第8話 病の影
「彼と暮らし始めて、1年が経った頃だったと思います。最初のうちは、特に大きな変化もなくて、お互いに黙々と暮らしてました。まあ、会話がないわけじゃないけど、必要最低限って感じで。それでも、どこか心地よかったんです。
でも……ある日、彼がぽつりと、『最近、体がだるいんだ』って言い始めました。正直、そのときはあまり深刻に考えていなかったんです。いつも疲れてる人でしたし、ただの風邪か何かだろうって。
けど、日に日に顔色が悪くなっていくのがわかりました。痩せてた体がさらに痩せていって、目の下にくまができて。それでも彼は、仕事を続けるって譲らなかったんです。『大丈夫、大したことない』って……あのときの俺は、それを信じるしかなかった。
そして……ある日、彼が突然倒れたんです。家で、俺がほんの少し目を離した隙に、意識を失って倒れてました。あのときのことは、今でもはっきり覚えてます。慌てて救急車を呼んで、名前を何度も呼びました。でも、彼は何も答えなくて……ただそこに横たわってるだけでした。
病院に運ばれて、検査を受けたら……白血病だって、告げられました。俺、そのとき、何も言えなかった。ただ、頭の中が真っ白になって……。
病院の先生に『ご家族に連絡を』って言われたときも、俺は何も答えられなかった。家族の話なんて一度も聞いたことがなかったから……正直に『わかりません』って答えるしかなかったんです。
それから、彼の職場やいろんなところに問い合わせました。そうやってやっと、彼が養護施設で育ったことを知ったんです。親がいなくて、高校を卒業してから奨学金とアルバイトで大学を出て、今の仕事に就いてたってことも……そのときに初めて全部わかりました。
胸が苦しくてたまらなかった。俺なんかと違って、彼はすごく真っ当に生きてきた人だったんだって、やっとわかったんです。それなのに……俺は、彼に甘えるばかりで、何もしてやれてなかった
それから、あっという間でした。彼の病状はどんどん悪くなって、無菌室に入らざるを得なくなって。俺は外から見ることしかできなかった。ベッドに横たわる彼を見てるしかなくて……本当に、どうしようもなかった」
比嘉は一瞬言葉を切ると、腕を顔に押し当てた。そのまま目元を覆い隠し、息を詰めたように肩を震わせる。
「……ある日、面会を許されて、俺が話しかけてたら、彼がゆっくり目を開けたんです。薄目だったけど、ちゃんと俺の方を見てくれて……そのとき、微かな笑顔を浮かべたんですよ。まるで俺を安心させるみたいに。
俺……あのとき涙が止まらなくて。情けないよな……今さら何を泣いてるんだって自分でも思ったけど、どうしようもなかった。もう我慢できなくて、ごめんって謝りました。今まで優しくしてやれなくて、本当にごめんって」
比嘉の嗚咽が漏れ、声が詰まった。
「でも……彼はそんな俺に、小さな声で『ありがとう』って返したんです。ありがとう、なんて……それを聞いた瞬間、余計に泣けてきて……」
比嘉は目元を覆ったまま、むせび泣いた。
「それから、数日後でした。彼は……静かに息を引き取ったんです」
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