈夫です。……びっくりしたけど」
「俺らはまだ演習に入っとらんのだけど、一応ヴェネト近海の護衛に来たからな。本体は港にいるけど、この船だけは沖で見張っとるねや。いざという時の為にな。んでも今はこの辺りもフランス・スペイン艦隊が到着したって悪い奴らも鳴りを潜めてる。だから退屈しやがってあいつら……うちの艦隊で一番荒くれとんねんこの船」
「団長、準備整いました」
「うん。じゃあちょっと軽く走らせてくれるか。さぁ、こっちおいで。ネーリ。船首の方は風が特に気持ちいいで」
イアンが船首へと歩いて行く。
「ここが特等席や!」
船首に並べられた木箱に乗ってイアンが両腕を広げて笑う。ネーリも思わず笑ったが、側にいたスペイン兵が「落ちますよ」と冷静に注意している。
ネーリはやって来た。
風が気持ちいい。
月に輝く夜の海を、滑るように走って行く。
「……少しは元気出たか?」
自分と同じように、隣の木箱に腰掛けたネーリの横顔を眺めていたイアンが尋ねて来る。
ネーリは、うん、と大きく頷いた。
この船は軍艦だ。普通民間人など乗せない。イアンがいるから、特別に今、ここにいられるということはよく分かっていた。
「そっか。良かったわ」
「ありがとうございます。ほんとは……こんな風に、軍人でもない僕が乗っちゃダメなんですよね……」
「いいねや」
イアンは頬杖をつく。
「俺は船の上が大好きやねん。国にいる時も待機命令出とる時も、無性に乗りたくなることがある。なんや落ち込んでても船乗って風に吹かれると、元気出るんや。まあ、ネーリもそうとは、限らんのやけどなぁ」
にかっ、と彼は笑った。釣られるようにネーリも少し笑ってから、前方を見る。
「……イアン、前もちょっと話したけど……僕、小さい頃、船に乗ってたことがあるんです。僕を引き取ってくれたおじいちゃんが、貿易船を持ってたから、それに乗ってた」
「そうなん?」
イアンは驚いた顔をする。
「んじゃ別の国とか行ったことあるん?」
「その時訪ねたのがどこの国か頭で分からないくらい、小さい頃にだけど」
「知らんかった。ヴェネトにずっといたんかなって思ってたわ」
「おじいちゃんがいて、船のみんながいて、一緒に旅をしてたんです」
「そうやったんや」
ネーリは振り返る。
「だから、この空気懐かしい」
優しい表情で彼は言った。
「元気出ました。……ありがとう」
「そうかぁ。良かった。そやで、君は元気に笑ってるのが一番ええ。お日様みたいな笑顔持ってるから、曇らせといたらあかん」
イアンは大きな手でネーリの風に騒ぐ髪を撫でてくれた。
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