第17話 ヴァイス商店

グレンフォードの商店街は、昼下がりの陽射しに照らされて活気に満ちていた。行き交う人々の間を縫うように、俺は目的地へと足を進める。


「ヴァイス商店...」


看板を見上げながら、懐かしい記憶が蘇ってきた。六年前、まだクラウゼン家が没落する前。煌びやかなパーティで屈託のない笑顔を見せる少女。あの頃の俺たちは二人の未来が交わると思っていた。しかし、その未来は来なかった...


店の入り口に立つと、澄んだ鈴の音が響いた。棚には雑貨や日用品が整然と並び、清潔感のある店内には、かすかな花の香りが漂っている。


「いらっしゃいま...」


カウンター越しに顔を上げた女性は、俺を見て言葉を途切れさせた。


刹那の沈黙。


「レオン...さま?」


凛とした面立ちに、かつての少女の面影を重ねる。整った黒髪は背中まで伸び、深い碧色の瞳には大人の艶が宿っていた。ソフィア・ヴァイスは、六年の時を経て、一層の気品を纏っていた。


「久しぶりだな、ソフィア」


「本当に...レオン様なのですね」


彼女の声には、驚きと共に何か複雑な感情が混ざっているように聞こえた。


「レオンでいい。もう昔のような関係じゃないしな」


「...そうですね」


ソフィアは一瞬俯いたが、すぐに顔を上げると微笑んだ。


「お客様としてお迎えするのは初めてですね。何かお探しでしょうか?」


完璧な接客の態度。その仕事ぶりは、令嬢時代から想像もできないほど板についている。


「ああ、実は人材を探している」


「人材、ですか?」


「廃鉱の管理をしてくれる人間が必要でな」


俺は簡単に状況を説明した。マーカスとの武具製造の話、安定した鉱石の供給のため、現地で采配を振るえる人材が必要なことを。


「なるほど」


ソフィアは腕を組んで考え込む。


「確かにそれは重要なポジションですね。でも、どうして当店に?」


「信頼できる人間が必要だからだ」


率直に答えると、ソフィアの瞳が僅かに揺れた。


「昔から、ヴァイス家の人たちは商才があった。それに...」


言葉を選びながら続ける。


「俺たちの家族は、昔から信頼関係があったからな」


空気が重くなる。かつての両家の関係、そしてその没落。触れてはいけない過去が、二人の間に影を落とす。


「...私が行きましょう」


「え?」


予想外の申し出に、思わず声が上ずった。


「ソフィアが、直接?」


「はい」


彼女は真っ直ぐな瞳で俺を見据えた。


「私なら商才もありますし、何より...」


一瞬の躊躇い。


「レオン様の...いいえ、レオンの仕事を、この目で見てみたいんです」


その言葉に、胸の奥が熱くなる。


「でも、ここの店は...」


「母がいますから大丈夫です。それに」ソフィアは少し含み笑いを浮かべた。「このところの商売の調子を見ていると、私がいなくても十分に...」


「効率的な経営ができる、と?」


「ええ、まさにそう」


俺の言葉を借りた彼女の返答に、思わず笑みがこぼれる。


「随分と商売人らしくなったじゃないか」


「レオンこそ、すっかり実業家ですね」


互いの変化を指摘し合って、二人で笑う。六年の時を超えて、かつての親しさが少しずつ戻ってくるのを感じた。


「でも」


俺は真剣な表情に戻る。


「現場は楽じゃないぞ。廃鉱だし、設備も最低限しかない。それに...」


「私を侮っているんですか?」


ソフィアが一歩前に出る。その姿勢には、令嬢時代には見られなかった芯の強さがあった。


「父の死後、母と二人で店を切り盛りしてきました。在庫管理も、帳簿付けも、配達の手配も、全て私がやってきたんです」


「ソフィア...」


「確かに、大規模な鉱山管理は初めての経験です。でも」


彼女は誇らしげに胸を張った。


「私には商人の血が流れているんです。この機会に、それを証明させてください」


その決意に満ちた表情に、かつて父から聞いた言葉を思い出した。


「ヴァイス家の人間は皆、商才の中に冒険心を秘めている」


今、目の前でソフィアが見せる姿は、まさにそれだった。


「...分かった」


俺は小さく頷く。


「ただし、条件がある」


「なんでしょう?」


「効率性を重視してもらう。感情で判断はしない」


厳しく言い切ると、ソフィアは少し考え込んだ後、不思議そうな表情を浮かべた。


「レオンは、本当に変わってしまったのですね」


「ああ」


俺は素直に認める。


「感情で判断して失敗するところを、何度も見てきたからな」


自分の家の没落。そして、冒険者パーティーでの出来事。全ては非効率的な感情判断の結果だった。


「でも」


ソフィアが静かな声で言う。


「たまには感情も大切にしてもいいのでは?」


「どういう意味だ?」


「だって」


彼女は柔らかな笑みを浮かべた。


「レオンは今、私を選んでくれた。それは純粋に効率だけの判断だったのかしら?」


「それは...」


返す言葉に詰まる。確かに、単純な効率性だけなら、もっと経験豊富な人材を探すべきだった。


「ふふ」


ソフィアは勝ち誇ったように笑う。


「これが私の商才です。相手の本質を見抜く目も、立派な商人の才能なんですよ」


「...負けたよ」


思わず吹き出してしまう。こんな風に言い負かされるのは、久しぶりだった。


「では、仕事の詳細を詰めましょうか」


ソフィアが話題を切り替える。さすがに無駄話で時間を浪費するつもりはないらしい。


「ああ、そうだな」


カウンターの向こうから、彼女が一冊の帳面を取り出す。


「具体的な業務内容と、必要な準備、そして...報酬の件について、お話しいただけますか?」


仕事モードに切り替わった彼女の瞳には、鋭い光が宿っていた。


「まさか」


俺は悪戯っぽく笑う。


「もう報酬の話まで考えているとは」


「当然です」


彼女も負けじと返す。


「私も効率的に物事を進めたいので」


午後の陽射しが差し込む店内で、俺たちは具体的な話し合いを始めた。時折、昔の思い出話に花を咲かせながら。


効率を追求する俺と、感情も大切にするソフィア。


正反対のようで、どこか通じ合える二人の新たな物語が、ここから始まろうとしていた。


* * *


その日の夕暮れ時、母屋に戻ったソフィアを、マリアンヌが温かな笑顔で迎えた。


「お帰りなさい、ソフィア」


「ただいま戻りました、お母さま」


「今日は、珍しいお客様がいらしたようね」


さりげない問いかけに、ソフィアは一瞬言葉を詰まらせる。


「はい...レオンが」


「レオン君が、ね」


マリアンヌは懐かしむように微笑んだ。


「随分と立派になられたそうじゃない」


「ええ。でも...」


ソフィアは窓の外に広がる夕焼けを見つめる。


「なんだか、少し寂しそうでした」


「そう...」


母の声には、深い思いが込められていた。


「お母さま」


「なんですか?」


「レオンから、仕事の話をいただいたんです」


マリアンヌは黙って娘の言葉に耳を傾ける。ソフィアは、廃鉱の管理という仕事の内容を説明した。


「私...行きたいんです」


告白するような口調で言うと、マリアンヌは優しく微笑んだ。


「行きなさい」


「えっ?」


「あなたの目を見れば分かるわ」


マリアンヌは娘の手を取る。


「きっと、素晴らしい機会になるはずよ」


「でも、店の方は...」


「大丈夫」


マリアンヌは頷いた。


「この店は、もう十分にあなたが育ててくれたもの。私たちで何とかできるわ」


「お母さま...」


感極まったように母を抱きしめる。


「ありがとうございます」


「ただし」


マリアンヌは少し意地悪そうな笑みを浮かべた。


「時々は様子を見に来てね。特に、レオン君と一緒に」


「お母さま!」


頬を染めるソフィアを見て、マリアンヌは昔を思い出していた。


かつて、アルフレッドとロバートが夢見た未来。それは叶わなかったかもしれない。


でも、また新しい形で、二つの家族の絆が紡がれようとしている。


「ロバート...」


マリアンヌは心の中で呟く。


「あなたの娘が、新しい道を歩み始めますよ」


夕暮れの空が、優しく二人を包み込んでいた。

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