第4話 諜報員ゼノン
「それで、どうして組織を抜けたの?」
「遠慮ねぇな。そこは躊躇うか、口を濁すところだろう」
「あら、話すつもりだったから『組織を抜けた証』って言ったんでしょう?」
「違いねぇ」
カラカラとゼノンは笑った。
「あれから国に戻ったんだが、数年後にトップが変わってな」
そう言えば、数年前に隣国の国王が代替わりしたわね。
えっ、もしかしてゼノンって隣国の国王の諜報員だったの?!
「組織は解体。でも組織の中には、今の地位や権力に縋るやつもいてな。ちょっと揉めた。まぁ結果、俺を含めて半数以上は組織を抜けたけどな」
「えっ、そんな簡単に抜けられたの?」
国王の諜報員なら、機密情報も扱ったはずよ。それを手放すということは、情報を漏らすのと同義なのでは?
「察しが良いな。簡単じゃないさ。だから、この傷だ。俺と同じように抜けた連中は皆、目立つ所に傷を付けられた。頬や首、額や鼻にな」
言いながらゼノンは、その箇所に指で線を書く。
「それから、ここにもタトゥーを入れられた」
ゼノンは首筋をトントンと指で叩く。そこには何かも紋章のような刺青があった。
「何故、そんな事を……」
「目印さ。目立つ傷や刺青は、身元を特定しやすくするからな」
「いや、その程度の傷や刺青ならメイクで隠せるじゃない。意味あるの?」
一瞬ゼノンはキョトンと目を丸くした後、ケタケタと笑い始めた。
「そんな風に考えるのは、アンタぐらいだろうよ」
そうかしら?
まぁ、でもメイクは洗えば落ちてしまうからね。ずっと隠せるものでもないわ。
只今、ウォータープルーフ加工が出来ないか模索中なのよ。
専用の液剤で落とさなきゃいけなくなるけど。
それは、それとして。
目印に傷をつけるって、ちょっと最低じゃない? 刺青も。囚人じゃあるまいし。
「それ、痛くないの?」
「アンタは優しいな」
ゼノンは、ふっと柔らかい表情を浮かべた。
ちょっ、そんな顔も出来たの?
よくよく見たらゼノンは、あの時に比べてイケメン度が増している。
くっ、私は面食いなのよねぇ!
「そ、それで? それから、どうしたの?」
「あぁ、アンタを見てた。他にすることもなかったからな」
誤魔化そうと話題を投げたら、とんでもない爆弾が返ってきた。
「はい???」
今、ゼノンは何て言った? 私を見ていた? えっ、何のために? というか、どうして? はっ、もしかしてストーカー?!
「それにしても、男爵様は随分と無能なんだな」
呆れるように吐き捨てたゼノンは、ソファの背凭れに突いた肘から続く手を顎に当てて、長くスラッと伸びた足を組み直した。
はぁ~? めちゃくちゃカッコいいんですけど?
けしからん。いつの間に、こんなに足が長くなったの? 何、この様になっている様は? 自分で何を言っているのか分からなくなってきたわよ?
時間が少年をイケメン高身長青年へと変身させていた。
「経営の才もなければ、女にも逃げられる。挙句に酒に溺れて、子どもは蔑ろ」
うぅ、返す言葉もございません。ゼノンの言う通り、父はクズ男よ。
「俺だって、ただ黙って見ていただけじゃないんだぜ。財政難の時に3回、手を貸した。けど、すぐダメにしちまう」
あ、もしかして!
こんな状態になって初めて帳簿を見た時、不自然に盛り返していた事があったけれど、それはゼノンのおかげだったの?
「それに夫人についてもだ。3回、邪魔をして関係を壊してやった。その度に忠告したのに、夫人は反省もしやしない。男爵にも知らせたが、手も打たねぇし。あぁ、今回のが4人目の男だぜ」
まさか、今回が4人目だったとは。母、懲りない人だったのね。そして父、引き止めもしなかったの? それからゼノン、君にも言いたいことがあるわ。
「どうして、助けてくれたの?」
「言っただろう。受けた恩には報いると」
確かに、そうは言っていたけど。でも、そこまで普通してくれるかしら?
ストーカーどころか、めちゃくちゃ見守ってくれているじゃないの。ごめんなさいね、ストーカーとか思ってしまって。
「あん時、アンタが助けてくれなかったら俺は死んでた。下手すりゃ捕まって、拷問の上で処刑されてただろうな。だから、アンタは俺の命の恩人ってわけさ」
「私は、ただ助けただけよ」
「それでも、俺が今こうして生きていれるのはアンタのおかげ。それに俺、結構アンタのこと気に入ってるんだぜ」
ニカッと歯を見せて笑うゼノンに、何だかキュンとしてしまったわ。
このシチュエーション、尊くないかしら? 漫画とかで見るやつじゃない? “情”って感じが、めちゃくちゃするわよ!
「ありがとう」
何て言ったら良いのか分からないけど、とりあえずは感謝よね。
「それで今日は、どうして声を掛けてきたの?」
今までは、何も言わず見守っているだけだったんでしょう? なのに、突然どうして?
「あぁ、もう限界そうだったから。母親はいないし、父親は当てにならないし、使用人は全員辞めちまうし、こうなったら直接アンタに手を貸すしかないなと思って」
その言葉に、何か込み上げてくるものがあった。
「おいおい、泣くなよ」
「泣いてない」
「いや、めちゃくちゃ泣いてるだろ」
『限界』その言葉が、今まで堰き止めていた防波堤を壊してしまったわ。
母は私達を置いて出て行き、父は家を立て直すこともしないで酒に逃げ、残された弟妹達の将来は私にかかっている。力になってくれる親族もおらず、誰にも頼れず、助けを求める術も知らず、ただただ負けまいと自分を奮い立たせ、気丈に振る舞っていた。
私だって、まだまだ親の庇護がいる子どもなのよ。そりゃ、前世を合わせたら結構な年齢になってしまうけど、前世の記憶は、あくまで“記憶”であって、この身体で得た経験とは違うわ。だから今の私は、この世界での年齢相応の精神なのよ。
「あー。これ、どうすりゃいいんだよ。目を擦っちゃいけないんだったよな。えーっと、冷やすんだったか?」
ゼノンが困惑しているのが声色から分かる。
ごめん、ごめん。いきなり泣かれたら困るわよね。大丈夫、直ぐ涙を止めるから。
そう思っているのに、なかなか止まってくれない。仕方ないから袖で拭おうとしたら、素早く移動したゼノンに手を掴まれて顔から引き離された。
「おい、擦っちゃダメだって言っただろう」
「うぅ」
「おぅおぅ、泣け泣け。ずっと我慢してたんだろう? 溜め込んでいた分、全部流しちまえ」
「うわぁぁぁん」
隣に座り直したゼノンの胸を借りて、私は存分に涙を流した。弟妹の手前、今まで我慢していたものが堰を切る。
ゼノンは、ただ黙って受け止めてくれたわ。
私より大きな手が優しく髪を撫で、これまた絶妙な加減で背中をポンポンとされる。今までにない程の安心感が胸いっぱいに広がって、泣き疲れた私は眠ってしまった。
翌日ベッドの上で起きた時、昨晩の事は夢だったのかな?なんて思ったのだけど、頬の傷と首筋の刺青をメイクで綺麗に隠したゼノンが何故か執事服で現われて、その背後にいたマーサから「とても優秀な執事をお雇いになったのですね」と言われた。
その時はじめて、ゼノンが我が家に住む事になり、『直接手を貸す』というのは執事になるという意味だったと知ったのよ。そして彼の最初の仕事は、辞めたマーサを通いで再雇用する事だったのだと。
元諜報員が執事なんて出来るのかしら?と思ったけど、執事としても優秀だったわ。
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