バッドエンド
…
……
………
beep,beep,beep
「――ん……あれ? ここは……」
目覚めた柊の視界に入ってきたのは次元立会人、霧靄霞であった。
「21世紀ライフツアー、お疲れ様でした。柊周は本ツアーにおいて必達目標を満たせなかったため、システムは強制終了となりました。よって本ツアー記録は削除いたします」
透明感のある霧靄霞の声色は、どこか憂いを帯びていた。
「………」
放心状態の柊は無言のままフライトルームから退出し、空港のロビーへと足を運んだ。
柊はロビー脇のウェイティングスペースに目をやると、『キサヌキEチャージ・MAX』を手にした凪雫が窓の外を眺めているのを確認した。
プレイヤーズカフェで同じドリンクを注文した柊は、気後れをしながらも天才ライフ・ツーリストに言葉をかけた。
「すみません、出発時にご一緒した柊周です。少しお話、できるでしょうか……」
凪はちらりと柊の姿を確認すると、すぐに窓の外へ視線を戻した。
「いいけど、何?」
「初のツアーはバッドエンドでした……何がいけなかったんでしょう、正直ショックです」
「そう、奇遇ね。私もバッドエンドよ」
凪は表情を崩さず、さらりと述べた。
「え?」
柊は自分の耳を疑った。才色兼備の天才ライフ・ツーリスト、凪雫の口からバッドエンドの言葉を聞くことになろうとは露ほど思っていなかった。
「失礼ですが今までバッドエンドを経験されたことは……」
「ないわ」
「ですよね……」
凪は景色を眺めるのをやめ、身体を反転させて柊に視線を合わせた。
「軽蔑してくれていいのよ、柊君。出発前に私、あなたをからかってしまったわ。バッドエンドに気をつけてね、って。本当に失礼だったわ。ごめんなさい」
自らの非礼を素直に認めた天才が首を垂れた。
「いえ! いえいえ! 失礼なことを聞いてしまったのは僕の方です! すみません……」
柊は天才が迎えた初のバッドエンドよりも、VRL初心者に対し、躊躇なく謝罪の言葉を述べた『凪雫』のパーソナリティに興味を抱いた。
「ところで柊君、敬語使うの、やめてくれない? 義務教育を終えたら上も下もないわ。あなたが好きな木佐貫さんもどこかでそのようなことを言っていたと記憶するけど」
「え……あ……そうですね。でも、まあ、あれです。年齢が上とか下ではなくて、単純に尊敬する人には自然と敬語が出てしまうのではと思います。だから僕は敬語を使います! 使わせてください!」
「……そう……」
凪は微笑を浮かべた。
「面白いね、君はやっぱり面白い。そういうことなら構わない。好きに呼んでくれていい」
「はい!」
「――それはそうと、やはりこの21世紀というシナリオは何かおかしいわね。私の実力不足が招いた結果のエクスキューズではなくて、経験上、異例なことが起きていると感じるの」
バッドエンドという屈辱を味わった後とは思えないほどに、天才の思考は冷静さを失っていなかった。
「……僕はこれが初めてのツアーでしたから比較する対象がまだありません。凪さんの違和感とは何でしょうか。推測で構いません、教えてくれませんか」
初のツアーをバッドエンドで終えた柊には、当然ながらVRLによって一生を終えた記憶が存在しない。
十数秒の沈黙が流れた後、凪はおもむろに口を開いた。
「そもそも、21世紀がこれほど長期間にわたってシナリオ化されなかったことはおかしいわ。現在の修正VRLシステムは100年前に完成し、初期5年間でほぼ全ての時代のシナリオが誕生した。それから90年以上も経過し、前触れもなく突如として誕生したのがこの21世紀シナリオ。一度切りの試験、ありえない設問、ありえない合格者数、どれをとってもすべてが異例だったわ」
「……そうですよね。世間は90年振りのニューシナリオ、それも初の21世紀ということでみんなそのサプライズに酔ってしまっていました。シナリオ誕生に至る経緯や展開方法に注意が向けられるような雰囲気ではなかったですよね。恥ずかしながら僕も有頂天になっていたひとりでした……」
柊は嬉しさのあまり21世紀へ仮想のメールを書いた自分を省みた。
「それと、あの霧靄霞というホムンクルス。私はこれまで5種類のホムンクルスに出会ったけど、名前を訊ねれば一様に開発コード番号を名乗った。つまり英数字の羅列ね。いや、そもそも名前などないのかもしれない。彼らに名を訊ねるようなプレイヤーは私を除けば君が初めて。もちろん、私の知る限りではあるけど」
「へえ……そうなんですか、僕は次元立会人という存在が何故かドクター木佐貫と関係がありそうで興味を持ちました。彼らは普段何を考えているのかってね。あ、そうだ……さっき霧靄さんに失礼なことをしてしまったな。バッドエンドのショックが大きくて、無言であの部屋を出てきてしまいました」
一介のアンドロイドに寄せる柊の優しさはどこか幼さを残し、その虚ろ気な儚さが凪の心に巣くう不愉快な緊張を幾らかほぐした。
「……面白いね、本当に君は。好きなんだね、VRL」
「はい! そのような未来にしてくれたドクター木佐貫にも感謝しています!」
「うん、面白いよ。君がそこまで拘る21世紀という時代に、私も少し興味が湧いてきたみたい」
「……ということは今まで興味はなかったんですか?」
「まったくない、ということではないけど、無数に存在するシナリオの一つとしての、ごくありふれた興味でしかなかったわ」
「特別ですよ、21世紀は……そう、一連のVRL騒動を抜きにしても」
「そうね。ある意味で……ね」
天才と初心者ツーリストは、『キサヌキEチャージ・MAX』を飲み干した後もしばらく談笑し、今後の21世紀ライフツアーに関して情報を共有することを約束した。
過去の中毒事件を機にVRLシステムは一新された。現在VRLと呼ばれるものは、この修正パッチが施された後のシステムを意味する。修正VRLでは無制限だったライフツアーのプレイ回数に制限が設けられ、1日の上限は3回となり、同じシナリオに関しては1回限りとされ、リプレイが禁止された。
21世紀シナリオをバッドエンドで終えた柊であったが、既に合格済の戦国時代と大正時代であればプレイすることは可能であった。しかし彼は楠の誘いを断り、早々に帰路についた。
5月15日
…
……
………
beep,beep,beep
「21世紀ライフツアー、お疲れ様でした。柊周は本ツアーにおいて必達目標を満たせなかったため、システムは強制終了となりました。よって本ツアー記録は削除いたします」
霧靄霞が発する混じり気の無い声音が、この日はひときわ憂いを増して室内を満たした。
「ふぅ……ダメだったか、やっぱり」
弱々しい声ではあったが悲観している様子はなく、どこか納得しているようでもあった。
柊はフライトルームを出ると、ロビーカウンターで『キサヌキEチャージ・MAX』を受け取り、街を一望できる地上50階の展望フロアへ向かった。
『こんにちは。10回目も失敗です。凪さんの方はいかがですか?』
遠く霞む街並みを窓越しに眺めながら、柊は凪にツアー結果を送信した。
凪の居住区は北海道であったが、初回の21世紀ライフツアーは東京でのフライトを選択した。
というのもかの天才プレイヤーには『初回ツアーは東京より』というツーリストポリシーがあったからだ。
ドリンクの氷が溶け切ってからどのくらい経過しただろうか、ぼんやりと景色を眺めていた柊の端末にメッセージが入った。
『クリアした。しかし、私が臨む形ではない。形式上クリアできそうな初期設定を見つけただけ。でもそれは……そう、21世紀を愛する柊君にはお勧めできない。だからごめんなさい、教えられないわ。どちらにしてもこれでお互い10回のツアーを終えた。回想モードへ飛べるがどうする?』
記憶を保持して臨むことが可能となる『回想モード』へ入ることを、『通常モード』のフライトと分けて『飛ぶ』という表現を使用するプレイヤーがいる。意味は同じであるが、日本区では区別して使用されることが多い。
「凄い……さすがです! 凪さん!」
思わず声が漏れてしまうほど柊は興奮していた。
天才凪雫を以てしても9回のバッドエンドを数えた21世紀シナリオである。
21世紀オタクの自分であれば……という甘い考えは当に消え失せていたが、もしかしたら、という微かな希望を柊は抱いていた。しかし結果的にビギナーズラックが起こることもなく、淡い期待は無慈悲にも打ち砕かれた。
凪が指摘した『初期設定』とは、いつ、どこで、どのような境遇で生を受けるのか、という大雑把なステータスのことである。各シナリオによって選択可能な範囲や対象が決まっているが、その点に於いても21世紀シナリオは選択幅が狭く、誕生年については2001年から2057年の間しか選択ができなかった。
この『初期設定』を公開することは、いわばネタばらしと同様で基本的にはタブーとされていた。
柊は興奮しながら打電した。
『おめでとうございます! と大きな声では祝福できないような、後味の悪いクリアだったようですね。もちろん、初期設定は聞きません。それをしてしまったらツーリスト失格です。お気遣いありがとうございます。回想モードの件ですが、やはりまだ諦めがつきませんので、引き続きクリアを目指したいと思います。だから僕のことは気にせず飛んでください』
条件を満たせば『回想モード』へ飛ぶことは可能であり、このモードは同時にふたりまで飛ぶことが許可されている。そのため、凪は柊に訊ねたのだ。
柊は天才プレイヤー凪と回遊する21世紀を想像した。それはきっとこの上なく有意義な経験となるに違いない。しかし彼は21世紀への拘りを捨てきれず、11回目の挑戦を選択した。
『そう、じゃあ、もう少し頑張ってみて。私もちょっと調べたいことがあってね。来月になるけど東京へ行くわ。このシナリオは何が起こるかわからない。おそらく回想モードも。だからできれば柊君と行きたいと思う。焦らなくていい。飛ぶ決心がついたら教えて。じゃあまた』
凪の追伸を読み終えた柊は、地上50階から見渡す遥か向こうの地平線をじっと見つめた。
彼の心の竈では、とまどいや苦しみ、嬉しさ、喜びがもつれ合い、たとえようのない使命感のようなものが、沸々と煮えたぎっていた。
21世紀とは何なのか。
その実像は柊が夢想していた世界とは違うのか。
彼は21世紀試験に臨む直前に感じた気味の悪い感触を思い出した。
「一体何があるというのだろうか……21世紀には……」
眼下にうごめくツーリスト達を眺めながら、彼は覚悟を決めて凪に回答を打った。
『わかりました。ただ、期限を決めましょう。時間の浪費はなるべく避けた方がよさそうです。でも、お言葉に甘えて僕は20回まで挑戦します。クリアの成否に関わらず、20回を最後に凪さんと回想モードへ飛びます。1つひとつのツアーを大事にしたいので若干の猶予をください。クリアできずに20回目を迎えた場合、ラストフライトは6月15日に設定します』
柊は思い出した。このツアーに臨めるプレイヤーは自分を入れて4人しかいないことを。
21世紀試験を突破した残るふたりのプレイヤー、
凪はこのことに触れなかったが、知らないとは考えにくい。
ふたりが同時期に飛んだことから、彼らは一緒に『回想モード』へ入ったと推測された。それを鑑みて凪は柊を待つことにしたのかもしれない。
ライフ・ツーリスト御用達のネットワークコミュニティ『Infinite VRL』では、21世紀シナリオの特異性をネタに多様な言説が飛び交っていた。しかし当事者である4人は沈黙を守っていたため、そこで語られる内容は憶測の域を出るものではなかった。
夜久と朝来野が『回想モード』に入った、という情報も当事者の発信ではなく、その真偽は定かではない。
凪がメッセージでこのことについて触れなかったのは、エビデンスと呼ぶには頼りないソースであったからだろう。しかし柊はその情報は真実であると感じていた。なぜなのかは分からないが、確信的にそう思っていた。
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