第10話 嫉妬(メリナ視点)
一年先に生まれただけでお姉様と呼ばなければならない存在がずっと疎ましかった。
愚図で醜い女が姉であること自体が耐え難いことなのに、どうしてあんな女が竜帝に選ばれるのだろう。
気を失っていたクルトとお父様が目を覚まし、事の経緯を伝えたところ、クルトが重々しく溜息を吐いた。
「……あの御方は竜帝陛下です。お目に掛かったのは一度きりですが、あの外見と気配は間違えようがありません」
クルトの火傷は軽かったものの、未だに血の気が引いた青褪めた表情だ。まるで怯えているかのようで、あんなに頼りがいがあった自慢の婚約者が急につまらないものに見えた。
(それに比べて……とても素敵な方だったわ)
あの男性は恐ろしくはあったものの、気品があり優雅な仕草と鮮烈な美貌は魂ごと奪われてしまいそうなほどだった。
獣族の頂点とも言うべき竜族の中で、比類ないほどの力と知性の持ち主である竜帝のことは、知識としては知っていたものの、御伽話のように思っていた。そんな存在が突如として目の前に現れたのだ。
それなのに、その菫青石のような瞳はルーにだけ注がれていて、その微笑みは一片たりともルー以外に向けようとしない。
誰からも愛されるメリナがいるのに何故ルーごときにそんな顔をするのか。
気づいていないのだろうかとメリナが話しかけたのに、道端の石ころでも見るような目を向けられ、しまいにはくだらないとまで言われたのだ。
どれだけ特別な相手であっても、自分を粗略に扱うのであれば価値がない。
腹立たしさにさっさと立ち去るように告げれば、ルーの表情が一気に変わったのを見て少しだけ気分が晴れる。
両親から愛されず誰にも必要とされないのに、必死に家族の輪に加わろうと足掻いているのだ。使用人のように働いてまで認められたいと考えているようだが、汚らしい髪色が一生変わらないように、ルーの立場も変わることはない。
ルーを譲るとは言ったものの、何かと理由を付けて先延ばしにしようと考えていた。竜帝ともなれば莫大な財産を持っているはずだし、あれだけ気に入っているのであれば大抵の要望は叶えられるだろう。
そう思っていたのに、ルーを早々に手放すべきだと主張したのはクルトだ。
「あの御方は明言されなかったとはいえ、あの扱いから見て恐らく番と見て間違いない。公正な御方だそうだが、その逆鱗に触れれば一族郎党ばかりか下手をしたら国ごと処罰の対象となる恐れがある」
番はありふれたものではなく、奇跡に近い特別な存在なのだ。
そんな番の中でも、最も高貴で偉大な竜帝の番にルーは相応しくない。番を得た獣族は貴族であっても愛人などを持たず、伴侶とした番だけを一生愛し続ける。
竜帝の番になるということは、将来の竜妃だと言っても過言ではないだろう。
(あのルーが私より上位の存在になる……)
耐え切れないほどの不快感がせり上がってくる。そんなことは到底認められるはずがなかった。
「……お姉様はきっと私たちを貶めようとするわ。クルト様……私、怖い」
両親は欲望交じりの顔から、これまでのルーへの扱いを思い出したようで渋面を浮かべている。一方クルトは、涙を浮かべて身体を寄せたメリナの肩を優しく撫でるばかりでピンときていないようだ。
勿論クルトの前ではルーへの言動を控えていたし、姉に嫉妬される可哀想な妹として振舞っていた。だがそんな意地悪な姉ならば権力を笠に着て理不尽な真似をするかもしれないという懸念を覚えないのは減点だ。
狼族であり騎士であるクルトは少々高潔な傾向があるらしい。
(優秀とはいうけれど、案外大したことのない男なのかもね)
クルトへの失望が増せば増すほど、ルーへの苛立ちが強くなる。どうにかしてルーをあの方から引き離さなければならない。
「ねえ、クルト様。お願いがありますの」
僅かな不安と疑念が混じった眼差しに気づかない振りをして、メリナは無邪気さを装ってクルトにあることを強請った。
「……お姉様はやっぱり私を避けていらっしゃるのね」
翌日、学園でルーに探りを入れるべく接触する予定だったが、傍にいる侍女に邪魔をされたらしい。侍女ごときに追い払われるとは使えない連中だ。
「せっかくみんなが足を運んでくれたのにごめんなさい。でも……お姉様に会えないなんて、私どうしたら……」
「メリナ、俺たちでよければいつでも力になるから何でも言ってくれ」
メリナが涙を浮かべると、バルテン伯爵令息が自信満々な様子で告げる。ルーを連れてくることすら出来なかったのに、と呆れながらもにっこりと笑って礼を言う。
クルトよりも劣るが見た目は悪くなく、騎士を気取ってメリナを護ってくれる便利な男。そうすることで堂々とメリナの側にいることが出来るし、かつ自尊心を満たしているのだからお互い様というものだ。
使いどころを間違えなければそれなりに役に立ってくれるだろう。
「実はお姉様が――」
ルーが幸せになるなんて絶対に許せない。
メリナの話を聞いたバルテン伯爵令息たちの反応に、メリナは心の中で暗い笑みを浮かべた。
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