第7話 報いと提案
どさりと何かが倒れる音がした。入口のほうから聞こえてきたはずだが、アレクシスの圧倒的な存在感に目を逸らせない。ひりつくような空気はその美貌を損なうどころか、その空気と相まってむしろ際立たせているようだ。
ルーの髪を掴んでいたはずのクルトは、深々と頭を下げてその場に跪いている。それを見てルーは今更ながらにアレクシスは何者だろうという疑問を抱いた。
「っ、……お、恐れながら小竜を盗んだ不届き者を……」
「ルー、怖かっただろう。もう大丈夫だよ。フィン、なんのために君をルーの側に置いたと思っているんだ」
クルトの言葉を無視してアレクシスはルーに声を掛ける。その口調は柔らかいがフィンに向けられた言葉に温度はなく、ルーは慌てて弁解した。
「フィンは私を護ってくれたの。だから私もフィンを護ろうとしたのだけど……何も出来なくて、ごめんなさい。フィンは怪我をしていない?……私が余計なことをしてしまったから……」
フィンは自分の身ぐらい護れたのではないかと遅ればせながら思い至って、ルーは言葉を詰まらせる。むしろルーが邪魔をしたせいで、危険に晒したような気がしてならず、独り善がりの行動が恥ずかしくて顔を上げられない。
「ルーは優しい子だね。フィンのために頑張ってくれてありがとう。でも君が傷つくのはとても……痛くて苦しいんだ。どうか自分を損なうようなことは止めて欲しい」
懇願するような声と痛みを堪えるような表情に、ルーは途方に暮れてしまった。アレクシスを嫌な気分にさせてしまったのは分かる。
目の前で誰かが傷付けられるのは良い気分ではないだろうが、込められた想いの深さがルーを戸惑わせていた。
「何故、貴方様がそのような……」
「君には関係ないよ。だけどルーへの暴行に対する報いは受けてもらおう。――フィン」
アレクシスの声に応えるように一声鳴いたフィンは、翼を広げて舞い上がるとクルトに向かって勢いよく炎を吐き出した。
「うわああああああああ!」
「きゃああああああああ!」
アレクシスの登場に固まっていたはずのメリナまでが悲鳴を上げるが、アレクシスは気にする様子もなく、ルーに優しい表情を向ける。
「ルーは見なくていいよ。他の物は焼けてしまわないようにしているから心配しないで」
アレクシスの声が聞こえているのに、理解できずに耳を通り抜けていく。目の前で人が燃えている衝撃の光景からルーは目が離せない。
「ルー、あんたのせいでしょう!何とかしなさいよ!」
(そうだわ。ぼんやりしている場合じゃない!)
メリナの言葉で硬直状態から脱したルーは、ベッドの上にあった枕を掴むと床を転がっているクルトに叩きつける。
水を取りに行く時間がないので、少々手荒になるがそこは我慢してもらうしかない。
再度枕を振りかぶったところで、突然火が消えた。ところどころ焦げた服や火にあぶられて真っ赤になった肌が痛々しいが、命に別状はなさそうだ。
「ルーへの仕打ちを考えればこの程度では済まされないけれど、ルーが望まないならこれで手打ちにしよう」
少しだけ不満そうに告げて、だけどルーを見て柔らかく微笑む男にどんな感情を持てばいいのか分からない。分かっているのはルーの所為でクルトを、メリナの婚約者に怪我を負わせてしまったということだ。
そしてそれはルーの立場を著しく悪化させるものである。
「お待ちください!何か誤解があるようですわ。クルト様はただその子を保護しようとしただけですの」
先ほどまでの動揺が嘘のように、メリナは潤んだ瞳をアレクシスに向ける。胸の前で手を組み訴えるような眼差しは庇護欲と同情を誘う。
アレクシスも他の人達と同じく、メリナを信じるだろうか。
そう思ったのは一瞬で、アレクシスはメリナに温度のない一瞥を投げると、すぐにルーのほうを向いて表情を和らげる。
「ルー、私と一緒においで。こんな危険な場所にルーを置いていくわけにはいかない。ルーの気持ちが変わるまでいつまでも待つけれど、君が傷つくのは嫌なんだ」
ルーの身を案じての提案だとは分かっているが、それに頷くことは出来ない。家を離れれば、ここにいなければルーは家族でなくなってしまうのだから。
「お姉様とはどのようなご関係なのですか?……あまりこのような事を言いたくはありませんが、お姉様は人の関心を引くために嘘を吐く癖がありますの。ご迷惑をお掛けしてないと良いのですが……」
表面上はにこやかに話しかけているが、自分に見向きもしないアレクシスにメリナが内心苛立っているのが分かる。目の前でクルトが燃やされたのに諦めることなく話しかけるメリナに、ルーははらはらしてしまう。
「嘘吐きはどちらだ。くだらないことでルーとの会話の邪魔をしないでくれ」
うんざりしたような口調にメリナの頬が朱に染まる。
「それなら出て行っていただけませんか?ここは私たちの家ですわ」
ひゅっと喉が鳴った。口の中がからからに乾いて、遠い日の記憶がよぎる。
家族に見捨てられてしまったら、一人ぼっちになってしまう。
(だから私はもう――)
「アレク……帰って。お願いだから。フィンも一緒に連れて帰って」
「ルーを一人にしておけないよ。君がここに残るなら私も護衛として傍にいよう」
必死で絞り出した言葉は間を置かずに否定されて、目頭が熱くなる。どうしてと思うのは、いつの間にかアレクシスに期待していたのかもしれない。
彼ならルーの願いを聞いてくれるのではないかという愚かな幻想。
「随分とお姉様にご執心ですわね。差し上げてもよいのですが、条件がありますわ」
血の気が引いたルーと対照的にメリナは艶然と微笑んでいる。
「待って、メリナ……」
どうしたらメリナは考え直してくれるだろう。使用人の代わりに家事全般を行ってきたし、メリナの我儘にも応えてきたつもりだが、ルーにこれ以上差し出せるものはない。
説得するための材料が浮かばず言葉を詰まらせるルーを見て、メリナは満足そうに笑う。
「まあ、お姉様ったら。折角望んでくださっているのに失礼よ。とりあえず今日はその方とご一緒なさって。お父様ともお話をしなければいけないもの」
メリナがそう言うなら従わざるを得ない。
「ルー、行こう」
穏やかに声を掛けるアレクシスにルーは俯いたまま無言で後に続いた。
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