第8話 関係ない。行け。
キーンコーンカーンコーン。
大学に入学してはや3か月あまり、季節はもう夏だ。
「ふぁー、やっと終わった」
左隣に座っているケンタが、伸びをする。
「ケンタがこの授業に出席するなんて珍しいな」
「テスト前の1回くらいは、教授の顔を拝んどこうと思ってな。ノートはダチから回してもらうことになってるし、去年の問題もサークルの先輩からゲット済みだから、まぁ問題ねぇハズだけどな」
要領のいいヤツめ。
そう、来週からは、前期のテストが始まる。このコマは必修科目なので、落とすと実に面倒なことになる。
右隣に座っている亜依が、俺をツンツンとつつく。
「ねぇねぇ、薫くん、ここのところが、先生の言った通りにやってみたんだけど、答が合わないの。薫くん、分かる?」
「えーっと、どうだろう。どこ?」
「ここのとこ。言われた通りにテイラー展開してみたんだけど」
「どれどれ……あぁ、ここの、3回目に微分したところの計算でミスってるね。多分、商の微分公式を当てはめる時に、分子の第2項の符号を逆にしちゃったんじゃないか?」
「あ! ホントだ! 何で気付かなかったんだろ。完全にケアレスミスだー。ごめん、ありがと!」
亜依は自分の頭をコツンと叩いて、ペロッと舌を出す。
「私、経済数学、苦手なんだよねー。高校の時から、なーんか数学の神様とソリが合わない気がしてたんだよ。ま、薫くんが助けてくれるから、問題ないねっ!」
といいながら、俺にウィンク。
ぐおっ! あざとい。あまりにあざとい。ちょっとドキッとしちゃったじゃないか。
いかんいかん、落ち着け。
「いやいや。まあ、教えられるトコは教えるけど」
平静を装うように、敢えてサラッと流す。
というか、そもそも数学の神様とソリが合わないのに、なんで経済学部選んだうえに、受験科目も数学選択にしたんだか。数学選択にすると、入学後も経済理論・数学先習型コースになっちゃうのに。
ちなみに、亜依は、何気に単位取得に関しては結構慎重である。浪人した上に留年までしたら親に何を言われるか分からん、とか言ってたし。能天気なフリをしてはいるが、家柄が良いだけに、そう言う体面的なとこでプレッシャーもあるんだろう。
そんなヤリトリを見ながら、ケンタが少し驚いた表情で言う。
「カオルたちって、意外と真面目に授業受けてるんだな」
俺と亜依は、コースが同じだけに、ほとんどのコマを一緒に受けている。ケンタも、いくつかのコマが俺らと被っているので、亜依とは既に顔見知りだ。
「意外って何だよ。オマエに比べりゃ、大概のヤツが真面目だろ」
「いやいや、マコトに比べれば、俺なんぞマシな方だぜ。アイツが語学以外の授業に出てるとこ、見たことない」
「確かに」
「えぇ……その真くんって子、大丈夫なの? 確か、薫くんのクラスメイトだったよね?」
あ、亜依、ちょっと引いてる。
「あー、一之宮さんは、まだマコトと会ったことなかったか」
「アイツ体育会だし、先輩から過去問とかはバッチリ手に入るだろうから、そこは大丈夫じゃねーかな。憶えられるかどうかは知らんけど。ま、俺が見たところ、地頭良さそうだし、なんとかなんだろ」
「あー、その子、体育会の人なのね。なるほど」
体育会というだけで授業に出てなくても納得されるっていうのも、ある意味なんかすごいな。もちろん、中には真面目に授業に出てる体育会のヤツもいるんだろうが。
「さーて、私、次のコマは語学だ。行ってくるねー。薫くん、健太くん、まったねー!」
走り去って行く亜依を見送り、俺とケンタはノロノロと立ち上がる。
もう教室には、俺とケンタの2人だけだ。
「ほんじゃ、俺、このあとバイトだから、そろそろ帰るわ」
「おう、お疲れ」
「しかし、アレだな、カオル」
「ん?」
「あんな美人な彼女がてきて、良かったじゃねぇか」
「ぶっっっ!」
飲みかけていたお茶が、盛大に気管支に入った!
「なにマンガみたいなリアクションしてんだよ。こんなベタなの、初めて見たわ」
「ゲホッ……オマエが……ゲホッ……いきなりそんなこというから……」
「いや、そんな驚くようなことは言ってねーだろ。知らんけど」
「いや、そもそも俺ら付き合ってねぇし」
「は?」
「え?」
「……」
「……」
「付き合ってないの?」
「ああ」
「あの距離感で?」
「ああ」
ケンタが、唖然とした表情で俺を見る。そんな目で俺を見ないでくれ……。
「サークル一緒で、授業もほとんど一緒に取ってて、昼メシも大体毎日一緒に食ってて、新歓の一発芸も一緒にやって、映像コンペの作品もペア組んで一緒にやるのに? それで3か月も経って、まだ付き合ってないの?」
「……ああ」
「はぁ〜っ?!」
ケンタは、盛大にため息をつき、頭を抱える。
「オマエさぁ……」
「な、何だよ」
「一之宮ちゃんのことなんだろ? 4月に言ってた気になってる子って」
「ううっ、えーっと、まあ……はい……」
「あの距離感だから、てっきり俺はもう……あーっ! まったく、コイツは! 一之宮ちゃんと付き合う気、ねーのか?」
「えーっと、ケンタさん……?」
「俺言ったよな? 男がビビってたら、恋は進まねーぞって」
「……ハイ……」
「で、ビビってんの?」
痛いところを突かれて、俺は顔を歪める。
そりゃ、アイツとそういう関係になれたら、ハッピーだろうとは思う。けど、もし、うまく行かなかったら、って思うと……。
「……ビビってる」
「カーッ、情けねぇ。俺はオマエをそんな風に育てたおぼえはねぇぞっ!」
いや、俺もオマエに育てられたおぼえはないんだが?
「もう、オマエらとっとと付き合っちゃえよ! 夏だし!」
「な、夏だし?」
「おうよ、夏は恋の季節だぜ! ボケっとしてっと、あんな美人、他のヤツにいつ取られても不思議じやねーぞ」
「うっ……」
確かに、亜依はとんでもなく美人だ。明るいし、性格もいい。惚れる男も多いだろう。もし、亜依が他のヤツと……あ、想像しただけで泣けてきた。
「と・に・か・く! オマエも男なら、ビビってないで、根性見せろや。俺の見立てじゃ、多分、大丈夫だ! 心配すんな! 行け!」
「い……行けといわれても、万一の場合、サークルとかめっちゃ気まずくなって……」
フラれた相手と毎日サークルで顔を合わせてコンペの作品作りとか、考えただけで心臓がキュッとなるわ。
「関係ない。行け」
「善処します……」
「おっと、バイトに遅刻しちまうぜ。いいな、カオル、ビビんなよ! 骨は拾ってやっから!」
フラれる前提かよ! 縁起でもねぇ……。
ケンタを見送り、俺は力なく椅子にへたり込む。
はぁ、でも、確かに、ビビってちゃ、進まねぇよなぁ……。
でもなぁ。そもそも告白って、どんな顔してすりゃいいんだよ……怖っ。
「だいたい、俺、アイツのこと、下の名前で呼ぶ勇気すらないんだぞ……?」
俺は、誰もいなくなった教室で、ひとり、机に突っ伏した。
「それに、アイツが興味あるのって、俺なのか、それともうさぎちゃんなのかも、微妙なんだよなぁ」
新歓コンパのあと、「デートしようね」とは言われたが、うさぎちゃんご指名だったしな。
うーん、アイツの考えてることが分からん。あんな珍獣、理解できるヤツがいるのかも怪しいが。
「はぁ、考えても分かんねーし、部室にでも行くか」
トボトボと、部室棟に向かうと、途中でサークルの同期の木村、橋爪の2人と出くわした。
「おー、月野。さっき、島田さんがオマエらのこと探してたぞ。島田さん、部室にまだいるから、顔出してこいよ」
木村が、メガネをクイッ!と直しながら教えてくれる。
「おお、サンキュー。丁度、部室に行こうとしてたとこだ。2人は帰るとこか?」
「ううん、これからちょっと空き教室探して、きむりんと新ネタの研究しようかと思ってて」
橋爪が、小道具の入った紙袋を持ち上げながら言う。
「おー、相変わらず研究熱心だな」
「今回のネタは、はっしーの発案なんだ。上手く行けば、先輩がたの作品でも使えるかもしれん」
「学園祭の映像コンペに出す短編映画用か」
「そうそう」
この2人は、コンペにサークル名義で出品する短編映画の制作スタッフに志願したのだ。
毎年、この短編映画の制作は上級生中心に行われるのが通例で、新入生は雑用などの手伝いしかしない。
だが、この2人は、新歓コンパで披露した手品の腕前を買われ、特殊効果スタッフとして異例の抜擢を受けた。
「もともと僕は、手品が特殊効果に応用できないか試したくて、このサークルに入ったようなものだからな」
「前期試験が終わって夏休みに入ったら撮影も本格化するから、色々と詰めなくちゃいけないことも多いのよね」
「なるほど。2人ともがんばれよ」
俺は、手を振って2人を見送る。
はぁ。映像制作じゃ、アイツらに大分先に行かれちゃったなぁ。
ん?
待て待て。
木村のこと、きむりんって呼んでた?
橋爪のこと、はっしーって呼んでた?
って、おい、よく見たらアイツら、恋人繋ぎしてんじゃねーかよ!
どういうことだよ、アイツら、付き合ってんのかよ?!
聞いてねーぞ?
はぁ。恋愛でも、アイツらに大分先に行かれちゃったなぁ。
アイツらみたいに迷わず真っ直ぐ前に進めるなら、きっと、人生って全然違って見えるんだろうな……。
部室に顔を出すと、木村の言ってた通り、島田センパイがいた。新歓コンパのあとしばらく音信不通になってたような気もするが、多分気のせいだろう。
「島田センパイ、チワッス」
「お、月野。例のヤツ、見たぞ。一之宮は今日はいないのか? フィードバックしようかと思ってたんだが」
「アイツ、いま授業に出てますね。終わったらこっちに顔出すとは思いますけど、島田センパイを待たせるのも申し訳ないんで、今からお願いしちゃってもいいですか? アイツには俺から情報共有しときますんで」
「オッケー。じゃ、始めるか」
そう、島田センパイには、俺と亜依で作った動画第1号のレビューをお願いしていたのだ。
新歓コンパのあと、5月と6月の丸々2か月かけ、試行錯誤して制作した力作。まだYouTubeにはアップしてない。
俺らなりにベストは尽くしたつもりだが、果たして評価はどうだろうか?
「まあ、細かいことは色々あるが、最初に一番大事なことを言うとだな」
島田センパイは、真っ直ぐに俺を見て、言う。
「最初から完璧を求めるな」
「うっ……」
この人も、痛いとこをズバッと突くなぁ。
そうだよなぁ、映像も恋愛も、多分、同じなんだろうな。
きっと、どっちもテイクワンでうまく行くなんて都合のいい話、ないよな。
ビビらずチャレンジするしかねーか。
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