第4話 朝の出来事

朝靄の立ち込めるギルドの建物に、レオンは早々に姿を見せていた。昨夜の不毛な議論の後、彼は徹夜で新たなクエスト選定の資料を作り直していた。額に浮かぶ青筋を抑えながら、彼は机に向かい、次々と書類をめくっていく。


(やれやれ、こんなことまで俺がやらなきゃいけないとはね)


レオンは溜め息をつきながら、効率的なクエスト選定のための新しい企画書を見直していた。昨夜の資金運用プランが否定されたことは予想内だった。だからこそ、今度は誰にでも分かるように、絵や図を多用して説明を組み立てている。


「あら、レオンくん。今日は随分と早いですね」


声をかけてきたのは、受付嬢のマリアだった。いつも通りの清潔な制服に身を包み、優しい微笑みを浮かべている。彼女は早朝のギルドで、いつもレオンの姿を見かけていた。


「ああ」


レオンは顔を上げることなく答えた。


「昨日の彼らの理解力じゃ、こうでもしないとダメみたいでね」


マリアは少し表情を曇らせた。彼女は数日前から、このパーティーの様子がおかしいことに気づいていた。普段なら和やかに談笑しながら依頼を選んでいた彼らが、最近では言葉少なに、それも妙に緊張した雰囲気で報告を済ませるだけになっていた。


「レオンくん」


マリアは優しく声をかける。


「最近、パーティーの皆さんと上手くいってないみたいですね」


「へえ、そんなに分かりやすいものかな」


「そうですよ」


マリアはカウンターに腰掛け、真摯な表情でレオンを見つめた。


「この仕事を始めて十年になりますが、パーティーの雰囲気の変化には敏感なんです。特に、あなたたちみたいな仲の良かったパーティーは」


「仲が良かった、か」


レオンは皮肉な笑みを浮かべる。


「確かにそうだったのかもしれないね。少なくとも、俺が彼らの非効率な運営方針に気づく前までは」


「でも」


マリアは慎重に言葉を選んだ。


「あなたたちのパーティーは、みんなの憧れだったんですよ?若くて有能なメンバーが揃い、それでいて互いを思いやる心を忘れない。新人冒険者の中には、あなたたちのような関係を目指している子たちも多いんです」


「ふん、そんなの表面的なものさ」


レオンは書類を整理しながら言った。


「結局のところ、彼らは夢見がちな理想論者で、俺は現実主義者ってことだ。価値観が違いすぎる」


「それでも」


マリアは諦めずに続けた。


「三年間、共に戦ってきた仲間です。何か話し合う余地は…」


「無いね」


レオンは即答した。


「昨夜も試してみたよ。完璧な資金運用プランを提示したんだ。でも彼らは『冒険者らしくない』の一点張りさ。こんな感情論では話にならない」


マリアは深いため息をついた。彼女の目には、かつて見た数々のパーティー崩壊の記憶が蘇っていた。些細な意見の食い違いが、やがて修復不能な亀裂となり、最後には…。


「レオンくん、一つだけ言わせてください」


マリアは真剣な表情で言った。


「冒険者ギルドで働いていると、様々なパーティーの盛衰を目にします。確かに、経営や効率は大切です。でも、それと同じくらい大切なのが信頼関係なんです」


「へえ」レオンは薄笑いを浮かべた。


「面白いことを言うね。その信頼関係に、具体的な価値はあるのかい?」


「もちろんです」


マリアは力強く頷いた。


「例えば、高難度クエストでの連携や、危機時の即断即決。それに、精神的な支えとしても…」


「つまり、数値化できない曖昧な価値ってことだね」


レオンは冷たく言い切った。


「残念だが、そんな不確かなものは俺の計算には入れられないよ」


「まあ」


マリアは困ったように笑う。


「そんな言い方をしては、みんなも反発するんじゃ…」


「事実を言っているだけさ」


レオンの声は冷たかった。昨夜の記憶が頭をよぎる。夢だの、冒険者の誇りだの。そんな子供じみた感傷で経営が成り立つはずがない。

マリアはもう一度、何か言いかけたが、その時ギルドの扉が開く音が響いた。パーティーメンバーが到着する時間だ。


「ご忠告ありがとう」


レオンは事務的に言った。


「だが、必要ないよ。むしろ、この状況は俺にとってちょうどいいタイミングかもしれない」


レオンの言葉の意味を考える間もなく、パーティーメンバーが続々と姿を見せ始めた。最初に現れたのはガイウスだ。


「ふむ」


ガイウスは険しい表情でレオンを見る。


「また何か思案中か」


「ご明察」


レオンは薄く笑みを浮かべた。


「今日こそは、君たちにも理解できる提案を用意したよ」


「…昨夜の話は済んだはずだ」


「違うさ。今回は純粋なクエスト選定の効率化についての提案だ」


レオンは一枚の地図を広げる。


「ほら、見てみろよ。この地域で発生している依頼を全て分析してみたんだ」


地図には色とりどりの印が付けられ、それぞれの印を結ぶ線が引かれている。


「赤は討伐依頼、青は採取依頼、緑は護衛依頼。これらを最短経路で回れば、移動時間を60%カットできる。つまり、より多くの依頼をこなせるということさ」


セリアが眉をひそめながら近づいてきた。


「でも、それじゃあまるで商人の配送計画みたいじゃない」


「そうさ。だからこそ効率的なんだ」


レオンは得意げに説明を続ける。


「商人たちは何百年もかけて、最適な輸送経路を研究してきた。その知見を活用しない手はないだろう?」


「だが、待てよ」


ダグが割って入る。


「俺たちは商人じゃない。冒険者なんだぞ?」


「それがどうした?」


「つまりだ」


ダグは苛立たしげに言う。


「依頼ってのは、時には予想外の展開になることだってある。そんな時に、効率だけを考えていたら…」


「ふん、予想外か」レオンは軽蔑的な笑みを浮かべた。


「そう言うと思ったよ。だから、ここを見てくれ」


彼は新しい表を取り出した。そこには過去三年分のクエストデータが細かく分析されている。


「三年間で俺たちが受けた依頼の87%は、想定通りの展開で終わっている。予想外の事態が発生したのは、わずか13%に過ぎないんだ。その13%にも、きちんとしたパターンがある」


「レオン」


ミレイアが心配そうに声をかける。


「でも、その13%の中に、大切な出会いや発見があったんじゃない?」


「ロマンチックな考えだね」


レオンは冷ややかに返す。


「だが、感傷に浸っている場合じゃない。この13%の予想外の事態の大半は、余計な時間と資源の浪費でしかなかったんだ」


「お前な…」


ガイウスの声が低く唸る。


「昨日も言ったはずだ。冒険者は…」


「ああ、冒険者の誇りだろ?」


レオンは苦々しく言葉を切る。


「だが考えてみろよ。その誇りは、一体いくらの価値があるんだ?」


「なっ…」


「俺の価値転換能力は、物の価値を変えることができる。だが、夢や誇りといった実体のないものは、どれだけ価値があるのか計れない。つまり、価値がないも同然というわけさ」


場の空気が一気に凍り付いた。


「レオン!」


セリアが声を荒げる。


「いい加減にしなさい!私たちの誇りを、そんな風に貶めないで!」


「貶めてなどいないさ」


レオンは平然と答える。


「単に事実を述べているだけだ。君たちこそ、いつまで子供じみた夢物語に浸っているつもりなんだ?」


「てめえ…」


ダグが拳を握りしめる。


「やめて!」


ミレイアが割って入る。


「みんな、もう…」


「いいさ」


レオンは静かに資料を畳み始めた。


「どうやら、今日も理解してもらえそうにないようだね」


「レオン」


ガイウスが重い声で呼び止めた。


「お前は変わった。いや、変わりすぎた」


「違うな」


レオンは背を向けながら答えた。


「変わったのは君たちの方さ。いや、そうじゃない。君たちはずっと変わらないんだ。子供のままで」


「何だと…」


「考えてみろよ」


レオンは肩越しに言う。


「三年前、俺たちは確かに同じ夢を見ていた。だが、夢を見ているだけじゃ何も変わらない。成長というのは、夢から目覚めることなんだ」


その言葉を最後に、レオンはギルドを後にした。後ろでは誰かが名前を呼ぶ声が聞こえたが、振り返ることはなかった。


朝日が街並みを照らし始める中、レオンは静かに歩を進めた。懐の中の帳簿が、いつもの重みで彼の存在を主張している。


(まあいい)


レオンは空を見上げた。


(どうせ彼らには、俺の考えは永遠に理解できないだろうさ。そう、永遠にね)


彼の瞳に映る朝日は、まるで新たな幕開けを予感させるかのように、眩しく輝いていた。


* * *


「もう、あの子ったら…」


マリアは去っていくレオンの背中を見送りながら、深いため息をついた。受付カウンターの影で、彼女は密かにメモを取り出す。


『観察記録:レオン・クラウゼン

- パーティー内での孤立が進行

- 合理的思考が極端化の傾向

- 他者の価値観の否定

- 早急な介入の必要性あり?』


「ギルドマスターに報告しないと…」


彼女の呟きは、朝の喧騒の中に消えていった。



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連続投稿4話目です。

よろしくお願いいたします。

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