木佐貫黙示録
「ここは……」
「廃校です」
「カスミン、それは見れば何となく分かるけど……うん、実験室みたいだね。理科室かな」
柊は目に入った人体標本やフラスコ、薬品の入った瓶を確認しつつ、残光が射し込む窓側へと移動した。いくつものビル明かりは廃校の暗闇を押しのけ、室内の遺物が視認できるくらいの照度を獲得していた。
「キリモヤさん、これって回想モードなの? 私が知る限り、状態が通常モードなんだけど」
身に纏う衣類が21世紀仕様に変わっていたことで、凪は『通常モード』の状態と認識した。
「説明します。ついてきてください」
「……」
『回想モード』が初めてとなる柊は正しさの基準など知るよしもない。唯一正しいと思えることは、記憶を保持してここに立っていることだけだった。
微光が照らす仄暗い階段をワンフロア降り、一行は廃れた学び舎を抜けて街へ出た。そして霧靄はここが東京の秋葉原であることを告げた。
「ここがアキバ? 資料で見た景色とは全然違うのだけど……」
「ええ、ここが秋葉原です」
「これが……ここがシンギュラリティを目前にしたアキバの街だって?」
目の前に広がる光景はいまだ発展途上のような、その種の異様な活気は感じられるものの、最先端技術の粋を凝らした街と呼ぶには程遠いレトロ感を漂わせていた。
「とりあえずキリモヤさんの説明を待ちましょう。逐一驚いていたら身がもたないわ」
「…………」
冷静な凪をよそに、柊の心は穏やかではなかった。これまで抱いてきた輝かしき時代のイメージが、絶望の音をたてて一気に崩れ落ちるのではないかと不安に駆られた。
霧靄はふたりをカフェ&バー『異次元』へ誘い、アールヌーボー様式のエントランスが視認できる位置で立ち止まった。
「お話はこの店内で行います。ここは電波が安定しています」
霧靄は外套の内ポケットから携帯端末を取り出し、ふたりに差し出した。
「何よこれ」
「ケータイです。電子決済10万円が使用可能です」
「……」
「柊君、今は何も言わないで。まずは話を聞いてからに」
「……分かりました」
「それにしてもこのお店、あちらの『異空間』に似ているわね。名前もそっくりだし」
「そうですね。カスミンは電波が安定してるって言ってたけど、この時代で電波の精度を気にするなんておかしいですよね……いや、もう何もかもおかしいんでむしろ普通に感じてきましたけど」
先を行く霧靄が『異次元』の扉を開けようとしたとき、凪は周囲に鋭い視線を感じ、その発信源へと目線を移した。
そこには一行を凝視する一筋の眼光があった。どことなく気だるい、しかし油断すれば心の奥まで抉られるような鋭さを放つ眼差しであった。
入店した霧靄一行は『異次元』のコンセプトとシステムについて説明を受け、『ヒストリーエリア』を選択した。
「ようこそ、ヒストリーエリアへ! 担当は歴女の大空光です! ドリンクお決まりでしたら先にお聞きします!」
大空光がいつも通りに自己紹介し、元気な声でオーダーを取る。
「え……っと、あ、何これ!」
柊はドリンクメニューを上から下へと辿っていくと、親しみのある文字列を発見した。
「この『キサヌキの憂鬱』って何ですか?」
「これはですね、絶賛失踪中の木佐貫博士が考案したエナジードリンクです!」
「え? 失踪?」
凪もこの発言に反応し、メニューをめくる指を止めた。
「11年前に失踪したじゃないですか。本当にどこ行っちゃったんでしょうね!」
柊らがインフィニット・ワールドの義務教育で学んだ歴史によれば、木佐貫一の失踪は2101年、シンギュラリティ宣言の後だった。
凪が光に疑問を呈すべきか逡巡していると、背後に迫るプレッシャーがそれを阻害した。
エントランスで佇んでいた鋭い眼光の男だ。その男はこちらに目を向けることなく、カウンター席へ向かった。
「とりあえず、それください。氷なしで。いいでしょ? 柊君、キリモヤさん」
凪はキリモヤの話を聞くことが先決であると、柊に目で訴えた。
「あ……はい。そのキサヌキ……でお願いします」
「問題ありません」
次元立会人に味覚制御センサーが備わっているかは定かでない。
「承知いたしました!」
長めの黒髪が軽快に弾む、ややオーバーアクションで接客する大空光の底抜けの明るさを前にし、柊は幾ばくかの平静を取り戻した。
オーダーを取り終えた光がカウンターに戻ると、ジャーナリストの一波は人差し指を唇に当て、目を閉じて座っていた。
「あ、お帰り鋭ちゃん」
「シッ!」
一波は光の言葉を遮り、カウンターの真後ろに座った柊たちの話し声に耳をそばだてた。
エメラルドグリーンにレモンイエローのグラデーションが美しい『キサヌキの憂鬱』は、ブルーな気分を醸し出すというよりは、ケミカルエナジーを注入できそうな怪しさを秘めていた。
「さあ、話してちょうだい。説明を端折らないで丁寧にね」
凪は初心者の柊にも分かるように、という意味を込めて霧靄に釘をさした。
「わかりました。では先ほどの端末を出してください。木佐貫一から預かったメッセージを送ります」
カウンターの一波はキサヌキという言葉にピクリと反応した。
霧靄は人差し指を天に向け、小さく円軌道を描いた後、ゆっくり唇へ移動した。目を閉じ、識別不能の言語を発すると、ふたりの携帯端末が青白い光を放った。
「まずはこれを読んでください」
「……」
「……」
凪と柊は無言のまま、メッセージが表示された液晶画面に目を落とした。
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私は木佐貫一である。
これは人類に課す最後の命題である。
『2101年11月11日、選ばれし7人が日本の霊峰へ集うとき、新たな12使徒の下で世界の理が誕生する』
私はシンギュラリティ到達を目前に控え、ある研究をしている。
その成果の集大成として、どうしても君たちの協力が必要となる。
詳しいことはまだ言えない。
しかし2101年11月11日、この日が何であるかを君たちはよく知っているだろう。
まだ3年も先のことになるが、このような回りくどいやり方をするには理由がある。
たとえ今、私が君たちと出会ったところで、残念ながら何の成果も生み出さない。
3年という長いようで短い時の流れの中で、『7人の12使徒』を探すのだ。
そして来たるべき日に、私たちは裁かれることになる。
私から君たちに提供できる情報はこれだけだ。
2011
2031
2032
2036
2040
2051
2057
君たちならきっと解ける。そう信じている。
信じているがもし解けなかった場合、残念ではあるがゲームセットだ。
どうなるのかというと、君たちは未来へ戻ることはおろか、存在そのものが消えることになる。
これは脅しではない。
だから、そうならないために頑張ってくれ。
私を信じるかどうかは君たちの自由だ。
21世紀は人類にとって特別な100年だ。
大いに学び、考え、そして楽しんでくれたまえ。
アーメン
M-HSG(Mad Honest Scientist Group)
木佐貫一 with 2 dear friends
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「何よ、これ。バッドエンドはリアル死ってこと? というかこの世界は何? 回想モード? 通常モード? それともこれはVRLではないの?」
凪はあきれ顔で霧靄に問う。
「…………」
柊は言葉を発することを忘れ、何度も木佐貫のメッセージを読み返していた。
「ボクの役割は21世紀試験に合格したプレイヤーを『特例モード』へ導き、必要物資を与え、木佐貫一のメッセージを伝えることでした。その内容についてボクは知らされていませんでした。おふたりと同じく、今拝見しました」
「……特例モード……なるほどね。キリモヤさんも今知った、ということはこれ以上何も知らないということ?」
「はい。ボクはこの後どうしたらよいでしょうか……」
次元立会人であるはずの霧靄霞が明らかに困惑していた。
「さあ、あなたのことなんて知らないわ。私が聞きたいくらいよ。あなたはこのメッセージにすべてが書いてあると思っていたの? でもどうやらそれは違ったみたいね。この後はあなたが、あなたの意志で決める必要があるわ」
「ボクの……意思……」
霧靄霞がどのような制御系によって動作しているのか、凪や柊はもちろん人類に知りえる術はない。他のアンドロイド同様、霧靄霞のスペックについても、やはり誰も、何も分からないのだ。
「ねえ、カスミン。これって21世紀シナリオにおける『木佐貫黙示録』じゃないかな。このメッセージが本当にドクター木佐貫のものであれば、僕はすごく光栄に思うよ。特殊なことなんて今に始まったことじゃない。このシナリオは特殊の連続だった。つまり、僕たちがこの命題を解くために用意された期間は3年。そしてシンギュラリティ宣言が発せられる日、霊峰富士山に登り解答を提出する。これが特例モードのクリア条件、ということなんだよね?」
柊は尊敬する木佐貫直々のメッセージを、VRLにおける『木佐貫黙示録』とみなし、選ばれた4名のプレイヤーにのみ用意されたプレミアムシナリオであると、楽観的に推測した。
「失敗したら死ぬって書いてあるんだけど。それもリアル死みたいよ」
柊の短絡的な考察に半ば呆れた凪が重大な問題を指摘する。
「それ、嘘じゃないですか? ありえないですよ。そういう設定にしないと面白くないからだと思います。多分バッドエンドになったらまた記憶を削除してリプレイできるんですよ。これはやっぱりVRLで、それもサプライズ的なシナリオなんですよ。21世紀はそれだけ特別だってことじゃないですか? それがこの記憶を保持してプレイできる特例モードってやつじゃないでしょうか?」
柊はこの命題をあくまでVRLの拡張シナリオと捉えた。
「どうなのキリモヤさん。あなたならどう考える?」
凪がキリモヤを試す。
「……ボクの……考えですか……」
霧靄霞はしばし沈黙した。迷うアンドロイドを見るのは、凪も柊も初めてであった。
「……分かりません。すみません」
考えなかったのではなく、解に導くことができないと判断したのだ。
「カスミン、このメッセージは多分君も一緒に解答を探せ、ということだと思うな。バッドエンドがどうであれ僕たちが選択できることは一つ、ドクター木佐貫の命題の真偽に挑むこと。それしかないと思う」
「そうね。ただ分からない世界に楽観的でありすぎるのは危険だわ。このエンドルートはやり直しが可能なバッドではなくデッドよ。あらゆる可能性を排除しないとすればデッドエンドは避けるべき。それとキリモヤさん、柊君の言った通り、あなたもこの特例モードのプレイヤーよ。このふざけた謎解きに協力しなさい」
凪は霧靄霞という21世紀専用のホムンクルスが、謎を解く何かしらのキーになると推測した。
「……分かりました。協力しましょう」
話がひと段落し、のどの渇きを感じたふたりと一体のアンドロイドは、美麗なグラデーションは過去に沈んだ『キサヌキの憂鬱』を一気に飲み干した。
「ところでカスミン、君はのどが渇いたりお腹が空いたりするの?」
憂鬱と名のついたエナジードリンクを口にしたアンドロイドを見て疑問を感じた柊は問うた。
「……どうしてかは分かりません。しかしこの世界では、どうやらそういったプログラムが働いているようです」
霧靄は自然とドリンクに手が伸びたことに驚いたようだった。
「で、このドリンク、おいしい?」
からかい半分に凪が聞く。
「……おいしい……のかもしれません……」
凪は霧靄霞を注意深く観察し、その人間的な変化について考えを巡らしていると、背後からざらついたプレッシャーが迫った。
「すまないがさっきまでの話、耳に入ってきたので一部始終聞かせてもらった。あ、俺はフリーランスのジャーナリスト、一波鋭だ。そこそこいい記事を書いているんだけど、聞いたことない?」
一波は空いた一席に腰を下ろし、名刺を差し出した。
「申し訳ないけど聞いたことはないわ。それより珍しいわね、今どき紙の名刺なんて」
警戒を強めつつ凪が名刺を受け取った。
「珍しいだって? そりゃ他国からみればそうだろうが、この国じゃ名刺は紙だろ、ずっと。まあいいや。君たちの会話から聞こえてくる内容は正直、何を言っているのかさっぱり分からなかった。ただ木佐貫一という名前は何度も聞こえた。俺は2087年の木佐貫疾走事件以来、奴を追っている。少しでも情報が欲しい」
大空光と名乗った給仕も口にしていた『木佐貫失踪』という一事について、柊だけでなく凪も確認の必要性を感じていた。『特例モード』の21世紀は歴史そのものが改変されている、その可能性が高いであろうことも。
「ちょ! 鋭ちゃんだめじゃないですか! お客様の邪魔になります!」
他の客に絡む常連の一波を光は注意した。
「大丈夫です。僕は構いませんし、それと歴女のあなたにも是非聞きたいことがあります。少しお時間いただけないでしょうか」
凪も霧靄も柊に同意したため、光は一波の同席を許可した。
「聞きたいことって、歴史についてですよね? それなら大丈夫です! 歴史語りはお仕事の一環ですから! あ、私は先ほど名乗りましたが大空光といいます。19歳の大学一年生です」
光もまた、紙製の営業名刺を皆に配った。
「光ちゃん、柊君とは同学年なのね。私は凪雫。20歳よ。えーっと、肩書は……そうね、フリーランスの何かってことで」
この世界では自己紹介に困ることに、今さらながら凪は気づいた。
「僕は柊周です。そう、君と同じ年みたいだ。えーっと、そうですね、僕もまあ、とりあえずフリーランスです……」
苦笑いをする柊。
「で、こちらは霧靄霞さん。年齢不詳だけどあまり詮索しないでね」
「キリモヤカスミです。ボクたちは未来から来ました」
凪のフォロー虚しく、ホムンクルスはあっさりと自分たちの正体を明かしてしまった。
「未来だって?」
呆気にとられる一波。
「この世界はボクたちが知る21世紀とは異なるようです。木佐貫一が誕生した後の歴史をかいつまんでお話しいただくことはできますか?」
霧靄の問いは核心をついていた。この次元立会人は自分が既にプレイヤーのアテンドではないことを自覚していた。凪と柊は霧靄霞がプレイヤーモードに切り替わったことを悟った。
「もちのろんです! 鋭ちゃん、私が話すけど何か間違っていたら突っ込んでいいからね」
「おいひかりん、未来人設定はスルーかい……」
「え……まあいいじゃないですか。それはおいおい……」
大空光は相手の素性調査よりも歴史を語れる喜びでいっぱいのようだった。
一波はひとまず光の歴史語りにつきあい、様子を見ることにした。
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