カフェ&バー『異次元』

「おはようございます!」

 カフェ&バー『異次元』の従業員ゲートを開いた大空光は、いつもと変わらぬ張りのある声で、控室で休憩をとる同僚に挨拶をした。

「おはようさん。今日も元気だね。それより地震、大丈夫だった?」

 キッチン担当の眼鏡男子、今泉敦は携帯端末で情報を収集しながら返事をした。

「はい。母も予定通り岬ちゃんのお寿司屋さんに行くみたいです」

「そっか、それは何より。しかし何だろうね、あの地震。先月に続いて2回目だし疑惑は深まるばかり。まあ、ミステリー要素満載だから話題性には事欠かないし、メディアの動きとしても面白いから俺的にはOKなんだけど」

 近年秋葉原に開校した専門学校、『アキバ・メディア・アーツ』のメディア・リテラシー学科に通う今泉は、今回の地震的現象によって賑わうネットワークコミュニティの動きに注目していた。

「あっちゃん、これはゲームでも2.5次元でもありません。現実です。私は……ちょっと怖いかな」

「そう、怖いんだよ。だから盛り上がる。21世紀もあと少しで終わり。世紀末って不安と希望が極限まで入り混じる特別な期間だと思うんだよね。それはそれでやっぱ面白いと思うぜ」

「違いない!」

「あ、それ岬ちゃんの口癖でしょ!」

「まさしく!」

「……ひかりん、俺のことからかってる?」

「そんなことありませんよー。愛してますから!」

「はいはい。アガペーの愛、あざっす!」

「大丈夫です。世紀末も愛があれば、きっと」

「イエス! 愛は最高です!」

「うんうん、やっぱ愛ですよね!」

「ところでヒカリサン、勤務開始時間は過ぎておりますが」

「はっ! 違いない!」

 光は慌ててホールへと駆け出した。


 『異次元』は、ある嗜好に特化したコンセプト・カフェとは異なり、いわばオールジャンルのマニア、オタクが集える空間として2087年、日本を長年支配してきた全体主義政権が倒れたのを機にオープンした。

 店内には貴重な蒐集品を陳列するスペースが設けられ、博物館的要素も兼ね備えた一種のテーマパークとしても人気を博していた。

 座席数はカウンターを入れて144席あり、ジャンル別に12のエリアが定められている。客の嗜好がどのジャンルにも属さない場合、ノンジャンルエリアへと案内される。

 席数は各エリア均等に12席となっており、客層が偏らないところも好評であった。

 歴女を公言する大空光は『ヒストリーエリア』の語るウェイトレスであり、眼鏡男子の今泉敦は『オカルト・ミステリーエリア』のキッチンで怪しげな料理を提供している。

『異次元』はコンセプト・カフェというより、コンプレックス・カフェと呼んだ方が遥かに的を射ていた。カフェは17時を過ぎるとバータイムへ切り替わり、アルコールの提供を始める。フードは22時、ドリンクは22時30分でラストオーダーとなり、23時に閉店となる。光は学校帰りのため、17時からラストまでを担当することが多かった。


「いらっしゃいませ! あ、鋭ちゃん、こんばんはー」

「おう、ひかりん、地震が怖くて休んでるかと思ったぜ」

 鋭ちゃんと呼ばれた男は自称『真実を愛する敏腕ジャーナリスト』一波鋭いちなみえいである。正式な肩書はフリーランスのメディアキュレーターであるが、直取材をモットーとする骨太ジャーナリストであった。

「とりあえずソルティ・ドッグ頂戴」

「かしこまりです! でも何でしょうかね、あの地震。先月もありましたし。怖いといえば怖いですけど、何に怖がっていいのかが正直分からないというか」

 光は慣れた手つきでマドラーを回しながら、ジャーナリスト一波の回答に期待した。

「あれは御用学者が言うような深発地震なんかじゃねえ。俺の勘ピュータがそう弾き出したんだが現実はさっぱりお手上げ状態だ。先月から調べているがさっぱり分からん」

「そうなんだ。鋭ちゃんでもダメなら、そりゃもう地震が決定事項だね」

 光は木佐貫一のデフォルメイラストがプリントされたコースターと一緒にソルティ・ドッグを差し出した。

「お、そうそう、俺の本業はこいつを探すことだったな。木佐貫一。どこに消えちまったんだか。もう11年も経つというのに核心に近づけねぇ……」

 グラス口の食塩に唇を当てたそのとき、彼の携帯端末が着信の振動を告げた。

「田頭教授! 折り返しのご連絡ありがとうございます! それで例の件ですが……」

 このまま話し続けようとする一波に、光は無言でエントランスを指し示した。

 一波も理解し、「すみません、今店内ですので外に出て掛け直します。ちょっとお待ちください」と断りを入れて通話を切った。

「鋭ちゃん、ごめんね」

「悪ィ、意外な人からだったんでつい。地震関係でどうしても話を聞きたい先生でね。中々つかまらないしメールも返信してくれないし……ってことでちょいと席外すぜ」

 敏腕ジャーナリストは飲みかけのソルティ・ドッグを一気に内の蔵へ流し込んだ。


 陽も落ち切った11月の大気は思いのほかひんやりとし、肌寒さを感じさせた。

 一波は外套のポケットから携帯端末を取り出すと、田頭と表示された番号にリダイアルした。

「教授、一波です。先ほどは失礼しました。お時間いただきありがとうございます。早速本題に入らせていただきます。私が宗教にも詳しい田頭教授にお聞きしたいことは2点です。一つはこの地震的現象は黙示録的な神の怒りなのか、もう一つは量子コンピュータが実用化されて半世紀が過ぎようとしている現在において、なおも解明できない、科学的に未知の現象なのか、ということです」

「一波くん、結論を急ぎ過ぎてはいまいか。君の問いはふたつとも想定の領域を出ないこと。つまりエビデンスを必要としない。宗教か科学か、という問いは大衆受けするだろう。君は本質に迫る、真実を愛するジャーナリストではなかったかね?」

 図星を突かれて赤面する一波の前を、酷く深刻な表情を浮かべたふたりの若者と、恐ろしく凍りついた視線を放つひとりの何者かが横切り、『異次元』へと入店した。

「……教授、すみません。私の考えが甘かったようです。気持ちを入れ替えて出直します。失礼いたします」

 ここで話を終えることは一波の本意ではなかったが、彼は『異次元』へ吸い込まれた不可解な三人に惹かれ、後を追うことにした。

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