閑話1 効率化の理由

「レオン様、お目覚めの時間です」


メイドの声に目を覚ましたとき、僕はまだ夢の中にいるような気分だった。大きな窓から差し込む朝日が、豪華な寝室を柔らかく照らしている。天蓋付きのベッドには純白のシーツ、クラウゼン家の紋章が金糸で刺繍されていた。壁には王家から賜った勲章が飾られ、床には高価な絨毯が敷き詰められている。


「はい、起きます」


返事をしながら、まだ幼い僕は柔らかなベッドから身を起こした。すぐに二人のメイドが着替えを手伝ってくれる。


朝食の席には、いつものように父が新聞を読んでいた。母は穏やかな笑顔で、執事から朝食を受け取っている。


「おはよう、レオン」


「おはようございます、父上、母上」


豪華な銀食器が並ぶテーブルで、メイドたちが次々と料理を運んでくる。


「ああ、そうだ。レオン、来週の誕生日パーティーだが」


父が新聞から目を離して言った。


「王都の主だった商家の子どもたちを招待している。特に、ヴァイス家の令嬢も来てくれるそうだ」


「まあ、素晴らしいわ」


母が喜びの声を上げる。


「あの子、最近は社交界での評判も上々だって聞くわ」


「ええ、将来を見据えてね」


父がにこやかに答える。


「レオン、立派な後継者になるためにも、こういった付き合いは大切だ」


「はい、父上」


そんな会話を交わしながらの朝食。執事長が「本日のスケジュールです」と、びっしりと予定の書き込まれた手帳を父に差し出している。


実は、この頃から僕には不思議な能力があった。触れたものの「価値」を変える力。でも、それは商家の跡取りとしての学びに比べれば、さほど重要なことには思えなかった。たまに古くなった食器を新品同様に戻して遊ぶ程度で、特に深く考えることもなかった。


* * *


「レオン、今日は商館に来なさい。そろそろ家業を学ぶ時期だ」


10歳の誕生日を迎えた翌日、父はそう告げた。クラウゼン商会は王都でも指折りの大商会。その後継者として、僕は誇りを持って商館に足を踏み入れた。


豪華な大理石の階段、重厚な木製家具、そして忙しく行き交う従業員たち。商館の中は活気に満ち溢れていた。


「ほう、これがレオン坊やかい?」

「さすがはクラウゼン様のご子息、目の輝きが違いますな」

「将来が楽しみです」


館内を巡る度に、従業員たちが僕に声をかけてくる。その度に僕は少し照れながらも、まっすぐに返事をした。父の後ろを歩きながら、いつか自分もこの商館を率いる立場になるのだと、胸を張っていた。


しかし、その誇らしい日々は、突然の暗転を迎えることになる。


* * *


「なぜだ!なぜこんなことに!」


深夜、父の怒声が執務室から響き渡る。僕は廊下で立ち尽くしたまま、その声に震えていた。


「ロバート...どうして君が...」


父の声が震えていた。新航路開発プロジェクトの試験航海で、親友のロバート・ヴァイスが乗っていた船が暴風雨に遭遇し沈没したのだ。生存者の中にロバートの姿はなかった。


「この航路は、調査では安全なはずだった...」


父の嘆きは夜通し続いた。確かに、過去の気象データや海流の調査では、その航路は十分な安全性が見込まれていた。しかし、予期せぬ暴風雨が、すべてを変えてしまった。

それは、投資の失敗以上の痛手だった。


「ヴァイス商会は私が守る。これは親友への約束だ」


ロバートの死後、父は彼の商会と遺族を守ることを決意した。データや計算は後回しにされ、感情的な判断が続いた。次々と新しい投資を決断し、ヴァイス商会の負債を肩代わりしていく。


「大丈夫だ。必ず立て直してみせる」


しかし、悲しみに暮れる父の判断は、もはや冷静さを失っていた。ロバートへの思いが強すぎるあまり、投資先の精査も不十分なまま、次々と資金を投じていった。


「レオン様」


ある日、古参の執事が僕に悲しそうに言った。


「ご主人様は、もはやデータではなく、感情で動いておられます」


その言葉通りだった。父の投資は、すべてロバートとの思い出と約束に基づいていた。そして、その結果は...


* * *


「申し訳ない...レオン」


屋敷を去る日、父は僕の前でひざまずいた。


「父さんは...感情に流されすぎた。親友を失った悲しみから、冷静さを完全に失ってしまった。調査結果や計算を無視して、ただ感情的に...その結果が...これだ」


涙を流す父の姿は、僕の心に深く刻まれた。豪華な調度品は次々と運び出され、使用人たちも皆去っていった。最後には、あの金糸の刺繍が入ったシーツさえも、借金の支払いに消えていった。


しかし、この危機的状況で、僕の能力が思わぬ形で役立つことになった。


「これを...?」


父が信じられない表情で、僕が価値を高めた古い置物を見つめていた。それは安物の陶器だったが、僕の能力で価値のある骨董品となっていた。


「レオン、お前が...?」


少しずつではあったが、僕の能力で家計を支えることができた。古い物を高価な物に変え、必要最低限の生活費を稼ぎ出した。ただし、あまり目立たないよう、慎重に使う必要があった。


* * *


16歳になった僕は、慎重に計画を練っていた。王都での生活は、確かに便利ではある。しかし、かつての商会の債権者たちの目が、常に家族に向けられている状態だった。

ある日の夕食時、僕は両親に提案した。


「冒険者になります」


「えっ?」


両親が驚いた表情を見せる。


「実は、計画があるんです」


僕は慎重に言葉を選んだ。


「僕の能力は、冒険者として使えば、もっと大きな収入になるはずです。魔獣の素材を高品質に変換して、遠方の街で売ることができる」


父が眉をひそめる。


「遠方の街まで売りに行くのか?」


「はい。王都から離れた街なら、僕たち家族の過去を知る人も少ない。お二人には、辺境の街グレンフォードに移住して雑貨屋を開いてもらえませんか?」


グレンフォードは、僕が調べた限り、気候も穏やかで物価も安い。何より、王都から十分に距離があった。


「そこなら、債権者の目も届かない。新しい生活を始められる。そして...」


僕は手元の計算書を広げた。


「冒険者ギルドで得た素材を、僕の能力で高品質にして、遠方のグレンフォードの市場で売る。グレンフォードでは貴族が好む高級素材の需要が高いんです。王都では安価な素材でも、高品質に変換してアーバスまで運べば、3倍以上の価格で売れる」


両親は黙って僕の話を聞いていた。


「毎月の仕送りは必ず行います。グレンフォードでの店の開業資金も、最初の3ヶ月分は準備できます。債権者対策として、形式上は両親と別世帯になりますが、実際の生活は今より楽になるはずです」


母が心配そうに言った。


「でも、レオン。あなたはまだ16歳よ?」


「大丈夫です」


僕は自信を持って答えた。


「すでにギルドには話を通してあります。能力を見込まれて、特別に冒険者登録を認めてもらえることになりました」


父と母は顔を見合わせた。


「確かに...」


父が静かに言った。


「このまま王都にいては、いつまでも過去から逃れられない」


「私たちのことを、そこまで考えてくれて...」


母の目に涙が浮かんでいた。

計画は予定通り進んだ。両親はグレンフォードに移住し、小さな雑貨屋を開いた。僕は冒険者として活動を始め、得た素材を高品質に変換。それをグレンフォードの市場で売ることで、安定した収入を得られるようになった。

毎月の仕送りの手紙には、両親の穏やかな生活の様子が書かれている。かつての債権者の重圧から解放され、新しい街で、新しい人間関係を築いている。時折送られてくる母手製のお菓子の香りが、そんな彼らの生活を物語っていた。


* * *


窓から、夕暮れの街並みを眺めながら、僕は過去を振り返っていた。父の失敗から学んだ教訓。データより感情を優先させた結果の惨めな結末。


「やはり、感情に流されない判断こそが正しい」


手元の帳簿には、整然と並んだ数字の羅列。すべての取引、すべての判断を、冷静な計算に基づいて行ってきた結果がここにある。月末には、いつも通り両親への仕送りも済ませた。


「効率的に生きること。それこそが、最善の道なんだ」


夕陽に照らされた帳簿の数字を見つめながら、僕は改めて自分の生き方を確認していた。感情に流された父の後悔の言葉は、今でも僕の心に深く刻まれている。


だからこそ、僕は決して感情で判断を誤らない。すべては計算通りに、効率よく。それこそが、幼い日に僕が出した答えだった。


そして今、その答えは間違っていなかったと、僕は確信している。窓の外で夕陽が沈んでいく。それを見送りながら、僕は静かに微笑んだ。


「さて、今日の利益計算を始めようか」

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