Novel coronavirus 29
「ああ、滝岡くんかね、神尾くんにもきいたよ。あきれていた」
「…神尾先生の方がか?あちらの方が、アフリカとかで治療をしてきたから、とかいっていたが、どういう意味であきれているんだ?」
「勿論、日本にいるというのに、そこまで考えて準備している滝岡くんにだよ」
滝岡との通信が終わり、どうやら神尾先生は寝たようだが、と。その場でまだ珍しく通信のつながった兄にあいさつついでにいった滝岡の予測と準備に関して本多一佐がいうと。
あっさりと、あれからか、それとも他の機会にか。
神尾から聞いた滝岡の話について思い返しながら教授があっさりという。
「やはり、そちらか、…―――。神尾先生の見解について、滝岡は何か誤解をしていたようだが」
しみじみと天を仰ぐ一佐に。
特にこだわりもなくさらりと教授が応える。
「そうだろうね。滝岡くんというのは、あれで周りがおかしいから普通にみえるが、あれで中々タフというか、一番ある意味おかしな人物だと思うよ。何が起ころうと軸がぶれないからね」
「―――…あんたにその評価をされるのか。…滝岡もあれだな」
「あれとは何だね。そのいいようは。少しは言葉遣いを改めたまえ。さて、しかし、なにかね?滝岡くんは地震が起きても、ライフラインが途絶えて補給がない状態でも、医療を続けるつもりでいるのだね?」
「当然ではあることだがな。事業計画等と変わりは無い。だが、この状況下で、…―――」
「リアルに、地球上にパンデミックが起こり、しかも、何十万――数百万単位で本当に人が死んでいこうとしている事態になっていてもね。それで、経済が崩壊しても、燃料や資材が入らず、最低限の医療しかできない状況になったとしても、だ。かれは続けていくつもりでいるのだね?医療を」
「医師というか、――あれは、自治かこちらにくるか考えていたといっていたが、こちらにとれたのは運が良かった」
しみじみという本多一佐に、教授が軽く眉をあげる。
「それでも、すぐに除隊になったのではなかったかね?確か、卒業後九年続けずにいまの病院に戻って立て直しに入ったときいているが」
「…よく知っているな。滝岡は、学生の頃は丁度、両親が事故で亡くなって、その経営していた病院が潰れかけた頃だったからな。学費が払えないので、奨学金の出る自治医大か、こちらを選択することにした際、給料が出るからこちらを選んだときいている」
出していて本当によかった、とうなずいている一佐に、珍妙なものをみる視線でみながら。
「きみはねえ、…。まあ、かれのような人材を手に入れることが出来たことに関しては、確かに目出たいことであるとは思うが」
「あんたのいいようもあれだぞ?」
あきれていう教授にあきれかえしていう一佐に、肩を竦めて。
「まあ、かれも大変なのだよ。ご両親の経営していた総合病院は、当時大変な赤字だったからね。跡継ぎの立場であるかれは、当時まだ学生だった。…―――かれのご両親に関しては、少し知っていてね」
沈黙して、しばし追悼するようにする教授に本多一佐が視線をあげる。
「そうなのか?それは初めてきいたが?」
「初めていったからね?…きみの記憶力は信用している。あれは夏のことだったが、…――客船に乗り合わせていたかれのご両親がテロに巻き込まれて死亡したのは、…よく憶えているよ。」
「―――…知己があったのか。」
意外そうにいう一佐に、そちらを見ずにしばし追憶するようにしてうなずく。
「よく、憶えている。…あの二人は外科医で、…―――」
夏の白い陽射しにパラソルの美しい船上に、突然爆発が襲った。
「あの日の事は、よく憶えている」
遠くをみて、当時の光景をその上に重ねるように。
無言でいる教授に、本多一佐がしばし付き合う。
唯、追憶の遠い彼方を見つめる刻を。
それは、けして還っては来ない時間だ。
「…誰もが死ぬものだよ。だがね」
しずかに、教授がつぶやく。
「けれど、死ぬ必要が無い人が、――…あるいは、人を救い続けてきた人達が、何故そのような不幸に遭う必要があるのかと、腹が立つことはあるものだよ」
「…―――そうか」
静かに応える一佐に、ふと苦笑して教授が俯く。
視線を伏せて、そっと息を。
「わたしでもね、――…随分と自分でもずうずうしいと自覚しているわたしのようなものでもね。あのときは、――…かれらの命より、わたしの命に価値があるなどとは全然思えなかったものだ、…――」
まだ当時、学生であったろう教授の想いを黙ってきいて。
「あんたは、当時は大学院生か?」
「そのようなものだね。…色々な事があったよ」
それきり無言になる教授に、一佐が伸びをして。
「…きみね」
しばしして、視線を向けていう教授に、軽く肩を竦める。
「さてな。…ともあれ、滝岡がタフなのは理由があることもよくわかった。あいつは、学生の頃から粘り腰だったからな」
「そうだね。あまり会ったことはないが、神尾くんから聞いただけでも、相当の人物のようだよ」
楽しげに会話を思い出していう教授に、面白げに返す。
「そうか?まあ、こちらにとれてよかった。部下として配属されてきたときにはあきれることもあったが」
思い出して楽しげに、そして、何処か温かな表情でいう一佐に、教授が珍しいものをみるようにして。
「そうかね?何にしても、タフな人物だよ。基本は一つなのだからね。この事態になっても」
「―――…そこだ。あきれたよ。あいつは、要は、――どんなことがあっても、医師として仕事を続けるだけのつもりでいるんだからな」
微苦笑を浮かべて皮肉にいう本多一佐に。
「そうだねえ。かれは、いつでも本当に単純だ。とてもシンプルだよ。―――」
教授が空を仰ぐ。
「とてもシンプルだ。命を救う、それだけのことを常に考えているのだからね」
「あげくの果てに、この日本にいて、環境がどう変化しても、燃料が入ってこない中でさえ、医療を続ける為の算段を普段からしているんだからな、…―――」
多少ともあきれを含んでいう一佐に視線を向けて。
「それはある意味当然というものではあるのだがね?」
「確かにな」
「日本という国に生きている限り、災害は常に存在しているのだからね。急峻な山々と海に囲まれた立地は、確かに水の豊かな恵みを与えてくれてはいるが、昔から治水が大きな問題だったように、―――噴火、地震、災害、――冷害に洪水と、この日本という国は災害があまりに身近に存在するものであるのだからね」
「備えよ常に、か」
一佐の言葉に教授がうなずく。
「まあそうなのだがね?この多くの災害を人々が常に治めようと努力してきた結果、被害も何とか小さくしてきた国でね。唯、実際に大きな災害が起こることなど忘れてしまっている人が多くなっていたのは事実なのだよ。それなのに、その日本でね」
「薪とかいっていたぞ?あれは、電気も水道も途絶えたら、最後は薪を運んで湯を沸かして医療をするつもりだな、…」
しみじみという本多一佐に。
「勿論だとも。しかし、現代の日本でそこまで考えて実行している人物がいるというのがね」
同じくしみじみする教授に。
「楽観的なわけでなく、感染症で人類絶滅ルートも視野に入れた上でな」
あきれた面持ちでしみじみという本多一佐に。
「最後まで、医療を続けるつもりだからね」
「本当にな」
あきれてしみじみと遠くを見つめる、遠く違う空の下にいる二人だが。
「タフなものだよ。何を価値とするかということだろうね」
「そういうことだな」
沈黙してそれぞれの優先する、価値とする何かを思うのか。
「…――世界が滅んでも、あるいは、経済とやらが滅び、文明が終わり、自然だけが人類を除いてこの地球上に残る世界となることがあってもね」
「確かにそれまでの間に、混乱や騒乱が大きな戦争に繋がることがあってもおかしくない。それに、暴動やテロ、あるいは偶発的ななにかの刺激による侵略、世界恐慌、経済混乱により、―――いまの世界に支えられている医療器機や薬は、滝岡の考えている通り手に入らなくなることもありうるからな」
「それはきみの立場ではあまり発言しない方がいいよ?一応いっておくが」
「一応聞いておく。だが、これを分析する立場にいるのでな。あんたの益体もない意見を聞くのも仕事の内になる」
「まあねえ、…。きみの立場は攻撃されやすいのだから、気をつけたまえ」
「忠告、感謝しておく」
「命の危険を冒してまでやることではないよ?家族があるのだから、無茶を少しは控えたら良いと思うのだがね?」
「無理をいうな。仕事だ。それに、家族というが、あれ達は既に成人に近いからな。彼女達は自身で身を守れる。」
きっぱりという一佐にあきれた視線を教授が向けて。
「厳しいね、きみは常に。まあしかし、そうしたことも価値観というものになるのだろうね。世界がどのように変わろうとも」
「生き延びることが優先事項だからな。そう教えている。その為に、常に何をして、何を優先して生きていくのかは、彼女達の自由だ」
「…―――まあねえ。彼女達の伯父としては、心配になる処だ。まあ、ともあれね」
「出来ることをするしかない。おれは、滝岡のように医師ではない。唯の分析屋だ。調整の方がいまは多いが」
「えらくなったからねえ、きみも」
あきれたまなざしでみていう教授を、ちら、とさらにあきれた視線で返して。
「何をいってる」
「世界はね」
唐突に教授がいうのに、視線を変える。
無言でみる一佐に、気付かないようにして。
「わたしは、この新興感染症によって、人類が滅ぶこともありうると考えている。その要因は複数だ。…感染症自体の危険、それだけでも、人類が滅ぶこともありうるだろうとね。それにあわせて、感染症が人類を滅ぼさなくとも、この感染症が崩したバランスによって、戦争や大きな経済的な恐慌というものが起きて、人類の文明という世界が崩れ去り消えてしまうこともあるだろうと考えている。それでも、ある意味、生物として生き残っていくことが出来るかもしれないともね」
「…――――」
無言できく一佐に、淡々と。
「世界とは何だろうね?例えば、最近の経済至上主義のような、ある意味、資本主義というよくわからない制度を維持する為だけに、人々を忙しく詰め込んで急坂に転がすように、効率というよく解らないものを優先して、経済効率という数字信仰の為だけに人を動かして経済――金というものを稼ぐことが行われてきているが。今回のことは、その不自然さを考え直す良い機会になるのかもしれないと思うことがあるよ。アメリカや日本を離れて、このアイスランドにきて思うことだがね」
「効率か」
「そうとも。経済効率とか、いかに無駄をなくすとかね?しかし、その割にそれは数字だけをみていて、膨大なエネルギーを使用して、何故か国家間の為替差益とかいう信仰を生み出して、その差益で遠くからものを運んで――燃料を多く使っている方が、何故か経済的利益、というものは出るような仕組みになってしまっている。本来、それは自然に考える節約とか、そうしたこととは真逆の発想なのだがね?為替格差等という世紀の発明に踊らされて、実際には存在しない幻を追って経済という幻を造り上げているようなものだ。―――…それらが、本来生存するというシンプルな目的の為には必要だったのかどうか?」
つらつらと考えるままに語っている教授を静かに、多少あきれながら一佐が眺める。
「妙なことを」
「確かに妙だがね?世界各国の反応をみていると、単純でシンプルな目的で動いた僅かな国々の遣り方とは何と違うものだろうか、と思うのだよ。命を救うという単純な目的で動いた国々は救われた。だが、――他の各国が辿ったあらゆる種類の間違いをみていると、思うのだよ。…人生の目的は何だろうとね?お金というものを稼ぐのも、生きる為だというが、それは本当だろうかね?」
雪が常に消えることのない山脈の白い輝きを目に、教授が。
「経済と人の命を天秤にかける国々が多くある、―――それらはすべて失敗しているが、それをこの北の地で眺めているとね。思うのだよ、本当に」
教授が、しばし沈黙して悠然と佇む山脈を眺める。
人の想うことなどに関係なく聳える白い冠を。
そっと、教授が続ける。
「―――生きている目的はなんだろうとね?世界は、この感染爆発に狂乱した。パンデミックに至る前に唯一の防ぐ道を故意にか、封殺したという疑惑まである。そうして、間違った選択を多く行った。神尾君が随分と怒っていたがね。気持ちもわからないではない。――何故なら、事は感染症なのだからね。対処の方法は単純に一つしかないというのに。何に対して負けたのか、大変愚かなアナウンスを国際機関という権威のある処が行ってしまった。これは消すことの出来ないことだ。―――人類が滅べば、まあ、誰も歴史に書き残しさえしないだろうがね?」
皮肉に笑みながら、何処か哀しげに教授がくちにして、軽く息をついて続ける。
「そう、単純なことなのだよ。事は、感染症なのだ。できることは一つしか無い。―――徹底的な隔離。…―――どうして、それをしなかったのかとおもうね。何故、交通の遮断を勧告しなかったのか。わたしには理解できない。―――…あれで、数十万、そして、それ以上の人々が死んでも、あの決断をした者達にとっては、何一つ良心に痛む処などないのだろう。そうでなくては、ああした決断を平気で行えるものではないからね。…―――僕は、SARSのときの対策を行った彼女がいなかったことは、人類にとっての何よりの不幸だったと想っている。うまくいった対策の後、そんなことはしなくともよかったと軽くみる勢力が伸張して、結局はより大きな失敗を引き寄せてしまうというのは、組織においてありがちなことではあるがね。…人類の未来を考えたなら、起こってほしくはなかった失敗だった」
「…失敗ですませるというのもお優しいことだ」
皮肉に笑みを浮かべていう一佐に教授が肩を竦める。
「あの組織は何処までも腐ってしまってはいるのだろう。――…おかしなことになったものだよ。医療――滝岡くんの準備している、電気も燃料もない状態で出来る医療というのは、それは常にアフリカや苦しんでいる地方での病に対する現状だ。人工呼吸器など、あるいは透析装置などというものは、無い物ねだりに近い遙か遠い医療になることがある。そうした国々を本来支援する為に、あの国際機関は存在したはずなのだがね?医療に常にアクセスできる先進国といわれる国々の為にではないのだよ。そうした国々では、人工呼吸器が必要になった時点で医療をあきらめる必要が出て来てしまう。それを防ぐ為にこそ、早期に警告をして厳しいと思われる――経済的に豊かな国々では何の問題にもなりはしないことだろうが――一定期間の人的交流の中止などを勧告する必要があったのだよ。あの国際機関は、その設立主旨である本来の意義を自ら捨て去ったのだよ。わたしはそう思っている」
「手厳しいな」
「わたしの個人的見解だからね。感染が広がりパンデミックが起これば、そうした国々では救われない命が出る。それを解っていて初期封鎖を行わず宣言を伸ばし人の移動を止めなかった勧告を初期に行ったあの国際機関に関しては、わたしは許せる処は無いと思っている。いまになって、あの機関をそうした国々を救う為に必要だという人々もいるが、はたしてそうかね?一番最初に自らの目的を忘れてそれらの国々を見捨てた国際機関が、何の頼りになるというのだね?わたしは、腐ったミカンは箱ごとすてるしかないと思っているよ」
あくまで厳しい教授の指摘に一佐が天を仰ぐ。
「おれは、一応、ミカンが腐っている周辺を根こそぎにすれば、その後箱を消毒するのでも使えないこともないかと思っているぞ?」
「現実的だね。わたしの意見は、個人的な怒りだ。尤も弱い処を平気で見捨てた最初の判断については、わたしは酌量の余地は存在しないと思っている」
「わかった。落ち着け」
「すまんね。元々、わたしはきみも知る通りかなり熱くなりやすく、問題をよく起す存在だからね?」
教授の言葉に一佐が微妙な表情で沈黙する。
「――あんたを熱くなりやすくて暴走すると定義したら、…」
あいつとかはどうなるんだ、とふと頭痛をおぼえて。
教授が、肩を竦めて続けている。
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