変人

桜舞春音

変人

 彼が決まって朝、訪れるカフェ。カフェというよりはむしろ喫茶店というのが正しいだろうか、落ち着いた雰囲気の店内。


『ご注文をどうぞ』

「まだ決めかねるな。もう少しあとに来てくれるか」

『失礼しました』

 忙しなく店内を這いずり回っては、同じことを全員に尋ね続けているのはロボットである。受付も、配膳も、調理も、片付けも、会計も、すべてロボットが請け負う。この店は店主ひとりが家にいるだけで運営できる。

 この店だけではない。このような店は四〇年前くらいから急に増え出し、いまや接客業、とりわけ飲食業界はほとんどの店がこの形態で運営している。


『ご注文をどうぞ』

「それじゃ、カプチーノの砂糖二増しとリュスティックのフレンチで」

『承りました。少々お待ち下さい』


 カラカラと軽い音を立てながら、ロボットは去っていく。

 人工知能も可哀想だと思う。人と同じように、考える力を得る個体もいれば、こうして奴隷となる個体もいる。どこまでいっても、人間の手が入る限りは階層というのは断たれない摂理なのだろう。


 朝の陽が入る店内。木目を強調した内装が安らかな雰囲気を演出しているが、そこに温かみは感じない。ちなみにインテリアの木目は殆ど印刷である。

 

『お待たせ致しました』

 コトン、と陶器の皿が置かれる。この音が、人間の食らう物を載せただけの重みの音が、彼らロボットの走行音より重い音だというのがなんとも言いがたい、前時代的にいえば”不気味の谷”のような不協和音として響いた気がした。


 甘いカプチーノに、酸味のあるソースのかかったサラダサンドがよく合う。どちらも少し濃いくらいがこの世界にはちょうどいいと思う。


 窓にはときおり、朝の街を駆け巡る車や自転車が映る。どれもカラフルで、思い思いのカスタムが組まれている。


 彼はロボットと会話のない無機質な会計を済ませ、店を出て車に乗り込む。2005年式、かれこれもう60年前の旧車になる愛車トヨタヴィッツクラヴィアは数年前に中古で買った。排気ガス規制をクリアするための後付機械で荷室はほぼ使い物にならない狭さだが、どうせ一人で乗るのだから関係ない。むしろリア側に適度な荷重がかかってバランスは悪くないのだから。


 最近珍しくなったリッタークラスのエンジンはいまだ軽やかに回る。どのメーカーも専ら電気自動車に専念してしまって、内燃機関の音もあまり聞こえなくなってきた街にはあまりにもうるさいような気がするが、それももうどうでも良いのだ。


 彼の職場は官制高校、いわゆる軍学校である。彼の家系は祖父の代から高校教師をやっていた。彼も官僚とのコネでこの仕事に就いたわけである。

 

「起立!敬礼!着席!」

 朝、担任に与えられた時間は二分。三秒で挨拶を済ませ、さっさと連絡を済ます。

「えー、三回生の実行試験が明日から始まる。君たち二回生もあと一年の間に、戦場で使い物になるよう訓練しておくこと。今日の時間割は通常通り、各自確認すること」


 彼はそれだけを伝え、教室の隅にある教官机に座る。できるだけ毅然とした態度で、一切の揺れも感じさせず、そう直線的に。

 それでもやはり人間、彼らの目をも欺くことは簡単ではなかった。


「先生……なにかあるのですね」

 一人の生徒が席を立ち、彼の前にそう言葉をこぼした。

「なにもない。変わりはないぞ。ほら、席に着くがいい」

「いえ、先生。我ら生徒たちみな、薄々感づいております。もう、長くは」


 生徒がそういうと、から回るように浮ついていた空気が冷め、席に着いていた一五名弱の級友も彼の方を向く。

 生徒の名は穂高といった。端正な顔立ちで、真面目そうな見た目とは裏腹な笑いのセンスが人気の生徒である。


「穂高……私の部屋に来るといい」


 彼はため息をつき、廊下に出た。

 

 彼の部屋というのは仕事部屋であり当直室でもある。

 生徒立入り厳禁の当直室の本棚には、びっしりと紙の資料。デジタル化の進んだこの時代に似つかわしくない、まるで昔のドラマを見ているような感覚に、穂高は襲われた。


「穂高、なんで俺がお前をここに連れてこれたか気にならねぇか」

「えっ?」

「もう何もないからだよ。時計、見てみろ」

 穂高は言われるがまま時計を見上げる。時計は、八時五〇分を指している。

「あ、授業……」

「だから、もうねぇんだ」


ジリリリリリ……


 けたたましく鳴り響くベルの音。間髪いれず、音割れのする放送がかかる。


『一年、二年諸君に告ぐ。只今より、三年航空隊に続いて、二年、一年航空隊の出航を行う』


「えっ?!」

「静かに。そこに伏せて」

 彼は扉の鍵をそっと閉め、自らも姿勢を低くした。

 その刹那、バタバタと教師陣の走る音がして、次第に生徒たちの抗う声と教師の怒号が飛び始めた。

「?!」

「動くな」


 彼は窓のブラインドを少しだけ上げ、隙間から外を覗くよう誘う。


 校庭の向こう側には、航空隊が使う滑走路がある。そこに、いつも練習で飛ぶより若干新しい機体が並んでいる。

 次第にそれは次々飛び立っていき、校舎から押し出されるように滑走路に集まった生徒たちも去年か一昨年かに開発された静音ヘリに詰められて運ばれていく。

 いくら戦時中とはいえ、いくらなんでも歴史の教科書で見る太平洋戦争のときのような人の扱いだ。


「皮肉なもんだよな。負の歴史を教えるはずが、一転軍学校だ」

 彼は煙草に火を点ける。

「なにをしているのですか」

「特攻隊……太平洋戦争で、敵艦に向かってちっぽけな飛行機で突っ込むというなんとも命を軽視した戦法がとられた。それがまた繰り返される」

「しかし、今回の戦争は中国相手で、海上でのあれこれは殆どありませんが……」

「だからだよ」

「えっ?」


 彼は、煙草を咥えたまま、本棚から比較的新しそうな本を取り出す。


「ここ」


 彼の指した箇所を見て、穂高は目眩がした。


「そんな……!」


 この戦争が始まって八年、すっかり軍国日本が復活した今、日本がどこへ向かうのか―。

 それはあまりに残酷な結果だった。


「じゃあなぜ僕をここに?!行かせてください!」

「だめだ」

「だからなぜ?!」

 彼は、穂高の口を手でふさぐ。


「負の歴史を語り継ぐには、生き残りが必要だ」


 すると外で、なにやら音楽が流れ始めたと思ったら、放送がかかった。


―全国民に告ぐ。只今、我が国は、対戦国といかなる交渉をもってしても、平和的解決が著しく見込めない状況に陥りました。これにより、本日をもって、日本尊厳維持の精神に則り、昇天を開始しせよ。郵便局員より、バルビツール酸系薬剤が配布されます。横になり、目を瞑ってから服用してください。繰り返します―……


「そんな……」

「穂高」


 彼は、放心状態の穂高を、まるで泣きじゃくる子どもをあやすように抱きとめた。


「すまないな、つらい思いをさせるかもしれない。だがこれは……必要なことなんだ」

 穂高が頷く。

「大丈夫、俺も一緒だ」

 

 けたたましく警報と放送が鳴り響く中、赤い郵便の車が街を駆け巡る。次第に静かになっていく街に、二人は取り残されていた。


 未来を知り、未来を疑ったモノポリーさえもここに終局を迎えんとする。

 すべては虚無へと、いやそれよりももっと惨憺たる場所へと還るが、真実として刻まれ始めた彼らの信じた教えが導く摂理の前にひざまずくしかない。


 翌日。


 雨が降った。


 その次の日。


 嘘のように晴れた。


 美しく彩られ、ガラス張りだの観葉植物だのと飾られた街を守るため飛んだ命たちが降らせたのは、赤く錆びた鉄の破片。


 歴史は繰り返すのではない。決して、終わらないのだ。

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変人 桜舞春音 @hasura

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