Novel coronavirus 27
「どうかね?くだらない話をきかせたろう?」
「いえ、――蘇民将来が、流行の後、免疫を得た人の話ではないか、というのは面白いですね。僕も少し考えたことがあります。もし、生き残ったら、どのように扱われたろうか、と。あれは、海辺である話が多いのも――僕の印象だけかもしれませんが、海――外から来た感染症が当時原因として起こったのではないか、という印象があります。とすると、歓待した方が助かったのは、ある程度普段から接触があって免疫がある程度あった、もしくは過去に感染したことがあった人達が生き残ったのではないか、と考えることもできます。その後、まったく免疫を持たない他の歓待しなかった家々が、他の人達がすべて初めて出会う感染症にあって滅亡したともとれます。…――いずれにしても、感染が流行した際に生き残ったものに対して、意味はわからないままに理由付けをしたというのは有り得る話だと思います。宗教でもそのような話はきくことがあります。聖なる印といったもので、――尤も、ぼくには宗教関連はよく解らないのですが。いずれにしても、しるしをもつものは病にかからないようにしよう、という約束をするのは、例えば、はしかなどのように発疹が起きたり、あるいはその後に瘢痕がしばらく残るといった感染症は多くありますから、―――確かに何かの免疫を持つことを象徴しているようにも思えます」
考え込みながら続ける神尾に、一佐が慨嘆する。
「兄貴以外に、こういう話を振って理解する人間を初めて見た」
「あ、…すみません。その、感染症全般に興味があって」
「過去も例外ではない訳だな?」
謝る神尾に、面白そうに滝岡がいう。
それに、視線をやろうとしてまだ画像が出せていないのに気付いて戸惑ってうなずく。
「その、はい。」
「謝ることじゃない。そういった感染症の歴史を調べるのも、今現在の役に立つことだろう」
「――…はい、ええ、その通りです。人がどのように感染症に対してきたか。或いは、どのような対策が行われて過去にどのような病――推定になりますが――が人類を襲ってきたか。それらの歴史を学ぶことは大変に意味があります。過去のそれらの多くの感染症は、淘汰圧になり、あるいは文明を簡単に滅ぼしてきましたが。いまも、人類は滅ぶかもしれませんが、…――」
教授が一佐に聞かれていた答えをくちにしていることに気付かずに神尾がいう。
「常に人類は感染症と闘い続けてきました。そして、滅ぶ瀬戸際にありながら、いつもそれを回避してきたのは、単純に教授も言われている通り、隔離されていたからなんです。環境が隔離されていた。人が他の大陸に、あるいは他の土地に移動することが簡単には出来なかったからです。―――単純に、同じ感染症が人類を殺し尽くす前に、他に広まることができなかっただけです。ですが、現在は移動手段があります。それも簡単に飛行機で」
ほんの数時間で、と。
「不顕性感染でなくとも、発熱する病気でも。その発熱が起こる前に飛行機に乗り、発熱する前に降りることが出来る時代です。人のすることに完全は有り得ない。ですから、もし検疫で外からの侵入を防ぐことを百%を目指しても必ず擦り抜けは起きます。必ずおきるものである以上、出来ることは隔離でしかない。」
三十八度以上の発熱をサーモグラフィーで検出しようとしていた過去の検疫を思い出して神尾が哀しいように微苦笑を零す。
「一律に発熱に関係なく、入国制限をして一定期間の隔離をした国は成功しましたが、…。それが出来なかった国、あるいは、しなかった国にはこの病気は入り込んでしまいました。…――もう防ぐことはできません。あとは、―――」
「あとは?」
一佐の問いに無意識のように。
「感染する速度が速い。簡単に感染するといった方がいいかもしれません。コロナウイルス、――風邪として知られるコロナウイルスと同じ系統だとしたら、―――SARSは重症化した人からしか感染しなかったという報告と、そうでなく無症候感染もあったという報告もありましたが、――いずれにせよ、重症化した報告がある時期から途絶えて人類の前から消えてしまいました。はっきりとしたことが解る前に、幸運なことに世界に広がる前に人の目には見えなくなりました。…その後のMERS――ヒトコブラクダを宿主とした、非常に致死率の高い病も、同じコロナウイルス系統ですが、感染終息にまで至らないまでも、狭い地域から世界中すべてに広がることはありませんでした。けれど、これは、…――――」
ためらうように神尾がくちにする。
「同じ系統のヒトに風邪症状を起こすウイルスのように、もし簡単に感染していくとしたら」
鏡の向こうに映るのはなにか。
「ヒトにとても感染しやすいとしたら、―――。最初は一人でも。それが地球上を覆うのは、とても簡単なことでしょう。人類にとって免疫を持たない感染症が地球上に一度に感染拡大できる交通手段を持つ条件のもとに現れたことは、これまで一度もありませんでした。少なくとも、重症化して死亡する頻度がこれほど高い感染症が現れたことはありません。そして、もし風邪と同じようにというなら、――…免疫として機能する抗体が持つ期間はあってもとても短いものになるかもしれないとおもいます」
「…持たないか」
一佐の呟きをきいているのかどうか。
ぼんやりと神尾がくちにする。
「風邪といわれる殆どの感染症、そしてインフルエンザも感染から回復しても、また同じような病にかかります。それは、一度掛かっても、また同じような感染症が流行する時期には、先に得たはずの抗体が存在しなくなっているからです。これに関しては、むしろ、はしかや何かのように一度感染したら後は一生かからない免疫を得る方が例外なのかもしれません。インフルエンザは別の型が流行すれば、またかかります。それと同じように、あるいは「風邪」も型を変えているという考え方もあります。…――もし、そうであれば、ワクチンがもしできるとしても、少なくとも一度打てばいいというものにはならないかもしれません。それでも、重症化を防ぐことができればいいのかもしれませんが」
「まったく、効かない可能性もあるか」
「はい、滝岡さん、――。その通りです。もっと悪いことも有り得ますが」
「ADEか?」
不思議そうにみる滝岡に神尾がうなずく。
「はい。重症化を防ぐというだけでも、ワクチンが出来れば意味はあります。ですが、デング熱のように、二度かかることでかえって重症化して、出血熱を引き起こすようなこともあります。わからない」
ちいさく神尾がつぶやく。
「――――…スペイン風邪、…」
「神尾?」
僅かに首を振って、神尾が。
「百年前、スペイン風邪が流行したとき、不思議な症状が多く報告されていました。…まるで、肺炎ではなく出血熱のような。あれはインフルエンザということになっていますが、一体なぜ、そうした症状を引き起こしたのか」
「つまりは、一度目に罹って治ることで得た抗体が、二度目には却って悪さをして、致命的になるということかね?重症化と若者の死者が当時多かったのは、実は一度目に感染していて、その際に重症化して死亡した老人達が目立っていただけで、一度目にも実は感染していたけれど軽症もしくは症状のでなかった若者たちが、次の波で犠牲者になったということかね」
悩んでいる神尾にあっさりと教授がいう。それに首を傾げながら。
「…わかりませんが、――当時の記録からは、何故か一度目には高齢者などの死亡が目立ったのに、次には若者が多く亡くなっています。その後、第三波が記録されて、以後、何処かに消えたようになり、…―――それが、弱毒化していまのインフルエンザになったからだ、という人もいますが」
「弱毒化かね?あれは都合の良い幻想ではないのかね?」
「―――教授…」
あっさりはっきりという教授に、思わず珍妙な顔になって神尾が教授をみてしまう。
「…はっきりおっしゃいますね、―――」
「そんなもの、ウイルスがものを考えるわけはないのだから、単なるそのときの都合にすぎまい。発掘された遺体からは、強毒性のウイルスが検出されたのだろう?あれは弱毒化などしていないよ。単に、宿主が死に尽くしたから消えただけだろうに。」
どういったものかと迷っている神尾に、あっさりと。
「単に多くの経路を分岐していくことを繰り返すのがウイルスの増殖というものだ。非常に機械的なものにすぎない。多くの分岐を繰り返し、突き当たる場所では増えることが出来ずに宿主と共に消えるにすぎない。感染が広がれば広がるほど、宿主を殺さずに増える方が有利となり生き残っていくなどと、―――。いや、実に楽観的ですばらしい考えだがね?」
「…――教授、…」
「夢をみるのは構わないがね?そういうことなら、増殖さえできれば、別の条件でも生き残りはしないかね?別に弱毒化などしなくとも、宿主が次々と見つかれば充分増える時間はあるというわけだろう?例えば、脳に感染して行動を変化させることができれば、外部と接触する性質になるように宿主を操作すれば、簡単に次の宿主をみつけられるだろう。その後は、元の宿主は死んでしまっても別に問題はないわけだ。なんというか、現代のように感染拡大の速度をあげる手伝いを宿主が行ってくれるような時代に、何をいっているのかね」
「―――教授…」
「夢をみている暇があったら、現実に対処する方がいいと思うがね?そもそも、その弱毒化するのはいつなのだね?人類と共存する気にウイルスがなるなどと、まるで人格や思考をウイルスがもっているような擬人化した扱いはどうかと思うね」
きっぱり切り捨てる教授に神尾が遠くをみる。
「…一応、適応進化というか、そういった概念が当てはまるのではないかという話ではあるかと思いますが」
あきれた顔で神尾を教授がみて。
「ならば、それは単なる偶然というものだよ。純粋にランダムな進化というものが当てはまるのなら、感染力が強くなり、強毒化する場合もあるということだろう。周辺条件次第で変わるということになる。確か、弱毒化の根拠はオーストラリアのウサギでの話だったかね?その条件で当てはまった話を、まさか一般に普遍化する訳にもいくまい。しかも、何が起こるかわからない、そのランダムな進化とやらに賭けて弱毒化すると信じるのは勝手だが。それを基本として期待した対策を打つことはお勧めしないね」
「…教授、…」
しみじみと天を仰ぐ神尾に、
「…ええと、…はい。その、弱毒化するかどうかはともかくとして、変異が起き続けているというのは確かなようです。コロナウイルス系が特に変異しやすいというわけではありませんが、これだけ、―――多くに感染すればするほど、ウイルスは変異して性質を変化させていきます。教授のいわれる通り、その変化がどうなるかは、そのウイルスが遭遇した環境変数により左右されるものにすぎないのです。偶々、その変異は起きます。それがヒトに感染しやすくなることで、より容易にヒト感染しやすくはなっているかもしれません。その毒性に関しては、わからないというしかない。何故なら、元々の宿主であった動物から人類へ感染を始めた際の毒性が不明だからです。患者ゼロを探し出して、当時のウイルスを発見して比較することができれば別ですが。…―――いずれにせよ、この感染拡大は、ヒト感染に適応した形態に変異したことだけは確かだと後から証明している形にはなると思います」
考えながらくちにしつつ、神尾が少し首をかしげる。
「どうした?神尾?」
滝岡の問いに無意識に首をひねりながら応える。
「本当にコウモリ由来なんでしょうか?」
いいながら、何度も首をひねる。
「ニパウイルスもコウモリ由来でしたからね、――それに、でもMERSはヒトコブラクダ由来ですから、…―――そもそも、SARS2だという永瀬さんの見方は正しいと思いますが。元になったSARSが何処から来たのか、という話になれば、大元はコウモリという話になると思いますが」
首を傾げている神尾に教授が訊ねる。
「確かコウモリからヒトへ移る前に中間宿主がいたという話ではなかったかね?」
「ええ、その通りです。ですから、源がコウモリであった可能性はあるのですが、…中国では野生動物を食用とする市場から感染が広がったという話がありますが、…―――」
「それは怪しいと思っているのかね?」
「いくつか中間宿主として候補が挙がってはいますが、どうもしっくりきませんね。…なんというか、SARSから直接培養されて出来てきたような印象があります。培養といいますか、――そう、SARSは何処に消えていたのか?あるいは、本当に消えていたんでしょうか?」
考え込んで沈黙する神尾に、ふむ、と面白そうに教授もまた考え込む。
しばし、沈思黙考している二人に、その画像を面白そうにながめて、滝岡が珈琲を淹れにいく。マグカップに良い香りのする珈琲をいれて戻り、香りを楽しみながらスクリーンをみても、まだ考え込んでいる二人に。
―――何か飲まなくてもいいのかな?
食事はちゃんととっているだろうか、とのんびり考えてしまう滝岡に気付いているのかどうか。どうやら、同じく休憩して何か飲物を手に、糧食――片手で食べられるバーのようなものをくちにしている――本多一佐が、滝岡に話し掛けてくる。
――そういえば、本多一佐の画像が入っているな。
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