Novel coronavirus 11

 深夜。

 滝岡総合病院外科オフィス。

 他にはもう誰も残っていないオフィスで。

「どーした?正義」

「…光」

ぼんやりと夜空を眺めて、ふと気付くと通話を開いてしまっていたことに気付いて滝岡が謝る。タブレットの隅には、通話を始めたサインの赤い印。

 光との回線が開かれていると合図しているそれを、しばし、ぼーっとながめて。

「すまん、ぼーっとしていた。情報をみていて触れてしまっていたようだ」

「そうか、そちらはどうだ?準備」

「うん?――――うん、…そうだな、…」

タブレットを持って窓際に移動していた滝岡が、夜空を見上げながらいうのは。

「…実態がみえないというのは、嫌なものだな」

「それはな!確かに嫌だ。お化けみたいなものだぞ?おまえは、お化けなんていないとバカにしてたが」

「…―――いつの話だ、…。三才のこどもがいったことをしつこくおぼえていうなよ、…」

「つまり、反省はしてるのか?おまえ、あのときおれに「おばけなんていないから、こわがらなくていいよ」とか言い切ったろう」

「それに関しては何度もいうがまったく反省はしていない。おまえ、おれより年上だというのに、本当にしつこいぞ?」

「いいじゃないか!おれはおまえの兄貴分だからな?二つも年上なんだから、偉くて当然だ!」

「いってろ、…―――と、お化けのようなものかな、この新型肺炎といわれている病は」

 新型肺炎、――新型コロナウイルス。

 いまだ、正式な名称すらついていない新しい病は、正体のつかめていない幽霊のようなものだと。

夜空に明るく輝く一つ星を見つめて滝岡がいうのに、タブレットから明るい声が聞こえる。

「それはな、わからん!だが、中国ではどうやら実態があるのは確かなようだ。少なくとも、数千人、―――もしかしたら、ウワサされている限りでは、既に数万人が亡くなっていてもおかしくないようだからな」

「その数字の実態がつかめないのもおかしすぎる、…。まるで、マイルドな肺炎のような扱いの発表だが、―――。これは、神尾ではないが、何かがおかしい」

眉を寄せて、思わしくない顔になっていう滝岡に明るい声が。

「そうだな!」

「けれど、見ているとあがっている論文や症例報告には深刻なものも多い。―――どうしてこうなるのか、…処で、光。こんな時間に起きて何をやっているんだ?」

「おまえこそ、こんな時間に起きてうろついてたのか?思考が散漫になってきたときには寝るに限るぞ?」

「…―――おまえこそ、―――まったく、確かにその通りだが」

苦笑していう滝岡に、年上らしく光が説教してみせる。

「そうだ、寝ろ!こちらは、これからあちらさんと話をするので丁度起きてきた処だ。終わったら、まとめて中身を教えてやる」

光のあくまで明るいきっぱりとした声音に滝岡が苦笑する。光のいう、あちらさん、はおそらくアメリカかどこかの時差がある相手だろうが、と微笑んで。

 少しばかり、あくびをする。

 ――光がまとめてくれるなら安心だ。

 妙な処も多い――というか、大半だが――いとこだが。情報を纏めて、過不足なく伝えてくれる点では、特に医療関連や技術に関してなどは本当に解りやすくてたすかっている。

 そうしたことを思いながら、眠気がきているのを感じて滝岡がくちにする。

「…いいな、それは、――頼む。神尾の報告も聞きたいが、あちらも大変そうでな。頼んだぞ?」

「おう!寝ろよ!じゃあな!」

突然、というか、時折、何とも謎な兄貴風を吹かせてくる光に、思わず笑みくずれて。

 額に手をあてて、ひとしきり笑うと、大きく息をついてから。

 顔をあげて、夜空の星を見つめる。

 胸騒ぎという。

 予感とも、あるいは、唯の懸念。―――――

 唯の騒ぎすぎの懸念であればいい。

 病院で行った大袈裟な準備も何もかも必要が無ければそれが一番良い。

 滝岡はそう思いながら、しずかに、唯、星を見つめて―――。

 眠らせたタブレットを手に、息を吐き少し微笑むと。

 もう一度、星をみあげて、眠る為に窓辺を離れていた。




「――重症化の契機が知りたい。契機でなくとも、サインが、――…数値でわかるものがないだろうか。重症化する際に上がる数値や、この範囲を出たら、重症化する可能性が高い、という数値だ。指標となる数値がほしい。測定して、それがわかれば、重症化を防げるような」

資料を幾つか読み、滝岡が切実に神尾に問い掛ける。

「はい」

「―――リンパ球が数値これ、おちてないか?神尾ちゃん?んで、―――やだなあ、…CRPあんま高くないのな、やっぱり」

永瀬の言葉に神尾がうなずく。

「はい、そうですね。炎症反応があまり、はっきりと出ていません。通常なら白血球も上がる場合が多いんですが、これは何故か…」

「やっぱりさ、これ、肺炎じゃないの?重症肺炎になって、DIC起して、多臓器不全になって、亡くなられる」

「そうみると普通なんですが、…」

永瀬の問いに神尾が言葉を濁す。

 それから。

微苦笑をこぼして。

「はっきりいえなくて、すみません」

「いーや、全然いいのよ、当然だろ?これ、幾つか中国からの論文出てるけど、当たり前だけど症例少ないし、臨床報告だと考えたら、これでもデータ揃ってる方というか、正直、これだけデータあると正直、気持ち悪いしな」

「…――先輩?」

滝岡が、永瀬のふと漏れた本音に顔を向ける。不思議そうな顔の滝岡に肩をすくめて。

「だってな?毎日、どうなってるのか知らんけど、都市封鎖して、病人が山程押しかけて、治療なんてどうなってるのか、わかんないレベルなんだぜ?しかも、突然、病院プレバブか何か知らないけど、突貫工事で建設はじめるとかさ、…―――」

「―――はい」

怪訝そうに見返す滝岡に、離れてると、ここでいきなりラリアットとかできねーなあ、と思いながら永瀬が見返していう。

 三人共が、タブレットを好き好きな場所において、離れた場所からそれぞれ会話しているのだが。

「だからさ、なんていうの?違和感?とっても大変なときだっていうのに、なんでこう冷静なんだろうね?っていう、―――感じ、…かな?日本でこれが起きて発生源だったときに、こうまで冷静にデータ取れるか?という」

「…――ゲノムデータの公表が本当に早かったですからね、…――」

「そりゃあ、疑惑にもなるよね?原因になる病原体単離してさ、まず、どうやってそれがターゲットだと選定したの?できたの?なぜ?…んで、治療法の無い重症肺炎が起きてると報告あったのはいいとして、――いいのかな、…いや、まあ、ないよりいいけど。…やってることが何かへんなんだよね?大きな都市が大変なことになってるんだろ?どうしてこうも冷静?データ集められんの?これ本物のデータ?これだけってことはないだろうけど、死者数とか、感染者数とか本当に出せてんの?というか」

「…―――先輩、支離滅裂です。要旨を簡要に。簡潔に述べてください」

「えーっ、おまえ、せんぱいにつめたいー」

すねる永瀬を滝岡が冷たい視線でみる。

無言で淡々と見返す滝岡に、永瀬が眉をよせて。

「いやん、いじめー。ったくさ、だから、死者を正しく報告してるのか、って疑惑が出てるだろ?感染力とか、致死率とかに関わるデータなんだから、正直に出してほしいんだがね?」

少しばかり据えた視線で永瀬が途中からマジにいうのに、神尾が少しばかりため息を吐きながら引き取る。

「それに関してですが、…――もし、過小報告されていたとしても、…―――隠蔽ですか?そういうことを持ち出さなくとも、いわゆる本当の数字を現場では既に出せない状況になっているのでは、という気がします。あくまで個人的感想になりますが」

神尾のどこか沈んだ慎重な意見に永瀬がかるく片眉をあげてみせる。

「神尾ちゃん、暗い。沈んでばかりいると免疫力落ちるぞ?滝岡、何か美味しいものでも食わせてやれよ?」

「―――おれが、ですか?」

驚いておもわず目を丸くしてみる滝岡に、永瀬が吹き出す。

「…お、おまえなっ?…そーいう意味じゃないよ!おまえなっ、…たく、おまえが何か作れるわけないだろ?奢ってやれってことだよ、たまにはさ、―――おまえが、神尾ちゃんにカナウわけないじゃん?神尾ちゃんプロ級の腕前もってんのに」

安心しろよ、といって大受けして笑っている永瀬に、―――画面の滝岡を実際に指さしまでして大笑いしている――滝岡が肩の力が抜けてほっとした顔になる。

「そうですか、…ほっとしました。おれに、めしを作るのは無理ですからね、…――米を炊いたら、芯が残ってたの思い出しましたよ、…」

「そーいや、おまえさん、はんごうでめし炊くのも下手だったなあ、…あれだけ、芯の残っためしは初めてだった」

「すみません、先輩」

しみじみしていう永瀬に、滝岡が真剣に謝る。当時を思い出してか、幾度もうなずいている滝岡に。

「…あの、はんごう、ですか?ごはんに芯が?」

驚いて、いままで頭を悩ませていた新型肺炎――と呼ばれている――病気に関するデータへの懸念等が吹き飛んで聞いてしまう神尾に、真顔になって永瀬が視線を向ける。

「その通りだ。こいつはな、当番のときに飯ごうでめしを作らせたら、それがマズいのなんのって、…――天才的だぞ?あそこまでまずいめしを作れるのは?おれ、あれ以上マズいめしを作る後輩には一人もあったことない」

「…先輩、―――そのだな、神尾」

「ええと、はい、…あの、料理、しましょうか?」

「え?神尾?」

ふと、視線を神尾が緩ませる。

「そうですね、…久し振りですから。僕も、しばらく料理してませんからね、――考えてみたら」

思わず、数えようとして驚いて瞬く神尾に永瀬が真顔でいう。

「それはいかん、神尾ちゃん!まずいぞ?まともな思考回路を保とうと思ったら、ストレス下では特に、大事なルーティンを守る方がいい。神尾ちゃんはいつも料理して、それがストレス解消になってたんだろ?だったら、まともに思考するためにも、料理しないと」

真顔で正面から見つめてくる――それも、どうやったのかタブレットにUPになるように調整している永瀬の顔がでかく映っているのを思わず見返して吹き出しそうになってから。

「はい、ええと、――…はい。」

「だとも!滝岡、上司失格だぞ?神尾ちゃんがストレス解消できるように、おまえ、ごはん食べてやらないといけないのに手を抜いてたな?」

「―――…先輩、何か誤解がありますが、別に神尾は確かに料理するのがストレス解消になるとは聞いてますが、おれに食べさせるのはついでというか、―――」

「確かについでですが、誰か食べてくれる人がいるのはうれしいですからね。」

「…ついでなんだな、神尾、…」

にっこり、立ち直って微笑んでいう神尾に、滝岡が思わずつぶやく。

 滝岡の声は、どうやら届いていなかったようだが。

「滝岡さん、永瀬さんも、都合がつけば食事に来られますか?材料は、食堂の土方さんに頼んでもらいます」

「おお!神尾ちゃんのめし、食えるの?病院で?戻らなくても?」

「下宿先に戻るのは、――その方がいいんでしょうか?」

ふといいながら何か思いついて問うともなくくちにした神尾に、永瀬が首を傾げる。

「歩いた方がいいってこと?確かにそうかもな、神尾ちゃん。時間がもったいないし、感染考えるととかで、ずーっと病院閉じこもってるもんな、神尾ちゃん。確かに、外出た方がいいのかも」

「家にいって、帰ってくる間に交通機関やタクシーを使わなければ、…歩くのは悪くないかもしれませんが」

「…滝岡、おまえも光ちゃんも病院閉じこもってるよね?準感染症対策期間?」

「まあ、車はありますから、それに歩いて帰れますので、帰宅してもいいんですが、―――。いまの処、光は第一から、おれはこちらから出ずに、というのが方針です」

「いくら、元々病院で育ったよーなものとはいえ、病むぞ?それ」

「まあ、そうなんですがね。元々考えてみると、家と病院の往復で、泊まり込みも多いですし、普段から特に年末から正月は泊まりですから、―――私生活はありませんしね」

しみじみ、ぼそり、と視線を落としていう滝岡に永瀬がうろんな表情になる。

「…神尾ちゃん、このもてない男の胃袋を少しでも慰めてあげて。…あわれになってきた。――おまえさ、どーして一応さ、もてる職業のはずの医者なのにさ、なんで、本当にもてないのよ?」

「…聞かないでください。先輩」

む、とマジでむっとして見返す滝岡に永瀬がふふーんと笑う。

「お、れ、は、さとってるからいいもんね?女性にもてなくても、いきていけるっ、…!」

拳を握って目を閉じて力説する永瀬に白々とした視線を送って。

「人口比でほぼ半分ですよ?」

「――…うっ、…いいんだよ、どうせもてないもん。おれはさとったの!珈琲淹れて、美味しいの飲めば人生たのしいもん!」

「まあ、確かに先輩の淹れる珈琲は美味いですけどね?」

「だろ?特技だもん。おれの一番の特技兼取柄は、珈琲淹れる腕よ?ふふん!」

自慢げにいう永瀬に、滝岡がうつむく。

「…―――そうですね、…その点、おれは何もないというか、―――」

しみじみ茫然としている滝岡に、あわてて神尾がいう。

「あの、滝岡さん!いま食道の厨房に問い合わせたら、ミックスベリーがあるそうですから、ミックスベリーのムースプリンと生姜の炊き込みご飯に、鯖の生姜焼き大根おろしにきのこの味噌汁を作りますから!」

簡単すぎて申し訳ないですけど!とあわてて神尾がいうのに、滝岡が視線を向ける。

「本当に?」

どこかこどものように茫然とした気配が少し残っている滝岡にあわててうなずく。

「作ります!いまから作りますから、滝岡さん!」

「…いまから?」

滝岡がおもわずぽかんとくちをあけていうのに、すでに接続は切れていて。

「―――神尾ちゃん、…」

「ええと、――神尾?」

「まあ、早朝といえば早朝だし」

「食堂は、――そうか、いつも朝が早いですからね、…。市場に仕入れにいって、戻った頃ですか?」

食堂というのは、滝岡総合病院の食堂で実に美味いめしを出してくれる和食料理人の土方という人物が統括している処のことで。和食を中心に実に美味いめしをスタッフに出してくれる有難い処なのだが。

 早朝、というか、深夜の休憩時間というか待機時間を利用して、また話し込んでいた滝岡達だったのだが。

「まあ、…神尾があれで、ストレス解消になるならいいんでしょうか?」

「おまえさんも、マジで落ち込んでたくせに」

「それは、…――いいんです。もう立派な行き遅れですから」

「それってさ、お嫁に行き損ねたときに使う言葉じゃないか?男女差別だけど」

「男女差別ですよ、…。男だって結婚しそこねるものは多いんです。いや、生物的に男性の方が数は多いですからね?人間は。出生数が多くて、死亡率が下がっているんですから、男はあぶれて当然なんです」

力説する――一応、多分、ハンサム、とかいうには少し強面だが、それなりにみられないこともない容姿であるはずの滝岡をしみじみと永瀬がながめて。

 野郎の容姿って、よくわからんしなー。

あっさり考えるのをやめて、一応なぐさめる言葉を探そうとしてみるが。

「まあさ、おまえ、たっぱもあるし、医者だし、――――…一応、もててもいいはずなのにな?ほんとーに、もてないよな、…」

しみじみと揶揄するというより、同情する視線でいわれて滝岡が肩を落とす。

「…先輩。それ以上、留めを刺さなくてもいいです」

「そうか?こういうのは、しっかり息の根を止めておいた方が、――――」

「止めないでください」

「でもさ、中途半端な期待を抱いて人生送る方がつらいだろ?」

「―――――…」

滝岡が無言になる。

 しばらくして。



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