第2話 運を奪われた少女
レオが住む村から少し離れた街道沿いに、少女が座り込んでいるのを見つけたのは、曇り空の夕方だった。体にまとった薄汚れたケープの下から、震える肩が見える。レオは足を止めた。彼女の目には、何かを失った人間だけが持つ深い空虚が宿っているように見えた。
「大丈夫か?」
レオが声をかけると、少女は一瞬びくりと肩を震わせたが、疲れ切った表情で顔を上げた。その目は赤く充血し、泣きはらした跡がある。
「……触らないで。」
彼女は弱々しく呟く。だが、その声には何かしらの決意がこもっているようでもあった。
レオは彼女を放っておけなかった。彼女を安全な場所に連れて行くことにし、近くの木陰で休むよう促した。彼女はためらいながらも、それに従った。少しずつ話を聞いていくうちに、彼女の名前がセリーナであること、そして彼女がただの迷い人ではないことがわかってきた。
セリーナは、かつて裕福な家に生まれ育った。しかし数年前、家族は「運を金や物に換える商人」と契約し、その代償としてすべてを失った。初めは幸運を得ていたかのように見えた。父は商売で成功し、母は健康を取り戻し、家族は一時的に幸福を味わった。だがその幸福は長続きしなかった。
「悪魔が来たの。」
セリーナの言葉に、レオは息を飲んだ。
「悪魔……?」
「ええ、運を奪いに来るのよ。最初は父が倒れた。次に母が病に倒れ、弟は行方不明になった。私も…私の中の運はもうほとんど残ってない。」
セリーナは小さく震えながら、自分のケープをめくった。セリーナがケープをめくると、その腕には赤黒い紋様が浮かび上がっていた。それは不規則に絡み合う模様で、まるで焼き印を押されたかのように皮膚に刻み込まれている。
「これが…『運を奪われた者』の印よ。」
彼女は視線を落としながら震える声でそう言った。
レオはその紋様から目を離せなかった。それはただの模様ではなく、どこか禍々しい力を感じさせるものだった。触れようとしたが、セリーナが怯えた様子で腕を引っ込めた。
「触らないで…これに触れると、運をさらに奪われるかもしれない…」
彼女の目には恐怖が宿っていたが、その奥に、誰かに救われたいという弱々しい希望も垣間見えた。
「その商人は、どこにいるんだ?」
レオが真剣な表情で問いかけると、セリーナは首を横に振った。
「分からない…でも、街にはまだその影響が残っているはずよ。噂では、取引をした者たちの運命が次々に狂い始めているとか。」
レオは強く拳を握りしめた。彼女の話は、ただの作り話ではない。レオが住む村でも、最近「運を金や物に換える商人」の噂を耳にしていた。
「セリーナ、君を助ける方法を見つける。こんなことが許されていいわけがない。」
レオの言葉に、セリーナは少しだけ目を丸くした。彼女はこれまで、多くの人に見捨てられてきた。けれど、レオの言葉には真実味があった。それは、彼の信念の強さから来るものだった。
その時、風が不気味に吹き荒れ、木々がざわめき始めた。セリーナが怯えた様子で周囲を見回す。
「来る…」
「何が来るんだ?」
「奴ら…悪魔の借金取りよ!」
セリーナの言葉が終わるか終わらないかのうちに、暗闇の中から影が現れた。それは人間の形をしているが、目には赤い光が宿り、体全体が黒い霧で包まれている。借金取りたちはゆっくりと近づいてくる。
「お前から奪った運を返してもらうぞ…」
影の一つが低く不気味な声で言い放った。その声には冷たい威圧感があり、聞くだけで身体が凍りつくようだった。
「走るぞ!」
レオはセリーナの手を取り、全力で駆け出した。彼らの背後から、影たちが音もなく追いかけてくる。そのスピードは人間離れしており、逃げ切れる保証はどこにもなかった。
「こっちだ!」
レオは道沿いにあった茂みに飛び込むと、セリーナを隠れさせる。彼自身も息を潜め、影たちの動きを見守った。影たちは一瞬立ち止まり、空気を嗅ぎ取るかのように動きを止めたが、何かの気配を追いかけて再び遠ざかっていった。
「大丈夫か?」
レオが小声で問いかけると、セリーナは小さく頷いたが、その顔は青ざめていた。
「これ以上、彼らから逃げるだけでは意味がない。根本からこの問題を解決するしかないんだ。」
レオの言葉には、これ以上逃げるだけではなく立ち向かう覚悟が込められていた。
暗闇の中で、レオとセリーナは決意を固めた。彼らはゾルドという商人を追い、彼が操る「運」のシステムの謎を解き明かすことを誓う。
「私は、家族を失ったままじゃ終われない。あの商人を見つけて、全てを正したい…」
セリーナの声にはかつての弱さではなく、かすかながら強い意思が宿り始めていた。
「俺も同じだ。この世界で安心して生きられる場所を作りたい。そのためにも、この問題を放っておけない。」
二人は互いに深く頷き、運命を共にする仲間として新たな一歩を踏み出した。暗い空の中、雲間から光が差し込むように、希望の予兆が見えた気がした。
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