第4話 お詫びの品

目を覚ますといつもの天井が見えて、ほっと胸を撫で下ろす。昨晩の出来事は夢だったのだろうかと思いながらも、テーブルの上にあるジャムが現実であることを教えてくれる。


(本当にもらって良かったのかな……)


家に帰るの一点張りで、みっともなく泣き喚くルーの扱いに困り果てたのか、アレクシスは馬車を出してくれた。アレクシスの同乗を拒み、歩いて帰ると言い張ったものの夜道は危ないと諭されて、代わりにテレサが一緒にいてくれることになり馬車の中でジャムを渡されたのだった。


どの種類がよいか分からなかったので、と種類の異なる12個ほどのジャムを渡されて固辞したものの、主の非礼に対するお詫びの品だと言われてラズベリージャムだけ受け取ることにしたのだ。


手に収まるほどの小さな壜だが、瑞々しい果実がたっぷりと入っていて艶やかなジャムはきっと高級な品なのだろう。

図々しく受け取ってしまったが、本来ルーが買えるような品ではない。溜息を吐きながらもルーは朝食の支度をするために立ち上がった。


「ルー、私のジャムは?」


テーブルの上に苺とオレンジのジャムを出していたものの、やはりお気に入りのジャムでなくては駄目だったらしい。予想はしていたのにそれでも落胆を感じながら、ルーは口を開いた。


「ごめんなさい。すぐに用意するわ」

「わざわざ買いに行ったのに、忘れるなんて本当に愚図ね」


ルーが帰り着いた頃には、両親たちは既に帰宅しており留守にしていたことで叱責されてしまった。正直に打ち明けるわけにはいかず、ラズベリージャムを切らしてしまったことを白状すれば、段取りの悪さを叱られたもののそれ以上追求されることはなかった。

結局それは自分の首を絞めることになるのだが。


「このラズベリージャム、とっても美味しいわ!」


目を輝かせてトーストを頬張るメリナに、両親もつられるように手を伸ばす。


「あら、本当ね」

「確かに美味いな」


その様子を見ながら、ルーは困ったことになったと内心焦っていた。何か良い言い訳はないかと考えていると、メリナが無邪気な声を上げる。


「これからはずっとこのジャムがいいわ」


恐れていた事態に項垂れながらも、ルーは無駄だと知りつつも口を開く。


「そのジャムは売りものじゃないから、もう手に入らないの」

「そんなの私には関係ないわ。どうにかして手に入れてちょうだい。ねえ、お父様もお母様もそう思うでしょう?」


甘えるようなメリナの声に両親は相好を崩して頷いている。


「メリナがこんなに望んでいるのに、どうしてお前はそんな意地の悪いことばかり言うんだ」

「売り物でなくてもお金を払えばいいだけでしょう?そんな簡単なことも分からないなんて本当に役に立たない子だわ」

「……ごめんなさい」


ルーにはそれ以上の拒否は許されず、ただ頭を下げることしかできなかった。



どうやってジャムを手に入れるか、授業中もずっと考えていたのに良案は思い浮かばない。可能性は低いが、空き壜をいつものお店に持って行ってどこで買えるか聞いてみるしかないだろう。


(それでも分からなくて、もしも手に入らなかったら……)


きっとメリナは癇癪を起こすだろう。罵倒され物を投げつけられるぐらいで済めば良いが、かなり気に入っていた様子だった。もしもメリナは許してくれなかったら――嫌な想像に身体が震えて慌てて振り払う。

まだ起こっていない未来を憂いても意味はないし、そもそも方法がないわけではないのだ。だがそれはきっとまた別の厄介な問題に繋がってくるだけで――。


ぼんやりと考え事に耽りながら歩いていたルーは、周囲が妙に静まり返っていることに気づけなかった。


「ルー」


艶やかでよく通る声に半ば反射的に顔を上げて、息が止まりそうになった。ルーと目が合うとアレクシスは花が開くように顔を綻ばせ、感極まったような悲鳴が上がる。

すぐ側にいた女性などその麗しさに卒倒しかけ、同じように見惚れていた友人が一瞬遅れて慌てて支えているほどだ。


つまり、この状況で名前を呼ばれたルーはかつてないほどに注目を浴びている。それはルーが望まない状況であった。


(逃げたい、けど逃げたら追いかけられそうな気がする……)


非常に気が進まなかったがルーはアレクシスの元に駆け寄ると、声を潜めて訊ねた。


「何か御用ですか?」

「うん。ルーと話がしたくて」


柔らかな眼差しから目を逸らして、ルーはこの状況を打破するために頭をフル回転させる。背中に突き刺さる視線がこれ以上増える前に、何とかしなくてはならない。


「中央図書館の歴史資料室でなら。目立ちたくないんです」


ルーは一方的に早口で告げると、アレクシスの返事も待たずに足早にその場を後にした。会話の中身は聞かれていないのだから、何とでも誤魔化しようはある。ただメリナやその友人たちに見られていないことを祈るばかりだ。


誰にも呼び止められないよう急ぎ足で進んだため、図書館に到着した頃にはルーはすっかり疲れ果てていた。

色々なことが起こり過ぎて昨夜はなかなか寝付けなかったし、悩みは尽きない。


これ以上余計なものを増やしたくなかったし、アレクシスと会うと胸がぎゅっとなる。痛いような苦しいような不思議な感覚は落ち着かず、どこか不安で泣きたくなるのだ。


(きっとあの人は何か勘違いしているだけ。番に選ばれるのはメリルのような子だもの)


そんな特別なんていらない。私はもう二度と間違えたりしないのだから。

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