Intermission 3
「…あ、あの、あなたは?」
「…――テーピング上手いですねえ、…。誰かトレーナーの方とかがされたんですか?でも、…あんまり動くと負担を減らすという目的にはよくないですよ。…ふーん」
靴下をめくって、テーピングの具合をみている神尾に、動けない鷹城と。
それに、関が大きく頷いて云う。
「いいこというな。その通りだ。このばかは、人が動くなというのに、…無茶ばっかりしやがって!」
「…――でもまあ、血行の再建や、筋肉や腱、靭帯が再生する為には、固定も必要ですが、ある程度は動くのも必要ですからねえ、…。創部を固定してあれば、運動は必要ですから、――――――。はい、足先や、他への血流もいいですね。問題ありませんが、靴はもう少し柔軟性がある素材のものにした方がいいかもしれませんね。サイズは合っているようですが」
「…でも、靴って、このスーツには一応、スニーカーは合わせにくいんですよね、…」
神尾の指摘に、鷹城が考えるように靴をみて、呟くようにいうのに。
にっこり、笑むと立ち上がって、手を洗いに行く神尾を関と鷹城が思わず見送る。
「…――――あれは何だ」
「そうそう」
関の問いに、大きく鷹城が幾度も頷いていうのを、関が睨んで。
それに、滝岡が答えかけて。
機嫌悪く目を眇めて、鷹城の襟首を掴んだまま立っている関をみて、滝岡が首を傾げる。
「関、おまえ、…――――昨夜は徹夜か?」
「…――――何でわかるんだ?」
機嫌悪くいいながら、鷹城の襟首を掴んだまま無造作に隣のテーブルから椅子を引き出して座る関に。
「せ、関!苦しいってば!いい加減放してよ!逃げないから!」
鷹城が抗議するのに、ようやく関が手を放し、それに大きく息を吐いて喉許を緩めてから鷹城も椅子を出して座る。
そして、鷹城が思わず驚いている前で、席に戻った神尾が、のんびりご飯を食べ始めるのに。
「…――――――」
突然、眠り始めた関にも、まったく気にすることなくマイペースで、滝岡の向かいに座り、神尾がのんびりと御飯を食べているのを思わず鷹城が観察する。
その視線にも、まったく気にせずに。
―――おいしいですねえ、このすぐき漬け。
神尾が、美味しく麦御飯とすぐき漬けを食べて、焼き魚をほくほくと食べている前で。
滝岡もまた、焼き魚をうまそうに食いながら、関に提案する。
「昨夜徹夜したなら、ここで休んでいくか?どうせ、こいつを送るまで頼まれてるんだろう」
「…―――僕は一人で帰れます、…」
「助かる。一寝入りしたい、…。流石に疲れてな」
「わかった、…。当直室は使うからな、…――院長室はどうだ?後は、少しうるさいが医局だな。どちらがいい」
鷹城の抗議はまったく聞かず、味噌汁をうまそうに食って、箸休めにまたすぐきをとって、麦飯をうまそうにくちに運ぶ滝岡を前に。
椅子の背を前に座って、両腕を椅子の背に組んで、その上に頤を乗せて眠りそうな関に。
そーっと抜け出そうとしている鷹城に。
滝岡が背を向けたまま、短く云う。
「秀一、再診受付が始まるのはまだ先だぞ?大丈夫だ、予約入れといてやるから。一番先に診てくれるぞ?」
「…――――えーと、にいさん、…。ダメでしょ?そういうのは。身内だからって、順番とか、ほら、ちゃんとロビーで待たないと」
「…逃げ出す患者さんには、丁度いい処置だろー、しゅーいちくん?…ってか、たかじょーくん、あんた、おれの世話になったときには、随分と手が掛かったんだがねえ、…。努力を無にしないでくれる?ねえ、たきおかせんせー」
たらっと気が抜けた顔で、ふらふらと歩いてきた永瀬が、食堂のおじさんに、おれ、いつもの、とふらりと手をあげてリクエストして関が椅子を引き出した前に座るのをみて。
神尾が挨拶して様子を訊ねる。
「永瀬さん、お疲れ様です。どうですか?」
「…――あー、うん。予定通り帰れそうかな。…あんたも大変だなあ、関さん。このいうこときかない患者のお守り?」
「…お守りだ、…子守ともいうな、…ねむい」
もう目を閉じていう関に、朝定食を運んで来てくれた食堂の人に礼をいって。永瀬がだらりとして、同じく眠りそうな感じで茶がゆをすする。
「うめえ、…。ありがたいねえ、…めしだ」
うまそうに笑んで永瀬がすする茶がゆをみて、ふと滝岡を振り向いて神尾が感心する。
滝岡が、逃げようとしている鷹城の肩を、きれいにつかんでいるのに。きれいに膳に箸を揃えて置き、座る姿勢も殆ど変えないままで。
「秀一、おまえ、今日は血液検査もあるからな?一通り検査をして、午前中には全部終わるから。いま、予約しておいた」
に、と滝岡が笑んで、持ち歩いている小型の機器に表示される予約スケジュールをみせて鷹城にいうのに。
「…―――あの、だから、僕はね?子供じゃないんだから、予約もちゃんと自分でするし、他の患者さんに、ほら、だから、不公平でしょ?」
他の患者さんは朝早くきて待ったりされてるんだから、と主張する鷹城に頷いて。
「確認したが、おまえの予約は既に先に診察を受けたときに行われていた。おれがしたのは、予約の通りの時間に診察を受けるという確認だけだ。すっぽかさずに、今日ちゃんと検査を受けるというな?」
「…――――進んでるなあ、システムって、…予約、先週にしましたっけ?」
空を向いて、あれ?と首を傾げている鷹城に滝岡があっさりと。
「おまえ、先週の予約をすっぽかして、先々週に診察受けたのが最後だろう。…その際の予約更新を、院長がしておいてくれたようだな」
「だから、その、身内の診察を優先したりするのって、よくないと思うんだって」
「…―――――あまり検査をさぼり続けるようなら、おれが職場に出張診察にいくぞ?エコーとか携帯型の診療機器のテストを幾つか医療機器関係の処から頼まれててな」
「…―――そ、それだけは、…あのっ、」
にこやかに鷹城に提案する滝岡に、焦る鷹城を面白く神尾がみている前で。
「それくらいやってもいいと思うぞ、…。―――おまえの処の院長、徹夜明けの人間も容赦なく使うんだからな」
椅子の背に組んだ腕に突っ伏して目を閉じたままぼそぼそという関に、滝岡が視線を向ける。
「おまえ、運転はしてないだろうな?」
「当然だ、…。できるか。職場の奴等に送らせた。…職権乱用だ」
「乱用だよね、よくないとおもう」
「…おまえがいうか?」
関が半分身を起こして、胡乱な眼でいうのに、鷹城が、べーっとあかんべをする。
「…――――」
ちょっと驚いてみている神尾に、永瀬がぼそぼそという。
「―――なれた方がいーぞ?こいつら、いつもこんな感じだからなー、しかし、しゅーいちくん、…。おれとしては、何とか外に出した身体を粗末に扱ってほしくないんだけどねえー」
永瀬が鷹城にいうのを驚いてききながら、滝岡に向き直る。
「あの、…。いつもなんですか?」
「…―――ああ、こいつら、いつもガキの頃のままでな」
いいながら、どうやら完全に自分は数に入れずに話して食べ終えた定食を手に席を立つ滝岡に、どうしたものかと思いながら神尾も席を立つ。
食器とトレイを返却しながら、神尾が滝岡に声を顰めて訊く。
「永瀬先生が診られていたということは、…――――」
「ああ、…あいつか。この間死に掛けてな」
あっさりという滝岡に驚いて思わず手が止まる。
その神尾の手からトレイを取って返しながら。
「…―――右足首に怪我をして、放置されたままになっていて、―――意識を喪失していてな。…その後、一時腎障害が出て、いまも様子をみている。病院が嫌いでな」
「それは、…――――」
神尾が、永瀬がまるで因縁をつけるように、半分寝ているような顔で鷹城に文句をいうのと、それに半ばふざけるように抗議しているのをみながら。
明るい鷹城の様子からは、深刻な怪我を負ったことなど、まったくわからないが。
足首のテーピングと、瘢痕が他にみられないことからして、受傷範囲は限局されるんでしょうが、と考えて。
――意識の喪失というのは、…。放置?
受傷がそれほど大きなものでは無くとも、放置されれば出血が起こり、失血死が起こり得る。それに、腎障害――傷を負うことで、身体が反応して起こる、さまざまな化学物質の放出は、時に毒物を作り出し、身体に最悪の事態を引き起こす。
それに、腎障害が起きたということは、…相当時間放置されて、受傷部からの炎症物質が腎臓に障害を、…。―――
厳しい顔でふざけている鷹城と永瀬の方をみる神尾に、肩を軽く二度、滝岡が叩く。
「…犯人はつかまったんですか?交通事故か何か?」
「…――ありがとう、有難い事に、捕まったよ」
滝岡の言葉に、少し息を吐く。
「そうですか、よかった、…。それにしても、よく回復されましたね」
「…ああ、―――本当にな。…」
滝岡が暫し沈黙して寝ている関に、ふざけている永瀬と鷹城を見守る、その隣で。
腎障害が起きるほど、放置されていたということは。
手術中、そして手術後にも腎機能――腎臓の働きについては、慎重に観察される。何故なら、事故や何かにあって受傷した際に、身体に毒物となる物質が出たものが血流と共に流れ込むのは腎臓だからだ。
腎臓は、普段身体の中で必要がなくなった代謝物質――老廃物と呼ばれる――を身体の外に尿として排出する働きをしている。
しかし、受傷時など、あるいは、手術もまた大きな傷を作るという点で同じことなのだが、―――そうしたときに、腎臓の処理能力を超える量が押し寄せると、腎臓は壊れる。
そして、壊れた腎臓を修復する技術は、いまの医学にはまったくない。
壊れた腎臓に対して出来ることは、その仕事量を減らす、つまりは仕事量や運動量を減らす、あるいは食事の塩分量などを減らすという、極消極的な対症方法だけだ。
それはつまり、例えば、壊れた機能がどれだけかに従い、出来ることが、それまでとは異なる範囲に制限されるということを意味する。
滝岡がしずかにくちにする。
隣で、神尾がそれを聴く。
「…――おそらく、後遺症は残る。本人も解っているが、…理解していても無理をしたがってな」
「お仕事は何を?」
「――――…俺達や関と一緒で、やろうと思えば幾らでも残業が出来る仕事になる。…殆どデスクワークになるそうなのは救いだが、…」
「残業はまずいですね。業務を減らす事に関して、勤務先では理解があるんですか?」
仕事量を以前と同じにする訳にはいかないということについて、理解のある仕事場ばかりではない点について、神尾が訊くと。
「それがな。勤務先は理解があるそうだが、本人に理解が無い」
「…―――最悪ですね。睡眠はきちんととれているんでしょうか?」
運動量についで睡眠は腎機能を保つ為の重要な要素になる。それを踏まえて訊く神尾に滝岡が嘆息して。
「普段は関がみてくれてるんだがな、―…。関が忙しい先々週から今日まで、恐らく無茶のし放題だったんだろう。だから、逃げ回ろうとしてるんだ」
「…――――」
無言で神尾が滝岡から離れて、鷹城に歩み寄る。
真直ぐ鷹城の前まで歩いていく神尾を、滝岡が興味深げに見守る。
目の前に立った神尾に、鷹城が顔をあげる。
「えっと、はい?」
「こんにちは、神尾です。」
「はい、…かみお、さん?神に尾っぽの尾で、神尾さんですか」
神尾の下げている職員証をみながらいう鷹城に、にっこりと微笑んで神尾が屈み込む。
「鷹城さん」
「はい」
鷹城の美形といっていい、すっきりとした容貌に。ちょっと何処かぼんやりとした雰囲気ながら、神尾もまた、美形といっていい容姿であるのに永瀬が気づいて感想を漏らす。
「なんか、お人形さんみたいだね、お二人さん」
美形の二人が向き合っているのに、永瀬が感想を。
関が完全に腕につっぷして眠っている。
にこやかに神尾が鷹城に視線を合せて。
「逃げ回っていたら限界に合わせて仕事をしようにも、できなくなりますよ?」
「…――――」
滝岡が神尾の言葉を聞いて僅かに眉を寄せる。
鷹城が不思議そうに神尾を見上げる。
「あなたは仕事が好きかもしれませんが、その仕事でぎりぎりまで頑張りたいというときには、いま自分の身体が何処まで出来るかのデータを掴んでおかなくては、本当に限界まで動くことはできませんよ?…必要なときに、倒れることになってしまいます。…本当に限界まで、働きたいのならですが」
優しげに穏やかな調子でいう神尾に。
鷹城が座りなおして、きちんと姿勢を正して。
「倒れるまで働きたいのでしたら、…どこまで動いたら倒れるか、客観的なデータを掴んでおくべきです。違いますか?」
鷹城さん、という神尾に、こくりと頷く。
「わかりました、…。検査受けます」
「…――――」
神尾が無言で頷いて、屈み込んでいた姿勢を戻すのに。
「…―――――」
大股で歩み寄り、滝岡が無言で溜息を吐いて、神尾の肩に手を置いて振り向かせる。
「神尾」
「…―――はい」
外へ連れ出す滝岡に、何も云わずに従う神尾を永瀬が少しあきれた風に見送って。
「おにいちゃんに、あんまり心配掛けるなよ、しゅーいちくん」
「…永瀬さんも、その呼び方やめてくれます?…まあ、反省はしてます」
永瀬と顔を見合わせて、鷹城が殆ど同時に眠る関をみる。
そして、同時に大きく溜息を吐いて。
食堂の外へ出て、滝岡が少し神尾の肩を掴んでいた手に力を入れる。
「…神尾、…――――」
目を瞑って、神尾の肩に額を落として云う滝岡に。
「すみません、…―――」
「いや、」
云い掛ける神尾を滝岡が遮る。
「いいんだ、…。唯、ああいう言い方は、あの方があいつには効くのはわかってるんだが、…―――きついな、…―――――」
「すみません、滝岡さん」
「…それと、だ」
堪えたようにいう滝岡に、神尾が謝る。それに、顔をあげて軽く息を吐いて。
「…――――関が、いるときには二度と、ああいう風には云わない方がいい。起きて無くて本当に良かった、…」
ふう、と本気で疲れたように肩を落としていっている滝岡に驚いてみる。
「あの、せき、さん、ですか?」
「そうだ。…物凄く過保護でな。…秀一が倒れるまで仕事をするのは、あいつだって解ってるが、…。認めたくないんだな。あいつは、秀一が無茶しようとすると、烈火の如く怒るからな。うるさくてかなわんぞ?」
「…うるさい、んですか?」
無言で滝岡が頷く。
「…重度の過保護でな。あいつは、おれの方が過保護だとかいうが、絶対に向こうだ」
いいながら食堂の中に戻る滝岡をみて。
――――あちら、の方は解りませんが、…。
どうも、見た限りでは滝岡さんもかなり過保護なのでは、と思う神尾の意見は。
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