第6話 ディナータイム

 もうすっかり日は落ちて、夕食の時間だった。屋敷内を出歩かせていると父に暴力を振るわれる可能性があったので、今、ソリアは部屋で一人毛布に包まっている。

 私はというと、ソリアの食事の調達に苦労していた。使用人用の食事から余りを譲って貰おうかと思っていたのだが、父の処罰を危惧され譲ってもらえなかったのだ。

 となるとまあ、私は自分用の食事をソリアに振る舞うしかなくなる。私は例の如く父と言い争い、それでもなんとか部屋まで食事を持って戻ることに成功した。

「ソリアさん待たせましたね!ディナータイムですよ!」

 トレイで両手がふさがていたため、扉はかなり強引に放たれた。ソリアはビクッと肩を振るわせたが、すぐに状況を理解し、読んでいた魔術関係の本を本棚に戻した。

「お帰りなさいませ、リアンシェーヌ様」

「そういう堅苦しいのは要りません。フレンドリーな関係を目指しているので」

 私は机に料理を置いて、裏から予備の椅子を持って来る。私はその予備の椅子に座り、普段使いしている椅子の座席を叩いた。

「ほら、隣に来てください」

 ソリアは躊躇いながらも私の椅子に腰を下ろし、並べられた料理に視線を移した。

「豪華ですね」

「これでもエヴァイン家は御三家の一角ですからね。食事の質も一線級です」

 ローズマリーの乗せられた艶のあるマトンのローストに、鮮やかな色合いのオニオンスープ。サラダには様々なフルーツが添えられていて、彩りもバッチリだ。純白のパンは丸く大きく膨れていて、外観だけで柔らかさが伝わってくる。

「是非、召し上がって下さい。遠慮は不要ですよ」

「ご命令とあらば従いますが、奴隷が食べるものにしては豪勢が過ぎますよ。使用人用の食事はないのですか」

「ありません。ソリアさんには美味しい料理を楽しんでもらうんです」

 訝しがりながらも、ソリアはナイフを手に取った。それから美しい所作で肉の表面に刃を押し付け、止まる。 

「ナイフを使うの、久しぶりです」

 そう言いつつも、ソリアは器用にローストを分割し、フォークで口に運んだ。もぐもぐと無言で咀嚼する彼女に私は一瞬不安を覚えたが、飲み込むと同時に彼女の表情が劇的に変化する。

「柔らかい……」

 食べて最初に口にする感想が味ではなく柔らかさというのは奇妙なところだが、悪い感想を持っていないことは一目で分かった。先ほどまであった私への気遣いというのが、薄れているのだ。食べ進めるスピードが、かなり早い。

「すごいですね。噛まなくても舌で転がすだけでお肉が溶けていきます。お肉の品質が市政に出回っているものとは一段階違いますし、調理師の腕が桁違いです」

 妙に早口に、ソリアは褒め言葉を並べていく。私は美味しいの一言が聞ければ満足だったのだが、ソリアの賛辞は具体的だった。

「うーん、食レポがうまい!」

「良質なものを提供されたのですから、適切な賛辞の言葉を残すのは義務でしょう」

 そう断言し、ソリアは食レポを再開する。食べて飲み込んで感想を口にするという変な繰り返しに、私はつい失笑した。

 ———その直後だった。

 ———ぐうっと、私のお腹が大きく鳴ったのは。

「あ、ごめんなさい。はしたない音が出てしまいました」

 午前の仕事の関係で昼食を摂っていないので、空腹に体が耐えきれなくなってしまったらしい。私が謝罪した直後も、二度、胃が音を鳴らした。

 ソリアもどうやら気を悪くしたらしく、食べる手が止まっている。私は赤面を堪えきれなかった。

「もしかして、リアンシェーヌ様はまだ夕食を食べていないのですか」

「食べましたよ!今のはその、おならです」

 ソリアが正解を言い当てたので、私はプライドを捨てて誤魔化す。もし自分の食事を食べさせたなんて知られたら、気まずくなって美味しさが半減してしまうからだ。

「はあ。健全ではありませんね」

 ソリアがため息をついた。それで、この誤魔化しが失敗に終わったことを私は知る。

「奴隷だからと過度に庇うのは、奴隷だからと虐げるのと、本質的に変わりませんよ」

「……それはどういう?」

「リアンシェーヌ様は、私と友達になりたいと仰って下さいましたが、やはり私たちは対等ではないのです」

「そんなことないです!私はただ、ソリアさんに嫌な思いをして欲しくなくて……」

 息が尻すぼみになったのは、答えが見つからなかったからだろう。結局私は、ソリアをソリアの意思を度外視して特別扱いしているのだ。

 虐げることと同じだと言われるのは不服だが、対等ではないというのは言い逃れ用のない事実なのである。

「じゃあ、残りは全部リアンシェーヌ様が食べてください。私もこれでは、美味しく食べられません」

 言葉に詰まった私を、ソリアは言い含めようとしてくる。しかしソリアのお腹は、食べた量から考えて間違いなく満ちていない。だから、その要望には応えたくなかった。

「ほら、お口を開けてください」

 ちぎったパンを摘んで近づけてくるので、私はわずかにのけ反った。

「私はまだお腹が減ってな……」

「うるさい!」

「むぐっ!」

 ソリアが強引にパンのかけらを私の口に突っ込んだ。指先が唇に触れて、またすぐに離れる。口の中に押し込まれたものを取り出すわけにもいかず、私は仕方なく咀嚼した。

「いいじゃないですか。幸福も苦しみも、分け合えば安心できます。絆というのは、人の心を救う一番の薬ですよ」

 胸を張ったソリアに、私は恥じた。私よりもよっぽど、人の心を救う術を心得ていたからだ。

「ソリアさんは、優しいですね」

 唇に触れられた感覚を、自分で触れ直して確かめる。意外と大胆だなと思って、私は一つ、変な冗談を口にしたくなった。

「なんだか、恋でもしてしまいそうです」

 いいや、私はもう———

「いいですよ。どんどん、好きになってくださいね」

 ぐいっと顔を近づけて来るソリアから、私は逃げられなかった。これ以上のけぞれば、椅子ごと私は倒れてしまう。

 ソリアの微笑は悪魔のようで、どうも、泥沼に引き摺り込まれるかのようだった。

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