Novel coronavirus 10
「――ほんとーに光ちゃん、秘密兵器とかすきなー」
永瀬があきれた風にいう。
滝岡総合病院外科オフィスにいる滝岡と。
この新興感染症専用病棟として使用を始めることとなった旧棟の設備を点検に出ている永瀬と、タブレットとリストバンドで会話しながら。
「先輩、…。一応、使ってみてくれませんか?ICUで処置をする際に等が考えられますが」
新しく仕入れた防護具――例のヘルメットもある――を永瀬が点検しながらくちをへの字にまげて。
「ヘルメットねえ、…。これ、やはり処置する際に使うことも考えたいが、やはり、本当に必要なのはおまえが残っている救急の方じゃないのか?」
「…先輩も同じことをいいますね、光と」
「そりゃそうだろ。こちらに来る患者さんは、感染した前提で対策をとればいい。だが、おまえの残る救急は、誰が感染しているか解らないんだろう?感染するぞ、それは」
「危険が大きいのは解っています。ですから、すべて受ける患者さん達が感染しているという前提で対応しています」
「わかってるけどな?…一般診療もそれいったらな」
遠くをみる永瀬に、滝岡が微笑む。
「実際には、誰が感染しているかはわかりません。患者さんかもしれませんし、こちら――私達の側かもしれません。できることは、―――」
「常に全ての患者さんに対して、こちらも患者さん達も、どちらも感染している仮定でいま対応してるんだよな?―――いきなり、十四日から、その対応始めるってきいたときにはどうかしたかと思ったよ。光だけじゃなくて、おまえまでだもんな」
「…すみません。一応、当初は防疫訓練という形でしたでしょう?」
微苦笑をみせていう滝岡に、永瀬が軽く片眉をあげる。
「おまえな?根が暗いんだよ。ったく、…――対インフル強化訓練、病院全体クリーン化計画とか、謎の防疫計画発動!とか、光ちゃんが遊んでるなと思ってたけど。対応には、ビニール袋使わせて、防護服かわりのガウン作らせるとかさ?」
「光の発案したコンテストのお陰で、効率的な作成の仕方がわかりました」
「…瀬川が、よりによってコンテスト優勝するもんなあ、…あの無表情で賞状と副賞のみかんもらってた姿はもう忘れられないかも」
脳裏に焼き付いちゃった、と。
自作のビニール袋で作成した防護服ガウン――それを着て、無表情に賞状とミカンを手に立つ瀬川の姿が脳裏に浮かんで、いやいや、と永瀬が首を振る。
「…先輩」
「あいつ、よくそんなヒマがあったよな?いっつも、――…」
「先輩」
「…すまん。おまえさんがいいたいのは、ハーフゾーンとの区分けな?」
「ええ、…――どのくらいを当てればいいのか、それも難しいんですが」
「まあなあ、…うちがいま、普通に受診するだけで玄関入るのに消毒されて、靴裏も綺麗にされて中に入ったら案内されて、万が一持ってなかったら先にロボットにマスク渡されて着用してもらって中に入ってさ?」
「はい」
「それで、診察室に入ったら、フェイスシールドした医師に看護師が待ってたりとか、N95はそれで流石にしてないけど、診察後に手洗い必須にしてるとかさ、―――…会計がパネル化してて、手許にあるタブレットに明細出て、会計も自動販売機みたいな機械でしてくれるとかさ?」
永瀬が遠い目になっていう。
「たしか、光ちゃんの未来化計画!発動って奴の前倒しだよな?前にみたときは、へんてこなヘルメットか何か被ってたけど、…」
戦隊物のポスターに出てくるような謎な装備を身につけた病院スタッフをモデルにしたポスターを思い出して永瀬が沈黙する。
――おれ、本当に外来担当してなくてよかった、…。
永瀬がしみじみと天を仰ぎ、滝岡が同じように沈黙して遠くをながめる。
「ええ、…―――その辺りは、元々光がそういうのが好きで導入していましたからね、…」
「うん、それで、進化して今度はカート型ロボットくんが、お会計とか案内も会話でしてくれるんだろ?親切設計というか、何というか」
「それで、会計や受付をする際の感染リスクを減らせますからね。相互に」
「受付と外来が完全にガラスで仕切られてて、しかも保険証出すときも装置において、中で紫外線殺菌して読み取りされて返すとかさ。あ、順番逆なのか?」
「確か、外来患者さんが保険証をトレイに置くと自動的に読み取られて、そのトレイ内部で紫外線殺菌されて出てくる仕組みのはずです。元々、光がどうせコピーするなら人間が受け取ってコピーするなんて二度手間だろう!とか言い出して、患者さんがカードを置けばコピーされる台を設置しようとしていましたからね。どうせなら、コピー機も蓋を閉じて光を当てるので、紫外線を出せるようにしても作りとしてはあまり変わらないと」
「…光ちゃん、そういう発明大好きだもんな。道具も手作りするしなあ、器用だもんな、そういうとこ昔から」
「…ええ、普段は、妙な発明ばかりしてるんですけどね」
光に子供の頃からその発明品の被害にあってきた過去を少しばかり思い出して苦笑する滝岡に、永瀬がモニタ越しに同情の視線を送る。
「うちが、ロボットとか妙な発明品のオンパレードってか、各企業さんも協賛してくれる実験場に昔からなってるのは、今回良い方に働いたかなあ、…」
「そうですね。その点は助かっています。今回も実験に参加してくれているので、試作品を製品化するのに協力してくださる企業の方とかが多いですからね。…何より、うちに来てくれている患者さん達は、ご家族も含めてこういった光のテストになれてくださっているので、違和感なく受診してくれているのがたすかります」
しみじみという滝岡にさらに深い同情の視線を永瀬が送る。
「…ありがたいな、患者さんが適応してくれるのは」
「はい、…――本当に」
いきなり病院に来たらロボットだの新しい消毒装置のテストだの。
新奇なテスト品が常日頃から横行している滝岡総合病院。
その点では、確かに患者さん達もスタッフと共に鍛えられてるのかも、と永瀬がついしみじみしてから。
ふと、いっとかないと、と思い出して永瀬が真顔でいう。
「あ、でもあれ、あれはマジに感謝してるぞ?ICUで直接会わせられない患者さんをオンラインでモニタ面会出来るようにしてくれたのには。感謝してる。あれは、実際評判良い。患者さんの為にもなるしな。回復の気力をあれで持てるようになる患者さん多いんだ。本当に助かる」
「ありがとうございます。感染危険のある患者さんに、中々ご家族でも面会が難しいのが以前からの課題でしたからね」
深くうなずいて滝岡がいうのに、永瀬が真顔でいう。
「今回の件がなくても、慎重に管理が必要な、しかも重篤な患者さんへの感染暴露を減らすのと、意欲――あるいは、患者さんの意識がないときに、いかにご家族との対面をセッティングするのかは、―――難しかったからな。オンラインは助かるよ。病院に専用の面会室設けてくれたのはうれしい」
真顔のまましみじみという永瀬に、ふと滝岡が微笑んで。
「ありがとうございます。…光の暴走は、基本、すべて患者さんの為ですからね。あれでも」
「まあな、…光ちゃん本人にでも、この感謝伝えちゃだめよ?あれ以上暴走されたら困る」
「ですか?」
「ですよ。…と、しかし、光ちゃん得意の発明とかでも対処難しいなあ、…これ。サーモ役に立たんだろ?これ?」
唐突に現在対処しようとしている新型コロナウイルスに対する話題に戻る永瀬に、滝岡が躊躇無くついていってうなずく。
「ええ、…。勿論、全くの無駄ではありませんが、発熱だけをみていては、見逃しが多いでしょうね。神尾とも話していますが、どうも、半数以上は見逃すようです」
「…やばいなあ、…。やっぱり、いまの通り、全員感染してる前提で行動計画していくしかないのか。解る方法ってないもんな?」
「検査も完全ではないようですしね。特異度は高いようですが、――まだ、ウイルスがどの程度の量があれば発症するか、感染力があるかすら、わかりません」
「そんな研究結果まってられねーしな、…。マジでノロさん並の感染力もってたらどうする気よ?とか、感染広がった後だとマジで後の祭りでしかねーもんな」
「はい」
「…過大に備えよ、か。リスクがわかってから網を小さくして撤収するのが基本だよな」
「はい、…それしか、考えつきません」
真面目に答える滝岡をモニタ越しに永瀬が正面から見つめる。
「あまり、深く考えすぎるなよ。一つひとつ、丁寧にやるしかない。あとは、後からわかることが増えるごとに、一つひとつ撤収すればいいんだ。丁寧にやれ、それだけだ」
「はい、先輩」
真顔でうなずく滝岡に、外を、窓の外を振り仰いで。
しかし、と目を閉じて大きく伸びをして。
「しっかしなー、特徴ある症状とか、ないんだよな?まだみつかってない?」
「はい。…神尾が集めている情報でも、特異的なものはまだ見つかっていません。風邪のような症状、まだ、特徴的な検査数値も見つかっていません」
滝岡が思わしくない顔をして、ふう、とため息を吐く。
「…はやく、見つけたいんですが。西野にデータ集積をしてもらって、論文等のデータから特異性を見つけられないか試みてもらってもいますが、…。いまの処、どうしてもまだデータが少なすぎます」
滝岡がくちびるをかむようにする。
「少なくとも、重症化するサインとなるような、数値の変化が見つけられるといいんですが」
永瀬がうなずいて。
「だな。やっぱり、…感染して出る症状が誰にでもある風邪引いたときと大差ないっていうのがな。見分けつかねーだろ。いまの処見えるデータだけだと、特異的な症状があるって報告はねえもんなあ、…―――」
「ですね。それに、先輩も御覧になったかと思いますが、発熱が、―――」
「47%だったか?あれはイヤだな。半数近くが、入院時に発熱してなかった――少なくとも、高熱ではなかったという奴だろう。これ、検疫なんて擦り抜けるんじゃないか?うちの光ちゃん特製ゲート検温とか、このロボット案内モニタの体表面温度検知とかさ、あれは、さらに患者さんの脈拍とかもみてるだろ?――そーいうのでも、検出はできないだろうしな。体温測ってるだけじゃ擦り抜けるってんのなら、空港とかなんて、さらに危ないんじゃないか?あれ、サーモグラフィーでしか検疫できてないだろう」
「通常はそうなります。それに、いまは封鎖都市から来た人を対象にしているようですが」
「アホなことしてるんじゃないよ、という感じだな。…まあいいか。中国から来た人全員を対象にした方がいいのは確かだが、―――」
「漏れるときには、もれるでしょうね」
滝岡の言葉に、他の病室予定の箇所を点検しながら永瀬がいう。
「もともとが、高熱が必ず出るって訳じゃないとしたら、どうしようもねーよな、…。もう感染者が市中にいると思った方がいいだろうな。…」
「はい」
短く答える滝岡に。
視線を、遠く窓の外に投げて。
「いまはわからないことが多い。神尾先生が、検査の手配つけてくれてるんだろう?PCRか?あれ、うちでも確かに検査機器あるからできるものな?」
「ええ、…遺伝子配列は解っていますから。それに、タイ香港方式と、日本でも多少方式は違いますが、配列の何処をターゲットにして検出を行うのかモデルが出来ていますから」
「…人類って進化してるよな?一応。これが、PCR出来る前だったらと考えると寒気がするけど」
永瀬の言葉に、滝岡がにっこりと。
「HIVは献血からの感染をPCR検査でほぼ完全になくしましたからね」
「同定には威力を発揮するからな。問題は検体の取り方か、―――喉じゃないとダメという話だよな?」
「いまの処は、―――喉から取るのは、難易度が高いですからね」
腕組みする滝岡に、永瀬がねだるようにいう。
「ウイルス量、他に高く出るとこないのかね?鼻は?はな?」
「インフルと同じようにできますね、それですと検査が」
「――あれも危ないっちゃーあぶないけど、まだマシだよな、喉に比べたら」
「楽ですね。…―――それに、採取する道具を流用できます」
「インフルのな?それは確かに。いまは、まだ検査出来る体勢整ってないから、全員感染仮定にして、入院してる患者さん達もわけてるもんな。結局、対策は基本の隔離しかねーわけだし」
でも、一ヶ月隔離は長いよ、長いって、という永瀬に滝岡がうなずく。
「はい。はやく検査出来れば良いんですが」
思わし気にいう滝岡に永瀬が窓の開け閉めをしてみて、それから部屋の間取りを確認して。
「はやく、感染に必要なウイルス量とか、いつから感染させて、いつまで危険があるかとか、どの部位から感染の危険があるかとかわかるといいんだけどな?」
「――ええ、涙、汗、鼻、呼気、尿、便―――全部調べてほしいですね」
深刻な面持ちでいう滝岡に永瀬が伸びをして。
「おまえな?」
「―――はい?」
滝岡があげた項目――それらすべてからウイルスが排出されているのか、感染する危険があるのかを知りたいという――に、肩をすくめてみせて。
「…まだ、国内での発生は一桁だ。油断はできないがな」
「はい」
真面目に返す滝岡に笑む。
「おまえはな?まあいいか、おまえの取り柄は真面目なことだからな」
「ありがとうございます。」
先輩に褒められても、褒められた気がしませんが、と。
しみじみ天を仰ぐ滝岡にくちを曲げる。
「…素直にほめられとけよー」
「先輩に褒められても、裏があるとしか思えません」
「本当っに、すなおじゃないー!」
「仕方ないですね。先輩に育てられましたから」
うんうん、とうなずく滝岡に永瀬が抗議する。
「――ちがうっ!おれ、絶対におまえなんて育ててないっ!抗議する!」
「いないんですか?でも確か、指導教官でしたよね?」
「…――そんな昔のことは忘れた!」
「忘れたんですか、…」
「もちろんだ!わすれたとも!」
「それなら、先日のあれは、…―――」
確か、先輩だからと、…――と、何処か遠くをみていう滝岡に永瀬があわてる。
「あ、あれはあり!おれの都合がいいことに関しては、おれはおまえの先輩だっ!」
きっぱりと言い切り、永瀬が突然モニタを切る。
「―――――…先輩」
滝岡がしばし沈黙した後にいうのに、大声で両手を振り回して旧棟を外へ。
「さーてと、少し運動して、いい空気すうかなー!じゃあな!滝岡!」
よーし、これで回線全部切れたぞ、という声がして。次に少しばかり雑音が残る映像のきれた回線に滝岡がしばしあきれて。
「…―――逃げましたね」
まあ、いいんですが、と多少据えた視線でいって。
それから、モニタだけ切れていた永瀬との回線を完全にこちらから双方終了にして席を立つ。
――確かに、先輩のいう通り。
少し運動をしよう。
確かに、身体は動かした方がいい、と。
休憩時間に永瀬との打ち合わせを済ませた滝岡がひとつ伸びをすると。デスクを離れていきなり床にほとんと平らになって開脚をして、柔軟を始める。
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