第5話 豆電球の灯りの下で
食事を終えた後、二人は並んで畳の上に横になった。豆電球がぽつりと灯る部屋に夏の夜風が吹き抜け、涼しさと心地よさを運んでくる。雨戸も引き戸もすべて開け放たれ、空には大きな月が静かに浮かんでいた。真一は頭の後ろで手を組みながら、ちらりと比嘉の横顔を盗み見る。
「風が気持ちいいですね」
月明かりに照らされた天井を見上げながら、真一はぽつりとつぶやいた。
比嘉は短く「そうですね」と返すと、片手を頭の下に敷き、もう片方の手で軽くお腹を撫でた。おそらく食後の満足感に浸っているのだろう。
部屋は静かだった。外からは草の中に潜む虫の声と、風に揺れる木々の音だけが聞こえる。その中で、比嘉の穏やかな呼吸のリズムが、真一には心地よく響いた。
「月、綺麗ですね」
比嘉がつぶやいた。
「ええ、そうですね」
真一も答える。比嘉と一緒にいる時間が、こんなにも心を落ち着けるものだとは思わなかった。ただ隣にいるだけで、静かな安心感に包まれる。東京での忙しさや過去のしがらみが、彼の存在の前では霞んでいくような気がした。
それでも、胸の奥にはかすかな緊張があった。何か言葉を探すたびに、自分の心の中にあるもどかしさに気づいてしまう。比嘉と過ごす時間が楽しいのは確かだが、それ以上の感情を抱いてしまっている自分に戸惑いもあった。
「……榊さん」
比嘉の声が、不意に静寂を破った。真一は驚きに近い感覚でそちらを見る。豆電球の薄暗い光に照らされた比嘉の顔は、どこかいつもより真剣そうだった。
「明日、休みですよね」
「ああ、そうですね」
比嘉は天井に視線を向けたまま、ぽつりと言った。
「じゃあ、今日は泊まっていきませんか?」
その言葉に、真一の胸が小さく高鳴った。静かな夜の中、虫の声が遠く聞こえる。風がふわりと吹き抜け、畳の上で横になったまま、真一は言葉を失った。
「……いいんですか?」
やっとの思いで絞り出したその言葉に、自分の声が少し震えていることに気づいた。年甲斐もなく胸がどきどきしているのを抑えようと、深く息をつく。
比嘉はすっとこちらを向くと、穏やかな笑みを浮かべた。
「むしろ、泊まってってくれたほうが、俺はうれしいです」
その言葉に、真一の胸がまたひとつ高鳴る。いつもの人懐っこい笑顔で言われたその言葉には、何の裏も飾り気もない。ただ率直で、彼らしい誠実さが滲んでいた。
「そ、そうですか……じゃあ、お言葉に甘えて」
どうにか落ち着いた声を装いながら返事をすると、比嘉は満足そうに「よかった」とつぶやき、再び天井へ視線を戻した。
しばらくの間、二人の間に言葉はなかった。窓の外では木々が風に揺れる音が響き、月明かりが豆電球の薄暗い光と交じり合って部屋を照らしている。その静けさを破るように、比嘉が突然口を開いた。
「榊さん、俺のむかし話、聞いてもらえますか?」
その声には、いつもの柔らかな響きだけでなく、どこか覚悟のようなものが混じっていた。真一は思わず比嘉を見た。天井を見つめたままのその横顔は、いつもの明るい表情とは違っていた。
戸惑いを覚えながらも、真一はその言葉に心を引き寄せられた。比嘉のことをもっと知りたい――そんな感情が胸を満たしていく。
「わたしでよければ、話してください」
そう答えると、比嘉はゆっくりと真一の方を向いた。その目には微かな緊張と、それを乗り越えようとする意志が宿っているように見えた。
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