Novel coronavirus 18

 一月下旬。

 滝岡総合病院多目的ホール――クリスマスに行われる小児入院患者と家族を対象にした演劇――ちなみに、演じるのは第一や総合の医師等になる――や、正月や新規就職者が多い月には総合的な集会が行われたりなどするのだが――に。

 第一の神代光。そして、滝岡が壇上に。

 そして、現場から見ているスタッフやこの場に来ているスタッフ達を前に。

 びし、と一同を指さして、まず光が明るく大きな声ではっきりと言い切る。

「皆!これから、病院の方針を発表する!」

 瀬川が、うろんな眼でモニタに映っている光の指さしを、手を洗いながらちら、とみて確認する。

 ふああ、と大あくびをしながら、休憩室に入ってきたのは永瀬。

「あれー?あ、…あれか?光ちゃん達が当院のことしの方針発表する日かー。いつも、正月あけのおもち食べるころにするよね?なんだっけ?あれ?かがみびらき?」

ねぼけながら、半分閉じた目であくびをもう一度していう永瀬に視線を向けず、瀬川が淡々と画面を見ながら応える。

「そうですね。今回、随分と伸びてましたが」

「おもちなら、のびるのいいんだけどねー、…これはどうなんだろうな?」

ぴし、と画面を再度指さして光がくちにしている。

「不安があるだろう!皆!」

「…――――そうですね、…」

しみじみ、画面を眺めて半眼になってしまう瀬川に、背後から肩にだれて顎をのせて覗き込む永瀬に後ろ向きに瀬川がひじを入れる。

「…―――げっ、…勤務明けの勤務医にもうすこしやさしくしろよー」

「…うるさいですよ」

聞こえないでしょう、と冷たくいう瀬川に永瀬がなさけないかおになる。

「えー?えー?ひどいーっ」

「…――――」

腹を抱えてみせて、ひどいーっ、せがわちゃん、ぎゃくたいー!とさわいでいる永瀬を見捨てて瀬川が画面を見ている。

 画面をみながら、腰を下ろすために背後から見ずに椅子を引き寄せ、淡々と座る。

「…せがわちゃんって、きようー…と、けるなよっ、…!」

背後で小声で屈み込んでそーっと近づこうとしていう永瀬に、無言で瀬川が背後に向けてバックで蹴りを入れようとするのを咄嗟に避けて文句をいうのを無視して。

 注視している画面を、背後からそーっとのびて、眉を片方あげながら器用に永瀬がひじの入らない距離を保ちながら覗き込む。

 中継のタブレット画面では。

「いいか、不安で当然だっ!未知の病が発見されて、多くの人が亡くなっている!しかも、日本でも患者さんが確認された!」

光がきっぱりはっきり言い切っている。

「感染症だ。誰でも感染する可能性はある!しかも、治療法は確立していない!発症すれば、対症療法しか、現在、この病に対する方法はない!」

きっぱりはっきり言い切る光に、滝岡が、右手を額にあてて、僅かにうつむいている。

「…――――」

壇上にいるのはこの二人だけで、滝岡は座り、光はすでに立って、びし、と指さして言い切っていたりとするのだが。

「…――光ちゃんだなあ、…」

「―――…」

永瀬の感想に瀬川が無言をつらぬく。

「不安があって当然だ!治療は、手探りでしなくてはならない。感染がどのようにして起こるかも不明だ!そして、すでにこの病は日本に入ってきている!」

「うんうん」

光の言葉に永瀬が口に出していうのを、うろんな眼で瀬川がみる。瀬川の肩越しに眺めるのはあきらめたのか、折りたたみ式椅子を取り出して、その背に組んだ腕に顎をのせて、たらりんとした姿勢で永瀬が同じタブレットを見ているのを確認して視線を戻す。

「それは否定できない。誰もが、明日感染してもおかしくない状況だ。しかも!」

再度、びしっ、と光がスタッフ達を指さす。

「ここは病院だ!感染者が来る確率も高い!昔から、病院というのは、感染する可能性が高い場所だからな!」

滝岡が、光の言葉に深く額を落とす。

「…―――」

同情しますね、と瀬川がその滝岡の様子に淡々とおもう。

「光ちゃんらしいなー」

永瀬が面白そうにいうのに、ちら、とあきれた視線を瀬川が僅かに送る。

「この病院へ来ることで、皆は感染する可能性がある!接した患者さんが、誰もが感染している可能性があるからだ!」

「―――――…」

無言で目を開けて天を仰ぐ滝岡に、構わず光がホールに集まっているスタッフ達を見回す。

「だが、逆もある!皆が感染していて、周りや、患者さん達に感染させる可能性だ!」

無言で、真剣な視線を滝岡が光に向ける。

 瀬川も、思わず息を呑んで光をみる。

 永瀬も、顎を組んだ腕にのせながら。

「おれも、皆も、患者さんも、ご家族も。誰もが同じだ。誰もが、感染している可能性がある。それは何故か?」

きっぱりと光が言い切る。

「感染していても、無症状のことがあるからだ。」

あっさりいって、光が皆を見つめていう。

「感染と、症状が出るということは違う。同じインフルエンザにかかっても、症状の強い人と、弱い人がいる。高熱を出す人もいれば、熱が殆ど出ずに治る人もいる。個人個人の免疫の作用が違うからだ。」

きっぱりと言い切ってから、光が続ける。

「単純な事実だ。そして、皆も知っている通り、不顕性感染というものがある。症状が出ていないが、感染しているというものだ」

言い切って、光がひとつうなずく。

「感染しているから、症状がなくても、人に感染させることがある。これは、いくつかの感染症でわかっている事実だ。症状がない人からも感染する」

きっぱりと黒瞳で光が皆を見回して言い切り、ひとつくちを結ぶ。

「わかっていないことはある。そうしてうつる感染症もあるが、そうでないものもある。この新しい感染症が、そのどちらなのか?わかっていない」

光が、しばしときをおいて、ホールの一同を見回す。

 少しばかり、間をおいて。

「わかっていない。だが、この場合どうするべきか?」

 そうして、もう一度ゆっくりと一同をみる。

「不顕性感染では、感染しないと仮定して行動するか?症状がなければ、感染しないものと仮定して行動するか」

一拍、間を置く。

「それとも、―――感染するものとして行動するか」

 置かれた間が、否応なしに考える時間をあたえる。

 どちらとして、行動するのか?

 はたして?と。

「それに関して、この病院で取ることとした行動の答えは、すでに皆が知っていることと思う」

穏やかな滝岡の声が光の言葉を引き取る。

 座ったまま、穏やかに皆を、一同を滝岡がみて続けている。

「この病院では、滝岡総合病院では、一つの方針を決定した。すでにその方針に沿って動いてもらっていると思うが、その方針を決定した理由を改めてここで述べたいと思う。」

 落ち着いた滝岡の声が穏やかに。

「いま、過大といわれる対応を取る方針を病院では決定している。感染を防ぐ為に、いま解っている情報では、不足しているものが多い。解らない事が多すぎるのが事実だ。この病気については、十二月三十日に報告されて以来、多くの未確認情報があるが、確認されたものはまだ少ない」

スタッフ全員を見据えるようにして、滝岡が告げる。

「わからない、未知の感染症だということだ。光のいう通り、治療法も確定していない。」

 穏やかな視線で一同を見て滝岡がしばし言葉を切る。

 少し、間をおいて。

「だから、最大限できることを行うことに決定した。大袈裟であるかもしれない。過大といわれることになる可能性もある。だが、考えられる限り、一番危険な場合を考えての対応とした。今後、変わっていく可能性は高い。もっと厳重な対応をする必要が出来てくる可能性もある。もしくは、ここまでしなくともよかった、となる可能性もある」

滝岡が穏やかな視線で皆を見る。

「そうなればいいと思う。余計な、やる必要がないくらいに警戒していたとわかれば、その方がいい」

穏やかに微笑んでいう滝岡に、光がいつのまにか座って大きくうなずいている。

「だから、皆には負担を強いることになっているとおもう。現在、とても厳重な対応をお願いしている。過大といわれる可能性のある対応になる。その一番が、光もいっていた通り、症状のない人が感染させる場合があると仮定しての対応だ」

滝岡が、ホールの壇上と集まるスタッフ達とを区切る透明なシートをみて。

 スタッフ全員が、ホールに集まっている皆が全員付けているマスクをみて。

「例えば、今日も皆にマスクをしてもらっている。全員に、仕事中は常に。」

 光が腕組みしてうんうん、とうなずいている。

「休憩中でも、必ず。そして、食事は一人ひとりで、――――食堂で食事を取るときも、話をしないように」

ちら、と無言で瀬川がいまはおとなしい永瀬をみる。

「これを普段から続けるのは大変なことだと思う。患者さんに対応するときにマスクを着ける。これは常に行うことにあまり違和感はないと思う」

 けれど、と。

「それでも、他の仕事中に、休憩時にまで、人がいる際にマスクを着用しているのは大変なことだろう。食事をひとりで話さずにとるというのも」

 穏やかに滝岡が一同を見つめて、苦笑する。

「黙って食べるのが得意な人もいるが、そうではない人もいる」

 ちら、と滝岡が光をみてから視線を戻す。

「それらを何故いま行ってもらっているかというと、感染したと仮定した場合の行動をとってもらっているからだ。」

間をおいて、滝岡が一同を見渡す。

 そっと、静かに一同を見つめて、続ける。

「インフルエンザに感染したとき、家庭では、家族にうつさない為に、ひとりで食事をとられると思う。感染していて症状があれば、マスクをして、食事を別にして休むだろう」

 優しいような静かな視線で一同を滝岡が見る。

「いま皆に頼んでいるのは、そうした行動だ。大変なことだと思う。熱を測り、記録して、仕事に行く。仕事に来て、常にマスクをして、食事をひとりでとり、人と話すときもマスクをしている。手を良く洗い、うがいをして、――人に感染させないように行動する。家族に感染させないようにするように」

「けれど、難しく考える必要は無いぞ!」

滝岡の言葉に光がきっぱりという。

それに、滝岡が微笑んで。

「その通りだな。家庭でも、感染を防ぐことは難しいことがある。家族なら、より接触が多いから、完全に感染させないことは難しい」

「そういうことだ!感染させないように、気を張る必要はない。いつもより、マスクをしたり、ひとりぼっちで食事をするのがさみしいかもしれないが、」

滝岡の言葉に続けている光に、ぼそっ、と永瀬が突っ込む。

「べつに、ぼっちでもさみしくねーもーん」

「…――――」

 無言で、半眼にした視線で瀬川が永瀬をみる。

 ――どのくちがいうんですか。

 発言するのもいまさらすぎて寒いくらいなのでやめておくが。

 人一倍しゃべりな上に、ひとりで食事するのがさみしくて、瀬川の背中にひっついてくるだっれかさんの亡霊を思い出して、うげ、と内心なってから。

 光の言葉に、瀬川が視線を振り向ける。

「それは、きみの家族を感染させない為だ!」

 びし、と一同を指さしして言い切る光に、滝岡が苦笑する。

「…光」

 強い黒瞳で光がいいきる。

「だが、けして、感染しても己を責めるな!」

 滝岡が、無言で光を真剣な視線で見る。

「いいか、けして、責めてはいけない!」

 光の発言を思わず瀬川も真剣に見て。

「何故なら、きみたちは!」

 永瀬が大きく眉を寄せる。

 一拍、大きく間をおいて。

 光が、びし、と一同を指さす。

「哺乳類だからだ!」

「…―――――」

 無言で、額を押さえてうつむく滝岡に、一同が深く同意した瞬間だった。




「…―――光ちゃんだな、…」

「そうですね、…」

しみじみと詠嘆する永瀬に、思わず瀬川が同意する。

 それに、腕組みした腕に乗せたあごがつかれて、だらーんとなる永瀬。

 しみじみと天井を仰ぐ瀬川。

 光は、ホールの反応にも、滝岡の反応にも何も変わらずに。

 きっぱりと。

「いや、きみたちが多細胞生物だから、といってもいい!」

「…―――そうくるか、…」

思わずつぶやいた滝岡に、深く一同の心がひとつになっている。

そうしたことにまったく気付かずに。

はっきり、きっぱり、びしっ、と光が決めている。

「相手はウイルスだ!生命が誕生してから、単細胞生物から、多細胞生物へと生命は進化してきた!生命は、単細胞から、集合することへと形態を変更して、現在のわれわれ、多細胞生物が生まれたんだ。われわれは、多細胞生物が生まれた結果、存在している哺乳類ということになる」

かなり珍妙な顔で永瀬が画面の光を見つめている。

「では、多細胞生物とはなにか?簡単だ。元々は、原始の海で単細胞であった生命体が、多細胞生物となったわけだが、それはある意味、感染と同じ仕組みで起きたといえる」

滝岡が額を押さえて考え込む。

「違うか?感染と同じような仕組みで、別々だった細胞が融合した。ミトコンドリアの遺伝子は、われわれの細胞に取り込まれて、細胞の中で生存している。人間の細胞を作る為の遺伝子の約四割は、ヒトを作る遺伝子ではなく、関係の無いウイルスなどの遺伝子だ」

 滝岡が、考え込みながらひとつうなずく。

「あるいは、ウイルスが媒介して、別の生命体から組み込まれた遺伝子が、進化やなにかを引き起こしてきたということは皆も知っているだろう」

「そーなの?」

光の発言に永瀬が瀬川をみる。

 冷たい視線で瀬川が永瀬を見る。

「あんた医者でしょう」

「進化に興味ねーもん」

「…――――」

 あきれはてて冷たい氷点下の瀬川視線にも全然堪えずに、永瀬がうーんと手を組んで伸びをする。

「つまりだ!われわれが進化して単細胞生物から多細胞生物になった以上、生物としての仕組上、ウイルスに感染する方が普通だということだ!」

「…――――」

無言で滝岡がまた額に手を置いて深く目を閉じる。

「…飛躍がすぎませんか、…」

「光ちゃんだから」

 瀬川のぼそり、というつぶやきに永瀬があっさりこたえる。

「…――――」

 否定できませんが、と内心おもう瀬川に構わず。

「何の説明だっけ、この中継」

「そうですね、…」

しまった、まともなことをいっているから同意してしまった、と永瀬の言葉に同意してしまった自分に思わず瀬川が反省する。

 いけない、…。同意なんかするとつけあがる。

もっと厳しくしないと、と内心深く反省している瀬川――無表情――に気付かず永瀬が。

「だよねー」

と、永瀬が同意しているのに、さらにしまった、と思っている瀬川が、はっと気付いて画面をみる。

 滝岡が僅かに苦笑して、それから穏やかに。

「…―――確かに、感染しない方がおかしいかもしれない」

「…滝岡先生」

 思わず、瀬川がくちにする。

 永瀬も無言で画面の滝岡をみる。

「新しい感染症ということは、これまでヒトに流行したことがないということだ。それはつまり、ヒトに免疫がないということを指す。哺乳類がどうかはわからないが、ヒトにはすでに感染が起きている。それもすでに感染が広がっている以上、ヒトなら誰でもが感染する可能性があるということだ」

「勿論だ!だから、けして、感染しても己を責めてはいけない。わかったな!」

「…―――光、…。というわけで、感染に関しては、誰もが可能性がある。どれだけ、感染しないように気をつけていても、感染することはある。もし、感染したかもしれないと思った際には、すぐに報告してほしい。PCR検査の態勢をその為にすでに整えてある。」

滝岡が言葉を切り、モニタを振り向く。

「神尾」

「―――はい」

検査室にいる神尾の姿がモニタに映り、滝岡が促す。

「神尾、検査がどの程度行える状況になっているか説明してくれ」

「はい、わかりました」

滝岡に応えてから、神尾が画面に向いてお辞儀をする。

「皆さん、神尾です。検査体制について説明します。まず、検査の方法はいまの処、PCR検査が採用されています。これは、ウイルスのサンプルとなるRNAの一部と、採取した鼻孔や喉からのサンプルに含まれるRNAを比較して、一致するかどうかをみるものになります。これは、RNAを増幅する時間が含まれる為に、最短で四時間程かかります。いままでもウイルスを確定する為に検査室ではこのPCR検査用機器を数台使用していました」

神尾が言葉を切り、少し間を置く。

 それから。

「これまで使っていた機器は、通常の検査に使用します。今回、この新型コロナウイルス専用に、新たに機器を導入しました。これまでは、半自動の機器も使用していましたが、今回導入したのは全自動でサンプルの処理をすべて機器が行えるタイプのものです。これは、日本ではまだ医療用としては認可されていないものですが、性能は問題なく、海外ではすでに医療用としても利用されているものです。これで、同時にサンプルを入れて動かすことで、一日に八時間稼働するとして、最大で一千二百サンプル検査することができます。」

具体的な数値をあげて、神尾が言葉を切る。

「機器はレベル4扱いです。別室で運用します。サンプルさえ揃えば、検体を入れ替える時間を別として、交替で二十四時間稼働させることも可能ですから、単純に計算すれば、一日二十四時間で三セット動かして、三千六百サンプルの検査が可能です」

明快に神尾が説明する。

「もっとも、実際には入れ替える時間などがありますから、もう少し少なくはなると思います。実際に、皆さん、この病院で働くスタッフの皆さんと入院患者さん全員の検査を一日ごとにすることも可能な検査数を実現しました」

「―――毎日、検査することも可能ということだな」

滝岡の言葉に神尾がうなずく。

「はい。可能です」

「ありがとう。―――そういうことだから、不安がある場合など、検査したいときはすぐにいってほしい。必要なときに、いつでも検査は可能だ。」

そういう滝岡に、光がうなずく。

「そうだ!遠慮せずに、皆、検査したかったらいうように!いつでもできるからな!訓練にもなる!」

「…光、…。ともあれ、本当に、いつでもいってほしい。不安は抱えていてはいけない。それに、訓練になるというのも本当だ。…サンプルを採取するには、インフルエンザよりかなり深い処まで、採取用具を入れる必要があるが、…―――。それに、実際に感染して発症となってから、どの程度、何処にウイルスがいるかについて、ある程度報告はあるが、それを確認する為にも、またどの程度無症状での感染が起きるかについて知る為にも、ある程度の規模で、検査をお願いすることはあるかもしれない」

「うんうん、皆、練習に協力してくれ」

「…――――」

 きらきらと輝く黒瞳で身も蓋もないことをいっている光と、穏やかに話している滝岡。

 言い方は異なるが、内容は同じそれに、瀬川が天を仰ぐ。

 その隣で永瀬がうったえている。

「おれ、やりたくなーい」

「…―――――」

 げろん、と永瀬をいやな目線で瀬川がみる。

「あ、いま、おまえさん、おれがサンプルとるのへたー、とかおもったろうー!」

「…否定するんですか」

「…しない」

 瀬川が横を向いて沈黙する。

 時折、非常に採血が下手な医師が存在するといわれているが。

 ―――このひとに採血させるくらいなら、犬に注射器を持たせて採血させた方がましですからね。…

 インフルと同じで、PCRのサンプル採取は採血じゃありませんが、と。

 瀬川が沈黙しながら横を向いたまま真剣に思う。

 ――絶対に、サンプル採取が下手なのが確信できる。

 そう思っている瀬川のことがわかるのか。

「いいもん。おれ、外科だったけど、向いてないから集中治療室に転向したもんね。おれが縫うと絶対跡のこるもん!滝岡みたいに、下手すると痕みえないくらいに縫う方がへんたい!微細血管顕微鏡で縫うなんて、絶対あいつがヘンタイだもんね!おれ外科向きのヘンタイじゃなかったし!」

「…―――――」

 ―――まあ確かに、集中治療室には向いてますからね、…。

 外科はみたことないですし、想像したくもありませんが、と思っている瀬川に。

「あ、瀬川ちゃん!おれのことほめた?ねえ、もしかして、だまーって、いま内心ほめてるでしょ?ね、ね?」

「…――――いいえ!」

首を振って全否定する瀬川に、永瀬が背中からなついておねだりする。

「ねーねー、ほめたでしょー?ほめた気配したもんー!ねー!せがわー!」

「…うるさい、…」

一瞬でも、うっかり言葉に出さなくてもほめて?しまったのがうかつだった、…と激烈に反省している瀬川と、ほめてほめて攻撃をしている永瀬が、聞いていない間に。




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