第4話 一括払い


 母に宣戦布告をしてからというもの、私の家での待遇は非常に悪い。付き人を減らされたり自由時間を減らされたりと、割とあからさまな嫌がらせを受けてしまっている。

 最初は母の逆恨みかと思ったのだが、兄曰くこの冷遇は父の提案によるものらしい。仕事をしないなら使用人も最低限でいいだろうと、勝手にメイドを解雇したのだ。

 そう。異動ではなく、解雇したのだ。父は私がアルムスの仕事を断ったことにかなりお怒りらしく、仲の良かった使用人と私は強制的に縁を切らされてしまっている。

 文句の一つでも言ってやりたいのだが、父はすぐ手を出してくる上に頑固であるので、話し合いは無理だ。泣き寝入りするしかない。

 しかし、減らされた自由時間に差し込まれた仕事。これは中々私に益のあるものだった。

 父が私に屈辱を与えるために用意したであろう炊き出しの仕事は、私の趣味に合っていたし、人脈を広げることにも繋がった。特に、私の伯母……グラースと友好関係を築けたのは素直に喜ぶべきことである。

 所属派閥が異なるせいで最近まで話したことすらなかったが、会ってみるとかなり気さくで、その人物像は母から聞いたものとはまるで違っていた。弱きのために奉仕するべきとするグラースの考え方は、私の思想と合致する部分が多く、今では文通をするくらいには仲良しである。

 教会で奉仕活動をして、時たま母の仕事を気まずくなりながら手伝い、休日には魔術の勉強をする。そんな新しい日常はきっと、充実したものであった。

 しかしどうしてか、夜になると陰鬱な気分になる。必ず毎日、同じ悪夢をみるのだ。

 男達に押し倒される、あの記憶を。

 私を拒絶する、彼女の表情を。

 輝かしい、家族との思い出を。

 ♢

 ───天井を見上げると、石でできた瞳と目が合った。

 千年前に彫られたとされる大教会の女神像は、いつ見ても荘厳である。ここに来たのは一度や二度ではないが、しかし、それでも、見惚れてしまうものが合った。

「では皆さん、改めて主に感謝を」

 聖堂に立って、私は頭を下げる。信徒に顔見せくらいはしておけと、親戚のグラースが講話の場を整えてくれたのだ。

 言うことは決まっている。台本は完璧に頭の中にあって、滞ることなく、私はすべてを完璧に終わらせた。

 拍手の一つでももらいたい気分だったが、神聖な場所でそんなことをする人間はいない。祝祷が終われば信徒たちも去っていき、私は煮えきらないながらも成功を実感した。

「なかなか良い説教だったわ。派閥のみんなからも、かなりの好印象をもらえたんじゃないかしら」

 一仕事終えて香部屋に移動すると、待ち構えていたグラースが私の頭をゴシゴシと撫でてきた。その笑顔に私の口元も緩みそうになるが、しかし騙されてはいけない。これはお世辞というやつだ。

「適当言ってませんか。私、今日だけで五回くらい陰口聞いてる気がするんですが……」

 教会の仕事を引き受けるようになって知ったのだが、母の所属するフレイン派は教会内ではやや小規模な勢力で、教皇派閥からは蛇蝎の如く嫌われている。

 母を打倒せんとする私からすると、教皇派とは仲良くやっていきたいのだが、エヴァインの拝金主義っぷりを知る人間からすると、やはり受け入れ難いのだろう。

「そういうのは聞こえないふりすればいいのよ。聖女は象徴なんだから、こうやって胸を張らないと」

 グラースは腰に手を当てて、その場でのけぞった。あんな胸の張り方をしたらそれはそれで印象が悪くなりそうだが、弱気になるよりはそっちの方がいいだろう。

 だって、グラースは見ていて気持ちがいい。

「そう、ですね」

 即答できなかったのは、後ろめたさのせいだ。私は今、一つの大きなことから目を逸らし続けている。だから、あんな風に胸は張れない。

「あ、そうだ。忘れないうちに渡しておくわね」

 表情の陰りを気取られてしまい、グラースは急に話題を切り替えた。渡すとは一体何のことだろうかと思考を巡らせていると、手の上に重たい小袋を乗せられる。

 中を開ければ、かなりの量の金貨がそこには入っていた。今回の報酬、ということなのだろうが、想像以上に多い。

「こんなに沢山、いいんですか?」

「大教会からの正式な依頼なんだから、報酬はちゃんとしないとだめでしょう?」

「ありがとうございます」

 深く頭を下げた。私には自由に使える財産が殆ど無いため、手渡しの報酬が貰えるのはありがたい。

「……そういえばリアちゃん、帰りはどうするの?ネメジスは別件で先に行ってしまったんでしょう」

「カリア邸で合流することになってるので、ご心配なく」

 私の返答に、グラースはキョロキョロと周囲を見回した。

「いやいや、ご心配するわよ。使用人もつけずにカリアまで一人で行く気?」

「西門までは馬車移動ですし、危なくないですよ。護身用の魔道具もありますし」

 懐から私は、ある筒状の道具を取り出して見せる。この黒い葉巻のようなものは魔道具で、この間治療したロランから私に送られてきたお礼の品だ。これから発射される液体は、距離が近ければ皮膚を貫通するらしい。

 グラースは私の魔道具を手に取り、観察し、私の手元に返す。そして三秒ほど考え込んでから、カッと目を見開いた。

「ネ、ネグレクト……!!!」

「そんなんじゃないですよ。これの威力は本当に凄いんですからね」

 私が言い返すと、グラースは屈んで私と目線を合わせてきた。

「強がらなくていいのよリアちゃん。この私がネメジスに代わって護衛してあげるわ」

「いや、心配しすぎですって」

 乗り合い場は大教会のすぐ側で、カリア邸は馬車から降りて徒歩二分の距離なので、馬車に不届きものでも乗り込んでこない限り危険はない。だから正直、護衛なんてものは要らなかった。

「大丈夫。私が勝手についていくだけだもの」

 真剣な眼差しが痛い。大金をもらっているからこそ、善意に甘えることも拒絶することも難しかった。

 私は試行錯誤して不要である旨を伝えたのだが、効果がなかったので渋々受け入れる。すると彼女はとんでもなく上機嫌になって、私の手を握った。

「ネメジスも何でカリアなんて危ないところで集合をかけるのかしら。近いんだから自分の足で来なさいよ、もう」

 ベッタリと、肩を寄せながら、グラースはプンスカ怒りを露わにする。その振る舞いと性格は、姉妹であるはずなのに母とは真逆だった。

「喧嘩中なので、仕方ないです。前に、お母様が持ってきた仕事を断ってしまいましたから」

 家の事情を口外するのはよろしくないのだが、グラースの、その眩しいほどの善性に、私は気持ちを抑えられなかった。自分の行いが正しいのか間違っているのか、誰かの意見が欲しかったのだ。

「どんな依頼だったの?」

「娼館の検診です。私、アルムスの従業員を検診するとしか聞かされてなくて……そんな商売の手助けなんてしたくなくて、断ったんです」

 グラースの表情から、怒りが消える。それで、もしかしたら彼女からも私は否定されるんじゃないかと、そう思って、手が震えた。

「……はあ。子育ては向いてないだろうとは思ってたけど、まさかこんなに駄目駄目だなんて」

 静かな、独り言のような語り口だった。

「リアちゃん。あなたは何も間違ってないわ。だからそんな顔しなくていいのよ」

「そう、ですかね」

 何も間違っていないわけではない。私は母の仕事を断りこそしたが、それ以上のことをしていない。母がアルムスとの関係を以前として保ち続けているのだから、私はカリアの悲劇と無関係ではない。

 あそこで苦しんでいる少女は、ずっとあの場所に置いて行かれたままだ。

「着いちゃいましたね」

 馬車が停車する。それからカリア邸まで二分も掛からなくて、私たちはもう一緒にいる理由はなくなった。だから別れの挨拶をしようと思って……それより先にグラースが前に出る。

「つまり、ネメジスはまだ中ってことね。行くわよ」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 引き止めようにもグラースの足どりは早く、迷いがない。そもそも大人と子供では、どうにもならない力の差があった。

 使用人を押し除けて、グラースは屋敷へと強引に侵入する。彼女もここに来たことがあるのか、その足は一直線に客室に向かっていた。

「失礼するわよ!ネメジスはいるかしら」

 勢いよくドアが開けられたことで、中にいた視線が全てこちらに集中する。そこにはアルムスと母……そして、検診を受けようとするソリアがいた。

「何?」

 強い苛立ちと、憎しみのこもった母の問い。それに私はゾッと肩を震わしたが、グラースは怖じることなく母に迫る。

「娘を一人でカリアに向かわせているらしいわね。私が安全につれてきたから良かったものの、何かあったらどうするのよ」

「リアには魔道具を貸し与えているわだから、。大事にはならない」

「親心ってものがないの?危険をできるだけ取り除いてあげようって、どうしてそう考えられないのよ」

 母は答えない。グラースの表情を一瞬だけ確認し、それから興味を、私に移した。

「まあでも、都合がいいわね」

 わずかに上がる口角と、調子のいい声色。それらの要素から、続く言葉は予想できた。

「リア。彼女達の治療をしなさい。病のせいで、仕事に良くない影響が出ているらしいから」

 胸が締まったのは、母のせいではない。ソリアが私を……私の言葉を待っている。

 治療をするのかしないのか、この行いを許すのか許さないのか。その決断を、試している。

「ネメジス。そういうの虐待って言うのよ。貴女一人がやる分には見逃してあげるけど、こんな仕事の片棒を担がせるなんて……」

「領主は私よ。方針も経営私が決める。エヴァインの発展にはカリアが必要だと、私は確信しているの」

 グラースは私の味方だったが、だからこそ私の心をより苦しめた。このまま成り行きに身を任せれば、私は決断をすることすらできなくなる。

「ほら、貴女が仕事を断ったせいで皆、調子が悪そうでしょう。あなたが彼女たちのことを思うなら、今すぐにでも」

 母が問う。奥で検診を待つ奴隷たちの表情は、千差万別だ。呆れ、無関心、期待……しかし私に興味を向けるのは、新顔だけである。

「わかりました。もう、彼女たちを放って置くのは辞めにします」

 この仕事を否定するだけして去った私を見た者たちは、誰も私に期待していない。

 その罪を私は……今になって深く実感する。

 ソリアは私をどう思っているだろうか。前に会った時とは、どこか向けられる眼差しが違うような気がする。あの時の彼女は、私を真っ直ぐ見つめてはくれなかった。

 だから、決心がついた。

「ここにいる全員、私が買います。それで文句はないでしょう」

 さっき受け取ったばかりの小袋を、勢いよく机に叩き付ける。凡そ金貨百枚。中流階層の市民でも、稼ぐのに一年はかかる金額である。

 それを母は、冷めた目で見下ろす。

「彼女たちだけを助ける合理的な理由はどこにもないわ。別に、違法な商売でもないのだし……その行いで社会は変わらない」

「お母様。全てを———」

「待て。そもそも金額が足りていないぞ。反論するのは、それからだ」

 私の反論は、アルムスによって中断された。それは、私の決断を足元から揺るがすに十分な効果があった。

「それなら、私が足りない分を出そうかしらね」

「グラースさん!?」

 私が叫ぶと、グラースはウインクをする。大金を、こんな何の利益にもならないにことのために使わせていいのかと私は葛藤したが———

「ほら、最後まで言ってやりなさい」

 トンと背中を押されて、その優しさが伝わって。その想いに負けないように、格好つけることにした。

「お母様。全てを救いきれないことは、目の前の人を見捨てる理由にはなりません」

 それは悲しいことだけど、きっと見捨てることよりは、ずっと優しい。

 不公平でいいのだ。誰も幸せにしない公平さよりも、喜びを増やす不公平の方がずっといいと、そう信じた。

 ♢

 その日、検診を受けていた奴隷27人は、私とグラースによって金貨1027枚で買い取られた。ほとんどの金額をグラースが出したので彼女の意見が優先され、26人はグラースが、1人は私が引き取ることになった。

 奴隷制に迎合するエヴァインよりも、教会に置いた方が安全だというのは、グラースの言である。母も複数の奴隷を買い取ることに難色を示しいていたので、この決定を覆すことは私にはできなかった。私に多くの奴隷の面倒を見る能力はないと、正論を吐かれてしまったのだ。

 しかし、全て他人に任せるのは無責任で……そして私自身もお金は出しているので、全てを預けることはしたくなかった。グラースのところに行った方が幸福になれたとしても、それでもどうしても、私自身の手で幸せにしてあげたい子がいた。

 それは、今日買われた少女たちの中で、一番高く、一番の美しさを持った人物。

 私がその境遇を知りながら、差し伸べた手を引っ込めてしまった相手。

 毎晩夢に見るほどの、執着の対象。


「これからよろしくお願いします。リアンシェーヌ様」


 少女は、淡々と……正しい所作でお辞儀をする。この日より彼女は、私のものになる。

「こちらこそですよ。そんなに、畏まらないで」

 私が微笑むと、彼女が黒い瞳で私を映す。私に大きな決断をさせた彼女———ソリア・ゾラは、変わらない無表情で、一言。

「ははっ」

 口だけで、笑った。










 

 

 

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