第10話 別れ

冒険者ギルドの建物が朝日に照らされ始めた頃、俺は最後の手続きを済ませるため、受付に向かっていた。


「あら、レオンくん。今日はずいぶんと早いのね」


受付のマリアが、いつもの柔らかな笑顔で迎えてくれる。


「ああ、今日は少し用があってな」


「そう、どんなお願い事かしら?」


「冒険者登録の抹消手続きをお願いしたい」


マリアの表情が一瞬こわばる。


「抹消...なの?」


「ああ」


淡々と答えながら、俺は必要書類を差し出した。全て事前に記入済みだ。冒険者を辞める際の手続きについては、もちろん調べてある。


「理由は、個人都合で構わないだろう?」


「え、ええ...」


マリアは戸惑いながらも、手際よく書類を確認していく。さすが優秀な受付嬢だ。


「じゃあ、冒険者徽章をお預かりするわね」


徽章を差し出しながら、俺は少し考え込んだ。三年前、右も左も分からない状態でこのギルドに飛び込んできた日のことを思い出す。


商家の跡取りだった俺が、冒険者になると決めた時、周りの反応は散々だった。しかし、それは必要な選択だった。クラウゼン商会の没落後、新たな道を探す必要があったのだ。


「レオンくん?」


マリアの声で我に返る。


「ああ、すまない。少し考え事をしていた」


徽章を受付に置き、俺は一礼する。


「三年間、世話になった」


「こちらこそ、ありがとう」


マリアは深々と頭を下げる。彼女とは、クエストの受付で何度も顔を合わせた仲だ。


「それじゃあ」


「待って」


背を向けかけた俺を、マリアが呼び止める。


「最後に...一つだけ、聞いてもいいかしら?」


「なんだ?」


「レオンくんは、本当にこれでいいの?」


その質問に、俺は少し考えてから答えた。


「ああ、むしろ感謝している」


「でも!」


マリアが珍しく強い口調で言った。


「レオンくんほどの実力者が辞めてしまうなんて...もったいないわ」


「実力?」


「そうよ。レオンくんが立てた攻略プランは、いつも完璧だったわ。依頼の達成率も群を抜いていたし、なにより...」


マリアは少し言葉を選ぶように間を置いた。


「なにより、レオンくんのおかげで、多くのパーティーが無事に帰ってこられたの。あなたの戦略を真似た人たちが、みんな...」


「それは、単に効率的な方法を選んでいただけだよ」


「違うわ!」


マリアが机に手をつく。


「レオンくんは、みんなの命を大切にしていた。だから、無駄な戦いを避けるプランを立てていたんでしょう?」


俺は少し驚いた。そこまで見抜かれていたとは。


「まあ、確かにそういう考えはあったかもしれない」


「だったら...」


「でも、これが俺の選んだ道だ」


窓から差し込む朝日を見つめながら、俺は続ける。


「今回の件がなければ、俺はまだパーティーに所属して、中途半端な生活を続けていたかもしれない。これは、必要な一歩なんだ」


「レオンくん...」


「それに」


俺はマリアに向き直って微笑む。


「たまには顔を出すさ。今度は依頼者として、な」


マリアの目が潤んでいるような気がした。


「約束よ?」


「ああ」


徽章を受付に置き、俺は深々と一礼する。


「三年間、本当にありがとう」


「こちらこそ...ありがとう、レオンくん」


ギルドを出る時、俺は最後にもう一度振り返った。朝日に照らされた建物が、どこか懐かしく見える。


* * *


レオンが去って間もなく、ギルドマスターのロドリグがマリアの元を訪れた。


「行ってしまったのか」


「はい...」


マリアは目を拭いながら答えた。


「あの小僧、最後まで変わらんな」


ロドリグは窓の外を見つめる。


「自分の道を、迷いなく進んでいく」


「ギルドマスター、本当にあのままで...」


「止める理由はない」


ロドリグは静かに言った。


「奴の目は、確かな自信に満ちていた。これは単なる逃避ではない」


「でも、あんなに優秀な方を失うなんて」


「失う?」


ロドリグが楽しそうに笑う。


「いや、むしろこれは始まりだろう」


「どういう意味ですか?」


「考えてみろ。あの小僧の能力は、戦闘よりもっと別の場所で輝く可能性がある。そして奴は、その場所を見つけたんだ」


マリアは思わず目を見開いた。


「レオンくんが言っていた、効率的な人生設計って...」


「ああ。あの小僧なりの野望があるんだろう」


ロドリグは満足げに頷く。


「次に会う時は、もっと大きく成長しているはずだ」


「そうですね...私も、そう思います」


マリアの表情が明るくなる。


「きっと、素晴らしい依頼者になってくれるわ」


朝日が差し込むギルドの受付で、二人は遠くを見つめるように微笑んでいた。


* * *


街の中心部から少し離れた場所にある、とある宿。俺が部屋を借りているのは、その最上階の一室だった。


「これで、一通りの整理は終わったな」


机の上には、きちんと項目分けされた帳簿が並んでいる。


「現金で15万ゴールド。商人ギルドの投資信託に30万ゴールド。不動産投資に5万ゴールド」


計算を確認しながら、俺は満足げに頷く。


「総資産50万ゴールドか。パーティーでの稼ぎを投資に回してきた甲斐があったな」


普通の冒険者なら、この金額を見ただけで目を回すだろう。しかし、これはまだ始まりに過ぎない。


「価値転換の能力を最大限に活用すれば、年単位で見た時の収益率は倍以上に上げられる」


窓の外を眺めると、グランゼリア王国の街並みが一望できた。商人たちが行き交い、露店が並び、人々が忙しなく動き回っている。


「さて、本格的に動き出すとするか」


立ち上がると、机の上の帳簿を手に取る。これは父から学んだ数少ない有用な教訓の一つだ。どんな商売でも、正確な記録が重要になる。


この世界では、冒険者として名を上げることが、成功への近道だと考えられている。しかし、俺にはそれが最良の道だとは思えなかった。


効率的な資産運用と、能力の適切な活用。それこそが、真の成功への道筋だ。パーティーのメンバーには理解できなかったかもしれないが、俺にとってはそれが最も自然な選択だった。


「よし」


部屋を出る時、俺の表情には確かな自信が浮かんでいた。これは終わりではない。むしろ、本当の始まりだ。


FIREへの道のりは、ここが本番だ。



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連続投稿10話目です。

よろしくお願いいたします。

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