Novel coronavirus 21

「院長」

「あら、滝岡くんから僕に連絡だなんて、めずらしいこと。雪でも降るのかしら?」

「…寒さがぶり返していますからね、――暖冬といっても、関東にも雪が降っておかしくはないかもしれません、―――院長」

「はいな」

スマートフォンの画面に見える白髪の紳士。院長の橿原の姿に軽く滝岡が眉を上げる。

「守秘義務は何処まででしょう?」

「貴方がそれをききますの?」

「―――神尾が、…皆にも、――先輩達にも、何処まで話していいか。わかりません」

「そういわれましてもねえ。僕は一応きみの上司ですけど、…まあ、回線に鍵は掛かっているようですから、ききましょうか?」

「ありがとうございます。…帰還した乗客達の隔離についてですが」

「あら、いきなり核心だこと」

院長の茶化しにもかまわず、淡々と滝岡が続ける。

「秀一から相談を受けました。本多一佐からも、――」

「あれね、人が良い人達が、長いフライトの後、大変な思いをした方達にお家ではやくくつろいでもらおうと考えていて、ご自宅にはやく帰れるように考えた手配だけをしようとしてらした問題かしら?」

「―――ご存知でしたか」

当然ですが、と呟く滝岡に、院長が表情の読めない顔で。

「ほら、邦人保護ときたら、これまではテロとか紛争下からのとかいう奴でしょう?そんな大変な思いをして帰って来た方達に、隔離だなんて、考えつきもしなかったんでしょうねえ」

おっとりと微笑んでいう院長に淡々と滝岡が突っ込む。

「―――院長、…。事は感染症ですから。…不顕性感染がなかったとしても、潜伏期間というものが通常はあるんです。…他の国では、当然隔離を」

「CDCのマニュアルもありますし、アメリカなどは普通に人に接しないように隔離を致しますでしょうねえ、…。まっさきにこの国が帰還者を引きあげることになったのも悲劇でしたかしら?先にお手本があれば、まだうまくやることもありますのにねえ、…」

「それは、――楽観的にも思えますが」

「あら、暗いこと」

「先行する手本があれば、上手くいくのが本来ですが、そうとは限らないのが人間のやることです。最悪を想定しておくことは常に必要ですから」

淡々と暗然とした眸を向けていう滝岡に、ひそかに院長が息を吐く。

「貴方はねえ、…本当に根が暗いこと。けれどまあ、今回の手際をみていましたら、この国のやることには、すべて期待をしないで、捨ててかかるのが正しいというものでしょうねえ」

「期待していて、対策を外されたといって被害を発生させるわけにはいきませんからね。」

「―――…やっぱり根が暗いわ、この子」

「院長、…」

「ともあれ、防疫指針というか、相手が発症していないからといって、防疫もせずに、何の対策もなく感染していない扱いで解放――いえ、御帰宅させようとしていたというのは、脳天気にもすぎますけどねえ」

「…―――」

滝岡が無言で額を手で押さえる。

 それから、院長が真顔で。

「神尾くんには話しておきなさい。僕が許可します」

「院長」

顔をあげる滝岡に。

「いいですか?正直に全部話してしまいなさい。神尾くんの分析は必要です。今後、情報を正確に知る為にも、今後の対処を考える為にも神尾くんの知識は絶対に。そして、正確な分析をして貰う為には、正確な情報を共有してもらう必要があります。神尾くんには話しなさい。上司として命令します」

真顔の院長に、滝岡が悩むようにしてみる。

「本当に良いんですか?」

橿原院長の得体の知れない翁のようなおもてを見つめて。

「おれは、―――それは、神尾を苦しめることになりますよ」

あきらめと何かを。

「滝岡くん」

「はい」

当直用の休憩室。その薄闇に、滝岡が無言で見つめる。

「目的は何ですか?」

無言で、滝岡が、―――――。




 目的は何か、―――。


「確かにな」

独りごちて、滝岡が苦笑する。院長に言われた言葉が突き刺さっている。

 ――院長は、やはり嫌なことをいう。

わかっていたことだが、と。そして、当直に呼び出されて。




 日本への封鎖都市からの帰還者の対応に関係者が追われている頃。

 洋上には、クルーズ船が感染したことを知らない乗客を乗せて、何も知らない人々と共に航海を始めていた。―――――




 二月

 滝岡総合病院外科オフィス。


「行かないでください」

「―――神尾?」

滝岡が、一月と二月の情勢を踏まえて、院内で会議を開く準備をしていたとき。

 いきなり、外科オフィスに入ってくるなり、そういって必死に形振り構わない表情で見あげていう神尾に、書類の準備をしていた滝岡が、驚いて振り向いていた。

「…神尾、どうしたんだ?」

「神尾先生?」

同じく、対策会議を開く準備をしていた西野が視線を向ける。それにも気付かないように。

 白衣で先程まで検査室でしていた仕事を中断してやってきた神尾が、必死で滝岡を見あげている。

「滝岡さん、絶対に、クルーズ船には行かないでください。」

「…神尾?―――その、」

「お願いします、行かないでください。絶対に、あそこへいったら、――どうなるかわからない。感染します。」

必死に見つめていう神尾に、何かいおうとして滝岡がいうのをやめて見つめる。

「危険です。呼ばれるかもしれないんですよね?滝岡先生」

「え?…――そうなんですか?滝岡先生?」

神尾の言葉に、西野も驚いて滝岡を見る。それに、困った風に落ち着いた表情のまま滝岡が視線を西野にあわせる。

「あの、…聞いてませんよ?いかれるんですか?」

驚いている西野に、困った風に見返している滝岡の背から。

「滝岡ちゃーん、…あのな?おまえさんが、DMATに登録してるのは知ってるけど、無理でしょ、それは。おまえさんが司令塔なんだぞ、ここは?いなくなって前線に行かれたら困るだろ」

「…―――先輩」

困った顔で振り向く滝岡に、背後からしれっと入ってきて声をかけた永瀬が肩をすくめる。

「神尾ちゃんが慌てて走って行った、って院内でもう大変なうわさになってるよ?おれのとこにも注進がきたんで様子をみにきた。で、どうなってるんだ?滝岡?」

「…あ、すみません、――廊下走るの禁止でしたね、…」

永瀬の言葉に気付いてうなだれる神尾に、滝岡が困った顔で見返る。

「その、神尾」

「…――はい、滝岡さん」

必死に見あげる神尾に、滝岡が困った顔のままでいう。

「その、――まずは、おれがいま横浜港に停泊しているクルーズ船の対応で此処を離れて行くかどうかについてだが」

「――はい」

緊張して見あげる神尾に、西野までも凝視しているのに気付いて滝岡が困惑して見返す。

「いや、そのだ、…確かに、DMATに登録はしている。打診もあったのは確かだが、」

「断ったんですか?」

うれしそうに訊く西野に、滝岡が肩を竦める。

「…違う、断ったわけじゃない。――それと、あちらに行くことではなく、――神尾」

「滝岡さん?」

一拍おいて、滝岡がしずかにいう。

「こちらが打診されたのは、患者さんの受け入れについてだ。―――…」

「――――…!」

無言のまま驚いて神尾が滝岡を見返す。

「そう、チャーター機で発症した方に関しては、こちらへは来なかったが。」

 淡々と滝岡が続ける。

「知っての通り、横浜港に患者さんを乗せたクルーズ船が停泊している。その対応がニュースなどになっているのは知っている通りだと思う」

「――数百人の乗客に乗員ですね」

西野の言葉に滝岡がうなずく。

「その通りだ。その中で、いま検疫が行われている。その対応に関してだが、うちが依頼されたことは二点ある」

滝岡が神尾と西野を等分に見てくちにする。

「一つは、当病院での患者受け入れだ。どのような症状の方を受け入れるか、それはまだ決まっていない。いずれにしろ、これは受け入れるつもりでいる」

「ま、その為に病棟整えたしな?旧棟、まだ患者さんは入れてないが、受入れに関して準備は出来てる。いつでもいいぞ?」

永瀬があっさりというのに、滝岡が振り向いて礼をいう。

「ありがとうございます、先輩。お願いします。そして、もう一つだが、―――」

西野が。

「え?そうなんですか?」

「この会議に計って、反対がなければ行こうと思うが」

穏やかに滝岡がいう。




「横浜港にクルーズ船が入港しているのは皆ニュースで知っていることと思う」

会議が始まり、滝岡がモニタに映し出された一同に向かって穏やかに話していく。

「その患者さんを受入れることになった」

「実際にどーいう患者さんが来ることになるのかは、決定してない。どんな患者さんが来ても、やることは一つだ。おれたちは、患者さんが、生きて、元気でここを出られることを目指す。ICU担当の永瀬からは以上だ」

滝岡の発言に永瀬が手をあげて続けて。

「発言以上。で?他には?」

「実際にこれから患者さんが当院に入院されることになる。これから、予測のつかないこと、不安、やってみて初めてわかることが出てくると思います。ですから、皆に頼みたい」

滝岡の発言に、―――――。



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