1節 電波少年の受難

第2話 目覚めのぼっち少年

 目覚めは不快じゃない。


 この山奥の生活は真夏でも涼しいのがいいところだ。

 最初はちょっと虫が多いのにびっくりしたが、今ではG以外には慣れてしまった。

 羽虫に関しては蚊取り線香と蚊帳があれば、少なくとも睡眠時には気にならない。

 市街地に居ても虫が出ないわけじゃないしね。


 今日も蚊帳をかき分けて、裸足のままトイレに向かう。

 元々ひい爺さんが住んでいた家ということで、いわゆる木造古民家で構造は古い。

 設備に関しては、僕が市街地にいられなくなった後に両親がリフォームを頼んでくれた。

 そんなわけでトイレにはウォシュレットが付いているし、洗濯機もドラム式だ。

 インターネットの光回線もつながっているし、テレビも50インチでネット経由の映画も見放題だ。


 両親は、若くして都内に一戸建てを構え、そのうえでこの家を維持、ここのリフォームに最新家電をそろえてくれるぐらい高給取りだが、その分仕事が忙しい。

 僕を連れてくるときには2人とも揃っていたが、その後は交代で顔を見せに来てくれているのがせいぜいだ。来た時も日帰りで戻ってしまう。

 お盆には二人揃って泊まりに来てくれる予定だが、あと一か月ぐらいは寂しい一人暮らし状態が続く。


 トイレで用を足して、手を洗う。

 この山は湧き水が豊富だ。

 水道は通っていないが、井戸水をポンプでくみ上げているので、洗濯や風呂など日常使いには不自由しない。


「さあて」


 僕は手を拭くと、そのまま台所に向かう。

 炊飯器のご飯の残量を確認して、冷凍庫を開ける。


「どれにしようかな?」


 ハンバーグは昨日食べたし、朝から唐揚げというのもちょっと違う。

 結局オムレツを選んだ。

 宅配の冷凍弁当なので、どれを選んでもカロリーに大差はないし、栄養バランスもとれている。


 料理?


 中学卒業して半年もたっていない15歳の男子としては、炊飯器が使えて目玉焼きが作れるぐらいで上等だろう?


 僕は、金網の檻のドアを開き、中に入っている電子レンジに冷凍弁当を納める。

 レンジの扉を閉め、『あたため・4分』に目盛りを合わせ、金網のドアを閉める。

 この手順、面倒だけど仕方ない。

 ドアがきっちり締まったことを確認して、外から木の棒で電子レンジのスイッチを押す。


 ブオーッという音を立ててレンジが動き出す。

 最近は他の電化製品ぐらいでは気分が悪くなったりはしないものの、やはり電子レンジは強敵だ。

 僕にとっては面倒でもこうした手順が必要だ。

 自分の体調に問題ないことを確かめると、洗い場から茶碗を取り出し、食卓を整えていく。


「いただきます」


 朝食は可もなく不可もない。

 量がちょっと不満だが、それなりにおいしいし、栄養バランスもいいんだからそれでいいんだ。

 週に1回20食が届けられ、一食足りない分は適当にレトルトなんかで済ませている。

 その他の食料やお菓子、飲み物なんかもお小遣いの範囲で自由に買っていいことになっているので通販で別に買っている。

 自分で買いに行くのは無理だけど、そんなわけで僕の山奥強制ぼっち引きこもり生活は、今のところ不自由なく過ごせている。


「ごちそうさま」


 冷凍弁当は紙容器なので軽く水ですすぎ、洗い場のかごで乾かす。

 茶碗や箸も同様に。


「あー、残り少ないか」


 一応ジュースやコーラの買い置きはあるものの、お小遣いの大半は食べ物に費やしているので普段は麦茶を作ってよく飲んでいる。

 見ると麦茶のボトルが一杯分にも足りないぐらいしか残っていない。

 残りをグラスに開けて、新しい麦茶を作る。


 一通り朝のルーティンを終えて、食卓で麦茶を片手に一休み。

 この食卓もリフォーム時に購入されたもので、4人がけだが、椅子が埋まったことは無い。

 普段僕が使う場所は決まっており、その周辺だけに使用感がある。

 まだ寂しさで枕を濡らす程ではないが、この先もしばらく一人だと考えるとちょっと孤独を感じてしまう。


「早く何とか慣れていかないとな……」


 もちろん、それは孤独に、ではない。


「さ、今日も頑張るか」


 僕は麦茶を飲み干して一日を始める。



*****



 世間は夏休みであり、僕も夏休み真っ最中だ。

 一人暮らしをしているのと同じ事情で、高校は通信制に所属している。

 普段の授業はネットを介したリモートで、事情を学校に説明してあるのでスクーリング、つまり登校日というのも免除されている。

 だから入学以降この山から一歩も出ていないにもかかわらず、身分としてはれっきとした高校生である。

 まだ7月で、宿題も焦るタイミングじゃあない。

 では、何を「頑張る」のかって?


「いざ」


 僕は緊張しながら、部屋の隅に移動する。

 そこにあるのスイッチを入れる。


「うへぇ……」


 たちまち、ぐわんぐわんと大音量の轟音が頭に響く。

 歯を食いしばり、太ももをつねって痛みをごまかしながら、ひたすら耐える。


 しばらく我慢していると、慣れてきて痛みが薄れていく。

 そこでようやく身体から力を抜くことができるようになる。

 相変わらず頭の中はうるさいが、断続的に響く音をなんとか聞き流すことができるようになった。


 ここまではいい……だが、問題はここからだ。

 僕は対になる別の機器を操作する。


 別の機器、つまり普段使っているノートPCだ。

 メニューを呼び出してボタンをクリック。

 たちまち、頭の中の雑音が大きく波打つように変化する。

 思わず口からうめき声が漏れる。

 覚悟して歯を食いしばっているのにそれだ。

 その激しさといったら、頭をつかんで前後左右にめちゃくちゃに揺さぶられて、ドラム缶にぶつけられているかのようなひどいものだった。


「くっ……だめか……」


 僕は最初の機器、片手を置いていた無線LANルータのスイッチを切る。

 雑音が少し引き、ましになったところでPCの無線LANをOFFにする。


 前に手順を逆にしてPCメニュー操作を誤り、いつまでもスイッチを切れずにのたうち回る羽目になったことがある。

 確実にスイッチオフにできる物理スイッチこそ正義なのだ。


「はあ……」


 まったく、困ったものだよな。

 ダンジョンで授かったスキルのせいで日常生活も難しくなるなんて……


 まだ揺れている感じがする頭を、二つ折りにした座布団に乗せ、僕は畳に体を横たえながらため息をつく。

 仰向けになり、大の字に手足を投げ出して天井を眺める。

 普段の生活は実家にいた時と変わりないが、こうしてみると歴史を感じる天井だ。

 そしてしばし、外から聞こえるセミの鳴き声に耳を傾けるのだった。


 ダンジョンが憎い。

 僕をこんな風にしてしまったダンジョンが……


 もちろんダンジョンの意義についてはよく知っている。

 それでもなお、僕はダンジョンを憎む気持ちを消し去ることはできないのだ。

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