第9話 価格交渉(ゼノン視点)

「というわけで、ダルク・サーマンの正体はトラヴィス・スプリンガ侯爵だった」

「えぇっ!」


屋敷に戻って報告すると、お嬢は目を丸くした。


瞬時に頭の中にある侯爵の情報を引き出しているんだろう。


「んで。アイツが、お嬢に近づいた目的はコレ。お嬢の変装スキルを使って、組織に潜入する為だった」


俺はダルク、もといトラヴィスから受け取ったファイルをお嬢に渡す。

お嬢は、すぐさまファイルを開いた。


「これは……」

「アイツは、この人身売買組織を潰したいらしい。これには貴族が関わっている。それに被害者の中にも貴族がいる。アイツのテリトリーなんだろう」


書類を見るお嬢の目が険しくなっていく。


「どうする、お嬢。アイツは報酬を出すと言っていたが、俺は断っても良いと思う。これは今まで、お嬢がしてきた事とは訳が違う。お嬢に危険が及ぶ可能性が高い」


「でも、トラヴィス様は私がしていることを知っているでしょう? これを受けなれば、バラされてしまうのでは? そう言われなかった?」


さすが、お嬢。察しがいいな。


「バラすとは言われなかった。受ければ、不問にすると言われただけだ」

「なっ。それはもうバラすって脅しと同義だわ」

「お嬢。そこは考えなくていい。恐らくアイツは証拠を持っていない」


匂いって言ってたぐらいだからな。まだ確実な証拠はないだろう。


そりゃ、そうだ。事に当たる時は、この俺が細心の注意を払っているんだから。

そう簡単に尻尾を掴ませるはずがないんだよ。


恐らくアイツは変態じみた嗅覚で、お嬢と変装したお嬢が同一人物だと気が付いた。その時、お嬢が近づいていたターゲットが婚約破棄を宣言。


そして婚約破棄された令嬢が後に、まともな縁談を成功させているのを知って、見えている事実から推測しただけに違いない。


実際、何をどこまで知っているとか言ってなかったしな。


「それでも、侯爵家の力を使えば証拠なんて集められるでしょう。それに証拠がなくても、侯爵家当主の発言力は絶大よ」

「それならアイツの口を封じればいい」


お嬢の言う通りだ。


侯爵家が本気を出したら、俺達がしていることの証拠を掴むのなんて造作もないだろう。それに証拠の捏造だって簡単に出来るだろうな。


でも、こちらが対処できないわけじゃない。


「それって!」

「何、別に殺すわけじゃない。弱みを握ればいいだけの話だろ?」


殺してもいいんだけどな。

まぁ、お嬢は望まないだろうから他の交渉手段を考えるだけだ。


「いざとなれば、逃げるという手もある」

「逃げるって、私だけ? そんな事、出来ないわ。あの子達は、どうなるの」


まぁ、そうだよな。

お嬢が何より大事なのは、自分自身じゃなくて弟妹達だもんな。


「それに……この犯罪は他人事ではないわ。貴族の令嬢も被害者になっている。許せないじゃないの。か弱い令嬢を攫って売って辱めるなんて。私、この依頼を受けるわ!」

「そうか、分かった。んじゃ、受けると返事しておく」


お嬢は俺に力強い眼差しを向ける。

俺は小さく息を吐いて頷いた。


お嬢なら、そう言うと思ったぜ。


******


翌日、俺は再び侯爵邸の屋敷に忍び込み、一人で部屋にいるトラヴィスの背後に立った。


「お嬢からの伝言だ」

「うわっ! え、また侵入されたのか? あの後、警備を見直したばかりなんだけどな」


んなこと知るか。

まぁ、確かに警備は強化されたみたいだけどな。


一度入った場所だから、より穴を見つけられるってもんよ。

それでこそプロだろう? おっと、思わず口角が上がっちまう。


「今回の件とは別に、君に警備の見直しを頼みたいんだが」

「そいつは断る。俺に頼みことが出来るのは、お嬢だけだ」

「そうか、それは残念だ。それで、アネット嬢は何と?」

「人身売買なんて非道なこと許せないから、依頼を受けるとのことだ」

「そうか! それは良かった」


椅子に座ったトラヴィスの顔には喜色が浮かんだ。


じゃ、ここからは価格交渉の時間だ。


「それで報酬だが、いくらを想定している?」

「そうだな。300万メルクでは、どうかな?」


へぇ。


300万メルクと言ったら平民の一年分の収入だ。

結構、払う気なんだな。でも、なぁ?


俺はマスクの下で口角を上げる。


「足りねぇな。それの5倍だ」

「なっ、それはいくらなんでも」


お嬢を危険に晒すんだ。たっぷり貰わねぇとなぁ?


「無理なら他を当たってくれ。言っておくが俺は反対している。お嬢が危ない目に遭うリスクが高い。それに、お嬢は今まで犯罪とは無縁に生きている。そんなお嬢に、俺は汚い裏の世界を見せたくない」

「君の言い分は、もっともだ。分かった、言い値を払おう」

「交渉成立だ。じゃ、契約書を頼むぜ」

「しっかりしているんだな」

「当然だろう。事が終わった後に、しらを切られても困るからな。それから今回は俺も必ず、お嬢の傍にいる。どこででもだ」

「もちろんだ。これは捜査の一環だから君にも、ある程度の権利を与えよう」

「さすが侯爵様、話が分かるねぇ」

「では早速アネット嬢をこの屋敷に招待して、詳細を詰めたいんだが。出来れば早く」

「分かった」

「それでは明日は、どうだろうか?」


随分急いでいるんだな。

それだけ切羽詰まっているってわけか。


仕事が終わったばかりだし、お嬢を休ませたかったんだが。まぁ、仕方ない。暫くは鳴りを潜める予定だったから、お嬢のスケジュールは空いている。スケジュール管理も執事である俺の仕事だからな。


あ、今後の日取りも、コイツと決めなくちゃならねぇのか。

ちょっと嫌だな。でも、お嬢と頻繁に接触されるよりはマシか。


「いいだろう」

「では明日、屋敷に来てくれ。契約書を用意して待っている。あぁ、ついでにアネット嬢の変装スキルも見せてもらいたい」


俺は頷いただけで言葉は発さずに、天井裏へと姿を消した。


「あ、明日は忍び込むのではなく、正面から堂々と入っておいで」


相変わらずトラヴィスは俺がいない方向へ声を掛けている。


匂いで誰か分かる割に、位置は特定できないんだな。

位置も分かるなら犬みたいで便利だと思ったんだが。


******


俺は屋敷に戻るなり、お嬢に報告した。


「お嬢、トラヴィスが詳細を話したいそうだ。明日、スプリンガ侯爵邸に行く事になったが良いか?」

「えぇ、もちろん」

「それから、お嬢の変装スキルを見たいそうだ」

「分かったわ。メイク道具を用意しなくちゃね」


こうして俺は、お嬢を連れてトラヴィスの屋敷に行く事になった。


もちろん今度は正門を通って、屋敷の正面に馬車を乗り付けてやるぜ。

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