Novel coronavirus 28

先まで、実は声だけの参加だったが、いまは場所も変わったのか。

何処か日本家屋の中にみえる障子と畳の映る室内に、タートルネックのどうやら私服らしい服装になって、リラックスした様子で一佐が話し掛けてくる。

「兄貴があの様子になったら、しばらく動かん。勝手にアクセスも切られるかもしれないが。神尾先生のことはよくわからんが、おそらく同類だろう。暇があるなら、少し質問につきあってくれないか?」

「…構いませんが。もうお仕事中ではないんですか?」

「一応は、先まで仕事をしながら訊いてはいたが、…いまは違うな」

やわらかく微笑むと印象が常とかなり異なる本多一佐に、滝岡が少し笑う。

「どうした?」

「いえ、いつも秀一がお世話になっております」

それに無言で本多一佐が肩を竦める。

「あちらは、いまは部署が違うからな。いつも世話はしていないが」

穏やかにいうと、手にした湯呑みから何か呑んで、しずかにいう。

「いまは空き時間なのか?」

「はい。待機というか、…本来は、身体を休めていなくてはいけないんですが。…どうにも、――そこに、神尾と教授のお話が聞こえてきたので」

「面白いというか、謎な会話をするからな、…―――良い時間つぶしにはなる」

「…時間つぶしですか?」

あきれてみる滝岡に、本多一佐が肩をすくめて、障子の向こうか何処かをみていう。

「兄貴はな。いつでも語らせ始めたらいつになっても終わらない、やくたいもないことを言い続けるからな、…――そもそも、あれが人生の最初から、兄貴として八才上にいたんだぞ?いい加減あきれるというか、…――な」

あきれて何を思い出すのか、多少遠い目になっていう本多に、滝岡が笑う。

「――なんだ?」

「いえ、すみません。…こちらも、二つ年上のいとこのことを思い出したので」

苦笑しながら、楽しげにいう滝岡にあきれた視線を本多が送る。

「ドクター神代のことか?…あれは天才だが、…確かに、身内にいると大変だろうな」

同情に堪えない、という口調と表情でいう本多に滝岡が笑う。

「ええ、…おそらく教授もまた、お身内に持たれてはとても大変な方になるのかとは思いますが」

「仮定でなくていい。実に大変だ、…常に騒ぎを巻き起こすからな。…――処で、滝岡。おまえは、除隊して長いが、実際、今回、――もし呼び出されたらどうする?」

「そうですね、…。こちらの病院のことがありますから、…―――しかし、即応に登録してはいますからね。…事情を鑑みてという処でしょうか。はっきりしなくて申し訳ありませんが」

多少困ったようにいう滝岡に、考えるようにして本多がうなずく。

「勿論、呼ぶ方もおまえが病院の責任者になっていることは考慮するが。…余程のことがなければおまえを呼ぶことはないだろう。…余程がなければいいがな」

「そうですね。…実際、いま正直にいって、こちらを回すので精一杯ではあります。…本来は、こちらに補充がほしい処です」

「おまえの病院が、関東地方の一部を支えているのはよくわかっている。神奈川にあるというだけで、本来なら断る救急も東京から、いや、東京方面から受入れているだろう。あれはどうだ?大変だろうが」

「はい。実際、すべての受入れ患者を当初から、感染疑いとして入れていますので、対応に変化がある訳ではありませんが、…―――一時期、資材が不足して困りました。いまも、足りている訳ではありませんが。」

「それより、人か?」

「はい。正直にいえば、応援がほしい処です。そちらから、衛生を回してもらうわけにはいきませんか?」

「無理だな。即答ですまんが。一応、民間に出すことは、いまはしていない。おまえをこちらに呼ぶ可能性があるのにすまんが」

「そうですか。しかし、いつかは応援がどうしても必要になってお願いするかもしれません」

穏やかに微笑んでいう滝岡に、あきれた視線を投げる。

「おまえな」

「はい。」

穏やかにみえて芯の強い滝岡の視線に、あきれて本多がためいきを投げる。

「おまえな、…。兄貴もそうだが、―――鷹城のバカもそうだがな。おまえも、タフなことにはあきれる。」

本気であきれた視線を遠くに投げて。手に湯呑みをかるくゆらして、息を吐く本多に、滝岡が苦笑を。

「誰がおっしゃっているんですか?貴方にいわれては、困る人も多いでしょう。まあ、秀一は確かにタフですが」

さらりと秀一に関して楽しげにいう滝岡をさらにあきれた視線でちら、と本多がみて視線を外に移す。

「…親ばかというか、兄弟バカか?おまえさんには本当にあきれる。」

深くうなずいて遠く視線を投げる本多をみて、穏やかな視線で滝岡が。

「自慢ですからね。光もそうですが。」

「――――…それが本気なのが怖いな。ドクターは確かに天才だが、あれだぞ?鷹城もな、…まあ、ドクターに比べればまともだが」

「光と比べてまともというのは、やめた方がいいかと」

「そこは理解しているんだな?」

本多の微妙な沈黙と視線に滝岡がうなずく。

「勿論です。二才半のときからの付き合いですから。…―――向こうにいわせると、0才からですが。」

多少嫌そうに思い出した記憶に視線をげんなりさせていう滝岡に気の毒そうに本多がみる。

「相手は年上になるからな、…。こちらが記憶していないというのに、数才違うからといって、そんな記憶していない頃のことを人質にとられても大変嫌なものだ」

「…――はい」

視線を伏せてしみじみとする滝岡に、障子の向こうにある月をみて。

「苦労するな、おまえも」

「一佐も、…――あの方が兄上というのは」

言い掛けて微妙に沈黙する滝岡を見ずに、月と遙か空を眺めて。

 湯呑みを両手に転がしながら、本多が深く息をつく。

「敵はあれだからな、…。人類が滅びるかもしれない感染症も、下手をすると地球規模の生命史とやらを持ち出して、大したことでもないと言い始めるからな…」

非常にしみじみとして遠い視線を月に送る本多を、同情する視線で滝岡がみる。

「光も同じようなものですから。」

「その上に、あの神尾さんだろう。…兄貴に比べればおとなしいかもしれんが」

「…どうでしょう。…」

真面目に考え込む滝岡に、本多が笑う。

「やめてくれ、兄貴と比べておとなしくない人格だとしたら、世界中の紛争や宇宙規模とやらの陰謀やなにかに巻き込まれているということだぞ?普通の人生は送れん」

「…多分、神尾は既に普通の人生は送ってきてはいないとは思いますが、…」

「普通の基準がわかるのか?」

真顔になってきく本多に滝岡がつまる。

「―――それをいわれると、」

「だろう。少なくとも、珪藻が専門だと常に主張しているくせに、人類を火星に送る計画の首謀者の一人として、実際に計画を動かしていたりするのが普通でないらしいことくらいはわかるが」

「教授ですね。神尾はそれに比べれば、――確か、感染症を学ぶ為にマラリアのある現地にいったり、エボラの流行している紛争地にいって治療をしてきたりとしたくらいのはずです」

「―――それも大概だな、考えてみれば」

能面のように何を考えているのかわからない顔で本多一佐がコメントするのに、滝岡が少し考える。

「――光はその点、かなりエキセントリックで考えていることは常にぶっとんでいますが、ボストンで学んで、あちらで時々、医師として活動しているだけですから、―――その点でいうと、まともなんでしょうか?―――普通というか」

「――――普通という言葉が意味不明になるから、やめてくれ」

極真剣に本多一佐がいう。

「そうですね。普通というのが実はよくわからないんですが、…やめておきます」

「そうしてくれ」

しみじみという本多に、滝岡が深くうなずく。

「よくいわれるんですが。普通の意味がわかっていないとよく、―――確かに、おれの周りにはあまり普通といわれる人間がいない気もします」

「します、じゃない。いないとそこは確信してもいい」

言い切る本多一佐に困った視線を滝岡が向ける。

「そうですか?」

「勿論だ。」

「―――…そうですか?西野とか、―――」

言い掛ける滝岡を本多が遮る。

「西野君とかいう、例の濱野と一緒になって何やらしている人物を普通に数えようというのはやめた方がいいぞ?」

「そうですか?しかし、―――」

「どうした?」

「…光と比べれば、といいかけたので、――」

本多が言葉を途切れさせる滝岡に実に同情した視線をみせる。

「理解しているが、基準がどうしてもそこになるんだな?解るぞ」

重いうなずきに、滝岡が空を仰ぐ。

「はい、何というか、…。」

「うん」

それぞれ、年長として物心つく以前から、それこそ生まれたときから関わっている相手を思い浮かべて実に複雑な表情になって。

「人生、色々あるな」

「…―――はい」

本多一佐の言葉に、滝岡が同意する。

「さて、――寝るか?おまえも、珍しく眠れない夜には、こうしたくだらない話をしているのもわるくはないだろうとおもうが」

「ありがとうございます。正直、本来なら、いまは待ち時間でもありますが、休んでおくべきだとも思っています。その時間がとれましたから、―――ですが」

「患者さんがいると、そうもいかないか。」

「―――…はい。…だからといって、おれが根をつめても、事態がかわるわけではありませんが。むしろ、休息を取らずに判断していては、ミスをする確率が高まりますからね」

「…まだ、現場にいる方が楽か」

「それは、…。処置をしている方が、あるいはその場で方策を考えている方が。ですが、いまようやく少し患者さんの発生が少なくなってきましたからね」

「実際に急患が立て続けにくる状態ではないか」

「ええ。それに関しては多少落ち着きました。うちは救急の受け入れを止めていませんから、すべて感染疑いとなりますし、…――それでも、その状況も少し落ち着きましたから」

「却って、落ち着かないか」

「はい。――考えてしまいます。どうしても、だからといって、いま現場に戻っても、――少し寝ないと」

「即睡眠が特技のおまえとは思われないな」

穏やかに微笑んで、そっと本多一佐がかるく揶揄していうのに滝岡が苦笑して目を閉じる。

「考えても仕方ないというより、――…いま優先するべきは、身体を休めて、次の出番に備えることですからね。おっしゃる通り、おれの特技を考えると非常に珍しい状態ですが」

「かなりきているな。…そちらへいって、無理矢理落とし込んで寝かせてやろうか?」

「―――瀬川さんの特技ですね、…いえ、それは遠慮しておきます」

寝技というか、永瀬を眠らせるのに、かなりきわどいワザを決めて無理矢理寝かせている瀬川を思い返して滝岡がそっと視線を伏せて断る。

 それに、かなり真顔で。

「そうか?いつでもいってくれ」

「―――考えておきます。」

断りきれずに返答する滝岡を正面からみて。

「いつでも気絶させてやるから安心しろ」

「ありがとうございます、…」

睡眠薬よりは健全だろうか、とつい考えてから。

「…処でお話というのは?これで?」

「ああ、――話というかな。…おまえは、この処の情勢をどう考えている?まだある意味、初期に分析した最悪の結果よりは、かなり良い状態だとは思うが。おまえの弟分などは、根が暗いにもほどがある分析をしていたからな」

「それはどういう?」

訊いてもかまいませんか?という滝岡にうなずく。

「構わん。あれは、感染症としての分析とは別に、神尾先生の分析も入れて、――このいまも止まる気配のない世界中で流行を続けている感染症に対して、一月の時点で輸出入が止まり、日本に燃料の輸入が行われなくなる可能性にまで言及していたからな。あいつのレポートを読ませてやりたいぞ?兄貴も神尾先生の予測もいい加減暗いが、あいつの予測は群を抜いて根が暗い」

きっぱり言い切る本多一佐に、滝岡が困惑して見返す。

「…それで暗い、ですか?」

「―――」

戸惑っている滝岡を無言で何ともいわれない表情で本多が見返す。

それに気付かずに。

「中国で工場等が止まるでしょうから、部品等が生産できなくなり、実際に製品を作る際に不足部品が出て完成品が出せないなど、それに感染が広がった場合に、当然ながら原油等の生産が、現地で不可能になる可能性もあります。中東でも実際に流行していますから、――タンカー等の船員が感染によって不足して運行不可能になる可能性もありますからね。燃料が不足して発電が行えなくなる可能性については考えていましたが」

「…―――こちらが原泉か」

無表情にしみじみと滝岡を眺めながらいう本多一佐に滝岡が戸惑う。

「どうしました?…原潜?ですか?」

「いや、違う。気にしないでくれ」

げんせん、という音を聞いて、除隊する前まで勤務する予定だった原潜――つまり潜水艦を思い浮かべる滝岡に、こいつもあれだな、と本多が思いながら。

「いや、鷹城が暗いと思っていたが、おまえの方が根が暗かったのを思い出してな。そういえば、おまえの方が暗かったのを忘れていた」

「―――そんなに暗いですか?いつもいわれますが」

眉を寄せて珍しく抗議する滝岡に深くうなずく。

「勿論だ。よく考えればおまえはあいつの兄貴分なわけだからな、…」

深くしみじみとうなずいている本多一佐に滝岡が抗議する。

「やめてください。そんなに暗いですか?秀一も確かに、…――仕事柄というか、聞いていると予測の根が暗すぎると思うことは確かにありますが」

「…――つまり自覚はないんだな」

「…え?」

ぼそり、とつぶやいた本多の言葉が聞き取れずに滝岡が訊ねる。

 それに、首を振って。

「いや、…つまり、エネルギー危機になるかもしれないと思っていたわけだな?」

戸惑いながらも滝岡がうなずく。

「当然です。そうでなくても、地震がありますからね。関東大震災が再度起きる確率は高いといわれています。南海地震が来ても、神奈川は揺れるでしょうから。…――地震がなくても、豪雨災害や、――洪水に関しては、うちは川沿いにありますからね。地震対策に杭は打って地盤改良もしてありますが、…――免震などにしても、どれだけ備えても完全ということはありませんから。…―――地震が来て、ライフラインが途絶えたときに備えて、自家発電は勿論、水道が止まる可能性に備えて井戸も準備していますが、―――。何れにしても、いま提供できている医療は、電気がなくては止まってしまいます。人工呼吸器に透析装置、―――発電機の予備や太陽光発電、微小水力もありますが、中々万全とはいえません。もし、輸入が止まれば、色々なものがなくなってしまいます。薬も、薬草園を準備してはいますが、いまのような水準の医療は提供できなくなるでしょう。最悪、薪とかの準備をして、待避所を用意はしていますから、本当に最低限湯を湧かして、―――応急処置までしかできませんが、そうしたことが何とか出来る準備だけは常日頃から行ってはいるんですが。完全に周囲からの援助もなく、物資がない状況でどれだけの医療が提供できるか、―――。江戸時代の水準にも中々届かないかもしれませんが、準備だけはしています」

「―――しているのか」

能面のような表情でみている本多一佐にきづかず、滝岡が続ける。

 極々真面目にうなずいて。

「準備だけは、――やはり、薬がネックですね。薬草園はあっても、中々、薬として管理できる人がいません。何にしても、原始時代に戻るようなものですが。電気を、――発電がいつまで行えるかと、それらが完全に止まってしまった際には、どのような医療が提供できるのか、最低限の装備でものがない中で何ができるか考えています。訓練もしていますが」

「…――」

沈黙している本多に、微苦笑を落として滝岡がくちにする。

「尤も、神尾とかにいわせたら、甘いといわれそうですが」

おかしそうにいう滝岡に僅かに本多が眸を眇める。

「アフリカや、――あちらの方では、実際に発電設備が足りずに、水もない地域があります。そこでエボラ他の感染症に対応してきたわけですから」

しみじみと滝岡がうなずいている。

「日本は水が手に入るだけ、ありがたいことです。尤も、それだけ容易に水が手に入るということは、水害が、――豪雨等による被害が起きやすいということでもありますが」

「禍福はあざなえる縄のごとし、というわけか」

「本多一佐 ?」

聞き返す滝岡に、少し笑んで。

「いや、そろそろねむれ。聞き返しが多いぞ?」

「…――はい、そうですね、…寝ます。おやすみなさい」

苦笑して、滝岡が少しばかりねむそうに目を、――そして、接続を切ったその瞬間。

椅子の背に凭れるようにして眠ってしまったのを、切れた画像の向こうに何とはなく察しながら。

「――――…一番とんでもない人物がここにいたな」

兄貴よりあれだ、と。

 しみじみと納得している本多一佐を知れば、滝岡が起き出してきて抗議しそうだが。


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