05:貴女が欲しい

「……本当に」

 とうに失われたはずの淡い期待が頭をもたげ、声が上ずった。


「ラスベル様には目に見えない力が見えるのですか。私に神力が宿っていると言うのですか」

「はい。貴女は聖女です。人前でその力が扱えなかったのは、単純な話ですよ。貴女はその尊い力を『見世物』や『自慢』として扱うことはできなかった。それだけの話です」


 ラスベルは諭すようにそう言ったが、エレンティーナはまだ信じることができず、視線を落とした。


「エレンティーナ様」

 揺れる心を見透かしたように、ラスベルが名前を呼ぶ。


「イリスタリアの国土は瘴気に侵され、瘴気より生まれた魔物が跋扈し、多くの人々が傷ついています。いまこそ貴女が必要なのです。どうか私と共に来てください。私はあらゆる悪意から貴女を守る。もう二度と悲しみの涙を流させたりはしない。必ず幸せにすると誓う」


 台詞の途中から敬語が消えた。

 だからこそ強く彼の想いが伝わって、エレンティーナの頬をばら色に染めた。


「お……王子に暴力を振るうような愚かな女が聖女だなんて。そんなことが許されて良いのでしょうか」

 どぎまぎしながら言う。


「許されないのだとしたら、それは何の罪もない猫を蹴る馬鹿のほうでしょう。エレンティーナ様はお優しい。私だったら半殺しにしていましたよ?」 

「なんと恐れ多いことを……!」

 慄いたが、ラスベルは悪びれもせずにエレンティーナを見つめた。


「ノルトに聞きましたよ。学園に出入りするようになった三日前からずっと、貴女は学園にいる生徒たち――特にグリアムに虐められていたと。ノルトが密かに観察していたよりも長い間、貴女はグリアムに虐められていたのでしょう。であれば、王子ばかを殴った瞬間、爽快感を覚えないわけがない。蓄積した恨みを晴らせたわけですからね」

「…………」

「胸がすっとしたでしょう。正直に言って御覧なさい?」

「……しました」

 負けを認めて俯くと、ラスベルは笑った。


「それでいいんです。聖女だって人間なのですから。理想の聖女像に囚われる必要はありません。私はありのままの貴女が欲しい」


「……っ!!」

 殺し文句に目が回る。

 顔から火が出るかと思った。


(おおおお落ち着くのよエレンティーナ。ラスベル様は聖女を必要としているだけ! 他意はないのだから他意は!)


「イリスタリアの国王も国民も、貴女を歓迎するでしょう。改めて言います。私と来てください、エレンティーナ様」

 ラスベルは笑顔から一転、別人のような真剣な表情でエレンティーナを見つめた。


「――~~~~」

 緊張と緩和の呼吸が実に見事だ。

 エレンティーナの心を鷲掴みにするには十分すぎる。


「……わかりました。あなたと共に行きます、ラスベル様」

 エレンティーナは苦笑した。

 承諾しない限り、ラスベルはてこでも動きそうにない。


(望まれた役割を果たせなければイリスタリアから去ればいい)

 ただそれだけのことだと自分に言い聞かせ、腹を括る。


「ありがとうございます」

 ラスベルは頭を下げ、ようやく立ち上がって手を差し伸べた。


「それでは行きましょう」

「行こーぜ!!」

 うずくまって成り行きを見守っていたノルトも、嬉しそうに立ち上がる。


「待って、ノルト。私が煙のように消えてしまっては、見張りの兵が罰を受けてしまうわ」

 ノルトもラスベルも虚を突かれたような顔をしていたが、ラスベルの手を取ることはできない。


 先刻話し相手を務めてくれた壮年の兵士はエレンティーナと同じ年頃の娘がいると言っていた。

 人の良い彼が罰を受けるのは耐えがたい。

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