話:それはとても小さなインクの染みのようで、
「なんかおかしなものがいると思って来てみたら、アンタは何者?」
「え……?」
この騒がしさの中でも良く響く声とともに、この街の音が一瞬にして凪いだ。
街全体が凍りついたかのように静止していた。市場の活気は一瞬にして冷め、露天商の呼び声も笛の音も途絶えて、振り上げた手が宙に固定されたままの商人や客たちはまるで彫像みたいに動かない。
広場を飛び交っていた鳩の群れは、空中でその羽ばたきを止めている。風が吹き抜ける音すら聞こえず、木々の葉も揺れない。噴水から放たれた水は宙で凍結したように固まり、光を反射して七色の輝きを放っている。
空気も固まっているみたいで、なんだか少し息苦しい気がする。時間が停止したことで、全ての色彩がどこか薄く感じられる。人々の息遣いも、街の喧騒も、いつもそこにあるはずの音がすべて奪われたこの空間には、ただ静寂だけが支配しているみたいだった。
「みんな、止まってる……?」
「こんなごちゃごちゃしたところで話したくないからね」
そんな一枚の絵画みたいになってしまった景色の中で、その声の主だけが何事もないかのように、彫像となった群衆の間をこちらに向かってくる。
その不思議な雰囲気の女の人が纏っているのは、どこかの民族の装束をごちゃ混ぜにしたみたいな独特の衣装で、煌びやかな刺繍や鮮やかな布地が複雑に組み合わさっている。スカート部分は重厚な絹の層で構成され、腰元には金と銀のチェーンにいろんな色の綺麗な石が絡み合う装飾が付けられている。肩からは薄いヴェールが流れ落ち、まるで霧のように透けて光を反射している。
きっとその人の身体よりも長い黄金の髪は静止した世界の中ですら眩い光を帯びて揺らめいていて、数多の髪飾りで複雑に結い上げられていた。その髪飾り一つ一つが異なる形状と色を持ち、宝石や金細工、羽根や木片など、どれもが異なる文化や土地を象徴しているみたいだった。
サファイアブルーに輝く大きな瞳は深海の底を思わせる静けさと、星空を映し出すかのような無限の広がりを持っていて、どこか幼く無垢な印象を抱かせるあどけなさの中に、すべてを悟ったかのような達観した静けさが漂っている。その微笑みは人間の感情を超越しているようで、それでもどこか儚げな印象も与えていた。
すらりと長身の彼女を彩るそのどれもが、この街の人々とは相容れない。この人はこの街とは根本的に何かが違う。
「……アナタは誰なの?」
「それを聞きたいのはこっちだっつーの」
その女の人は大きなため息を吐くと、少し乱暴にぐいっとワタシの顎を持ち上げた。唇が触れ合ってしまいそうなほどの超至近距離、じっとワタシの顔を覗き込むサファイアブルーの瞳の深さに呑み込まれそうになるのを、ごくりと息を吞んで堪えた。
「ふーん、ビジュは悪くないわね」
「ふぁりがとう、ワタシったら自分がどんなカタチをひているのかふぁからなくっふぇ」
依然として、少し冷たくて長い指でほっぺたを掴まれながら、ぐりぐりと頭を動かされて色んな角度から自分の顔を観察されるのはそんなにいい気分じゃないとすぐに気づいた。
「ふん、良くもなく悪くもなく、ただ真っ白で無色透明なだけよ」
「それって喜んでいいことかしら?」
「私に認められたんだから喜びに打ち震えて咽び泣くべきね」
「そこまでしなきゃダメなの?」
とにかく、ワタシはこのとんでもない美人のお墨付きを(たぶん)頂戴した姿形をしているわけで、それだけでなんとなくホッとはした。ワタシはどうやら見るに堪えない出来損ないのスライムみたいな造形はしていないらしい。
「それで、ワタシはアナタをどうやって呼べばいいのかしら?」
「私の名前は、まずはじめにこの世界で必ず覚えとかなきゃいけないことよ。私は全能の女神、ルクシフィーナよ、覚えたかしら?」
「驚いた、この世界には女神様がいるのね」
「あんまり驚いてなさそうね。ま、最近の界隈じゃ、女神なんてそうそう珍しくもなくなっちゃったけどさ」
「???」
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