Departure 通常モード
『VRL空港・東京』へ柊が到着したのは、ライフツアー出発予定時刻の2時間前であった。
VRL空港は行政単位ごとに設置されており、常時多くのライフ・ツーリストで賑わっていた。その中でも旧時代に首都と呼ばれた東京のそれは世界でも有数の大型施設であり、全国各地から有名プレイヤーが集った。
「わぉ! わぉわぉわぉ!」
「おい周、少しは落ち着けよ」
楠は興奮を抑えきれない柊を制した。
「ごめんごめん、でも興奮しちゃうよ。だってこの空港に入ることさえ許されなかったんだからね。お土産売り場くらい入れてくれてもいいと思わない?」
「……まあね、でも期待膨らませすぎちゃって学校行かなくなったらあれだろ? そんなとこまで考えているのさ、AAIってのは」
「……確かに。僕は間違いなくそっち側の人間になってしまうだろうね」
ふたりは空港内を散策した後、1階ロビーのプレイヤーズカフェで記念すべき初フライトを『キサヌキEチャージ』で祝った。
柊は21世紀へ、楠は大正時代へ旅立つため、それぞれのフライトルームへ移動し、期待に胸を膨らませながら出発を待った
「柊周さん、それではこちらのカプセルにお入りください」
静かだがやや重みのある声で『生体変換装置』へ柊を誘導したのは、プレイヤーをVRL世界へ誘う次元立会人であった。
次元立会人は『回想モード』に同行する他、各空港内で『生体変換装置』のオペレーションも担当している。
「ありがとう! 君はなんて名前? 次元立会人なんて呼びにくいし、なんか味気ないじゃない。カフェのお給仕さんみたいに君にもあるよね、名前」
次元立会人は想定外の質問を受け、数秒間沈黙した後、表情を崩さずに答えた。
「ボクには人類のコミュニケーションツールとしての名前は存在しません。コードネームはありますが、それでよろしいでしょうか」
「いいよ。というか、それ名前と一緒だと思うよ」
次元立会人はランダムに変色するオッドアイで柊の瞳を見つめながら名乗った。
「ボクのコードネームはキリモヤカスミです」
「……なんだが不思議な名前だね。ミストの霧、フォグの靄、霞は……ミストでもフォグでもあるか。ああ、ヘイズってやつかな?」
「はい。その霧、靄、霞です」
「わぉ! ナイスネーミング! もしかしてドクター木佐貫が名付けたの?」
「可能性として否定はできません」
「ふーん、そう……いや、ありがとう! 好きだよ、僕はその名前。この役職にとてもマッチしているし! 実態のない何かの集合体って感じで、とってもミステリアスな響きだよ!」
柊が霧靄と名乗る次元立会人を相手にとりとめのない会話をしていると、部屋の自動扉が開き、ひとりの女性が姿を現した。
「ごめんなさい。少し遅れてしまったわ」
小さめの声で、しかしはっきりと非礼を詫びたその女性は、柊はもちろん、VRLのプレイヤーであれば誰もが知る天才ライフ・ツーリスト、
鋭さを放つ奥二重の瞳、美麗な黒髪ロングストレートにトレードマークの泣きぼくろもまた、際立つ彼女の個性として人々に記憶されていた。
「あなたは凪さんですよね! 21世紀試験に合格していたのは知っていましたが、まさか今日ここで会えるなんて! 感激です!」
名前と顔が知られたライフ・ツーリストは多いが、その中でも凪雫は非公式の『ライフ・ツーリスト名鑑』において人気上位を誇るプレイヤーであり、昨年はクール&ビューティー部門でトップの座を獲得した有名人であった。
ライフ・ツーリストには幾つかステータスがあり、そのひとつに『クリア純度』がある。これはライフツアー終了後に自動計算される『クリア値』を平均化したものである。各シナリオにおける『人生成功率』ともいわれ、この数値が高いプレイヤーほど充実した人生を経験できたと解釈されている。
この『クリア純度』にVRLプレイ回数を掛けた値を『GTP(グレイト・ツーリスト・ポイント)』とよび、非公式のVRLネットワークコミュニティ『Infinite VRL』において、プレイ回数ごとにランキングが公開されている。
凪雫はおよそ2年間で603回のライフツアーをプレイし、クリア純度918パーセント、GTPは約591という驚異的な数字をはじき出している。
「――どうも。君は……誰さん?」
「すみません! 僕は柊周といいます! 今日が初VRL、初ツアーになります!」
「え? 今日が初めて? それは、おめでとう……よくあの試験を突破できたわね」
「はい! 21世紀とドクター木佐貫オタクなもので……」
「……面白いね、君」
端正な顔立ちから微笑がこぼれた。
「せいぜいバッドエンドにならないよう頑張ってね。オタクさんにとっては記憶を持ってダイブできないのは残念ね」
一部のツーリストはVRLの世界に入ることを『ダイブ』と表現する。
過去に流行したオンラインゲームの名残といわれているが、拘りのあるプレイヤーの一部では好んで使用されている。
「ダイブ……ですか……さすがですね! なんだか本当に、最高の気分です。念願だった時代へ行くことが叶い、初フライトで凪さんに会えるなんて! はい! 頑張ります!」
「……ただ、ちょっと注意が必要ね。今回はいろいろとイレギュラーが続いているから」
21世紀シナリオに関する一連の不可解な動向に凪は注視していた。
「……そうですね。確かに前例のないことばかりで、僕のモヤモヤ感も晴れていません。あ、そちらの次元立会人さんは霧靄霞という名前なんです。とてもユニークな名前ですよね!」
「……」
凪はこれまでのVRL経験を思い返してみたが、次元立会人に名前を聞いたプレイヤーを、自分の他に見つけることはできなかった。
「そう、なかなか素敵なお名前ね。よろしく、キリモヤさん」
霧靄霞という次元立会人は、凪にとっても初めて出会う『ホムンクルス』であった。
『回想モード』で共に旅をすることになる次元立会人は、名前こそ滅多に聞かれることはなかったが、その特異性から一部では『ホムンクルス』と呼ばれていた。
西暦の時代、中世ヨーロッパの錬金術から生まれた伝説の人造人間の呼称がそれであり、次元を自由に支配する全能感から彼らをそう呼ぶようになった。
「それでは出発の時刻となりました。しっかり目を閉じてください」
ふたりはホムンクルス、霧靄霞の指示に従いゆっくりと目を閉じた。
「VRL、起動!」
霧靄の号令によってVRL総合システムは起動し、ふたりはカプセルの中から姿を消した。
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