Novel coronavirus 14
新型肺炎といわれる。
新しいコロナウイルスが引き起こしているとされる重症肺炎。
封鎖された都市名を付けて、○○肺炎、と呼ばれることもあるが。
永瀬さんもいっていましたが、…。
まだ名称のついていない新しいウイルス――新型コロナウイルスの名称は。
発生した地方都市の名を入れた都市名に肺炎を付けた名が言われてもいるが、それは人口に膾炙しても、公式名称にはならないだろうという予感がある。
確かに、地域名を付けることはいま推奨されていない。
それはだが、また別の話だ。
―――これは、本当に肺炎が主症状でしょうか?
しつこいと我ながら思いながらも、消すことが出来ないのはその疑問だ。
―――これは、肺炎でしょうか?と。
呼吸器疾患を主症状とする病気――疾病、――――本当にそうだろうか?と。
――これは呼吸器の病気なんだろうか?
つのるのはその疑問だ。
肺炎。
SARSと同じように重症化する肺炎が主症状だといわれているが。
確かに、重症化した殆どの患者が肺炎を引き起こして死亡している。封鎖都市では呼吸器管理が中心となり、それでも重症化した患者が救命できず亡くなっていく報告が届けられている。
それでも、なんだろう、…この違和感は?
唯の言い様のない何か、得体の知れない勘でしかない。
背中を、背筋を何が得体の知れないものが這い上っていくような。
違う気がする。
何といっていいか、わからない。
中国からのデータでは、確かに重症肺炎が中心となり、それが原因で死亡しているようにみえる。或いは、感染症が悪化してからの多臓器不全、DIC、―――…。
ある意味、普通のことにみえる。
肺炎が重症化、それを契機に全身状態が悪化して、多臓器に機能不全が起きて最期は救命することが不可能になる。DICも、それは普通にある意味、どのような感染症でも起こりうることだ。
未知の感染症であることを考えれば、決まった治療法もなく対症療法で救命を試みるしかない場合に、この現象は少なくとも仕方が無いとある意味いえるものでもあるかもしれない。だが、…―――――。
病態の報告、患者の転帰を記した論文。
その中に、何かはっきりということのできない違和感がある。
―――本当に、肺炎だろうか?
確かに肺炎は起こっている。
だが、それがこの病気の本態だろうか?
本当にこの病気の主症状は肺炎だろうか、と。
現地からの情報は少ない。
いや、ある意味多くもある。
―――封鎖都市の混乱の中から得られる情報としては、多いといってもいいだろう。
紛争で混乱が続く中で、エボラの患者数が正確に数えられたかといえば、それはあの病気の性質がある程度可能にはしたが、それでもかなりな困難を伴うものだった。
エボラでは、人は血に塗れて斃れ、誰もがそれを恐れ隠すことができない。
――それでも、人は人を弔おうとして、それが元で感染が広がったりもしていたけれども。それもいまは知識が広まり、葬儀の習慣を改めてもらうこともできている。
発生が何を意味するのかをいまは人々が知り、対処することが出来るようになった。
けれど、その始まりには何もわからなかった。
故人を哀しみいとおしむ葬儀が感染を広げる契機となってることが解ったのも、その感染経路が判明してからのことだ。
エボラでは、当初の死者の広がりはそうして始まっていった。
混乱の中、まず何が起きているのか、それすら当初は判然としない中から、疫病は広がっていったのだ。
それと比べると。
先に、中国ではSARSという例があったとはいえ、…―――。
本当に、十二月が発生ではないのかもしれない。
少なくとも、十一月。
あるいは、もっとはやく、これは中国の内部で進行していた病なのだろう。
最初の始まりは解らない。
コウモリから、感染が始まったのか、それすらもいまはまだ不明だ。
原因となった野生の宿主は何か。
それは、確かに当初、限定的に感染が起きているとされた市場の人達から本当に始まったのか?
野生動物を捕らえて、その市場では売買いすることがあるといわれる。
だが、それは本当なのか。
鳥インフルエンザは、一部でヒト感染が起きている。
尤も、それは鳥を飼育していたり、あるいは生きた鳥を扱う市場での濃厚接触があって、始めて感染したとされている。あるいは、ヒトーヒト感染があったと思われる例も、数少ない家族間の例だけで、ヒトからヒトへヒトインフルエンザのように簡単に呼吸器症状から感染していくものではないといわれている。
そして、いまの処、鳥インフルエンザに関してはその監視が行われながらも、まだ広範にヒトーヒト感染を引き起こす変異は起きていないとされている。
――鳥影は、…――まだ射してはいない。
鳥インフルエンザでは、家族間の濃厚接触がある場合のみに、限定的な感染が起きているように思われた。
では、この新型コロナウイルスはどうなのか?
市場の関係者だけで起きている――つまり、鳥インフルエンザと同じように、市場とその家族関係者だけの感染で終わっている――というのなら、―――…だが。
濃厚接触者だけ、だろうか?
鳥インフルと同じような条件でのみ感染が起きて、本当の意味でのヒト―ヒト感染は起きていないのか?
だが、―――いや、違う、と。
それを確認する術はなかったが、中国の都市封鎖がすべてを語っていた。
ヒトーヒト感染しないものを、何故都市封鎖する必要があるのか?
そう、単純な話だ。
そんな必要はない。
ヒトーヒト感染しないというのなら。
―――――そして、例え、ヒトーヒト感染するのだとしても。
もし、それほど感染力が強くなく――あるいは、SARS程度に――であるとしたら。
だとしても、致死率がある程度高くなければ、都市を封鎖する必要はないだろう。
エボラでさえ、村を、町を、都市間交通を封鎖することは、――。
それは大変な決断であり、簡単に行えることではけしてなかった。
封鎖は、確実に其処に封じ込めなくてはならない疫病が起きているからこそ、行われる。
感染率がいかに高くとも、麻疹で都市封鎖も交通封鎖も行われない。
それは、ワクチンと薬が存在するからでもある。
だが、もし例えば。
エボラには薬が、まだ確実に効くという薬が存在しない。
試験が行われている薬はあるが、まだ、致死率は恐ろしく高いままだ。
感染は死と同義といわれてもおかしくないほどに高い。
広まることは、死を広げることと同義だ。
だから、出来る限りの封鎖が行われる。
だが、それも今回のような完全な都市封鎖等ではありえない。
規模が、あまりにも大きい。
これは、一体なんなのか、―――――。
SARSに似た、新しいコロナウイルスだという。
公開された遺伝子情報は、確かに相似していた。
いくつかの部分が変異して、別の性質を持つようになったようにもみえる。
或いは、同じ祖先から別の宿主にそれぞれ移動して、ある程度の時間を経たものなのか。
いずれにしろ、人類がまだ触れたことのないウイルス。
初めて人類が知る病。
新興感染症が発生したことは確かだった。
それは、治療法がないということだ。
治療法が無く、―――――。
だが、それだけでも感染がもし本当にヒトーヒト感染を起さず、市場の濃厚接触者にだけ感染するようなものであれば、都市封鎖をする必然など何処にもなかっただろう。
そして、唯、感染が広がりやすいだけの新しい病であっても、致死率が低いのなら。
これも、封鎖など必要とはしなかっただろう。
違うだろうか?
神尾の、都市封鎖を知ったときの衝撃と恐怖は、その推測からだった。
都市封鎖を必要とする疫病があるとしたら。
治療法がなく、簡単に広まる黒死病があれば、都市封鎖を行うしかないだろう。
黒死病――肺ペスト。
それは、以前からバイオテロとして恐れられている病気だ。
通常の肺ペストは、容易にヒトからヒトへ感染する形態をとることができない。
しかし、もし、――――。
中国で十一月に発生したといわれていたのは、肺ペストだった。
それは、広まらずに済んだ、といわれている。
もし、この新型肺炎と呼ばれる疫病が、簡単に広まり、黒死病と同じくらいの致死率を持っていたら。
有効な治療薬が判明しておらず、対症療法しかないこの病が、―――――。
それは、封鎖するしかない、と。
恐怖が胸底に沈み込むようにして細胞の奥までも染み入り、消せないように。
これが、ある意味、黒死病と同じようなものだとしたら。
都市を封鎖することで、果たして救えるものなのだろうか、とも思う。
空気感染する黒死病のようなものだとしたら。
あるいは、インフルエンザほどの感染力でいい。
もし、麻疹や結核に及びもつかないほどの感染力だとしても。
コロナウイルス系だという。
もし、ヒトに風邪を引き起こすコロナウイルスと同じように。
風邪のような感染力を、もし、持つとしたら。
その上で、治療薬がなく、重症化した後に、死亡する率が、―――。
広まる率が、もしインフルエンザと同じほどだったとしたら。
それだけで、治療薬がない病気に、―――。
多くの人が感染すれば、致死率が低くとも、――。
エボラのように高い致死率がなくとも、多くの人が死亡することになる。
エボラが風邪のように呼吸器から感染が広がるのなら、既に人類は滅びているだろう。発生時に何も解らぬまま、それこそ風のように死が広まって。
もし、―――――…。
風邪と同じように広まるだけでいい。
いま入院して重症化した際の死亡率は、二割をみている。
報告書からみられる致死率は約二割。
よくいわれるように、新しい疾病が発見された際には、軽症者が見過ごされる為に、最終的な致死率は下がるともいわれる。だが、―――。
果たして、下がるだろうか?
中国で、もし、都市封鎖の最中に。
果たして、正確に死者を数えられるものだろうか?
感染者も、確かに数えられないだろう。
どちらも、数えることはできないのではないか?
そして、どちらも数えることが出来ないとしたら、最終的な致死率というのは、どれほど下がるだろうか。
エボラでも、後から死者が顕かになった。
混乱の最中に、誰も正確に数など数えてはいられなくなる。
何が起きているかを把握することは、その発生の当初にはとても難しいことだ。
混乱した情報が現地から集まってくる。
神尾は、それらの情報を必死で集めていた。
そして、―――――。
納得していた。
膨大な情報、そのすべてが。
都市封鎖が行われて当然の疫病だと、―――――。
得体の知れない恐怖は、ある意味得体のある、――形を持った恐怖へと変化したのかもしれない。
その、形を僅かずつだがとっていく、―――。
―――これは、本当に肺炎が主症状だろうか?
その疑問が。
そして、後日。
新型コロナウイルスの名称は。
そのウイルス名は、SARS2に。
そして、その引き起こす症状を含む病名としての名前には、―――――。
肺炎、が含まれなかったことを、神尾は知ることになる。
SARSの時のように、重症化する呼吸器症状といった内容は、病名に含まれることはなかった。
重症化する肺炎だけが主症状のようにいわれ続けていた当初。
そして、病名として発表された正式名称は。
コロナウイルスによる症候群という、実に曖昧なものになったことを。
後に、神尾は知ることになる。―――――
その病の名称に肺炎――あるいは、呼吸器症状――が主であるとして含まれなかったことが、何を意味するのかを。
世界はいまだこのとき知らず、恐怖に怯えるときが訪れることを、――――…。
いまだ、中国の一地方だけで起きている新興感染症であると思っている人々には。
その恐怖は、いまだ届いてはいなかった。―――――
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