Novel coronavirus 13
「おまえの方はどうなんだ?体調はどうだ」
隅に避難して、院長の質問に神尾が答えているのを聞きながら滝岡が隣に座る秀一に訊ねる。
「そういう風に甘やかしてるから、ぼくににーさんがあまいっていう話が広まるんだけど?」
「知るか。それで、体調はどうだ?」
「周りはとか、きかないんだよね」
「それは答えられないだろう」
「そうだけどね。健診に来いとはいわないんだ?」
「それはいま停止しているからな。いまうちでは、定期健診等は遠慮してもらっている」
「…それって、大袈裟とかいわれたりしない?大丈夫なの?」
秀一の表情に、滝岡が穏やかに笑む。
「いや、…心配してくれるのはありがたいな。まだ、確かに日本で確認されている患者さんは少ないが、…――これから、海外から戻る人達も増えるだろう。そうでなくとも、日本に来る外国からの観光客の人も多い。そうした処から感染が広まっていると仮定して、いまは動いている。もう既に、海外から日本に入った人の感染も確認もされている。大袈裟かもしれないが、必要なことだと思って動いている」
真面目に、穏やかに淡々という滝岡に、天を仰いで秀一がため息を吐く。
「秀一?」
「にーさん、…さあ、こっちの方が心配になるんだけど?普通の患者さんも救急も受けてるんでしょ?かわらずに。どうしてるの、というか、本当に大丈夫なの?」
「神尾がいるからな。あれが最初に警告してくれたお陰で初動を早く出来た。お陰で助かっている。光もいるから、――光がもともと目指している未来の先取りに近いことになっているかな。感染症対策としては、救急時には、感染している前提で防護して対応している。救急隊員の方達には悪いが。それに、入院時には同じく感染対応をして、個室管理を徹底している。この一月に入ってもらった患者さんはすべて個室で準感染症対策管理をして、面会はすべての患者さんに対して面会室からオンラインだけだ。まあ、もっともそれは、インフル対策で十二月からしていたから、徹底しているだけなんだが」
少し苦笑していう滝岡に、秀一が息を吐く。
「まあね、光くんねえ、…光くんって、光くんだものねえ…。でも、お陰で対策が出来てるなら、ケガの功名?」
「…それはないだろう、…まあ、その、あれだが」
「スタッフはどうしてるの?事務の人達とかさ?」
「ああ、―――動線を別けている。事務処理はすべて、患者さんの持ち物に触れることなく行っていて、会話はすべてモニタか、ガラス越しで通気はない。問題はスタッフの感染確認だが」
「そう、どうしてるの?うちがSFみたいな謎なロボットとか患者さんと直に受付の人が接しないシステム入れてるのは以前からだけどさ?」
「ロボットは以前は一部だけだぞ?全てにしたのは、一月からだ」
訂正する滝岡をあきれた顔で秀一が見る。
「それで?で、確認はどうしてるの?にーさんや光くんみたいに、この病院に閉じこもって外に出ないって訳にはいかないでしょ?家に帰ってるんだから、その間に感染する可能性もあるのに、どうしてるの?」
「痛い処を突くな、…。まず、オーソドックスだが、検温、これは通勤時にゲートを通る際に自動的に計測していて、発熱時はゲートで止めている。これは、元々がインフル対策だから、特別なことはしていないが」
「インフルみたいに発熱するとは限らないんだよね?確か?」
「よく知ってるな?」
「病院に身内がいたら憶えます。というか、気になるでしょ。で?どうしてるの?発熱ない人とか、感染してるかわからないでしょ」
「その通りだな」
滝岡がうなずいて、少し先の床を見つめるようにしていう。
「どうしたものかとは思っている。いまの処、できるのは全員が感染している仮定で動くことだ。だから、」
「だから?全員感染したつもりで動くって、何をどうするの?」
秀一が少し驚いた顔でいうのに、滝岡が視線を向けて。
「つまり、常にスタッフはすべてマスクをするということだ。事務系もすべて、テストとしてしてもらっている。二系統に別けて、ガーゼマスクと不織布で飛沫の飛び方をカメラを入れてデータを取っている処だ」
「…――よく、みんなの同意がとれたね?まあ、光くんいるから慣れてるか、…。時々、無茶な実験、みんなに頼んでるものね、…光くん、…」
秀一の言葉に無言で深く滝岡がうなずく。
「うちが何とかやれているのは、スタッフの協力がもらえるのも、常日頃から光が無茶な実験を頼んでいる為もあるな。…事務棟でもその実験はあるが、こちらの患者さんに日頃接する側では、また別の対策を取っている。例えば、病棟では、常に患者さんに接する際には、マスクを必ずする。入室の前後で手洗いをして、一人の患者さんを担当するごとに、必ず手を洗う。部屋の入退出時に消毒マットを利用する。患者さんにトイレ等に行かれた後、部屋でまず手洗いをしてもらう。トイレが共用になっているフロアの場合だが。出来るだけ、いま入院してもらう患者さんには、個室にトイレがあるタイプに入ってはもらっているが。おまえも、良い知恵があれば貸してほしい。アイデアがあったら教えてくれ」
「…―――新しく、っていうか、壊してない旧棟利用して謎の専用施設作ったけど、そっちはもう動いてるの?」
「まだだ。いまある設備で対応してきてわかったそうした不具合をあげてもらって、その対応を含めた改修と設備を入れている途中だからな。間に合えばいいが」
「――――マジで、真面目な話、にいさんはこの日本でも同じようになるかもしれないと思ってるわけ?」
真顔で訊く秀一に、正面を向いた静かな顔のまま滝岡が。
「同じというのが、何を指すのか、どういった状況を指すのかわからない。それくらい、いま中国で起きている状況についての情報が少なくて不鮮明だ。だが、聞いている限り、…伝わってきている情報だけでも、非常事態になる可能性はあると思っている。そうでなくとも、少なくとももしインフルエンザと同じほど、感染力のある病気が、重症化しても治療法が確定していないSARSのような重症肺炎等を引き起こす新興感染症が、この国のすぐ隣で起こっている。SARSのときのような幸運を二度期待するのは唯の馬鹿でしかないだろう。無策でいることは出来ない。既に、SARSも新型インフル――幸いにもある程度で収束したが――も、経験しているんだぞ?秀一」
顔を向けて、改めて視線を合わせて、危機感を隠さない顔で滝岡が秀一をみて。
「おれは、正直、怖いと思っている。一つの、経済を優先する国が、形振り構わず経済を度外視して都市を封鎖している。人口規模からいえば、日本でいう東京の首都圏をすべて封鎖したようなものだ。都市とその周辺。そして、病院に人が押し寄せているというニュースもあるが、何より」
ちら、と院長と話している神尾を滝岡が視線に入れる。
「おれよりも怖いのは神尾だろうが」
「…神尾さん」
「そうだ。本当は現地に行きたいだろうが、国際的な調査団も殆ど拒否されたと同じ対応にあっているらしいからな。…それに、神尾のいう通り」
滝岡が目を閉じる。
「にいさん?」
「…うん?ああ、…おまえはいいのか?こんな処で時間をつぶしていて」
「いいんだよ。一応、これが仕事だからね?院長のお使い」
「――やっぱり、院長絡みの仕事か。私用と思わせておいて、いつもそれがあの人の手だからな?また、院長の仕事をするのか?」
いやそうにいう滝岡に、秀一が肩をすくめて。
「いいじゃん?一応これでも、航空幕僚の参謀本部的な処で仕事はしてるんですけどね?そこと院長が仲がいいんだから、それは仕方ないじゃない。僕が使い走りに、何故かオンラインだから、ぜーんぜん人間のお使いが必要じゃないはずのお話に僕を使いっ走りで、しかも、オンライン会話用のスマホ運ばせるなんてさ?」
そーんな仕事させてても?と天井をみて目をくるりと回してみせる秀一に滝岡が笑う。
「ひどい、にーさん」
「いいじゃないか、…まあ確かに、西野にいえば誰も直に足を運ぶ必要はないな。そもそも、院長が此処にくれば済む話だ。おまえに運ばせるなら」
「そうなんだけど。まあ少し、こちらのことも気になったし?――にーさんこそ、救急は殆ど引き受けてるときいたけど、院長が倒れたらことなんだからね?身体は大切にしないと」
「…院長?」
不思議そうに聞き返す滝岡に、あ、ちがった、と秀一が舌を出す。
「みんないってるんだもん。院長代理ね、訂正」
「なんで俺が院長なんだ、…。迷惑だぞ、それは。おれは院長代理で、院長ではない。そもそも、いまのあの院長が引退したら、次の院長は光なんだからな?」
真顔で訂正して少し怒っている滝岡に、うろんな視線を秀一が向ける。
「なんだ」
不機嫌そうに滝岡が見返すのに、秀一がため息を。
「いいけど、―――」
――院長を次やるのは光くんだなんて、多分、光くん本人からも否定されると思うんだけど、―――。まあいいか、にーさんの数少ない夢をうばってもあれだし、と。
「…秀一?」
首を傾げている滝岡を前に、秀一が首を振って。
「ううん、…――ゆめは大切にしないとね?」
「何をいってるんだ?秀一?おまえこそ、体調は本当に大丈夫なんだろうな?」
人の心配をしてないで、と不審気にいう滝岡に苦笑して。
「――大丈夫です、本当だって」
横を向く滝岡に秀一が笑む。
「何だ」
こどもみたいだなあ、と秀一が多少あきれながらも思わず笑んで、滝岡に言い聞かせるようにいう。
「いーえ。だから、大丈夫ですって。まあさ、にーさん。いまの処、僕は仕事では、この感染に関した件とは関わってないからね」
「―――一応聞いておく」
「ひどいなあ」
横を向いていう滝岡にあきれて。
それから、ふと靴先を眺めて、すこし首を傾げる。
「どうした?」
「―――うん、何でもない、というか、何もないんだけどね?」
「ああ、…?関のことか」
「うん、そう」
困った風に靴先をあげてみたりしながら、どうしたものかという風に。
「―――――…」
「心配か」
滝岡家の隣に建つ和風建築。その主であり、幼なじみというか、隣同士子供の頃から家ぐるみの付き合いになる関家の住人に対して。
秀一がこまった顔で。
「そりゃあね。刑事じゃん、関」
「それは仕方が無い」
あっさりという滝岡に床をながめて。
「そりゃ、そうだけどさ、…―――刑事の仕事に、接触感染対策とか無理だよねえ…」
困り切っている秀一に、視線をちらと向けて、あきれたように滝岡がいう。
「あいつは、あれでも料理人志望だからな。調理師免許も持ってるんだ。そこから考えた対策はとれるだろう」
「あー、そうか!確かに」
それがあった、と驚いた顔で見返す秀一に滝岡がしみじみとあきれた顔で見返す。
「忘れてたのか」
「うん、すっぱり」
「――手洗い、うがい、目や髪をさわらない。普段の行動をみてると、下手な医者よりきちんといつもやっているぞ?手指衛生に関してはプロだろう」
「そーか、…少しは安心かも?」
その言葉に少し明るくなる秀一に、滝岡があきれた視線を投げる。
「マスクはしてないから、飛沫を防ぐのは難しいだろうがな」
「それいう?いま?」
眉をあげて抗議する秀一に肩をすくめて。
「勿論だ。おまえから、関に仕事中はマスクをしろ、外すなといってやれ」
「ぼくからー?」
えー、無理でしょ、という秀一にあきれた視線を投げて。
「おまえからだ。どうせまた、うどん食わせろとか無理いってるんだろう」
おれは帰っている暇がないから、おまえからいっておけ、と下駄を預ける滝岡に秀一が抗議を続ける。
「えー、でも、ぼくが素うどんがいいっていうのに、無理矢理きつねうどんにしたり、肉うどんにしたりするんだよ?この間は卵うどんだった」
「――――すまん、関…」
「にーさん?」
どこかずれた抗議に、まったく何が悪いのか気が付いてもいない秀一の態度に。
――すまん、関、…。
しみじみと滝岡が、幼なじみに対して胸中で謝る。
家が隣なばかりに、幼馴染みとして長年付き合っている関家だが。それをいいことに料理が趣味の――隠居後に店を開くのが夢だと常々いっている――刑事の関に、ヒマをみては無理をいっている秀一に、心の中で幾度も関に謝って。
院長室から出て、先に帰った秀一の後から、滝岡と神尾が廊下をのんびりと歩いている。
早朝の青空が美しい窓辺に日射しが気持ち良い。
「それでは、いまは感染症対策関係のお仕事はなされていないんですか」
秀一について訊ねた返事に、少しは安心ですね、という神尾に滝岡が天を仰ぐ。
「ああまあ、いまはな…――そう暇でもないのに、あいつが院長の使いできたということは、これからその手の仕事に入るんだろう」
「え?そうなんですか?」
外科オフィスに戻る為に歩きながらの会話に驚いて思わず神尾が立ち止まる。
「神尾?」
「いえ、…その」
振り向く滝岡に、立ち止まったままの神尾が蒼い表情で見返す。
それに、思わず微苦笑を返して。
「―――大丈夫だ。あいつが、聞かれもしないのに、おれにそういってきたということは、いずれ発表されるんだろう。守秘義務とかは気にしなくていい」
「いえ、その、…守秘義務?ですか?」
神尾の疑問に、不思議そうに滝岡が首をかしげる。
「ああ?違うのか?あいつの立場だと、何処に勤務しているのかすら、答えられないことが多いからな。家族にでも話したら怒られる。…まあ、今回は特に機密ではないということだろうな。一応、院長があいつをわざわざ、此処にお使いに出したのも、一応はおれに仁義を切るというか、その関連でおれに覚悟をしておけということだろう」
「そう、…なんですか、――でも」
苦笑して、あの院長の考えそうなことだ、と多少あきれながら落ち着いた顔でいう滝岡に、言葉の無い神尾に。
その驚きをどう解釈したのか、滝岡が穏やかな表情で、神尾に言い含めるようにいう。
「あれも、一応は自衛隊だからな?医者と同じで守秘義務がついて回る。まあ、そういうことだ。それに、いま起きている感染症対策では、おそらく災害対応と同じことで、自衛隊が呼ばれる任務はいくらでもあるだろうからな。それに、大丈夫だ。感染対策については、レクチャーがあるだろう」
「それでも、…秀一さんは、素人でしょう」
驚いてくちにして。滝岡よりも驚愕して恐怖を顔に見せている神尾に滝岡が驚く。
蒼白な表情の神尾に。
「神尾、―――…」
「すみません。滝岡さんの方が、――」
言い淀む神尾の表情に恐怖が消せていないことに、滝岡が思わしげな顔になり、考えながらくちにする。
どうしたらいいだろうかというように。
「いや、すまなかった。前にもいったが、おまえの方が怖いんだろうな。…おれは、感染症に関して専門ではない。本当に恐怖をいま感じているかといえば嘘になる」
滝岡の言葉に神尾が首を振る。
「僕は、わかっている訳ではありません、――唯、」
「…神尾?」
滝岡の問い掛けに神尾が目を伏せる。
「…いえ、すみません、――唯、…―――以前にもいいましたね?――どうも、僕にはこの新型肺炎と呼ばれている病気が――肺炎が主症状とはどうしても思われないんです」
「―――神尾」
唐突に言い始めた神尾に、滝岡がその言葉を受け止める。
「感染する機会は、少なければ少ない方がいい。僕はそう思っています。秀一さんが、――もし、そんな」
「それでも、自衛官だからな」
途中で言い淀む神尾に、そっと滝岡が言葉を添えるようにいう。
穏やかに何かを覚悟した眸でいう滝岡に、神尾がショックを受けた表情で見返す。
滝岡が、神尾がくちにできなかった言葉を汲み取っていっているのだとわかって。
―――それは、…。
「滝岡さん」
「危険は何処にでもある。この病院でも、あるいは街中でもだ。そして、あいつは、そういう仕事に就いている。就職先というか、受験するときに大概強く反対したつもりだが、何故かあの通り辞めもせずに居着いてしまってな。あいつが一番防大に行って長くなるとは思ってなかった」
少しばかり、おかしそうに微笑む滝岡に、神尾が無言で見返す。
凝視している神尾に、穏やかに。
「―――確かに、どういった病気なのかまだ正体はわからない。だが、もし現場に行くのなら、感染症対策のレクチャーは受けるだろう。感染防御をさせずに行かせることはない。生物兵器や、化学兵器の対策と同じことだ。そういう危険に接するとわかっていて行くのなら、それほど恐れることでもないと思う」
無言で答えられないでいる神尾に構わず、視線を少し伏せて、息を吐いて。
「―――…医療をあいつは仕事にしたことがない、…。それは確かだ。だから、丁寧にやってくれると信じている。あいつは、昔から慎重だからな。仕事に関しては」
そう語る滝岡に、確かに、と秀一が過去にその仕事関連で神尾とも関わった件を思い起こしてちいさくつぶやくように応える。
「――――そう、ですね」
どうして僕は、こんなに怖いのだろう、と情けなく思いながら見上げている神尾に。
そのようすを直接見ず、首を少しかしげて滝岡が考えるようにいう。
「むしろ、怖いのは普段かな。解っている場所では防御するだろう?だから、秀一に関しては心配していない。だが、例えば人間は防護服をきて二十四時間過ごせるようにはできていない。防護服が普段着に向いていないといってもいいが」
「――普段着、―――ですか」
突拍子もない滝岡の言葉に驚いて神尾が目を丸くして見返す。
それに、しみじみとうなずいて。
「ああ。普段着だ。あれが普段着として使える、楽なものならいいんだが、―――通気性が最悪に悪いだろう?当たり前だが。…夏にも暑くないように、――そういえば、おまえ、あのアフリカで防護服を着て病院にいたんだよな?どうやってたんだ?」
途中で思い出してきく滝岡に、真顔で訊かれて神尾が思わず瞬いて見返す。
「え、その、…確かに大変でしたが、――命がかかっていましたからね。暑いのにもある程度は慣れますから。それをいえば、現地で看護をされてる方が逃げずに看護してくれたのが大きかったですね。僕達のような、外部から入ったものの方が、暑さに慣れるまでが大変でしたから。ある程度は、慣れるしかないかと」
「そういうものか」
深くうなずいて、滝岡が歩き出すのにつられて隣を歩き出して。
「はい、――と、滝岡さん」
ふと気付いて、神尾が己の感情にあきれて少しばかり苦笑して呼びかける。
「何だ?神尾」
怯えていた気持ちが少し和らいだのに気付いて神尾が苦笑して。
それに気付いた滝岡が不思議そうに視線を向ける。
「いえ、――ありがとうございます」
「なにがだ?」
割と本気でわかっていない顔でいう滝岡に首を振って、少しばかり軽くなった気持ちで神尾が息を吐く。
「いえ、―――」
「うん?」
神尾の返事に首を傾げながらも、まあいいか、とそのまま隣を歩いて行く滝岡に。
少しばかり肩の荷が軽くなった気がして、神尾が微苦笑をもらす。
――本当に僕は怖がりすぎている。…――――
中国が都市封鎖をしたことを知ったときの腹の底から冷えるような恐怖。
理解していると思っていた、いや、完全にではなくとも、ある程度は情報があると信じ込んでいた己への恐怖といってもいいのかもしれない。
完全に、虚を突かれた。その、平和惚けしていたともいえる己の非常時への勘の鈍り方に、―――。中国の対応に、突然の都市封鎖を知るまで情報を出しているとまで思っていた愚かさに対しての己への腹立ちと綯い交ぜに。
何が起こっているのか解らない、その腹の底から全身をつかむような恐怖。
――本当に、僕は何をみていたのか。…―――
平和な日本で、平和惚けしてしまったといわれても仕方の無いほどに。
紛争地などで、確かに正確な情報が提供されているかなど、解りはしない状況が普通だった中にいたときには。政治的な意図から隠された情報や陣営が違う為に正確な情報が医療の為であっても流れてこないという理不尽には散々出遭ってきていたというのに。
―――何をしていたのかと。
十二月三十日から、一月に入って十数日も。
一体、まともな情報収集もせずに自分は何をしていたのかと思う。
――まったく、僕は何をしていたのか。
それは、己に対する怒りだ。
病院で患者さんに対していたことはともかくも。
それ以外で、自分は平和に生き過ぎていなかったろうか?
原因不明の疾病。
原因不明の重症肺炎が七名。
―――その発生に関して知っていたというのに、情報を広く集めようとはしていなかった。
日本の保健省が発表する情報や、ニュース。公式発表資料に頼るだけで、自ら他に情報を取りに行こうとはしていなかった。
自分のことにかまけてはいなかったか?
その怒りがある。
自己の中に怒りと、――――その恐怖があった。
公式見解や、公式資料。
それだけをみていた自分に対する怒りと、それだけをみていたなら、けして理解できない中国側の対応。
都市封鎖という現実を知った際の恐怖。
いまもそれは、神尾を掴んで離さない。
こんな対応をする必要がある疾病であるはずはなかった。
新興感染症。
その真実を、何処まで自分は知っているのか。
何が起こっているのか解らない、という恐怖。
そして、―――本当に神尾はこの新型肺炎と呼ばれる感染症に対する情報を集め始めたのだ。
初動としては、遅すぎる―――そう神尾本人が己を攻める遅さで。
神尾が、新しい情報が集まる度に、疑問に思うことがある。
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