Novel coronavirus 24
「わからないかね。…」
「はい、わかりません。薬が効いたのか、…ですが、薬とは何でしょう?本当に闘うのは、その人の免疫です。つまりは、その人が持つ力でしかない。…唯、少しでもたすけになるように、…――それでも、」
そっと、不思議な微笑みに似た、あるいは。
「…ひとが何故、生き延びるのか。あるいは、生命を終えるのか。それは、まったくわからないんです。死にそうにみえた人が、生き延びることもあります。…あるいは、その逆も。年齢やそうしたものは関係ありません。最後は、その人の持つ生命の力が決定する。ですから、それをたすける為にできることを出来る限りするだけなんです。…―――いつも」
いつも、と。
少しばかり、息をつき。
言葉を途切れさせる神尾に、教授がおだやかに指摘する。
「つまり、きみは、…――矛盾しているというわけだね?そのように思うのに、いまこの疫病に、新型コロナウイルスという病に対して、人類が取る行動に、―――…弱者を守る為に設立されたはずの機関や色々な政府が間違いをおかして、…――結果として、失われはしないはずだった人命が、―――とても、とても多く失われていることに」
「…教授」
「怒りを感じている」
教授の言葉に、一拍おいて、―――――。
あきれたように、笑みを、苦笑を己に対して浮かべて。
それから。
「…ええ、その通りです、教授。」
言葉をそれ以上継げずに。くちをとじる。
その神尾に微苦笑を。
「そうかね。随分ときみはまあ、…。」
教授も言葉を切って、それから。
しばし、目を伏せて。
そっと。
「世界というのはね、矛盾しているものだよ。…何故なら、混沌であり、バランスを常に失っているのが、世界の本質というものだからだ」
唐突に言い始める教授に、僅かに神尾が目をひらいて見返す。
「…―――本質ですか?」
「本質だとも。そもそも、世界の始まりを知っているかね?ビッグバンが本当にあり、そうして世界が始まったのだとしたら」
悪戯気に教授が眸に光を乗せて。
「世界は、そもそもが、バランスの崩れから始まっているのだからね?もし、世界のバランスが崩れず、何もかもが均等に保たれていたとしたら」
教授が言葉を切って。
「…世界はそもそも、始まりさえしていない。きみもわたしも、この世にはなかっただろう。世界はそもそも、傾きから、―――小さなバランスの崩れからはじまったのだからね?もし美しいバランスを世界が保ったままだったら。わたしたちはこの世に存在してはいなかっただろう。世界がそもそも始まりさえしないのだから」
楽し気に微笑んでいう教授に、あきれた顔を神尾がむける。
「それは、…そうですけどね?」
「そうだとも。世界はそもそも均衡の中にはないのだからね?常に流動しかわりつづけているのだ。世界がそのように変化を続けていくものである以上、平穏の何もかもが動くことをやめた静寂が訪れることなど、わたしたちが生きている間にはけして訪れはしない」
そっと教授が悪戯気に笑む。
「動的均衡が整うということは、それがもし永遠に続くということがあれば。それすなわち静寂は死というものだからね」
「極論ですね?」
「宇宙とはそういうものだからね?誰がなんといっても、世界はそうして始まったのだよ。宇宙はそうして始まり、すべては素粒子でできているのだからね?逃れることはできないのだよ」
何処か楽しそうにいう教授に、あきれた声が入り込んでくる。
「人が黙って聞いていれば、―――好き放題というか、こちらの人達があきれているだろう。何が目的で始まったんだ?この接続は?」
「――目的というかね?唯の雑談だね、これは」
「雑談なのか、これが」
あっさり言い切る教授に。疑念というか、大きく眉を寄せているのがみえるような声で続ける相手に、教授が軽く眉をあげて反論する。
「それ以外のなんだというのだね?処で、きみはいつからアクセスしていたのかね?まったく、子供の頃からかわらないのだからね」
「誤解を招く言い方をするな。失礼した、本多だ。といっても、兄のこれとは違うが。兄貴、あんたが本多だから、非常に面倒なんだが」
いやそうにいう――つまり、二人の会話を聞くだけのアクセスをしていた本多一佐に、教授が指摘する。
「かわらないのは確かではないかね?きみはいつでも、無言で人の話を聞いていて、最後になる頃になって、宗論をかき回すようなとんでもない発言をかまして立ち去っていたりしたろう。あれで、いつも大変な騒ぎになっていたのだよ?」
「知るか。そのときもいまもだが、別に隠れてきいていたわけではないぞ?ちゃんと、アクセスしているのはみえていたはずだ。違うか?」
本多一佐の指摘に気付いて、神尾がはっとする。
「あ、…そうですね、…―――もしかして、滝岡さんも?」
「…すまん。途中で気が付いて入ろうとしたんだが、…話が佳境に入っていてな、…あいさつしようとはおもっていたんだが」
「すみません、こちらこそ、…」
神尾が画面の隅にある――といっても、わかりやすくなっている――アクセスランプに、参加している人数がいたことに気付いて真っ赤になる。
それに教授が平然と。
「此処に参加して聞いていた人数は、すべてアクセス許可を得ている人だけになるだろう。滝岡くんがいるのには気づいていたがね?」
「――それで、おれにだけ文句をいうな」
「すみません、…その、…」
つまりは、西野達が作成したシステムを使って、許可を得なければ外部からはアクセスできない状態で、インターネットを利用してアイスランドの教授と会話していた神尾なのだが。
そこに、確かにアクセス権限を持つ滝岡と、―――どうしてアクセス権限があるのかは不明の本多一佐が、先程からの会話を聞いていたということに気付いて、何故か小さくなっている神尾に。
「きみが気にする必要はない。この二人が、礼儀知らずだったというだけのことだよ。滝岡君、きみも気をつけたまえ」
「はい、すみません。…すまん、神尾。わるかった」
「いえ、その、…―――」
思わずも天を仰ぐ神尾に、滝岡が微妙に沈黙している気配。
そこに、全くひとかけらも罪悪感などおぼえていない本多一佐が。
「別に構わんだろう。しかし、途中から聞いていたのでわからんのだが、どうして、こんな内容の会話になっていたんだ?何から始まった?」
「野暮なことをいうものだね?人間の会話が、最初から着地点のわかる目的の明瞭なものだけなら、別に最初から会話をする必要性すらないというものではないかね?目的にかかわらず、会話する内に脱線し、あるいは目的地をそれて進むからこそ、面白いこともあるというものだよ」
教授の言い分に冷たい眼差しを向けて本多一佐がいう。
「あんたはな?聞いていると、いつものあんたお得意のなんとか上人があらわれたかとおもったぞ?いわんや悪人をや、とかいうやつか」
「訳の解らない略し方をするのではない。まったくきみはね?――善人なおもて往生す、いわんや悪人をや、…――――というものだね。歎異抄に書かれている」
「確かに、聞いていると、まるで神尾の言い分は、その歎異抄のようですね。おれには解釈が難しいものですが」
「神尾さんのせいにしているが、こいつはいつも、常にその立場だぞ?いつもいっているのはこいつだ。別に悪人だろうとかまわないとね」
真面目にいう滝岡に、あきれた声を挟むのは一佐。
それに、さらにあきれた顔をして見せて教授が。
「世界がいつか滅ぼうともね。確かに、そのとき生き延びる生命体というものがあるとしたら、それに悪も正義もないというものだとわたしは常々思っているよ」
「そうなんですか?教授」
少し驚いてみる神尾に、教授がうなずく。
「勿論だとも。人は生き延びようとして色々なことをする。生きることに執着して、とんでもないことを行うものだ。だがそれに、正義も悪もない。悪といわれるものであろうとね、最終的にそれは生命の乗り物にすぎないのだから、生存することだけが目的であるものにすぎないのだよ」
「――…身も蓋もないな」
あきれた声で淡々という一佐に。
「あるわけがなかろう」
あっさり応える教授。
「…なんというか、…御兄弟、ですね、―――…」
思わずもしみじみとくちにしてしまう神尾に、多少滝岡があわてる。
「…神尾」
「あ、はい」
それに気づいて、はっとして教授と――声だけが聞こえているので、顔はみえない一佐に、思わずアクセスランプをみる神尾に。
たのしげに教授がくちにする。
「かまわんよ。これの変人に巻き込まれてわたしも一緒くたの扱いを受けるのはいつものことだ」
「…誰が巻き込まれている。…どちらも同じくらいに変人だから、そういう扱いを受けているだけだろうに。自覚しろ、少しは」
「いやだね。」
「…――――教授、…」
一佐の言い分に、あっさり拒否する教授に滝岡が絶句する。いや、神尾もまた同じように言葉がないようだが。
「さて、きみのせいでお二人があきれているではないかね。そもそもわたしの主義は、というかね?生命の生存からすれば、最初に戻るが、人類など、別に悪だろうと正義だろうと、滅んでも特に構わないものなのだよ。この地球上に生まれた短い生命が、その短い命の中であがいて生きていこうとしている。それが、」
「…教授」
滝岡が真顔で教授を見つめる。
「その生命の短いあがきの中で、滅ぶことがありはしても、それもまた唯の当然というものなのだよ。人は死ぬ。個体としての人はね。けれど、けして、人類もまた永遠の存在などではありえないのだからね。…すべての生命体は素粒子で出来ている。その素粒子は常にその中でバランスを崩して、その傾きが生命を作る。」
そっと不思議な表情で教授が続けていく。
「生命は常に生まれ変わっていく。バランスを、恒常性を保ちながら、けして保ち続けることはない。それは、根本の素粒子の性質にもよるものなのだ。何故なら、当初から、―――その素粒子の誕生からして、――――」
「世界のバランスが崩れたから、誕生した、か」
本多一佐の言葉に、教授が微笑む。
「よく憶えているではないかね?」
「いやというほど聞かされたからな、―――あんたのわけのわからん哲学とやらに」
「哲学というわけではないよ?唯の事実だ。生命は素粒子で出来ている。では、生命の本質はといえば、素粒子の本質であるともいえるのだからね?そうして、その素粒子の存在は、ほんの少し、――すこしだけ、その始まりに傾きが起き、バランスが崩れたことによるのだ。世界はそうして始まったのだからね?」
「…――あんたのわけのわからん御託にいい点があるとすれば」
本多一佐が、あきれながらくちをはさむ。
「…わけがわからなさすぎて、壮大すぎて、どうでもよくなることだ。いま面している問題がな?」
「過分の誉め言葉をありがとう、というべきかね?」
「別にほめてない」
「しっているとも」
半ば漫才のような本多一佐と教授の遣り取りに困惑しながらも。
「つまり、――…世界の始まりはバランスを崩したことによるものであり、―――その世界の中でおれたちは生きているということですね。教授」
「…タフですね、滝岡さん、…」
教授の言葉に一佐の突っ込みにも負けずにまとめて質問してみせる滝岡に、思わず感心した神尾が。
それに、画像の神尾を振り向いて。
「…神尾、それは、――」
「あ、すみません。…その」
使い方がよくわからなくて、滝岡のようにアクセスしてきた人の画像を出せないでいる神尾が、戸惑いながら滝岡を示しているらしいアクセスランプの点灯部分をみつめる。
その様子に何となく気づいた滝岡が。
「後で、使い方をもう一度西野に習おう。画像が表示されてないんじゃないか?こちらの?」
「――はい。よくわかりますね?」
「視線がな、…わるかった。設定を後で直しておこう。」
「お願いします」
少しばかりカオスになっている遣り取りを完全に脇において。いや、これがオンラインでの会話でなくとも、けして周囲に巻き込まれることはなく――つまりは、独立独歩といえば聞こえはいいが、常に必ず己の道をきっちりと貫き通す一佐が。
「で、兄貴。質問があるんだが?」
「きみがかね?珍しいね。何かね?」
「人類が滅ぼうとどうなろうと、確かに構わんが。これから先、やらなくてはならないことが山積み何でな。あんたの予測を話してくれ。この新興感染症で、どれだけの人類がどのくらいの期間で死亡することになる?教えてくれ」
「―――そんな変数が多いことを聞くかね?」
「だから、聞いている。織り込んだ予測も多数あるが、それぞれに欠点がある。あんたのにもあるだろうが、一応聞いておきたい」
「きみは本当にいつでも本気で偉そうだねえ、…」
「当然だ。それが仕事だからな。で?」
教授の慨嘆にも堪えず、平然と返す一佐に。
思わず、固唾をのんで滝岡と神尾が沈黙してきいている。
「神尾くんとあまりかわらないと思うがね?地球上の総人口が70億と仮定してみよう」
しずかに教授がいって、淡々と。
「もし、何も防ごうとせずに感染を広げた場合、最終的に70億すべてが感染したとしよう。その間、感染による死者と治癒者がある。勿論、その間にも人は生まれて死んでいるからね?静的状態でない、――動いていない状態というのはありえない、というのは最初に憶えておかなくてはならない」
「で?」
教授の注意に何の関心も払わず一佐がうながす。
「きみはね、…。つまりは、それぞれの個体や集団がどのように動くかによって、結果は変わってくるというものだ。きみのように大雑把な質問は意味がないということだよ」
あきれながら、さらりと締める教授に気にせずに一佐が訊く。
「だが、神尾さんもだが、人類が滅ぶかもしれないというのだろう?それは何故、どうして起きる?途中の計算とかはいい。そういうのはいらん。こいつのいう通り、どう動くかによって変わるだろうからな。けれど、この新興感染症が人類を滅ぼすかもしれないというのを、あんたも否定はしないんだろう。その可能性もあると?」
「まあ、その通りだがね?」
あっさり肯定する教授に一佐が重ねて訊ねる。
「では、そう考える理由はなんだ?根拠とはいわん。それなら、研究した結果とやらが必要だろうからな。それでは答えられないだろう。新型インフルエンザや、エボラが出てきたときも、ある程度騒ぎはしたが、この新型コロナウイルスのように、人類が滅ぶかもしれないといった意見は聞かなかった。おれが知らないだけかも知れないがな。しかし、今回は聞く。――何が違う?」
端的に訊く一佐に、教授が正面から見つめるようにして沈黙する。
「――…なにが、違うのか、かね」
明瞭に立て板に水と流れるようにして話していた教授が、つまるようにしてくちをつぐむのに。
「つまってないで、さっさと話せ」
「…きみはね、…――デリカシーとかいうものは無いものかね?」
「あるわけがなかろう。」
教授が軽く沈黙して遠くをみて。
「わかった。それでは、あくまでわたしの考えていることを話そう。根拠などはない、あくまで、わたしが単純にこの感染症について考えていることだ」
「だから、それでいいといっている。はやくしろ」
教授が天井を仰ぎ、そして。
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