Intermission 6

「うー、久し振りの酒だあ、…!」

実にうれしそうに、もう少しばかり赤くなりながらいう永瀬に。

「おまえ、本当に弱いんだからな、…気をつけろよ」

「気をつけて呑んでるよーーん、うめえ、…関、おまえの料理も最高―!」

「はいはい、わかったから、…こぼすなよ、ほら」

猪口に今度は本物の酒が入るのを楽しみながら、永瀬が関の作った料理に箸を運ぶ。

「酒に蕎麦、最高だねえ、…せきちゃん、最高!」

「はいはい」

滝岡が実にうまそうに蕎麦をすすり、隣で関があきれながら適当に返事を。

 実にうまそうに食いながら、酒を少しずつすすめる永瀬を滝岡もまたあきれてみながら。

 鷹城が、そして、関の隣から――どうやら、酒から遠ざけられての席順らしい―――永瀬の方をみて惜しそうにいう。

「永瀬さん、ずるーい」

「うるさい、おまえは、これ食え」

「えー、関!」

関が鷹城のうるさい口に、箸で直接、煮た里芋を突っ込む。

「…―――――、おいひい、けど、あのね?」

口が一杯になって、それでも美味しいのに食べてから抗議する鷹城に。

 ―――にぎやかですねえ、…。

 それに、これ美味しいなあ、…と。

神尾が、のんびり箸を運んで。

 吸い物の碗に、しじみと赤く広がる海藻に。

 里芋のほっこりと蒸された上に黄色い柚子のあざやかさが、とろりとした餡の艶やかさにくわえて目に鮮やかで。

 小さく碗に盛られた山椒の葉が飾られた色鮮やかな丸いご飯に。

 蕎麦が、綺麗に碗に盛られて、温かい蕎麦湯にといた漬け汁に山椒の実と色鮮やかな七味に大根おろし。

 温かい蕎麦を感激して食いながら、酒をしみじみ呑んでいる永瀬をみてから。

 本職の料理人が作ったといわれても納得の関の料理の目に楽しく舌がよろこぶ、何より身体に染み入るような美味しい膳を飾る品々に。

「美味しいですねえ」

感嘆していう神尾に、隣に座っていた滝岡が笑む。

「そうか、よかった」

「本職は何なんです?」

「それはな、…―――――」

滝岡が答えかけたとき。

「ほらっ、たきおかちゃんも、かみおちゃんも、のむー?」

「…おまえな、…頂こうか、神尾、」

「あ、すみません」

滝岡が、永瀬から酒を受取り、神尾の手にした杯に注ぐ。

 淡々と輪を描き、波紋をみせる酒の清んだ色合いを眺め、香りをかいで、神尾がくちにする。

 姿勢良く、両手を添えて、すいと酒の舌触りと喉越しを楽しんで。

「いただきました、…――。良いお酒ですね」

「そうか、注いでくれるか?」

「はい、どうぞ」

滝岡の差し出す杯に、神尾が馥郁とした香りの酒を。

 注がれた酒をいただいて、滝岡が微かに眸を細める。

「うん、…――良い香りだ」

うれしげにくちにして、杯を置き、神尾に酒をとってみせる。

「呑むか?」

「では、―――…」

うれしげに神尾が差し出す杯に。

 それを、心配気に永瀬が後ろから覗き込んで。

「な、滝岡ちゃん、あんまり、神尾ちゃんも、―――なくさないでよ?本当」

少し真剣になって永瀬がいうのに、関を間に鷹城がブーイングをいれる。

「あー、自分は少し呑めるからってー!」

「だから貴重なんだろー、しゅーいちくんは御気の毒―」

べーっ、とあかんべをしてみせる永瀬に。

 関を盾にしながら、両目であかんべを返してみせる鷹城。

 少しあきれてみる神尾に、滝岡が背後の騒ぎに構わずにいう。

「放っておこう。…呑むか?」

空になる神尾の杯に滝岡が笑む。

「そうですねえ、…そちらはいかがです?」

滝岡が置いていた杯を楽しげに呑み、背後にちらりと視線をくれて。

「…そうだな、場所を移るか?」

滝岡が軽くくちにして、微笑みながら酒瓶を神尾に寄越し、あてになる肴を選んで手にとって。




「いいんですか?置いて来て」

「関がいるからな。あいつらの世話は任せた」

鮮やかな月が天を飾るのを、滝岡が楽しげに眺めて杯をあげる。

 波打つ面に、月を映して楽しんでいると気づいて、神尾が覗き込む。

「風流ですね」

「…――だろう、呑むか?」

杯を傾けて寄越す滝岡に、慌ててくちをつけて呑む。

「驚くじゃないですか、…。あんまり、呑まないんですね?それに」

滝岡の手から杯を取り、神尾が酒を満たして月を映してみているのを隣に眺めて、

 柱を背に月を眺め、縁側に腰掛けて、左手に座る神尾が、あらためて月の踊る杯をみてしげしげと観察しているのに、つい微笑む。

「何ですか?」

「…―――いや、平和だとおもってな」

 わるくない、と笑む滝岡を隣に月を仰いで。

 手の中に、落ちる杯の月を眺めて。

「確かに、これは悪くありませんね、…」

澄んだ杯に月が落ちて輝く。

 手のうちに、しんと輝く月がひとつ。

 滝岡が、月をてのひらに眺める神尾をみて、穏やかに自らも杯をくちに運びながら穏やかに笑む。

 月の明るく降り注ぐ夜に、―――――。




「神尾ちゃーん、…やっぱり、ほとんど呑んじゃったんだ?」

滝岡が席を外して、しばらく月を眺めていた神尾に。

「永瀬さん、まだ少しならありますよ?」

「あー、ほんとーだぜ、…。くっ、…―――注いでくれる?かみおちゃん」

「はい、どうぞ」

苦笑しながら神尾が永瀬の猪口に残っていた酒を注ぐ。

「んー、…良い香りだねえ、…。これが日本酒だよ」

目を閉じて匂いをかぎながら、永瀬が胡坐を掻いてしみじみとくちをつける。

「いいねえ、…。うん、こいつあ、いい」

頷く永瀬に笑って、それから月を眺める。

永瀬もまた、月を仰いで。

「…夢みたいだって、おもうことがあるぜ?」

「永瀬さん?」

ふいと真顔になって、蒼天に月を振り仰ぎ、永瀬がしずかに酒を手にくちにする。

「…随分、おれは危なかったらしい、…―――。」

「永瀬さん」

顔を向ける神尾に天を仰いだままで。

「現地で何とか命を繋いで貰って、…それから、手近の何処かの国まで連れて行くという案もあったそうなんだが、…――――飛行機で十数時間掛けて、日本へと運ばれたらしい。…」

黙って神尾が聴いているのに。

「最新技術とかでも危ないとかいう話だったらしいが、…。滝岡のばかが、拾ってくれてな」

猪口にくちをつけて、ひとくち含んで、視線を落としてしずかに笑んで。

 永瀬が、そっと続ける。

「不思議なもんだ、…。異国の地で命を落とし掛けたのに、この国で拾われるとはな。…―――で、再手術を何度かして、…動けるようにしてもらってな。…三ヶ月後に現地に戻ったら、滝岡が怒鳴り込んできた」

「…――――」

三ヶ月という言葉に、思わず神尾も睨むのを。

「いーじゃん、おれの身体なんだし、――とか語ったら、滝岡にまた怒鳴られてな。…患者に対して労りがない」

「…――――」

難しい顔で神尾がみるのに猪口に踊る酒の波を見ながら。

 淡く、あえかに、本当に微かに微笑んで。

「でもさ、それであいつがいうわけよ。…同じ命を粗末にして働きたいのなら、日本でやれ!と。同じかそれ以上に激務で労働環境最悪な現場なら日本にあるぞ、といわれてな」

まあでも、爆弾が跳んで来ないだけ、随分ましだと思うんだけどねえ、という永瀬に神尾が息を吐く。

「それは、…でも」

思わずも微笑んでみる神尾に、永瀬が天を仰ぐ。

「だからさあ、…―――。まあ、きてみたら本当に激務だったけどな?肝臓切除して肋骨や骨盤が一部吹き飛んで形成手術必要だった患者にそんな仕事させるかー?…でもなあ、…――――術後管理」

不意に言葉を切る永瀬を神尾が見る。

 ゆっくりと、膝に猪口を持つ手を下げて。

「…だからな、夢みたいだと思うことがある。…―――術後管理っていうのは、向こうにいたときのおれの夢でな。」

「永瀬さん?」

「…―――夢だったのさ。向こうで、わかるだろ?」

神尾に顔を向けて、永瀬が淡々と、そして苦いように、あるいは。

 何処か懐かしむ遠い痛みをみるようにして。

 あるいは、それは、…――――。

「向こうではそれは夢だった。…どれだけ、輸血が必要な患者がいても、血が足りない。そもそも、輸血のできる設備が無い。ある程度設備が揃った病院に近い場所ならまだしも、…―――手術っても、傷を縫い合わせて、…―――。抗生剤なんて、夢のまた夢だ。…血が足りない、薬が無い、…―――。」

永瀬が言葉を切る。

「…―――何もかも、ない。」

「永瀬さん、…――」

「…夢だったんだよ、…。手術後の患者に、万全の手配をする。輸血に輸液、抗生剤、できることは全部する。…―――――ここでは、この国では必要な患者に、それができる。…―――」

「永瀬さん、…」

涙を誤魔化すように、月を永瀬が仰ぐ。手に空の杯を持って。

 くちびるを僅かに噛んで。

「くやしかった、…。あそこでは、一つも出来なかった。乾いた大地って奴が、幾らか感染症とかに対してはましなくらいでな。…」

 言葉を切る永瀬に、しばし同じく無言で月を眺めて。

「…永瀬さん、アフリカに行ってたんじゃないでしょう?」

そして、神尾がふと微笑んで訊くのに、顔を向ける。

「ばれたか。おれは、嘘が下手だとよくいわれるんだ、…――――でもなんで?」

「いまの乾いた大地というのもそうですが、滝岡さんが以前、マラリアを診たことのある医者が知り合いにはいない、とおっしゃっていたので」

微笑む神尾をみて、大袈裟に目を開いてみせて。

「あなどれないねえ、…。ま、そうだ。おれの派遣されてたのは、アフガニスタン。マラリアは、…確かにあの辺りは無いなあ、…。乾いて岩だらけで、…―――最初は任地として赴いたが、部隊が現地を離れることになって、除隊して残ることにしてね」

「…永瀬さん」

視線を向ける神尾に、永瀬が目を伏せたまま淡々と続ける。

「当初は自衛隊の医官として現地派遣されて、…―――除隊して残った。滝岡は大学の後輩でね。除隊して現地に残った後は、随分と連絡を絶ってたんだがな」

思い出すように永瀬が眉を僅かに寄せる。

「…――滝岡が迎えに来た時には、わかってたんだろうな、…情報を何か掴んでたんだろう、…。―――」

「永瀬さん」

永瀬がしずかに神尾をみる。

「…――――永瀬さん、」

「…いや、あれから、丁度な、…最近にもあったろう、病院施設への誤爆。同じようなことが、あのときもあってな、…」

「…―――永瀬さん」

緊張して神尾が見返すのに、永瀬が浅く笑みを零す。

「思う事がある、…―――。情報の精度っていうのは、どれだけ確認しようとしても総てになるってことはない。何処かで、思い切らないといけない、…―――。あのとき、俺が働いていた辺りの村にも、医療キャンプにも、…―――当時流行り出した無人機とやらの爆撃が、広い範囲に無造作に行われた。…」

何かを噛み締めるように永瀬が俯いていう。

「…―――情報は、いつだって確実じゃない。だからな、辛かったんじゃないかと思ってな、…―――。おれを連れにきたあいつは」

「永瀬さん」

「情報をあいつは恐らく握っていて、おれを爆撃にあわせない為に連れに来た。一歩間違えばあいつも巻き添えくらってたろうに。それよりも、…―――おれを連れ出す為に、あいつは爆撃が迫ってるとか、そんなことは一言もくちにしなかった。…―――」

月が、…――――。

あきらかに、天の下を照らす刻に。

ぼそり、と呟くように低い声で永瀬がしずかに告げて行く。 

「おれは、爆撃があったことを、後から知った。村人も、キャンプに居た奴も、…―――。おれは、あのばかに、…―――。あいつが、情報を隠したまま、おれを連れ出したことを、恨んでると思われてるかもしれないが」

淡々とくちにして、永瀬が笑む。

「…――おれは思うんだよ。あいつの方が、辛かったんじゃないかってな。…違うか?神尾先生。…あいつは、誰にも村が爆撃を受けるかもしれないという情報を話すことは出来なかった。仕入先がどこであれ、そいつは、単にかもしれないってだけの情報何だ、…―――しかも、」

「…爆撃が計画されたということは、永瀬さんが当時居たのは、ゲリラや、…――敵対組織の居た、或いは勢力範囲だった処だったんですか?」

「わかりがいいのは助かるねえ、…。随分、無茶な地域ではあったのさ。おれが、吹き飛ばされたのも同じ地域だったんだからな」

自身に少しあきれた風にいう永瀬に、神尾が苦笑する。

「そういうことはままあります、…―――。レベル4流行地域で終息した後に、再流行疑いのケースが起きて、近くで紛争や暴動があるけど確認する為に行きたいとか、そういうちょっと困った事態があるのは良くあることですよ」

「…――――神尾ちゃん、おれより随分と無謀じゃない?」

「でも、政府軍は途中で逃げ出しましたけど、…一応国連軍が途中までついてきてくれまして」

「…途中って、どこまでよ」

眉を寄せていう永瀬に、首を傾げて。

「あの刻は確か、…―――感染した死体が放置されていた小屋の、…そうですね、…。1キロ先まではついてきてくれましたよ?荷物持ってくれてたすかりました」

本気でいっているらしい神尾を眺めて、永瀬が大きく溜息を。

「あきれたねえ、…―。おれもそこそこハードな人生送ってきたと思ってたけど、神尾ちゃんには負けるわ」

「…そんなことは、…。七百メートル地点に、発症した死体があるのが先に確認できてましたから、その手前まで来てくれただけでもいいとおもいますよ?」

当然のようにいう神尾に天を仰ぐ。

 額に、ぴしゃりと手を当てて。

「おれ、神尾ちゃんには敵わねーわ、…。ま、そういうわけでさ」

さらり、と永瀬が月を眺めていう。

「おれは、だからあいつの方がつらかったと思ってる。おれは、勝手に危険な処に飛び込んでた。其処に、あいつはおれを助ける為に来た。現地の情報を収集して、その中に爆撃があるかもしれないという情報を掴んでいても、…」

「云う訳にはいかないでしょうね。紛争の最中に、…――――そういうことをくちにしたら、敵対勢力に御二人とも、殺害された可能性が高かったでしょう。」

「喩え、その爆撃が何も知らない村の連中を巻き込む可能性があったとしてもな」

神尾の言葉に、永瀬が頷いていう。

「…だからな、…――廻りくどいけど、おれはあいつを恨んでない。そう伝えといてくれないか?」

「…どうして、僕に」

驚いていう神尾に、永瀬が笑む。

「どうしてだろうな、…?まあ、海外派遣仲間で、話が通じるからか?滝岡は、現地の情報は掴んでいても、現地の感覚はわからないだろう」

微笑んで神尾をみていう永瀬に、しずかにうなずく。

「…―――はい。」

「と、いうわけだから、じゃあね、よろしくー」

空になった猪口を手に、永瀬がふらふらと歩いていくのに。

 しばし、神尾が一人で月を眺めて。

「で、何処から聞いてらしたんです?」

「…―――あいつが席を立つまで、戻れんだろ、…―――」

微苦笑を漏らしながら、滝岡が柱の陰から姿を現して、いままで永瀬が座っていた場所に腰を落とす。

「…まったくな、―――ずっと、気に掛けてたのか、…」

空の杯を手にして視線を落とす滝岡に、神尾が酒を注ぐ。

「…―――神尾」

「後悔していますか?」

「…―――してはいない、…。あいつを連れ帰るには、あの刻、ああする以外の方法は無かった。…だが、―――」

沈黙して、酒を手に天を仰ぐ滝岡に。

 隣に一人、酒を器に注いで、神尾が一口呑む。

「…―――――すまん」

気づいて滝岡がいうのに、杯を手に天を仰いで。

「永瀬さんのいっていたことは正しいと思います、…―滝岡さん。現地では、正しいことも、正しくないことも、何もかもが同時に起こります。―――…」

滝岡が神尾を見つめる。

「滝岡さんが、爆撃があるかもしれないという情報を周囲に話さずに永瀬さんを連れて脱出したのは正しいでしょう。おそらく、告げていたら、…――殺されるだけなら、まだましな状況になっていたでしょうから。…情報を持っていると思われたら、恐らく拷問を受けたでしょうね。滝岡さんが耐えられたとしても、当時、治療したばかりで特に肝臓を切除していた永瀬さんは、体力的に耐えられなかったでしょう」

淡々と感情をみせない視線で滝岡が神尾を見る。

「…それにしても、無茶をされます」

「神尾?」

訊ねる滝岡に笑む。

「まったく、…――――永瀬さんもいっていましたが、そんな処に乗り込むのは、話を聞いただけでも冷や冷やします」

「…すまん」

天を仰いでいう滝岡に神尾が笑む。

「まったく、…――――あまり危ないことはしないでくださいね」

「神尾、おまえな?…――まあ、いいが、…」

苦い顔でいう滝岡に笑んで、背を柱に預ける。

天を仰いで、息を吐いて、――――。

「…――神尾?」

「良い月ですね」

滝岡が月を仰ぐ。

「…―――ああ、そうだな、…」

おい、とそして、ことり、と滝岡の肩に頭を落として、眠ってしまった神尾に。

 微苦笑を零して、――――。

「おい、寝るな、風邪ひくぞ」

「…――――」

すう、と杯を手にしたまま寝ている神尾に、手から杯をとって。

「しかし、危ないことばかりしてるのは、どっちだ、…―――」

苦笑して、神尾の手から杯を縁に置き。

寝ている神尾を肩に凭れさせて、抱えなおして。

「まったく、運ばせるな」

眠ったまま起きない神尾を滝岡が文句をいって運んで。



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