第13話 何ができる?②
亜依の手術が始まってから1時間ほど経った頃、警官が事情聴取にやってきた。
「このような時に申し訳ありません。分かる範囲で構いませんので、ご存じのことを伺えますか」
俺は頷いて、警官の質問に答えていく。とは言っても、知っていることなどほとんど何もないのだが。
警官は、俺や亜依の身元の確認や、俺が現場にいた経緯、亜依の部屋にいた時に何か異変に気が付かなかったか、亜依の隣人と面識はあったか、などを訊いてきた。すべて答えるのに、10分もかからなかった。
「ご協力ありがとうございます」
俺は、立ち去ろうとする警官を引き留め、何があったのかを尋ねる。
「現在、まだ現場検証中ですが、今のところ、一之宮さんのお隣でガス漏れがあって、それに引火したのが原因という線が濃厚なようです。現時点では、これ以上は何も」
警官は、敬礼をして立ち去る。
ガス漏れ事故? なんで、よりによって亜依の部屋の家で。言いようのない怒りが、俺の中で渦巻く。
俺も、爆発のほんの10分前まであの部屋にいたんだ。例えば、もし亜依を夕食にでも誘っていれば、アイツはこんな目に遭わずに済んだんじゃないか?
考えても詮ないことだというのは分かっている。だが、止められない。
いっそ、あのまま俺も部屋に残って、一緒に巻き込まれた方がよかった。アイツだけに、こんな……。
俺は、頭を掻きむしることしかできなかった。
警官の事情聴取から更に3時間ほど経った頃、慌ただしく近づいてくる足音がした。
30代半ばほどに見える男女が、看護師に案内されてやってきた。
2人とも、憔悴した表情をしている。亜依の親族だろうか?
俺は立ち上がって、深くお辞儀をする。
「あなたは……?」
「一之宮さんの大学の同級生の月野と言います。事故が起きた時、たまたま近くにいたので……付き添いや、身元確認などを手伝わせていただきました。この度は……本当に……」
「そうか、あなたのおかげで……。ありがとう。娘が大変お世話になったようで」
2人が深々と頭を下げる。
えっ? 亜依のご両親? だとしたら、40代後半とかのはずだけど、随分若く見えるな……。
「とんでもないです。手術、まだ続いてるみたいで……」
「先ほど、看護師さんから簡単に状況を聞いたんだが……。状態は、あまり良くないようだね」
「……」
沈痛な面持ちの2人に、俺は何も言えなかった。
「無事、とはいかないのだろうが、何とか、命だけでも……」
「お父さん、あの子は強い子ですもの。きっと大丈夫」
「そうだな。今は信じて待とう」
2人は俺の向かいのベンチに並んで腰かける。
こんな時に不謹慎だが、さすが亜依のご両親だけあって、2人とも美形で若々しい。特に母親は、亜依とよく似ている。亜依が無事に年を重ねたら、将来こんなふうになるんだろうな、と思わせる風貌。その亜依の将来が、今まさに危険に晒されているかと思うと、心臓がぎゅっと掴まれたような感覚になる。
その亜依の母親が、暫し俺をじっと見たあと、声をかけてきた。
「あなた……もし違ってたらごめんなさい、ひょっとして、『薫くん』かしら?」
ん? なんで俺の下の名前を知ってるんだろう?
「え……あ、はい、そうです」
戸惑いながら、俺は肯定する。
「あら、やっぱり! お父さん、ほら、『あの』薫くんですよ!」
「ああ、なるほど、君が『あの』薫くんか」
えーっと? 『あの』ってなんだ……?
「亜依から、よくあなたのことを聞かされてたのよ。ええ、それはもう、色々と」
おい、亜依よ……一体オマエは俺のことをどういう風にご両親に話してたんだ……?
「ほんと、想像してた以上に綺麗な顔立ちね。ピアノもとっても上手だったし」
「はっ? えっ?! ええっ? あ、あの動画、ご覧になったんですか?!」
「うん、何回も。本当に楽しそうに演奏してて、良い動画だと思ったわよ」
「あ、ああ、あの、俺、決して普段からあんなカッコしているわけでは……」
「あらあら、そんなこと、気にしなくてもいいのよ?」
亜依の母親は、亜依とそっくりの口調で、俺に言う。
「薫くん、知ってる? カワイイは正義なのよ?」
あー、今、確信した。この人、100%確実に亜依の母親だ。
「ほんとに、あの子、あなたのことを話しているときは、楽しそうにしてたわ……あら、そういえば」
亜依の母親が、思い出したように、スマホを取り出して、何かチェックしている。
「事故の時間のほんの少し前に、あの子からLINEがあったのよね、お祭りに行くから浴衣を2着送ってって。ひょっとして、2着のうち、1着は……?」
ああああああ! そうだった! あの時、アイツ、確かにそういうLINE送ってたわ。
「あっ、えっ、その……そ、そ、それはですね……」
「薫くん、もしよかったら、今度、あの子の浴衣を持ってくるから、使ってあげて。あの子も、その方が喜ぶと思うから」
どうしよう。アイツがこんなことになってるのに、動画制作どころじゃ……いや、でも、これを理由にコンペを諦めたりしたら、むしろアイツはがっかりするんじゃ……?
俺は、ハラを決めた。
「ありがとうございます。その浴衣、動画を制作するときの衣装に使わせていただく予定だったんです。一之宮さんの分まで、俺、がんばります」
「うん、こちらこそ、ありがとうね。あの子、喜ぶわ」
そのあとも、しばらく、亜依の両親と会話を続けた。
お互い、話していた方が、嫌な想像とかをしなくて済むから。
そして深夜1時が近くなった頃。
ようやく、「手術中」のランプが消えた。
医師と看護師が疲弊した表情で、手術室から出てくる。
「先生ッ! 亜依は?!」
亜依の両親が、医師に駆け寄る。俺も、そのあとに続く。
「一通りの処置は済みました。容体は安定しています。命に別状はないでしょう」
それを聞いて、安堵する亜依の両親。
俺も、緊張の糸が切れたのか、そのまま床にヘタり込んでしまった。
「ただし、大変な怪我であることには変わりありません。残念ながら、重い障害が残ってしまうでしょう。意識もまだ戻っていません」
「先生、右目と右腕は、やはり……?」
「ええ、残念ながら」
正直、どう受け止めていいか、分からない。亜依は、とてつもなく重いモノを背負って生きていかなくてはならなくなってしまった。
「ご両親には、もう少し詳しくご説明しますので、こちらへ。いくつか書類もお願いします」
「はい……少しだけ、お待ちください」
亜依の父親が、床にヘタり込んだままの俺のところに来る。
「薫くん、今日は本当にありがとう。手術も無事に終わったことだし、今日は一旦帰って、休んでもらえればと思うんだが……その前に、君の連絡先を教えてもらえないだろうか? この後の先生の話なども、共有できることはさせてもらえればと思う」
「ありがとうございます。ぜひ、お願いします」
俺はスマホを取り出し、亜依の父親と連絡先を交換する。
「あと、これ、タクシー代に。もう電車が動いている時間じゃないしね。今日は本当に、遅くまでありがとう」
「ああっ、えっと、なんか、申し訳ないです……」
「遠慮しないで。きっと君、何も食べずに、ずっとここにいてくれたんだろう? 娘のために、本当にありがとう。感謝してもし切れない」
「いえ、俺、何もできなくて……」
「また、今度、ゆっくり話をしよう。あの子も一緒に」
「はい……」
「じゃあ、気を付けて。ゆっくり休んでね」
亜依の両親は、医師とともに別室へと入って行った。
看護師が、俺に声をかける。
「お帰りになられるなら、タクシーを呼ぶこともできますが、どうしますか?」
「お願い、します……」
ヨロヨロと立ち上がりながら、俺は看護師に頼む。
とにかく、亜依は、命を繋いだ。重い障害を負ってしまったが、死ななかった。
考えろ。
俺は、アイツのために、何ができる?
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