21世紀試験
『旅立ちの訓辞』の聴講を終えた柊とその友人、楠優は記念撮影を済ませ、思い出が詰まった校舎を後にした。
「ついにこの日が来たね。あとは試験突破を残すのみ」
「で、21世紀試験対策はどうよ。といっても相変わらずあれから何の情報も出てこないが」
「そう。だからなるようにしかならない」
「お前な……」
「考えても分からない、であればあとは気合と根性!」
「精神まで21世紀に染まらんでいい」
「それより早く行こうよ、異空間」
「そうだな。まずはVRL解禁の祝杯を挙げよう。俺たちの人生は今日、ここから始まるんだからな」
はやる気持ちを抑えつつ、ふたりは足早に『異空間』を目指した。
『異空間』とは、かつて秋葉原と呼ばれた繁華街に店を構えるカフェ&バーの名称だ。いかにオンライン環境が充実しようとも、人は自らの嗜好を共有するために集い、語り、笑い、そして酔うのだ。
インフィニット・ワールドにおいて、このようなどこか人間くさいコミュニケーションを有する文化が残っている背景には、『絶対的育成プログラム期間』における18年間の共同生活体験があるからだと、自称文化人類学者は声高に主張している。
かつて20世紀のSF小説に描かれたディストピアは、AIの進化形であるオーギュメンテッドAIの誕生により到来することはなかった。
『AIに課せられた至上命題は人類社会の恒久的平和であり、一個人の人生がより豊かに、そして満たされて終息することである』とは、木佐貫一の遺書と目される『木佐貫黙示録』の研究者による言葉であるが、インフィニット・ワールドを端的に表す言葉として多用された。
柊と楠はカフェ&バー『異空間』のエントランスの前に立ち、深呼吸をして『次元の扉』を開いた。
「OKキサヌキ!」
これは『異空間』における挨拶であり、また応答のシグナルでもあった。
「あ、キラちゃんがいる! ラッキー!」
楠のテンションが上がる。
キラはこの店で人気の給仕用アンドロイドであり、容姿は人間と比べて全く遜色はない。彼らにはこめかみのあたりにロット番号が刻まれており、それが点滅発光をしているためアンドロイドと判別が可能となる。
この日は卒業式ということもあり、店内は程よく賑わっていた。
「キラさん、僕はキサヌキEチャージをください」
『キサヌキEチャージ』とは、21世紀のアインシュタインこと木佐貫一が開発したとされるエナジードリンクの名称である。木佐貫信者である柊はこの飲料をことのほか好んで飲んだ。
「俺は……そうだな、VRLサンドとキサヌキEチャージ!」
VRLサンドとはベーコン・ラーディッシュ・レタスサンドのことである。
「OKキサヌキ!」
もはやキサヌキという響きに偉大な科学者の存在を感じることはない。しかしそれは彼が時代を超えて愛されている証左でもあった。
「自由に乾杯!」
「OKキサヌキ! 21世紀万歳!」
ふたりは記念すべき解放の日をキサヌキEチャージで祝い、VRLサンドで腹を満たした。
『異空間』の人気アンドロイド、キラの話によれば、21世紀試験の受験者数は全ライフ・ツーリストのおよそ半数に及ぶだろう、ということであった。
たった一度しか行われない、前代未聞の21世紀試験に関しては各方面から様々な憶測が飛び交い、良くも悪くも世界が注目する一大イベントとなっていた。
4月20日 21世紀試験 当日
柊はある種の形容し難い心の疼きを感じていた。それは緊張から生じる不安とは別の、得体の知れない生物に遭遇したかのような薄気味悪さであり、油断すると漆黒の闇に呑み込まれてしまいそうな感触であった。
VRLのシナリオ試験を受験するには始めに専用サイトへログインし、本人認証をパスする必要がある。不正があれば公安AAIに漏れなく探知され、公衆の面前に名を曝されることになる。しかし人類はその不正を暴く構造を全くもって知らない。人知を超えたAIが統治する社会、それがアフター・シンギュラリティの世界であった
かつて人類を苦しめた忌まわしき犯罪の数々は、インフィニット・ワールドで起こることはない。一線を越える前に公安が作動し、被疑者は確実に捕縛されてしまうからだ。
監視システムがどのように稼働しているのか、それもまた人類が確認することはできない、AIは個々人の行動を何によって把握しているのか、人類にそれを知る術はない。
不安を抱く要素そのものが排除された世界、それがインフィニット・ワールドである。ゆえに21世紀の人権概念をもって、インフィニット・ワールドにおけるプライバシーを理解することはできない。
しかし光あるところに必ず影は存在する。
いかに崇高なシステムであろうとも、その必然から逃れることはできない。
21世紀試験の受験者数は『異空間』のアンドロイド、キラの予想を遥かに超え、全ライフ・ツーリストの7割近くに上った。VRL試験史上、最大の受験者数である。
世界各地では盛大なイベントが催され、人々は期待と不安に心躍らせながら祭りを楽しみ、推移を見守った。
…
……
………
beep
『シケンカイシ。セイゲンジカンハ、イチジカンデス』
抑揚のない無機質な鬨の声によって、狂熱の21世紀試験は幕を開けた。
「……これは……」
柊は問題を一瞥すると、先ほどの違和感が一種の気の迷いであったことを悟った。
設問は1問、ただそれだけであった。
【21世紀のVRLライフツアーに、記憶を保持して臨めるとしたら何をしたいか述べよ】
VRLのライフツアーでは、リアルワールドにおける記憶を保持してプレイすることはできない。
VRLの経験が尊いとされるのは、まっさらな記憶のキャンバスに人生が描かれるからである。そのため、この設問は全くの想定外であり、受験者を困惑させた。
しかし、柊周に戸惑いなどはなかった。
彼にとって21世紀とは、仮想のメールをしたためるほど焦がれる時代であり、記憶の保持など願ってもない条件だったからだ。
柊は躍動する心の赴くままに筆を走らせていった。
…
……
………
beep
『シケンシュウリョウ。ケッカハジュップンゴニツウチシマス。シバラクオマチクダサイ』
「――ふぅ」
柊は試験を終えた徒労感よりも、やり切った清々しさに満ちていた。
この解答で不合格となるならば思い残すことはない。次はアインシュタインが生きた20世紀へ行けばよいのだ、そう思えるくらいに、書きなぐった解答に満足していた。
bleep,bleep
試験終了から10分が経過し、空前絶後のプレミアム試験に合格したプレイヤーの名前が、規定に則って全国に公開された。
「……わぉ……わぉわぉわぉ! ごーかくしたぞ! わうぉー!」
自分の名前を確認した柊は思わず雄叫びを上げた。
bleep,bleep
柊周の名を見つけた友人、楠優からの着信音が響いた。
「やったな周! さすが21世紀オタク! それより他の合格者見たか? お前含めてたったの4人だぜ」
「え? 4人?」
「お前の合格は想定内だとしてもさ、4人って何だよ。俺はもう何が何だか……」
柊は他の合格者に目を向ける余裕が無いほどに感情が昂っていた。
「ほ……本当だ、本当に4人しかいないね。それって21世紀へ行けるのは後にも先にもこの4人だけってことだよね。いいのかな、本当に僕で……」
「いいと思うぜ。少なくともお前に関してはな。文句を言うやつがいたら俺がお前の21世紀愛を証明してやるよ!」
「優くん……ありがとう! 合格者が4人だけなんて全くもって意味が分からないけど、嬉しいことに変わりはないよ!」
前代未聞の21世紀試験は大波乱の末に幕を閉じた。プレイヤーの中にはこの結末に満足できず抗議する者もあったが、最終的にAAIの判断を尊重し、合格した4名は選ばれし精鋭であり称えるべきだ、という論調に落ち着いた。
やがて彼らの関心は21世紀シナリオのコンテンツに注がれ、酒場やカフェ、ネットワークコミュニティでは4人からの報告を待つライフ・ツーリストで溢れ、日夜尽きない議論が交わされた。
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