第6話 うさぎちゃん

亜依の、「できたよ」との言葉に、俺はゆっくりと目を開ける。亜依の声が震えていたのは、笑いを堪えていたのだろうか。


そういや、新しいやり方を試すって言ってたもんな。さっきのを超える傑作が仕上がったのか。


何も言わずに、亜依は俺に鏡を渡す。


何も知らない俺は、そのまま無防備に鏡をのぞき込んで ──── 。


完全に、フリーズした。


なんだ、コレは?


鏡には、知らない女が映っていた。


きめ細かい、なめらかな肌。スッと筋の通った鼻のライン。


ふっくらした、健康的なピンクの唇。


そして、見る者のココロを強く揺さぶる、パッチリした目。


その眼差しは、優しげでもあり、小悪魔的でもあった。


完全なる美少女。おそらく、亜依と同レベルの美少女。


今、俺が見ているのは、鏡だよな?


だが、俺の脳は、鏡に映る人物を、自分と認識できていない。


自分と認識できないから、女装に対するどんな感情すら沸く余地がない。


女装と認識できない女装。


亜依が、感嘆の表情で言う。


「凄いです……薫くん……これが女装の高みなんですね……」


いや、これをやったの、オマエだけどな?


「なんかこれ、もはや、完全に別の生物だな。多分、コレ、俺の親ですら、俺とは気付けないぞ……」


三葉のコスプレのときは、あれはまだ、俺だった。俺は、「俺の女装」と認識できた。


だが、コレは違う。


これは、俺では、ない。


俺のアイデンティティが、揺らぐ。だが、同時に、解放感もある。


自分ではない、誰かになる。


みんなが持っている、変身願望。


確かに今、俺は。自分ではない何かになっている。


だが、果たしてコレは、開いていい扉なのか?


「ねえ、薫くん。お願いがあります」


亜依が、いままで聞いたことないような、真剣な口調でいう。


「私の服やアクセサリーを使って、あなたをドレスアップさせてください。お願いします」


俺は、亜依が俺を可愛いモノとして扱うのが、好きではなかった。「男」として見てもらえてないようで、モヤモヤした。


だが、いま亜依が見ているのは、俺じゃない。俺とは別の、名前もない「女の子」だ。


俺は少し考え、亜依に答える。


「ひとつ、条件がある。このカッコをしている間、俺を薫とは呼ばないでくれ。それを約束してくれるなら、いいよ」


俺から俺の「コレ」を切り離したら、楽になるかもしれない。アイデンティティを守り、変身願望も満たし、亜依も喜ぶ。試してみるのもありだろう。


「わかった。じゃあ、なんで呼ぼうかな」


「なんでもいいぞ」


亜依が、少し考え込む。


「じゃあ……『うさぎちゃん』でどうかな?」


「そう呼ばれるのは、100万1回目だな。まあ、構わないよ」


「よっしゃ、じゃ、うさぎちゃん、早速お洋服を選んでくるから、待ってて!」


亜依は、ダッシュで寝室(腐海)奥のウォークインクローゼットに飛び込む。


俺はちょっと脱力して、椅子にへたり込む。


テーブルの上に置いてあった鏡を手に取り、改めて、うさぎちゃんの顔をみる。うん、コレ、俺じゃない。


認めるのは癪だが……自分じゃない何かになるのって、思ったより、楽しいかもしれん。



数分後、うさぎちゃんは、洗面台で、亜依の用意した服に着替える。


トップスは、淡いミントカラーのVネックのカーディガン。インナーにはレースのキャミを重ね着して、緩めのシルエットでボリューム感を演出し、バストの無さを曖昧にする。


スカートは、ミモレ丈のギャザースカート。ウエストは高めで締めて、自然にふわっと広がるシルエット。色味はパステル系をチョイス。


アクセサリーとして、パール系のネックレスと、華奢なシルバーのブレスレット。バッグはベージュの清楚なトートバッグ。


そして、肩に軽く触れる長さの、アッシュブラウンの内巻きのウィッグ。


ヤバい。俺の目から見ても、うさぎちゃん、ヤバい。


居間に戻ると、案の定、亜依は鼻血を出しながら、白目を剥いて昏倒した。


おーい、帰ってこい。


「ハァハァ……完全に三途の川を渡るとこだったよ……」


「積尸気冥界波でも食らったか。しかし、一之宮さん、なんでこんなウィッグまで持ってんの?」


「そりゃー、こんなこともあろうかと……げふんげふん! いや、た、たまたまだよ、たまたま!」


「そんな『たまたま』、あるかっ!」


うさぎちゃんは、ジト目で亜依を睨む。


「あ、あはははは……え、えーっと……ちょっと私も着替えてくるから、待っててねっ!」


あ、逃げた。


しかしホント、髪型と服装で、更に破壊力、上がるなぁ。これなら、勘違いした男が惚れてもおかしくないな。


鏡を見ながら、俺は他人事のような感想を抱く。そう、カワイイのはあくまで「うさぎちゃん」であって、俺ではない。


そんなことを考えているうちに、亜依が戻ってきた。


亜依、普段よりオシャレしているのか?


トップスは、オーバーサイズの黒パーカ。チェック柄のプリーツミニスカートを合わせ、髪型はハーフアップにして、サイドに少し後れ毛を残していた。


アクセは、シンプルなシルバーのチェーンネックレスとリング。そして、小さめのウエストポーチを斜め掛け。


アクティブでラフな印象ながら、スカートで女性らしさをプラスした、かっこかわいいスタイル。


一瞬、いや、ガッツリと、見惚れてしまった。


「どぉ? うさぎちゃんに負けないよう、ちょっと頑張ってみたよ!」


亜依は、ドヤ顔でVサインをしながら聞いてくる。


くっそコイツ、答えわかってて聞いてきてやがるな、腹立たしい!


「ぐ……オマエ、家の中でそんなオシャレして、どうすんだよ」


それを聞いた亜依が、キョトンとする。


「え? そんなの、出掛けるからに決まってんじゃん」


あぁ、なんだ、亜依は、この後、外出の予定があったのか。


「うさぎちゃんと一緒に。デートしよ?」


「……は?」


「……しよ?」


「……はぁあああぁ?!」


え、俺、このカッコで、外に出んの???!


「まあ落ち着いて、うさぎちゃん」


亜依がしたり顔でうさぎちゃんを宥める。


「確かに、うさぎちゃんとして外に出るのは、緊張するかもしれない。でもね、うさぎちゃんの可愛さが、誰の目にも触れないままでいるのは、私、よくないと思うの」


コイツ、完全に目がイっちゃってるな。


「知ってる? カワイイは正義なんだよ? うさぎちゃんの可愛さは、正義なんだよ? コレを隠すことは、世界にとって損失なんだよ? そんなこと、私にはできないっ! これは権利なんかじゃない、義務だと思うんだ!」


なに早口になってんだ、コイツ。


「つまり、こういうことか? 『うさぎちゃんを見せびらかして自慢したい……』」


「Exactly(そのとおりでございます)」


コイツ、ホント、自分の欲望に正直だな。


しかし、少し、悩むな。


ぶっちゃけ、うさぎちゃんが男だと気付かれる可能性は、ほぼないと思っていいだろう。たとえ、乾センパイ、ケンタ、マコトと言った親しい知り合いに会ったとしても、だ。


それくらい、うさぎちゃんは、俺とは別モノに仕上がってる。


もちろん、ノンケの俺が女装して外出というのは常識的に考えてどうなんだろう、と言う躊躇いはある。


が、一方で、たとえうさぎちゃんとしてでも、亜依とデートと言うのは、魅力的過ぎる。


悩むうさぎちゃんに、亜依は一言。


「うさぎちゃん、時代は多様性だよっ!」


うーん、そっかー、多様性かー、そーだなー、多様性だよなー。


「そーだよな、うさぎちゃん(男)が、一之宮さんと女の子デートしても、多様性の時代だし、問題ないよな!」


何を言ってるのかわからねーと思うがおれもわからなかった。


「そうそう、もうまんたいだよ! 靴は、パンプス用意するね! いこいこー!」


「あ、さすがにしゃべると声でバレるから、周りに人がいる時は、一切しゃべんないからな? それでもいいか?」


「オッケーオッケー、じゃ、レッツゴー!」



なし崩し的に始まったうさぎちゃんと亜依のデートだが、控えめに言って ──── くっそ楽しかった。


渋谷の人の多さに驚き、ハチ公前でおのぼりさん丸出しの記念撮影。


109では、亜依が、お揃いのアクセを選んで、プレゼントしてくれた。


シンプルな二重巻きのレザーアンクレット。うさぎちゃんのは黒、亜依のはピンク。

「2人だけの秘密だよっ!」


亜依は、イタズラっぽく笑いながら、うさぎちゃんと自分の右の足首に、ソレを着ける。


コレで恋に落ちない男がいたら、是非とも見てみたいもんだ。


表参道を散策し、原宿まで足を伸ばして、昼メシ代わりにクレープの食べ歩き。


なんの変哲もないただの黒蜜抹茶あずきクレープなのに、美人と一緒に食べるだけで、何かとんでもなく特別なモノに感じる。


美人って、調味料にもなるんだ、すげぇ。


ちなみに、この間、6回ほどナンパされたが、しゃべれないうさぎちゃんに代わり、全て亜依が秒で撃退した。か弱いうさぎちゃんを完璧に守る亜依、イケメン過ぎる。


こんなん、うさぎちゃんが惚れちゃうだろうが!



原宿駅から山手線に乗り、新宿に移動。


おのぼりさんな2人は、ベタではあるが、都庁の展望デッキに登り、地上202メートルの絶景に息を飲んだ。


時刻は午後3時。お茶の時間ということで、南展望室のカフェで一服する。すぐ側から、ピアノの演奏が聞こえてくる。


「あそこにあるピアノ、普通に弾いてオッケーなんだね」


うさぎちゃんは、無言でこくこく頷く。


都庁の「おもいでピアノ」は、東京で一番メジャーなストリートピアノのひとつと言っても過言じゃない。俺も、演奏系ユーチューバーがここのピアノを弾く動画を、いくつも見たことがある。


「へー、ここのピアノ、結構有名なんだねー」


うさぎちゃんは、無言でこくこく頷く。


ピアノからは「情熱大陸」の旋律が流れてくる。この弾き手、かなり上手いな。無意識のうちに、うさぎちゃんの指が、テーブルの上で動き始める。


「ひょっとして、うさぎちゃん」


亜依がその様子を見て、ニコニコしながら聞く。


「あそこで演奏したいの?」


そう言われて初めて、自分の指が動いていたことに気がつく。


──── 弾きたい。


多分、「薫」だったら、そんな度胸はなかった。でも、今は、ここに「薫」はいない。仮に失敗して恥をかいたとしても、「薫」とは全く関係ない。


今なら、なんでもできる気がした。


これは、自分という枷から自由になった解放感なのだろうか?


一瞬のそんな思考の後、うさぎちゃんは、無言でこくこく頷く。


それを見た亜依は、満面の笑みを浮かべながら、勢いよく立ち上がる。


「いいね! よし、いっちょ、うさぎちゃんのリサイタルといこう!」


うさぎちゃんも、頷きながら、立ち上がる。


なんだ、ひょっとしてこれ、噂に聞く「女子にちょっといいトコ見せたい病」ってヤツ?


ちょうど「情熱大陸」が終わり、ギャラリーから弾き手に、拍手が送られている。演奏の順番待ちをしている人はいない。


「うさぎちゃん、ピアノ、空いたよ!」


ピアノに向かいながら、ギャラリーを見渡す。結構子供も多いな。流行りモノでウケを狙うのも良いかもしれない。


演奏自体に不安が全くないと言えば、嘘になる。だけど、不思議と、緊張はない。


誰にも聞こえない小声で、うさぎちゃんは呟く。


「せっかくだから、滅茶苦茶やって帰るか」


ピアノの前に座る。


ギャラリーから、「うわっ、あの子、めっちゃ可愛くない?」と言った声が上がるが、集中しているうさぎちゃんは、そんな言葉には動じない。


亜依が動画を撮ろうとスマホを構えている。失敗するかもしれないけど、うさぎちゃんの勇姿、バッチリ映しといてくれぃ!


深呼吸をひとつ入れ、鍵盤に指を落とす。


その瞬間、2-3の5つ打ちビートの跳ねるようなイントロが流れ出す。BPM157で高速ラップを歌うように奏でる。


ノリのいい誰かが、「マジで?コレおま・・・全部生身で?」と、ラップを入れてくれる。


3-2のビートのメロディが重なったところで、子供たちから、「あ、マッシュル!」と声が上がる。


1Aパートの超高速ラップは、同音連打で表現。これ、やっぱピアノでやる曲じゃねぇな。指が攣るぅ! でも、たーのしぃー!!


一見すると頭の悪そうな2コードの進行を現代的なポップチューンに昇華させている天才的な楽曲。これを、ノリと勢いでガンガンにゴリ押していく!


1Bパートは、一転して4つ打ちのビート。ウィスパーなタッチで、抑え目に、でも、セクシーに、かつ、キャッチーに。サビの前でタメをつくる。


そして、サビの1Cパート、さあ、踊れぃ!


Bling-Bang-Bang, Bling-Bang-Bang, Bling-Bang-Bang-Born!


鍵盤の上を滑る指先。うさぎちゃんの身体はリズムに合わせて揺れ、音が弾けるように飛び出してくる。


ノリのいい子供たちや中高生が何人か、BBBBダンスの振りを入れてくれている。


あぁー、気持ちいいぃ!


そして、うさぎちゃん的最難所の2Aパートは、3連符連打。超難関だが、今日のうさぎちゃんは絶好調だぜ! ノーミスで凌ぎ切るっ!


再び囁くように2Bパートを抜け、原曲にはないほんの刹那の沈黙。この空間の時間が止まる。


次の瞬間、爆発するように、クライマックス、大サビの2Cパートに飛び込む!


視界の端に、亜依の笑顔が映った。


あー、もう。


なんか、それだけで、ここに来た甲斐があった気がする。


さぁ、ラストスパートだ。


2Cパートの後半を跳ねるように駆け抜けて、フィニッシュへ。


弾き切った瞬間、ちょっとびっくりするくらい、大きな拍手が起こる。


正直、技術的には、稚拙なところだらけだったと思う。でも、演奏に気持ちは乗せられたかな。


やってよかった!


盛大な拍手に、恐縮して、うさぎちゃんは、何度もお辞儀をしながらピアノを離れる。


まだ、拍手は止まない。


亜依が、小走りに近づいてくる。


うさぎちゃんは、笑顔で小さく亜依に手を振……えっ?!


亜依は、そのままうさぎちゃんに飛びつき、ガッチリとハグする。


「うさぎちゃん〜! 最高だったよぅ!!」


亜依、マジで? コレおま・・・全部生身で?


亜依の身体の感触が、うさぎちゃんを貫通して、俺の脳を焼き切る。


周りのギャラリーには、仲良し美少女同士の親愛のハグにしか見えない。


だが、中高6年間、女子との接触無しの俺にとっては、それはあまりにも刺激的すぎた。


いかん、俺の理性がBlingしてBangして煩悩がBorn!しそうだ。


亜依は、まだ俺のことを抱きしめたまま、興奮して、「すごい」だの「感動した」だの騒いでいるが、脳がオーバーフローしている俺には届いていない。


あぁ、やべえ、女の子の身体って、こんなに柔らかいんだ……俺、多分、この瞬間のこと、一生忘れないんだろうな……。


今ここで死んでも、結構幸せかも ──── 。



ようやく亜依がハグから解放してくれてからも、数分間、あの世とこの世の間を彷徨う俺とうさぎちゃんの魂。


その間、亜依は何やらスマホを操作している。


「んで、コレをポチッとな。よっし、アップ終了!」


あっぶねぇ、なんとかギリギリ現世に踏み止まった……。なんか、恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……。


よし、うさぎちゃん、再起動だ。


「あ、うさぎちゃん! いま、アップし終わったよ!」


ん? アップ? 何を?


小首をかしげるうさぎちゃん。


「今の演奏の動画。TikTokにあげといたよー!」


はい?


驚きで、目を見開くうさぎちゃん。


「え、私、さっき、アップするよ!って言ったじゃーん」


いや、待て、その時、俺とうさぎちゃんの魂は天に召されかけてたんだが?


「あ、すごいよ、うさぎちゃん! こんな勢いでいいねが付くの、初めて見た!」


ちょっ! えっ?! マジ??


「あ、もうコメントもいっぱい来てる! 『この子やばくない?』だって! すごいよ、うさぎちゃん!」


うさぎちゃんはただピアノを弾いただけだよな……?


なんでTikTokで爆発してんの?!


どうしてこうなったァ!

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