第7話 着せ替え

 奴隷に自分の服を着せるというのは、どう考えても父の怒りを誘う行為である。しかし皮肉にも父は私から使用人を引き剥がしているので、それを咎めるものはいない。故に私は今、ソリアを着せ替え放題というわけだった。

「うん。やっぱり元が可愛いから、ちゃんとした服をきていると絵になりますね」

 ソリアに着せたのは水色のネグリジェで、厚手のコットンで作られた暖かい代物だ。まだ秋なので少し防寒性能が高すぎるが、今日は寒いので問題はない。

「ちょっと、その場で回ってみてくれません?」

「……はあ。構いませんが」

 私が頼むと、ソリアはその場で一回転した。長い裾がふわりと空気を含んで、優しく舞う。

「いいですねえ。私はあんまり青系の服似合わないんですけど、ソリアさんとの相性は最高です。いや、いい。この空間を絵に収めたい!」

「お気に召したのなら何よりです」

 貴族として過ごしていると、夜会やら贈り物やらで洋服が無限に増えていくのだが、その大部分は二、三度着ただけでお役御免になる。今ソリアに着せているのは、パーソナルカラーの不一致で一度も着たことがない代物だった。

「新品なので汚くありませんから、安心してくださいね」

「それは旦那様のお怒りを買うのでは……?」

「使ったことのある服着せるよりはマシです。在庫処分だって言い訳できますから」

 ソリアは自分の着た服をまじまじと見て、表面を撫でたりしながら質感を確認する。それで、最後には陰った視線を私に向けた。

「これ、かなりの高級品ですよね。奴隷が着ていいものではないですよ」

「そんなのは気にしなくていいんです。辛い思いをした分、ソリアさんは幸せにならないと」

 ソリアは何か言いたげだったが、「そうですか」と頷いた。うーん、反応がよろしくない。

 いい服を着ていると自信を持てると、私はこれまでの人生経験で感じていたのだが……価値観は人それぞれか。

「自分を奴隷だってそう思う必要はないんですよ。ここでの生活は一時のもので、手続きが終わったらすぐに家族のところに返してあげますから」

 元気づけるための言葉だったのだが、ソリアの表情は解れなかった。ソリアは指を顎に寄せて、考え込むような仕草をする。

「一つ気になったのですが、私の家族のことをリアンシェーヌ様はどれくらい知っているんですか。記憶が読めるんですよね」

 冷水を浴びせられた気分だった。記憶を他人に見られるなんて状況は、普通の人間なら嫌悪する。それにも関わらず迂闊に記憶の内容を口にした自分に、私はうんざりした。

「いや別にそんなに知っているわけじゃ……」

「隠すことはありませんよ。初めて会った時、教えてもいないことを言い当てて見せたじゃないですか」

 ソリアが一歩踏み出すと、ぶかぶかの袖が可愛らしく揺れる。だから私の足は、逃げるように後ろに下がった。

「先ほど私の傷を治した時も、何か見えたのではないですか?」

 責めるような口調ではなかった。しかしそれでも、記憶を見られることへの抵抗が、言葉の裏に垣間見える。

「見てわかる傷を治すときに、検診術式は使いません」

 検診術式は、治すべき部位を把握するための魔術であるので、外傷や欠損を治すときには必要がない。しかしその弁明は、過去私が彼女の記憶を除いた事実をなかったことにはしてくれない。

「でも……確かに私は、初めて会った時にソリアさんの家族の記憶を覗きました。ごめんなさい」

「謝ることではありません。私が言いたいのは、記憶の内容に拘らないで欲しいということなんです。そもそも私、リアンシェーヌ様にあの日に治療を受けたことは、感謝しているんですよ」

 珍しく、穏やかな表情をソリアは浮かべた。あの日彼女が私に向けたのは、嫌悪と拒絶だけだったはずなのに……感謝していると、そう言った。

「感謝されるようなこと、あの時はできませんでしたけどね」

「治してくれたではないですか。私の、心を」

 斜めに首を傾けるので、ソリアの前髪が左に垂れた。隠れた右目がそのまま顕になって、私の表情が映し出される。

「そんな顔をしないでください。私、困らせたくて言ったわけではないんです」

 ソリアにはどんな風に私が見えていたのか、曖昧な笑顔からは読み取れなかった。私は確かにソリアの心を治そうとしたが、それは嫌な現実を無理やり実感させたようなもので……誉められた行いではなかったはずだ。

 あの時突き飛ばされた感覚を、私は今でも覚えている。

「リアンシェーヌ様が知る記憶は過去の話で……今の私とは全然違うんです。それほど、家族のところには帰りたくはないのです」

 言葉を選ぶような、結論を話しながら探しているような雰囲気があった。自分を騙すようだった。だって、そうでないとおかしい。あんなに焦がれていた家族への思いが薄れてしまうはずがないのだ。

「私はきっとリアンシェーヌ様に多大なご迷惑をおかけすることになるのでしょうが……それでも恩義は返したいと、そう思っています」

 ソリアの頬が、ほんの僅かに赤らんでいる。つまり彼女は、自分のことより私を優先したいと、そう言ったのだ。

 それは主人を煽てるための言葉だったのかもしれないが……どうも、心に刺さった。

「泣かないでくださいよ」

 ソリアが呆れ声を漏らすので、私は指先で涙を拭う。しかし、拭っても拭っても、こぼれ落ちる熱い液体が止まらない。

「ごめんなさい。私、自分勝手だから……報われたって、そう思っちゃって」

 正しいことをしようとしても間違っているとそう言われて、認めてくれる人も全然いなくて……ずっと、折れそうだった。だから、一番に助けたかった人に感謝されてるってわかって、涙のダムが決壊してしまったのだ。

「私、妹がいまして。泣き虫だったので、よくこうしてたんです」

 ソリアが私を抱きしめる。人間の温かさと、心地良い締め付けが、そこにはあった。

 誰かに抱きしめられるのは、初めてのことだった。

「顔、見ないであげます。だから、落ち着くまで、こうしていましょう」

 慈愛のこもった言葉で、余計に涙が溢れた。もうどうすることもできないから、いっそのこと啜り泣いた。

 私たちはそのままベッドに倒れ込んで、横になってからは、ソリアの胸の中で私は泣いた。ずっと、そうしていた。

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