第8話 不安定な心
キューと鳴く声には力がなく、まるで悲しんでいるように聞こえる。だが今のルーにそれを気にする余裕はない。
家族に、妹に捨てられてしまったのだ。正確にはまだ確定ではないが、それも時間の問題だ。
(一緒にいたかっただけなのに、どうしてこんなことになってしまったの……)
幸か不幸かお父様はアレクシスに会った瞬間に失神してしまったらしく、家を出たルーは彼がどんな反応を示したか分からない。
きっと知らなくて良かったのだと思おうとするたびに、熱いものが込み上げてきてきつく目を閉じて振り払う。
(捨てないで……役に立つから。もっと頑張るから。お願いだからどうか――)
部屋の隅で膝を抱えながら誰にともなく祈る。いつだってルーの望みは叶わないけれど、それでも願わずにはいられなかった。
「ルー、少しでいいから食事を摂ろう。食べたいものを教えて。何でも用意してあげるよ」
膝を抱えた腕が解けないように力を入れて、ルーは顔を伏せたまま首を振る。アレクシスが悪いわけではないと分かっている。
乱暴に扱われている場面を見てしまったのだから、善意で保護を申し出てくれた。それでもルーを家族から引き離すきっかけになったのはアレクシスなのだ。
色々な感情が入り混じって、ルーはアレクシスの顔を見たくなかった。顔を見て口を開けば、自分でも何を言ってしまうか分からなかったが、彼を傷付けてしまう気がしたのだ。
すんと鼻を鳴らすと切なさの混じった声で名前を呼ばれた。きっとルーが泣いていると思ったのだろう。
以前は人前で泣くことなどほとんどなかったのに、アレクシスに会ってから自分はどこか不安定なのだ。
一人になりたいのにアレクシスがまだ傍にいる気配がする。少しだけ顔を上げるとそれに反応したようにアレクシスが膝を折る。
「ルー」
呼び掛けから逃げるようにルーは俯いたまま立ち上がり、薄紫の瞳から視線を逸らすとクローゼットに駆け込んだ。大量に並ぶドレスを掻きわけて、身を隠すように小さく身体を丸める。
それ以上アレクシスが追ってくることはなく、埒もないことを考え続けているうちにルーは眠りへと落ちていった。
それなのに目を覚ましたルーは何故かベッドの上にいた。
運ばれても気づかないほどに深い眠りについていたことに呆然としながらも、もしかして今がチャンスなのだろうかという考えがよぎる。
長年の習慣で早朝に目を覚ましたため、今ならこっそりと抜け出すことが可能ではないだろうか。
以前お世話になった部屋と同じところに通されたものの、窓辺にあった大木は姿を消していた。ルーが部屋から脱走したせいで切り倒されたのではないと信じたい。
屋敷を抜け出したところで家族が受け入れてくれるか分からないが、お父様たちがルーをどうするか決定する前にもう一度機会を与えてくれるよう嘆願することは出来る。
意を決してベッドから下りたルーだったが、すぐに扉を叩く音が聞こえてぎくりとした。
「お嬢様、おはようございます。このたびお嬢様のお世話を任されましたマヤと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」
ルーよりも小柄な少女は、可愛らしい顔立ちをきりりと引き締めて丁寧に頭を下げた。
「……あの、私に侍女なんて結構です。身の回りのことは自分で出来ますから」
「ご主人様より仰せつかりましたので、不要だと言われますと私は馘首にされてしまうかもしれません」
「え……そんなこと……」
なくはないかもしれないと思ってしまった。そんなルーの内心を読み取ったのか、マヤはテキパキと着替えの準備を始める。
「本日は学園に通われますか?私がお側に付くことが条件になりますが、お嬢様がお望みでしたら構わないとご主人様が申しておりました」
学園のことなどすっかり頭から抜け落ちていたが、許可が出るとは思っていなかった。きっと家に行くのは許されないだろうが、学園でメリナに会えば話を聞くことは出来るだろう。
「行きます。お手数をお掛けしますが、お願いしてもいいですか?」
「もちろんでございます。お嬢様、私には敬語は不要です。ご主人様に叱られてしまいますので」
そう言われると敬語を使うことは出来ず、ルーはその後もマヤに誘導されるように食事を摂り身支度を整えたのだった。
目立ちたくないというルーの意向を汲んだのか、少し離れた場所で馬車を降り、ルーはマヤとともに学園へと向かう。
実年齢は不明だが、マヤも同じ制服を着用しており、転入生という扱いでルーと同じクラスに編入となるらしい。
転入だけならともかくクラスまで選択できるとなんて、どれほどの圧力を掛けたのだろう。
(アレクはもしかしてとても身分が高いのではないかしら……)
「マヤ、アレクシス様は何族なのかしら?」
相手の種族を訊ねるのはマナー違反ではないが、番を拒否することばかり考えていたためルーはそんな基本的なことすら聞いていなかったのだ。
「……ご主人様がお伝えしていないことを私から申し上げるのは僭越ではございますが、竜族でいらっしゃいます」
「……竜族」
竜族は獣族の中でも別格と言われるほど最上位の存在だ。彼らは楽園といわれる南の自領地に留まっていることが多く、それ以外の場所で目にすることは稀だと言われている。
唖然とするルーにマヤは少し困ったように眉を下げて言った。
「それ以上のことはどうかご主人様にお尋ねくださいませ。お嬢様の質問には何でもお答えくださると思いますよ」
聞いてしまえば引き返せないのではないか。そんな思いがよぎり、ルーは曖昧に笑って誤魔化したのだった。
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