第12話 何ができる?①
「ポン」
その音が聞こえた時、俺は、駅の改札の近くにいた。
亜依の部屋からの帰り道。
俺は、「何か起きたのだろうか」と、音がした方向に目をやった。
見ると、この辺りでは比較的高い部類の建物の高層階から、白煙が上がっている。
それが馴染みのある建物だったので、俺はギョッとした。なんせ、10分ほど前まで、俺はそこにいたんだから。
あれは、亜依のマンションで間違いない。そして、距離があるからハッキリとは分からないが、白煙の上がっているところは、亜依の部屋に近い位置のように見えた。
少しして、遠くから救急車両のサイレンが聞こえてきた。その瞬間、呆けていた俺は、さっき来たばかりの道を、ダッシュで戻り始めた。
確かめに行くのは、あくまで念のためだ。亜依は無事に決まってる。
走りながらスマホを取り出し、亜依にかけるが繋がらない……いや、きっと避難とかの途中で、電話に出られないだけだ。あそこに行けば、きっと、ケロッとした亜依を見つけられる。
2分半で、息を切らしながら、亜依のマンションの下まで辿り着いた。
すでに規制線が張られていて、中には入れない。
とりあえず俺は、規制線ギリギリまで近づき、マンションの入り口がよく見える場所に立った。
周りには、野次馬が集まりつつある。
マンションからは、住人が続々と出てくる。比較的落ち着いた様子で淡々と避難している住人を見て、俺は、大した事故じゃなさそうだと、胸を撫で下ろす。
このまま待っていれば、亜依も出てくるだろう。あるいは、ひょっとしたら、もう避難し終わって、その辺にいるかも?
見渡してみたが、見える範囲には、亜依は見当たらない。
まあ、アイツの部屋、14階だからな。出てくるにしても、かなり後の方だろう。
その時、規制線のすぐ向こう側に停車していた救急車両の車内から、無線の音声が漏れ聞こえてきた。
『14階、要救助者1名。20歳前後の女性。意識不明の重体。右前腕欠損、頭部に外傷、ほか複数箇所の骨折あり。山崎と本田で地上まで降ろします。救急搬送準備を願います』
その瞬間、世界が、ぐにゃりと歪んだ気がした。
「了解。慎重に降ろしてくれ。おい、武田、菊池、聞こえたな。武田は、搬送先を至急確保。菊池は、車をすぐに出せるように準備しておけ」
救急車両から隊員が1名降りてきて、車両後部のハッチを開けて、患者の受け入れ準備を始める。
俺の手は、震えていた。
いや、今のが亜依とは限らない。落ち着け。20歳前後の女性なんて、このマンションには何人も住んでいる。確か、亜依の隣室だって、同じ大学の女性だって言ってたじゃないか。亜依なわけはない。
俺は、じりじりとした気持ちで、救急隊員がマンションから出てくるのを待った。その数分間が、何時間にも感じられるほど長かった。
そして。
足音とともに、救急隊員が、慌ただしくマンションから駆け出てくる。2人の隊員が運ぶ担架の上には ──── 。
「亜依! 亜依っ! 亜依ぃぃぃ!!」
俺は絶叫していた。
規制線を越えて亜依に駆け寄ろうとした俺を、警官が制止する。
俺は、自分が叫んでいることも、警官に制止されていることにも気が付いていなかった。
「亜依! 亜依!!」
警官が恐慌状態の俺の肩を両手で押さえ、「落ち着いて! 落ち着いてください!」と言う。
「亜依が……亜依が!」
救急隊員が1人、俺に近づいてくる。
「君、あの患者の知り合いか」
「あ……は、はい、大学の同級生です。なんで、なんで亜依は……」
「危険な状態だ。すぐに救急搬送する。身元の確認などに協力してもらえるか?」
「あ、あ。は、はい」
救急隊員は、俺を押さえていた警官に目配せをし、警官は、頷いて俺を解放した。
「では、救急車両に同乗して。高坂さん、北部病院に搬送するんで、事情聴取が必要なら、そっちに1人回して」
高坂と呼ばれた警官は、頷きながら、救急隊員に敬礼を返す。
「君、こっちへ」
俺は、救急隊員に促され、後部のハッチから救急車両に乗り込む。亜依は、既に車両内の寝台に移されている。
一目でわかる、酷いケガ。痛々しくて、直視できない。
さっき、無線では、「右前腕欠損」と言っていた。そんなの、あんまりじゃないか。コイツがいったい何をしたって言うんだ。
1月の震災で、知り合いを、何人か亡くした。その時と同じ、いや、それ以上の喪失感が、再び俺を襲おうとしていた。俺は叫び出しそうになるのを、何とかこらえる。
救急車両はハッチを閉め、サイレンを鳴らしながら発車した。
救急車両の中で、救急隊員は、手際よく亜依の脈や呼吸数などを確認し、記録を取っていく。
一通りの作業を終えたのであろう。隊員が、俺に訊ねてきた。
「君、名前は」
「月野です。月野薫です」
自分でも、声が震えているのが分かる。
「彼女の名前は」
「亜依……一之宮亜依、です」
「大学の同級生と言ってたね。彼女の年齢は」
「19歳、です」
「血液型は分かる?」
「確か、O型って言っていたと思います」
「彼女は、一人暮らし? 近隣に親族は?」
「一人暮らしです。実家は仙台です。こっちには知り合いはいないって言ってました」
「ご両親の連絡先は分かる?」
「すみません、分かりませ……あ、待てよ……確認すれば分かるかもしれません。電話をかけても大丈夫ですか?」
隊員が頷くのを見て、俺は、震える手で会長に電話をかける。頼む、まだ部室にいてくれよ、会長……。
2コールで会長がでる。
「あ、会長、月野です。まだ部室にいますか? よかった。亜依の……一之宮の緊急連絡先、教えてもらえますか? 入部届に書いてありますよね? ……ええ、急ぎなんです。亜依が、事故に遭ったんです。いま、救急車の中です。はい、そうです。はい、緊急連絡先、一之宮優子、母、電話番号090-75……」
救急隊員が、亜依の緊急連絡先を書き取る。
「はい、まだわかりません。はい。明日また、会長に連絡を入れます。はい。ありがとうございました。いえ。じゃ」
会長が部室にいてくれて、助かった。俺は、まだ震えている手で、スマホをカバンにしまった。
「君、ありがとう。助かったよ」
「いえ」
「病院に着いたら、あちらでも身元確認の手続きがあると思うんで、恐縮だが、引き続き協力願えるか?」
「あ、はい、大丈夫です」
その時、亜依が、うめき声をあげた。
「かお……くん……」
亜依っ!
救急隊員は、一旦俺を制止し、亜依の様子を確認してから、すぐに俺に頷く。
「声をかけてあげてみて。ただし、身体には触れないように気を付けて」
「分かりました」
俺は亜依に顔を近づけ、声をかける。
「亜依、亜依、俺だ、薫だ! ここにいるぞ、亜依!」
「ううっ……」
「亜依! 亜依! しっかりしろ、亜依!」
「かお……くん……浴衣姿……カワイイ……」
は?
俺と救急隊員は、顔を見合わせる。
「お化粧……して……もっと可愛く……ぐへへ……むにゃむにゃ」
はぁっ?!
救急隊員は、そっと、俺から目を逸らす。
あ、違うんです、誤解です、これは……。
「……」
「……」
おい、ちょっとオマエ、気絶なんてしてないで、この微妙な空気をなんとかしろ!
隊員が、俺から目を逸らしたまま、取ってつけたかのように言う。
「あー、えー、うーん。えっと、そう、彼女は、ケガのショックで、ちょっと意識が混濁してるみたいだな、うん……」
気を遣わせてスミマセン、隊員さん……でも。
「……すみません、コイツ、普段から、大体こんな感じなんです」
「……」
「……」
「もしそうだとしたら」
救急隊員は、ポツリと言った。
「彼女は、身体的にこんなにも厳しい状況にあるにも関わらず、普段の精神状態を維持していることになる」
俺は、その言葉に、ハッとさせられる。
「とても、強い人なんだな」
隊員のその一言を聞いて、どうしてか、俺の目からは、涙が溢れ出す。
「亜依……亜依……」
このあと、病院に着くまで、車内は無言だった。
救急車両のサイレンの音と俺の泣き声だけが、やけに大きく感じられた。
病院に着くと、救急隊員たちは手際よく亜依を救急車両から降ろし、病院側が用意していたストレッチャーに移す。
救急車両の中で俺とやり取りしていた隊員は、病院の看護師と引継ぎをしている。
「あちらの男性は、患者の付き添いです。大学の同級生だそうです」
「分かりました。では、ご両親への連絡はこちらからしますので」
「お願いします」
引継ぎを終えた隊員が救急車両に戻ると、すぐに発車していった。おそらく、次の救急搬送があるのだろう。
「では、付き添いの方、こちらへ」
看護師が、俺を呼ぶ。手術室に向かう亜依のストレッチャーを追いかけながら、救急隊員が記録した亜依の名前や年齢などに誤りがないか確認するよう看護師に求められた。
確認が終わるのとほぼ同じタイミングで、手術室の前に着く。
「付き添いの方は、こちらでお待ちください」
亜依を乗せたストレッチャーが、手術室に入っていく。
「亜依を……亜依を頼みます……!」
医師たちは無言で頷きながら、手術室へと消えていく。
手術室の扉が閉まり、「手術中」のランプが点灯した。
俺は、悄然として、手術室前のベンチにへたり込んだ。
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