第2話.武勇伝を話した方がいいかな?

 声をかけると、紳士は店内に並べられている調度品には目もくれず、まっすぐにハリエットの目の前にやって来た。


 彼は足を止めると、片手を差し出しながらにこやかに微笑む。


「はじめまして、お嬢さん。僕はアルフレッド・ホーントーン。君のお兄さんのジェラルドから紹介を受けて、本日はお邪魔しました」


 聞き取りやすい良い上品なアクセントの中にごくごく僅かな訛りを感じ、ハリエットは戸惑いながら頷いた。


「え、あ、はい。あの、ご丁寧に、どうも。って、兄のジェラルドが…?」


 言葉に詰まりながらも、ハリエットはできるだけ仕事用の笑顔で応じた。兄の友人をとして迎えるべきか、客として迎えるべきか、不覚にも一瞬迷ってしまったからだった。


 戸惑いつつも手袋を嵌めたままの自分の手を彼の手に重ねると、骨ばった大きなその手が、しっかりと、けれどあくまで柔らかく包み込んでくる。


 アルフレッドと名乗った青年は、人好きのする子供っぽい笑顔のまま話をつづけた。


「アストリカからオルデンへ向かう船で君のお兄さんと出会ってね。そこで仲良くなったんだ」


「兄と、船で…」


 ぴくり、とハリエットの右頬が波打つ。


 ハリエットの兄、ジェラルド・マルグレーンは非常に優秀な家具の修復士兼、宝石鑑定士兼、買い付け人である。いつもは父と共にあちこち仕入れに行くのだが、今回は海を隔てて遥か彼方の新興国、アストリカへ赴くということで、老齢の父の体力を心配し兄一人で赴くこととなった。


 兄はハリエットと同じく亜麻色の髪、琥珀の瞳という外見で、妹の自分が言うのもなんだが「みてくれだけ」は文句なしに上等だ。性格も明るく社交的でさっぱりとしているので、男女問わず人気者である。


 ただし、自由奔放過ぎる性格が災いして様々なトラブルを引き連れてくる。それに、二七歳にもなって嫁も取らずふらふらとしている為、母に「孫はまだか」と口煩く心配されているのである。基本放任主義の父は、好きにすればいいと放置気味であるが、母とハリエットは「早く身を固めて落ち着いて欲しい」の一心であった。


 兄がこれまで引き起こした数々の、気絶したくなるレベルの騒動を思い出して、ハリエットは口の端が痙攣しそうになった。


「ジェラルドは本当に親切ないい人で、初めて会ったとは思えないほど息が合ってね。船での半分以上の時間を彼と一緒に過ごしたかな。港に着いたら妹に手紙を出すと言っていたから、僕のことも書いたと思うんだけど、どう?」


 そういえば、とハリエットは脳内で兄が書いて寄越した数々の手紙の内容をちらりと思い出す。オルデンからアストリカに向かう船の中で書かれた手紙や、現地に到着してから買い付けを行い、再び船に乗って戻ってくるまでにいくつも送ってくれた。


 その中にはよく登場する名前があって、それがどうやら目の前の人物らしい。


 なるほど、この人が兄の新しい親友か。と、ハリエットは心の中で両手を打った。


 兄が旅先から最後に寄越した手紙には、目の前の「彼」のことだと思わしき事柄がたくさん書かれていた。買い付けの話よりも、「フレッド」なる人物のことばかりが触れられていた。手品師のように手が器用とか、次から次にやってくる女性と船室の影に消えていったとか、横柄な貴族を巧みな話術で言い負かした話などは、下手な三文小説より面白い内容だった。


「あなたが兄の手紙のフレッドさんですか。お噂は兄の手紙で予々かねがね。兄が大変お世話になりました」


 ジェラルドは商売上人当たりもいいし、会話力も高い。初対面で他人と仲良くなるなんて朝飯前だし、気安い性格の為、友人は多い。


 けれどと呼べる部類の人間は少ない。


 家族を何よりも大切にするが、敵には一切容赦しないし、表面的な行動による対外的な性格に反して、至って慎重で疑い深く気難しいところもある。


 その兄が、ベタ褒めでなんて書いて寄越したものだから、母と二人で「とうとう頭がおかしくなったかもしれない」と顎を落としたほどだ。


 とはいえ、気心の知れた友人ができるのは良いものだ。類は友を呼ぶというから、どうせ兄と同じ朴念仁に違いない、とそう思っていたのに。


 その兄の親友だという青年が、目の前の、


 どこの映画俳優だ、というほどの整った美貌の、


(実は同姓同名の別人と間違えてる、ってことは、ないわよね??)


 疑うような視線に気づいたのか、アルフレッドは苦笑気味に目を細めて、軽く笑った。


「僕たちの武勇伝を話した方がいいかな?」


「あ、いや。お気遣いは結構です」


 これ以上心痛で胃がキリキリしてなるものかと、ハリエットは笑顔のまま丁重にお断りした。


 ただでさえ、兄がこしらえたで頭が痛いのに、これ以上心労を増やしたくない。


 ハリエットはアルフレッドに気づかれないように心の中で小さく嘆息した。


「僕はニューワート港で先に降りたから、その後連絡は取ってなくてね。ジェラルドは元気?」


 、とハリエットは口の両端を引き上げたままの状態でしばし固まった。


 手先がやや「器用すぎる」兄が、船内の「賭場」で「何をして」小金を稼いだのか―――。


 挙句、乱闘騒ぎになり、着港するまでの期間、物品倉庫に押し込まれていたと聞かされた時の母の表情と言ったら、悪魔も卒倒するほどの形相だった。さらには、船を降りるや否や警察のご厄介になろうとは、誰が想像しただろう。


 その「兄」の友人だと名乗るこの男性。


 ―――実に、怪しい。


「兄は、えっと、元気です。


「多分?」


「ええと、実は、私もまだ直接会ってはいなくて。その、えーと、なんというかですね。途中寄るところがあって回り道、じゃなくて寄り道をしたみたいで。今日、そろそろ帰ってくる予定なんです」


 である、父と。


 予想を超えたトラブルメーカーの兄がアストリカからの買い付けの帰り、オルデンへ向かうニューワート港から終点のファイサリオン港へ至る船便でどんな事態を招いたのか。


 リビングの扉を開いた時の様子がまざまざと瞼の裏に蘇り、ハリエットはぐっと眉間にしわを寄せた。


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鑑定士ハリエットとガーネットの指環~「呪い」なんて、この世に存在しません?~ 雲井咲穂 @ishino

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