Novel coronavirus 23



「国際機関が初期対応を間違ったと思うのは、SARSのときのように厳しい対応をとれなかったことです。初期対応を間違った為に、多くの犠牲が出てしまいました」

厳しい表情に何処か哀しむような想いを乗せてくちにする神尾に、滝岡が静かに名を呼ぶ。

「神尾」

「僕は国際機関が誤ったと思っています。初期に厳しい対応を取れなかった為に、SARSのように封じ込めることはできず、こうして多くの犠牲を出してしまいました。いまだに、どこで感染拡大が止まるのか見当もつかない。世界で多くの人が死んでいるのは、国際機関の責任です。…―――日本や、アメリカ、ヨーロッパの各国のように、自国内に大きな検査機関を持たない国では、国際機関の公表する指針が基準となります。いえ、いまいった各国でさえそうです。その指針は、大きな意味を持つ。それなのに、厳しい対応をとらず、可能性――というにもおかしな、明白な事実に目をつぶって、何故か現実と見合っていない公衆衛生に関する勧告をしていた。その為に、国際機関の指針を採用していた各国では、間違った対応を行い、多くの死者を出すことになりました。これは、国際機関の責任です。僕はそう考えます」

「―-―…個人的見解だな?」

「ええ。僕の個人的見解です。国際機関には責任があります。その結果が、いまの事態です。もし、それは各国政府の責任であり、国際機関の勧告は影響していないというのなら、国際機関は存在する必要がないんです。」

きっぱりと言い切る神尾に、滝岡がわずかに困ったようにみる。

「病院としての公式見解には出さないぞ?」

「はい。あくまで、これは僕の個人的見解ですから。―――…許せないと思うのは確かです。本来なら、新型インフルエンザのときのように、空振りでも厳しい見解を出さなければいけませんでした。そうしなかった結果が、いまの、―――――…死んだ人は生きて返りません。失敗してもいいんです。本来なら、公衆衛生に関する危機に関しては、厳しい見解を常に出さなくてはいけなかった。それが過大でも、それに対して各国政府が判断し対応した結果に関しては、国際機関の責任ではないでしょう。しかし、今回のような」

言葉を切る神尾に、悔しそうに、何より哀しみと嘆きを乗せている神尾の黒瞳に。

 滝岡が静かにいう。

「残酷だな」

「―――残酷、ですか?」

 神尾の問いに滝岡が応える。

「残酷だ。…間違っても、もし過大でも、後から非難されてもそれはそれですむ。しかし、間違ったら、―――それが、いまのような方向で誤った場合、多くの人が死ぬことになる。…残酷だ」

 滝岡の言葉に、しずかに神尾がつぶやくように。

 それから、強く視線をあげて。

「そう、ですから、常に過大といわれようと、事実をみつめて、公明正大に勧告を行わなくてはいけないんです。その為に、国際機関は強大な影響力を持つ機関となっていたんですから。…―――その誤りを、本来、保護する為に設立されたはずのアフリカ等の国々が一番大きな影響を受けます。先進国といわれる国々でさえ、その影響を受け、多くの死者を出しています。国際機関は、誤ってはいけなかった。本来一番備えるべき危険として対応してきたはずの新興感染症によるパンデミックに対して、…―――国際機関の選択は、その拡大を生み出しました。パンデミックを生み出してしまったのが今回の国際機関です」

「―――…神尾」

「はい」

 滝岡が苦いものを呑むようにして。

「先にもいった通り、病院としての見解は出さない。それに関しては、もとより、この病院は私立でもあり、あきらかにそうした国際機関にコメントを出す立場にはない。だが、――」

言葉を切り、神尾をしずかにみつめて。

「私事としていえば、おまえの見解には共感する処もある。だが、正直にいえば、そこまで視野が広がっていないというのが実際の処だ。おれは、…―――この病院を守ることに精一杯で、この地域の衛生に対してすら、目を配る余裕を持たない」

「滝岡さん」

「―――…情けない話だとはおもうが、――光ともいっていたのだが、ワクチン接種に対して、何とか地域の保健担当の方達と話をしたいと思っていても、対応が難しい状態だ。…―――子供たちのワクチン接種に関しては、早急に対応を考えなくてはいけないが」

「いま余裕はないでしょうね」

神尾の言葉に滝岡がうなずく。

「そうだ。慢性疾患の方のコントロールに関しては、できる方に関しては自己採血をご自宅でしてもらい、オンライン対応できないか西野達と検討中だが」

「…―――滝岡さん」

「すまん。…本来なら、大元で対処する必要があることなのは理解できる。国が入国制限他の大きな枠で対応をしなければ、本来、火元を消火せずに、風で飛ばされた火の粉を防ぎ続けているようなものだ。…いつかは、必ず破綻する。このままでは」

「…滝岡さん、すみません」

謝る神尾に、滝岡が首を振る。

「いや、謝らなくていい。おまえの判断は大事だ。…―――大元で間違った対応をしていれば、それを参考にしている国の政策もまた間違う。…――それを超えるコメントや、強力な証拠をもった――研究成果など、いまは待っていられない状況なのだから」

「滝岡さん」

額に手を当てて、滝岡が目を閉じる。

「…すまんな、あまり有用なコメントを出せない。」

「いえ、大丈夫です」

「神尾?」

顔をあげた滝岡に、神尾が無理にでも笑みを作る。

「大丈夫です。…――いくつか、この不幸な事態でも、何とか、その不幸が起きた為に、集めることができているデータがあります。…本来、封じ込めができていれば、SARSのときのように、此処までの大きな犠牲を持つことがなければ、集まらなかったデータでしょう。」

思わず、こらえきれずに涙がわずかにこぼれる神尾に、滝岡が無言で見つめる。

 しばし、言葉をもたずに。

「…――――そうだな、…」

「国際機関が役に立たなくても、もう破綻していたとしても、何とかなります。この組織をそのままにして立て直すのか、それとも別に組織を設けた方がいいのか。それは僕にはわかりません。ですが、間違ったことだけは確かです。それをそのままにしておいてはいけません。これから、―――」

 神尾が言葉を途切れさせて。

「…これから、どれだけ多くの方が犠牲になるのか、もうわかりません。それでも、明日を見るのなら」

「明日か」

 僅かに微笑みを零す滝岡に、うなずく。

「そうです。明日があることを踏まえるなら、…―――それでも、いまに絶望しないというのなら、明日の為に検証しなくてはいけません。明日はきます、必ず」

そして、穏やかな視線で告げる。

「それが人類がいない明日だとしても、明日は来ます」

 きっぱりと、確りとした視線で、明るい笑みをみせていう神尾に、滝岡が笑う。

「…人類がいない明日か、――――教授だな?」

「ええ。…あの人にいわせたら、…―――人類がいない明日でも、特に地球としては困らないそうですからね?まあ、その、…」

 神尾が、教授の言葉を思い出して視線を天にむけて。

「ええと、…―――」

「そのだな?」

「ええ、」

 苦笑して、神尾が滝岡をみて。

 互いに、苦笑して、その教授との会話を思い出して。




「勿論だとも。地球は別に困りはしないよ。人類が明日滅んでいたとしてもね?」

「…教授、―――」

あまりにざっくりとした教授の答えに、神尾が思わずも言葉に詰まって、呼びかけようとして困り果ててみる。

 その神尾を、面白そうに教授が見返って。

 モニタ画面の向こうから実に楽しそうに。

 アイスランドの白雪の山々が実に美しく神々しい背景として教授に後光をあたえている。

「いいかね?神尾くん。確かに、明日、人類は滅ぶかもしれない。しかしだ、もしそうなったとしても、人類がいない明日が来たとしてもだ」

「…は、はい」

 あくまで明るく茶目っ気のある眼鏡の向こうの眸が、楽し気に輝いている。

「地球にとっては何程もない。地球の歴史の中では、それほどの問題でもないからね?尤も、間違えてはいけないのは、それが人類の存続であっても、地球にとっては同じことだということだ。」

「…ええと、つまり、滅ばなくても、滅んでも、…同じ、ということですか?」

戸惑って神尾がいうのに、あっさりと教授がいう。

「勿論だとも。繰り返しになるがね。人は、まるで地球の中で種が滅ぶことを、まるで本当に罪悪のようにいう。人類が多くの種を滅ぼしている、環境破壊をしているとまでね?しかしねえ、…。それは、怒られるかもしれないが、地球にとっては実は大した問題ではないのだよ。種の大絶滅なら、既に何度も体験してきている。カンブリア大爆発に続く大絶滅に比べれば、人類のしていることくらいなんだね?問題になるというのはね、地球ではない。人類が生存しようとあくまであがくときに、その生存環境を保つ為に、環境保全や何かの必要が出てくるということなのだ。自然破壊とかいうのは、私にはおかしな言葉に聞こえて仕方ないものだよ。何故なら、それほど、人類自体をまるで自然や地球などの環境の上に置いて、まるで偉いものとして扱っている言葉は無いのだからね?」

「―――は、はい」

「人類は、それほど大したものではないよ。単に、自然の一部にすぎないのだ。…唯の自然の一部でしかないのが確かなことで、その一部が滅んでも、特に何のかわりもありはしないのだよ、神尾くん」

「――――…はい」

真顔になって見返す神尾に、少しばかり微笑んで。

 何処か、懐かしいものでもみているかのように。

 ―――…教授?

 その眸に、何か不思議な気がして神尾が問いかけようとしたが。

「神尾くん、世界は広い。自然はとても広大なものだ。…その中で、人は、とてもちいさな存在にすぎないのだよ。例えば、人は火を消せるだろうか?」

 無言で神尾が教授を見返す。

 それに、しずかに。

「消火の方法を人類は開発してきたが、…。その根本は、いまだに水をかける、という基本的なことでしかないのだよ。何か魔法のように、ぱちり、と指を鳴らして燃え盛る炎を消す方法を、人類はいまだにもたないのだよ。」

 教授を神尾が見つめる。

「例えば、森林火災が一度起きるとしよう。いまだに、殆どが燃え続けた後、自然に燃え尽きるのを待つくらいのことしか人類にはできない。人類は、多くのことを成し遂げたと思い上がるが、いつでも出来ていることは小さなこどもにも及ばないほど小さなことでしかないのだよ。火を根本から消すことは出来ず、…―――いまだ人類は魔法をもたない」

「教授」

 厳かなくらいにしずかに。

「だからね、神尾くん。いまこの災いの刻に、新しい感染症が世界に拡大して死ぬ人の数がどんどんと詰み上がっていく。何処まで人類は愚かだろうと思うけれどもね」

 そっと白雪に返る光へと教授が視線を差し向けるのに、つられて神尾もまた広大な薄青の空と白雪の大地を瞳にする。

 美しく厳しい自然が果てもなく。

「きみは、それを止めることができなかったというのだろう。本来なら、見えているはずの道筋を人類は間違え、本当に大事な時に限って、愚かな選択を行ってしまった」

 教授がしずかに視線を伏せる。

「死者の数が万を数えても、それは唯の%でいえば小さな数字だという者達がいるだろう。一人の人の死を悼まず、唯己の欲が大事であり、金という不思議なものが、経済が循環していなければ、命があっても意味がないという不思議な思考回路の者達もいるだろう」

「それは別に構いません。…経済との兼ね合いをいう人はいつでもいました。国連でも、国際機関でも同じです。効率よく、…―――世界の人口が増えすぎているから、病気に倒れる子供たちを救わなくてもいいと、貧しい世界や、紛争地の人々、難民の命は救う価値などないという人はいるものです。あるいは障害者や、あるいは高齢者、あるいは単に健康でない――健康で労働力を提供できない人間は必要がないという論理を持つ人はいるものです。弱者は切り捨てていいのだという人は」

神尾のあっさりとした言葉に教授が笑む。

「その通りだね。悪人というが、そういう己が生き延びる為になら、非効率的な存在はいらない、あるいは、本音として生き延びる為に己以外はどうでもいいと思い、それを実行している人というのは多いものだ」

「ですね」

軽く笑んで同意する神尾に、教授があきれた視線を向ける。

「きみはタフだねえ、…。それでも、人類を救いたいとか思ってしまうわけかね?つまり?きみはね」

あきれたままみていう教授に神尾が困った顔をしていう。

「救いたいとかは、…――僕のできる範囲の中で、助けることができればとは。できる範囲はとても狭いのですが」

哀し気に、つらそうにいう神尾に。

微苦笑を零して教授が返す。

「そうなのかね?そうして、人類が滅ぶことを、防ぎたいと思っているのだね?」

「―――できれば、そうしたいと思っています。…僕にできることは限られるでしょうが、その為の努力はしたいと」

「経済の方が大事だという人がいてもかね?」

教授のからかうような穏やかな視線での問いかけに視線を伏せて考えて気づかずに神尾が応える。

「それは、…正直いって、経済はよくわかりません。唯、単純に考えて、僕のわかる範囲では、例えば人が原因不明の病で斃れていく中では」

 過去を思い出すのか、少し視線をあげて遠いものをみるようにして神尾がくちにする。

「恐怖が蔓延します。原因がわからない中で、人は人を攻撃し始めます。原因が解らない中、外から入ろうとする医師を攻撃する人も多くいました。…それでも、人は人をたすけようとするものなんです」

きっぱりと、唯の事実を淡々と見つめる瞳で。

「疫病で斃れた人を、看病する人がいました。何処かからやってきて、食べるものを、水を飲ませようとしてくれた。貧しくて食べ物が手に入らないとき、真っ先に己のものを確保してほかに回らないようにしてしまう人もいました。あるいは商機ととらえて高値で売りつける人も」

 ながめてきたこれまでの光景を思い出すように、しずかに。

 落ち着いた視線で。

「それでも、病人をたすける人がいました。理屈ではありません。…僕には、むしろそのとき、いいわけをして稼ぐことが大事だといって手に余る食べ物を抱えて逃げていく人達の方が不幸におもえました。なんでしょうね?別に悪いとは思いません。その人達は逃げることで生き延びたかもしれない。…これを機に困っている人達から金をむしりとっていくようにして、必要な食べ物をはぎとっていくようにして金という通貨を手に入れていた人達ですが、…―――僕の視点からは、あまりしあわせそうにはみえなかったんです」

「そうなのかね?」

神尾の言葉を聞きながら、何処か優しい穏やかな視線で教授が続きをうながすのに。

 気づかずに、神尾が己の中に眠る思いを掘り起こすようにして淡々と続けている。

「わかりません。そういう人達に怒りをしめす人達もいました。…自分勝手だと。でも、それも生存の一つの方法かもしれません。…未知のウイルスから逃れて、そこで生き延びられるなら、一つの生存の方法だと思います」

「弱者をたすけなくてもかね?」

「はい。…あのときは、エボラでした。突然、人々が血を、――まるで悪魔が通ったようにして斃れていく。村一つが生き残ることができずに壊滅に近い状態になりました。最初は、逃げ出すだけしかできなかった。けれど、その後にエボラがあることを知って警告を受けた人達の中でも、紛争を続ける人、逃げる人、あるいは、…――いまいったように人の不幸を稼ぐ糧として生き延びようとする人もいました。…でも、それはそれだけのことだと思うんです」

迷いなく返して続けていく神尾に。

少しおかしそうに微笑んで教授が神尾をみる。

「それだけのことかね?」

「はい」

またしても迷いなく返事をして、神尾が。

「その最中で、…――どうしたら生き残れるのかわからない。その中で、正解はありません。…誰にもわからない。疫病に襲われる唯中で、正しい選択なんていうものはないんです。生き延びること、…。自然がそれをゆるすかぎり生をまっとうすること」

「生存かね」

「ええ、――生きていることが、それだけが奇跡です。悪い手段とか、良い手段とか、正義がそこにあるわけではありません。――…唯、何かが。」

 そっと、神尾がくちにする。

「…なにかが、生きていることに味方しました。理由は不明だった。いえ、いまでもそうです。何が本当に生き延びる命を決めているのか?それはわからないんです」

 当時を思い出しているのか、何か、わずかに涙を浮かべているような神尾に、そっと。

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