第5話 高難度クエスト

薄暗い森の中、レオンは一歩後ろに下がりながら状況を分析していた。


「これは予想以上だな…」


目の前では、ランク A の魔獣「シルバーファング」が唸りを上げている。全長6メートルを超える巨大な狼の姿は、月明かりを受けて不気味な輝きを放っていた。


「セリア、左翼を頼む!ダグ、その隙に後ろから…!」


ガイウスの号令が響く。だが、シルバーファングの動きは予想を上回る速さだった。セリアの魔法剣が空を切り、ダグの槍も届かない。


「くっ…!」


ミレイアの回復魔法が光る。戦線が崩れかけるたび、彼女の魔法が状況を持ちこたえさせる。しかし、それも限界が近づいていた。


「あのさ」


レオンは冷静な声で指摘する。


「この状況、最初から予測できたはずだけどね」


「黙れ!」


ガイウスが叫ぶ。


「お前は何もしていないくせに!」


確かに、レオンは戦闘に直接参加していなかった。彼は安全な位置から魔獣の動きを観察し、時折メモを取るだけだ。その姿は、まるで戦場の記録係のようだった。


「何もしていない?面白いことを言うね」


レオンは薄く笑う。


「君たちこそ、何をしているんだい?」


「なっ…」


「この魔獣の素材は、確かに高値で取引される。でも、それは完全な状態で回収できた場合の話さ」


レオンは淡々と説明を続ける。


「今の戦い方じゃ、素材の半分以上を損傷させてしまう。収支を考えれば、むしろマイナスになるんじゃないかな」


「てめえ…!」


ダグが怒鳴る。


「こんな状況で…!」


その時、シルバーファングが再び襲いかかった。巨大な牙が月明かりに閃く。


「危ない!」


ミレイアの警告が遅れる。獣の牙がセリアの左腕を捉えた。鈍い音とともに、彼女の悲鳴が森に響き渡る。


「セリア!」


ガイウスが駆け寄るが、シルバーファングの尾が彼を薙ぎ払う。ダグの槍が虚しく空を切る。


「やれやれ」


レオンは溜め息をつく。


「これじゃあ素材の価値なんて期待できそうにないね」


「レオン!」


ミレイアが叫ぶ。


「お願い、助けて!」


「そうだな…」


レオンは静かに目を閉じる。


「確かに、このまま全滅されても困る。少しは手を貸すとするか」


彼は懐から小さな水晶を取り出した。それは魔力を増幅させるアイテムだ。通常、価値転換は対象に直接触れる必要がある。だが、この増幅水晶があれば、わずかながら離れた場所にも効果を及ぼせる。


(まあ、それでも五メートルが限界だけどね)


レオンは慎重に魔獣との距離を計りながら、詠唱を始める。


「価値転換(バリュー・シフト)」


光が弾ける。シルバーファングの足元の岩場が、沼地と化した。本来、価値転換は対象の価値を高める能力だ。だが、レオンは長年の研究で、逆に価値を下げることも可能だと突き止めていた。

もっとも、価値を下げる変換は体力の消耗が激しい。それに、この程度の変換でさえ、増幅水晶という補助具が必要なのだ。


(やれやれ、こんな消耗戦は好きじゃないんだけどな)


予想外の地形の変化に、魔獣の動きが一瞬止まった。


「今だ!」


ガイウスの剣が閃く。ダグの槍が突き出される。セリアも負傷した腕を押さえながら、魔法剣を放つ。


三者の攻撃が重なり、ついにシルバーファングは倒れる。


「ふう…」


ミレイアが安堵の息を吐く。


「なんとか…」


「いや」


レオンは冷たく言い切る。


「なんとかじゃないね」


倒れた魔獣の体には、無数の傷が付いていた。見るからに、素材として使える部分は少ない。


「これじゃあ、せいぜい市場価値の3割くらいかな」


レオンは帳簿を取り出しながら計算する。


「装備の修繕費を考えれば、完全な赤字だ」


「お前な…」


ガイウスが震える声で言う。


「なぜもっと早く…」


「早く?」


レオンは首を傾げる。


「何を言っているんだい?僕は最初から、このクエストは効率が悪いって言っただろう?」


確かに、出発前のミーティングでレオンは反対していた。シルバーファングの討伐は、パーティーの現在の実力では難しすぎる。たとえ成功しても、コストに見合わない――そう主張していたのだ。


「でも、あんたは…!」


セリアが噛みつくように言う。


「戦いの最中、何もしなかった!」


「ああ、そうさ」


レオンは平然と答える。


「だって、君たちは僕の意見を聞かなかったからね。なら、失敗を体験してもらうのが一番の教訓になると思ってさ」


「なっ…」


「いい機会だよ」


レオンは帳簿を閉じる。


「これを機に、もう少し経営的な視点を持ってもらえれば…」


パン!


突然の音が森に響いた。ガイウスの拳が、レオンの頬を捉えていた。


「うわっ」


レオンは数歩よろめく。


「おや、暴力か。随分と感情的だね」


「黙れ!」


ガイウスが怒鳴る。


「お前の所為で、セリアが…!」


「僕の所為?」


レオンは頬を押さえながら笑う。


「面白いこと言うね。誰が無理なクエストを選んだんだい?」


「それは…」


「それに」


レオンは冷静に続ける。


「僕が最後に助けを出さなければ、今頃君たちは全滅していたかもしれないんだよ?少しは感謝があってもいいんじゃないかな」


「…帰るぞ」


ガイウスは背を向けた。セリアを支えながら、彼は森の出口へと向かう。ダグも憤然とした表情で、その後に続いた。


「レオン…」


最後まで残っていたミレイアが、悲しそうな目でレオンを見つめる。


「なに?僕に説教でもするつもり?」


「…ううん」


彼女は首を振る。


「ただ、残念だなって」


その言葉を残し、彼女も他のメンバーの後を追った。


月明かりの下、レオンは一人取り残される。


「ふーん」


彼は懐から帳簿を取り出し、新たなページを開いた。


『1月15日:シルバーファング討伐クエスト

収入:推定3000ゴールド(素材価値の劣化により)

支出:

- 装備修繕費:2000ゴールド

- 回復薬:800ゴールド

- 増幅水晶:500ゴールド

純利益:-300ゴールド』


「やっぱりね」


レオンは溜め息をつく。帳簿を閉じ、彼は静かに月を見上げた。


「これで、やっと分かってくれるかな」


彼は独り言を呟く。


「このままじゃ、パーティーは先が見えているってことをさ」


夜風が冷たく頬を撫でる。痛みはまだ残っていたが、レオンの表情は冷静そのものだった。


彼は再び帳簿を開き、新たなページに何かを書き込み始める。


『緊急対策案:

1. パーティー運営方針の抜本的見直し

2. 効率重視の経営体制の確立

3. 感情的判断の排除』


「まあ」


レオンは薄く笑みを浮かべる。


「どうせ、また聞いてもらえないだろうけどね」


月明かりに照らされた彼の表情には、どこか諦めに似た色が浮かんでいた。



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連続投稿5話目です。

よろしくお願いいたします。

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