第9話 学園と侍女

ルーが教室に入ると室内がしんと静まり返った。愛らしいマヤに見惚れているのだろうとルーは気にせずいつもの席に座る。マヤはその後ろに座り、ルーが授業の準備をしていると近づいてきた同級生の令嬢たちに取り囲まれた。


「昨日お話されていた黒髪の御方はお知り合いですの?」


そう尋ねられてようやくアレクシスが学園を訪れていたことを思い出した。あの時はあんなに周囲の目を気にしていたのに、家族のことばかり考えていたためすっかり忘れていたのだ。


(知り合いだと言えば根掘り葉掘り聞かれることは免れないから避けたいのだけど……)


周囲が耳をそばだてているのが分かるし、目の前の令嬢たちの目は真剣そのものだ。下手な言い訳で誤魔化せそうになく、メリナがアレクシスのことを吹聴すれば余計に拗れる可能性がある。それでも番であることは出来れば隠しておきたい。


(……そういえばアレクシス様は家族の前で私が番だと言わなかったわ)


ルーが番になりたくないと言ったから黙っていてくれたのではないだろうか。ルーの意思など無視してくれれば嫌いになれたのに、アレクシスはやはりルーに甘いのだろう。


「ミーナ様の質問に答えてくださらないの?」


隣にいた令嬢が焦れたように声を上げて、非難の眼差しを向ける。説明に困るルーを助けてくれたのはマヤだった。


「それについてはルー様からお答えできることはございませんわ。あの御方に関する情報を望むのであれば相応の対価が必要になりますが、その覚悟はおありでしょうか?」


マヤの言葉に周囲が再び静まり返る。マヤの言葉は重く、その表情も同年代の少女とは思えないほどの威圧を感じさせるものだ。


「……もう結構ですわ」


そう告げて足早に立ち去る令嬢たちを見て、マヤは再び席に着いた。その後ルーとマヤに近づく勇気のある者はいなかった。


「ルー様、昼食を準備してまいりました。お天気もよろしいことですし、中庭でお召し上がりになりませんか?」


そう提案してくれたのはルーを気遣ってのことだろう。ルーに話しかけてくる者こそいないものの、好奇の視線は依然として尽きない。

食堂を利用する生徒が多いため、中庭にはほとんど人もおらずルーは無意識に安堵の溜息を吐いていた。


「お疲れ様でございました。食べられないものがございましたら、残して結構ですのでどうぞ」

「……ありがとう、マヤ」


バスケットの中には一口大のサンドイッチやマフィンの他に冷めても美味しいおかずにデザートまでぎっしりと詰め込まれている。

その中から手際よく皿に盛りつけルーに渡したのは、遠慮する隙を与えないためと考えるのは穿ち過ぎだろうか。

これだけで普段の一食分ぐらいの分量だと思いながらも、一口食べれば美味しさに頬が緩む。


「お好きなだけ召し上がってくださいね」

「うん。マヤも一緒に食べよう。このベーコン……すごく美味しいわ」

「ありがとうございます。父も喜びます」


昼食を用意してくれた料理長はマヤの父親らしい。料理についての話題からお互いの好きな食べ物などを語り合い、久し振りに楽しい食事となった。


残してしまうのは申し訳ないと思っていた昼食だが、ルーが満腹だと分かるとマヤがぺろりと平らげてしまった。あんな小さな身体の何処に入るのだろうと本気で考えてしまったルーに対して、ルーはもっと食事を摂るべきだとマヤに強く主張された。


「お嬢様、お下がりください」


和やかな雰囲気から一転、マヤは鋭い視線を向けながらルーを背後へと庇う。そんなルーたちの前にやってきたのは、メリナと仲の良い伯爵令息たちだ。


「ご令嬢、エメリヒ男爵令嬢に用があるので済まないが外してくれないか。貴女は編入生だから知らないだろうが、彼女は見目だけでなく心根も醜い女性だ。関わらないほうがいいだろう」


一人でいる時は気にならないのに、マヤの前でそんな風に悪し様に言われると羞恥に居たたまれなくなる。


「マヤ、ごめんね。先に戻っていて」

「そのお言葉には従えません。申し訳ございませんが、暫しお待ちください」


声を潜めてそう言うと、マヤは令息たちに向きなおった。


「私はルー様の侍女ですのでご用件なら私が承ります」

「は……?主と同じ学園に通う侍女なんて聞いたことがないが、まあいい。使用人なら分を弁えてさっさと失せろ」

「碌な用件ではないようですのでお引き取りください、バルテン伯爵令息」


初対面のはずなのに名前を言い当てられて、バルテン伯爵令息は目を丸くしている。


「私はとある御方のご指示でルー様の侍女となりました。ルー様への侮辱行為は全てその御方に報告させていただきますので軽挙妄動は慎んだ方がよろしいかと」


屈辱に顔を赤らめながらも言葉に詰まらせた令息の背後で、他の令息令嬢はどうするべきかとお互いの顔を見合わせている。

獣族であろう人物が関与していると察しているため強く出られないのだ。


「っ、他人の権力を振りかざすとはみっともないことだな」


ルーだけでなくマヤをもあてこすった言葉にルーは拳を握り締めたが、マヤはにべもなく言った。


「何を仰っているかご理解しておられますか?自分では何も為したことのない子供が父親の権力を振りかざすのも同じことでしょう」


鋭い切り返しにバルテン伯爵令息は今度こそ顔を真っ赤に染め、無言で踵を返すとみんなも後に続いて去っていった。


「嫌な思いをさせてごめんなさい」


ルーと一緒にいなければあんな風に言われることもなかった。そもそもルーが適切に対処出来ればマヤを矢面に立たせずに済んだのだ。


「お嬢様が謝ることなど何一つございません。私のほうこそあの阿呆の口をすぐさま塞ぐことができなかったことを反省しております」


何だか少々乱暴な言葉が聞こえてきたが、済ました顔のままで言うものだから何だか可笑しく思えてくる。


「ふふっ、マヤったら。庇ってくれてありがとう」

「お嬢様を護ることは私の役目ですから」


生真面目な口調だが、少しだけ雰囲気が和らいでいる。


(私もマヤを見習わなければいけないわ)


どうせ伝わらないからと諦めて言われるままの状態だったルーにも非はあるだろう。これまでの自分を反省しつつ、ルーはそう心に誓ったのだった。

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