Novel coronavirus 8

「攻撃、ですか」

ぽかん、と滝岡の顔をみていうのは神尾。

「そうらしい。サイバー攻撃というのを受けていたそうだ。わかるか?神尾」

「――わかりますが、一応は、…あれですよね?コンピュータとかに入っている情報を、他所から盗みに入ろうとして、物理的にではなく、外部から気づかれないようにして、インターネットという通信を利用して情報入手を試みるというようなものでしたか?」

「――…まあ、盗むだけでなく、攻撃によって動きを停止させるとか色々なタイプのものがあるらしいが、―――。つまりはそういうことだ」

「でも、盗まれる情報がありませんよ?特には」

「そうなんだが、いま、西野がいうには世界的に保健機関や、おまえのような感染症に関する研究を行っている処が、総攻撃を受けているらしいんだ」

外科オフィスのデスクに座って、朝の挨拶にきた神尾がまだ少しねぼけているようなのに微笑んで滝岡が、そのようすを仰ぐ。

 立ったまま、どこかぼんやりと滝岡の言葉をきいていた神尾が首をかしげて。

「そうこうげき、ですか、…。コンピュータのことは、よくわかりませんけど」

「おれもだ。そういうことは西野に任せている」

滝岡が微笑んで、少しおかしそうに神尾をみる。

「さて、処でおまえ、朝めしは食べたのか?一緒に行くか?食堂」

「あ、…そういえば、まだですね、…。」

ぼーっとしている神尾をみて、滝岡が席を立つ。

「一段落ついたから、丁度食事にしようと思っていた処だ。行こうか?」

楽し気にいう滝岡にうながされて、ぼーっとしたまま神尾がつれられて廊下に出る。

 外科オフィスに掛けられていた時計の表示は朝の七時。

 食堂へと廊下を歩きながら、楽しそうに滝岡がいう。

「おまえには、いつもなら食事をきちんととれといわれるから、こういうのはおもしろいな」

いわれている神尾は、まだぼーっとして、滝岡が適当に肩を促して方向を向けるままに歩いているのも半ば自動的だ。

「さてと」

神尾の為に自動で開くドアの前で待ち、開いた中に神尾がぼんやりと入っていくのを面白そうに眺める。

 昨夜はいつねたんだ?一応、自動的に寝たのはみたが、また起きて何かしていたのか?

と、面白そうにみてから、席につかせて。

「ほら、まってろ。いまもってくるから」

おとなしく席にすわって、まだぼーっとしている神尾を面白そうにみてから、朝食用のトレイを手に集めていく。

 麦飯に玉子。オクラに花かつおとみそ汁の具はなめこ。

 それに豆腐と鮭の切り身を。

 鮭は塩焼きではなく、麹に漬けて焼かれたものにゆず味噌と大根おろし、それに葱の小口切りが瑞々しい青さを添えていて、はじかみ生姜の薄紅も美しい。

 神尾の前に並べて、斜め向かいの窓際の席に座り、外を眺めたりなどしながら滝岡が食事を始めていると。

 ぼーっと、いただきます、とそれでもいって朝食を食べ始めていた神尾が。

 半分寝ながらきちんと箸を使って食べていくのに感心する。

 ――箸使いがきれいだな、…。しかし、器用だ。

自動的に半分寝ながら食事をする光景は、光とかでもみなれているが。

 ――光よりは、まともだな。…

 というか、光の場合、半分寝ながら食事をする為に、世話をする方が大変な目にあうのだが。それはおいて。

 青空に光の射し込む窓の外を眺める。

 綺麗に晴れた空に微笑んで。

 ありがたいな、――生きているというのは、…。

 しみじみと思いながら、滝岡が箸を運ぶ。

 紅鮭の切身が麹のあまさをくちに運んで実においしいのがありがたい。

「うん、どうした?神尾?」

顔を向けていう滝岡に、いま気が付いて驚いて神尾があわてていう。

「おはようございます、…あの、ぼくは?」

「自動的にここに連れて来られて、いままでめしを食ってた処だ。目が醒めたか?」

おかしそうにいう滝岡に瞬いて。手許の箸と、――ちなみに、箸はきちんと落とさず手に持っている――食事の並んだ皿を目に。

「ええと、…すみません」

「いや、おもしろかったぞ?ねぼけてるのに、ちゃんと箸を使うんだからな?」

「…ひどいですね、――まあでも、その、…―――ありがとうございます」

「他に好きなものがあったらとってきてくれ。適当に選んだ」

「はい、ありがとうございます、…納豆とってきます」

いうと前をみて、納豆をみつけて席を立つ神尾に、思わず笑んで。

「すまん、忘れていた」

「いえ、――なんだかくやしい気分です。おいしいのに、ねぼけて食べていたんですね?」

席に戻り、既に手の付いた紅鮭を複雑な表情でみる。

 なんときれいに皮までのけられて、骨が行儀よく皮の下に揃えられてまでいる有様に。

「…紅鮭食べたんですね、ぼく」

しみじみ見つめる神尾に、滝岡が笑う。

 それを神尾がにらんで。

「すまん、いや、しかし、…器用なものだな。寝ぼけてるとはおもったが、本当に全然意識がなかったのか」

「…食べたような、…」

痛恨の表情で皮をきれいに除けられた紅鮭が置かれていた皿をみて。

「まあ、栄養にはなっているさ」

「…そうですね、…。せめて、納豆を食べます」

複雑な表情で納豆の入った小鉢を手に取ると、箸でかき混ぜ始める神尾に。

 滝岡が明るく笑って、神尾がすこしそれをにらんで。

 それから、神尾もあまりにもきれいに片付けられた鮭の皮と骨をみて吹き出して。

 二人して笑って、明るい朝の日射しを受けながら。

 ゆっくりと朝食を、―――――。





「つまり、寝ぼけていたということは、先のサイバー攻撃の話もおぼえていないのか?」

「…――したような、…」

「今度から気をつける。最初から話をしよう」

外科オフィスに戻り、滝岡がデスクに置かれていた書類の整理をしながらいう。

 それに天を仰いで。

「こちらこそ、…――」

「要は、おまえの研究室があるだろう?そこのデータが外部から狙われたらしい。西野達が防いでくれたが」

「…そうなんですか」

驚いて振り向く――反省しながら、コーヒーを飲んで目を醒まそうと給湯コーナーでマグにインスタントコーヒーを入れようとしていた神尾が目を丸くして。

 その反応に滝岡が。

「起きていると違うな、すまん、次からは気をつける。何か大事なデータがあったのか?」

「大事というか、…。いえ、その、――――」

お湯を自動的に入れて、何とかスプーンで掻きまわして。

 マグを手に茫然としていた神尾が、大きく息をつく。

「どうした?神尾?」

「…手術でしたよね?これから」

「ああ?午前中に一件と、午後から一件だ。これから患者さん達の様子を診にいくが、どうした?」

「あとで、話します。お時間とれますか?」

「とる。夜で大丈夫か?」

「勿論です。…―――いま、検査、通常業務から外してもらってますけど、」

「気にするな。おまえに育ててもらった技師さん達も腕があがってるからな?病院の検査業務は気にせず、いまは、おまえのするべきことをしてくれ」

「…―――ありがとうございます」

くちびるを咬んで、頭を深く下げる神尾に。

「あまり、追い詰めるな、自分を」

「…滝岡さん?」

思わず顔をあげて驚いてみている神尾に、微笑う。

「違うか?思いつめすぎても、見る処を失う。狭く深く見るときにも、広くみることを忘れていたら、行く場所を間違えかねない。だろう?神尾」

明るく笑んで、軽く肩を叩いて、タブレットを手に出ていく滝岡を思わず見送って。

「―――…滝岡さん、…――そうですね、はい、…」

 いま自分が、深く狭くみてしまっている自覚はある。

 この感染症のことが、頭に憑り付いて離れない。

 何が一体、起こっているのか、―――――。

 情報の分析、集まってくる症例データ。公開されたウイルスのゲノム解析が各国で行われ、集積されていく中に刻々と変化していくさま。

 封鎖された都市の中で、一体何が本当に起きているのか。

 そして、世界各国の中に、種が撒かれるようにして、少しずつ増えていく患者発生のデータ。シンガポール、タイ、香港、――――ベトナム。

 ――――…ドイツ。

 中国からの旅客。

 感染を広げない為に、旅客を止めなくては。

 けれど、…―――――。

 実際には、目の前で、それがわかっているのに世界中に疫病の種が撒かれていくのを見つめているしかできない。

 自嘲して思うのは。

「いつもなら、現地にすぐとんでますからね、…―――」

 足を止められているのが、こんなにつらいとは思いませんでした、と。

 額に手を当てて、うつむいて目をとじる。

 わかっている対策は、…何処の国でもほぼいまは行われていない。

 いますぐ必要なのは、発生国からの旅客の遮断。

 誰もそこから出してはいけない。

 例えば、いま、――――都市封鎖を、中国が行っているように。

 けれど、…。


 国際機関は、発生国のヒトーヒト感染しないという報告をそのまま適用。

 現地に調査団は入国こそしたが、実際に調査は行えておらず。

 ――――だがそれでも、滝岡さんのいうように、本来は状況から観察して、推論であっても、強い要請を、―――――…。

 政治と何か他のものの為に、人の命が軽く扱われるのは、いまに始まったことではない。

 それが、例えば保健衛生の為に設立された機関であっても。

 だとしても、――――…。

 国際機関の勧告を動く基準としてしまっている国は多い。

 せめて、本来は各国がそれぞれの国に入れない決断を、―――。

 日本は、だが、中国の一部の地方からきた旅客だけを対象に、検疫を行っているという。

「そんな、ばかなこと、…」

 それだけでは、何も、―――――。

「いけませんね、いまは、…」

 首を大きく振る。

 やるべきことをしなくては、と。

 手にしていたマグを一気に飲み、神尾は。




「どうした?正義」

「術後管理が大事な時期にすまん。一度、見直しをしたい。計画の再確認だ」

滝岡からの連絡を、滝岡総合病院第一にある集中治療室を隣にみるコントロール室で受けて、光がしばし沈黙する。

「――…神原、おまえ診れるか?」

「勿論です。僕の患者さんですからね?心臓は僕が受け持ちましたから」

高度な小児心臓手術の技術を持つ心臓外科医神原が、先に光と共に合同手術をした幼い患者の様子を確認していた手を止めて視線を向ける。

「わかった、OK――正義、時間は作る。他に誰を呼ぶ?」

「できれば、そちらの感染症対策に関して管理している方の参加をお願いしたい。複数」

「解った。調整して二名か三名出そう」

「それと、糖尿病の管理に関して、小児で医師を一人、栄養管理士と看護師。いずれもリアルタイムでなくても構いませんが、報告を共有してもらいたい」

「―――――こちらから、小児だな?わかった、他には?」

「心臓内科――循環器感染専門、原さんを是非頼みたい。シフトはどうなっていますか?」

「三人目のお子さんが誕生日で休んでるから、夜なら空いてるだろう。自宅から参加になるが、構わないか?」

「申し訳ありませんが、可能ならお願いします。調整可能な時間を後で連絡ください。それでは」

滝岡らしくなく、唐突にきて唐突に切れた通話に、スピーカーにしていた内線のボタンを押して切り、光が考え込むようにそのまま見つめているのを。

「…どうしたんですか?滝岡先生、随分と――いつもと様子が違いましたが?」

背が高くきりんのようだとよくいわれる神原を隣に見あげて、光が視線を集中治療室に眠るこどもに向ける。

「いまはこの子のことを考えよう」

「――…そうですね。よく、手術に耐えてくれました」

「まだまだだが、…―――感染兆候もなく、他の数値もいいからな。気を抜かず、しっかりみていこう」

「はい」

穏やかに神原が微笑んで、眠る患者を見つめる。

 コントロール室のガラス越しにみるちいさな患者は、無心にねむっている。

 幾つかの管や、傍にある機器の数々をみなければ、まるで普通にベッドで眠っているかのようで。

 感染を防ぐ為に、厳重な管理を必要とする為に、こうして集中治療室に隔離されているのが、寝顔からは嘘のようだ。

「ここを無事に出て、それからが勝負だ」

「そうですね、…随分数値が良いですから、明日には出られそうですが」

神原が数値を確認しながらいうのに、光がうなずく。

「…そうだな。」

そうして、じっと患児を見つめている光に、ちら、と神原が視線を向ける。

 ―――滝岡さんの様子は普通ではありませんでしたね。

彼自身は心臓専門の外科医であり、感染症などについては解らない。感染を防ぐ為の基本的な知識があるくらいだ。

 それでも、いま何かが起きつつあることはわかる。

 ――僕にいま出来ることは、万全の準備をして手術に挑むことだけですが。…いつもとかわりませんね。

手術を行い、その前後に異常が起きないように慎重に見つめ対応する。術前も勿論、術後の管理は幾人もが関わるチームで初めて可能になることだ。

 ―――この人は、あまり珍しくもありませんが、…とうとう病院に泊まり込んで仕事を続けて帰らないまま一月が終わりになりそうですが。

正月は滝岡が担当だった為、珍しく病院にはいなかったのだが。

唐突に光が宣言する。

「よし、オープンアクセスにしよう」

「え?いいんですか?それは?…滝岡先生の了解は?」

先の滝岡からの依頼についてだとわかって驚いた神原が問い返すが。

 それに一人頷きながら光がきっぱりと。

「あちらにも伝えるが、面倒だろう。どうせ全員に周知が必要になるんだぞ?メンバーを伝えて、西野君にまずいときは切断してもらうようにしよう」

「というか、…最初から外してもらった方がいいかと思いますが、…随分と乱暴ですね?」

突然の光の発言に心配になって神原がいうのに振り向いて。

「別にいいと思うぞ?とりあえず、各自の環境から接続してもらうから、何とかセキュリティとかで、自宅回線とかだとダメなのもあるだろう。そう聞いてる。だから、厳密にはオープンといっても、できる処だけになるが」

「ああ、…そういう理由ですか、…―――。確かにそうですね。僕なんて、自宅にインターネット環境ありませんものね。スマホももってないですし」

「…――――おまえのは、本当にどうにかしろといいたいぞ?いまどき、何故、携帯なんだ?」

「本当は携帯も捨てたいんですけど。…ポケベルがもう使えなくなるので」

「―――――…神原、文明に適応しろ」

「いやです」

即答する神原に光が額に手を当てる。

「…おまえな、そこで即答するか?」

「迷う余地がありませんからね?病院から連絡がつけばいいんです」

「それはそうだが」

うっかり肯定してから、光が神原をにらむ。

「はい?」

にっこり極上の笑顔でいう神原をみあげて。

「おまえの背が高いから、おれだって平均身長より背は高いのに見あげないといけないだろう。首がつかれる!」

「ええ、きいておきます」

にこにこにっこり、それでも、ぼくスマホは持ちませんから、と主義を曲げない神原に空を仰いで。

「…ちょっと、正義と打ち合わせをする。後を頼んだ」

「わかりました」

にこやかに手を振って見送る神原に、眉をしかめて見返ってから。

 背を向けると、急いで歩き出す。




「おれだって、その中国の都市がどういう所か調べたんだぞ!インターネットで!」

「…え?先輩?」

「――――永瀬先生?」

「永瀬さん、…?」

ざわ、と同時アクセスしている全員に、ある意味驚愕が共有されていくのが伝わっていくのがまるで目にみえるようで。

「…あの、先輩が、インターネットで、…ですか?」

「悪いかよ?なんだよ?滝岡?」

「…いえ、その、――先輩」

「緊急事態ですね、――たしかに」

「―――はい、」

「永瀬先生が?マジか?」

「…永瀬ちゃん、…」

「だから、おまえたち、その反応は何だよ?」

永瀬の抗議に、西野がまじまじと見なおしていう。

「…とうとう、我が滝岡総合病院の双璧が一つ落ちましたか、…」

「…―――先輩が自分からインターネット利用を、…」

滝岡が額に手をあて。

瀬川が、しみじみと無表情のままたずねる。

「自宅に、インターネット環境ないですよね?あんた」

「…――そりゃ、ないけどっ!ここにあるだろ、病院に!」

「カルテみるのにタブレット操作する以外の方法をご存知とは知りませんでした」

棒読みかつ座った目でいう瀬川に永瀬が抗議する。

「そりゃ、だって、――――…何でしかし、みんなそういう反応なんだよ?」

「非常事態を実感してるまでです」

瀬川が即答し。

「その通りですね、…。先輩までが、―――…」

「おい、あのな?」

滝岡の言葉に永瀬が抗議するが。

西野が、しみじみと深刻にくちにする。

「これで、この病院でインターネットを利用しない勢力最後の砦、双璧の永瀬先生が落ちたということは、あとは、―――――」

沈黙して、西野が目をとじる。

「…あとは?だれ?」

永瀬が眉を寄せて問うのに。

永瀬の映る箇所をしみじみながめてから。

「…―――後は、神原先生ですね、…もし、生きている内に神原先生がインターネット利用を始めたなんていうニュースが入ってきたら」

西野の言葉に、光が悲鳴に近い声をあげる。

「おい!不吉なことをいうな!神原がそんなことした日には、――――」

滝岡も絶句する。

「…神原先生が、インターネット、ですか」

「非常事態なんてものじゃなく、異常事態ですね」

西野が淡々と驚きすぎて言葉がない表情でくちにするのに。

「隕石か何かが落ちてくるか、…」

真面目に滝岡がいい。

「臨戦態勢だな。そんなことになったら、人類が亡びる」

言い切る光に、永瀬が眉を寄せてみる。

「あのなー?って、ことは、でもおれならまだいいの?」

「…先輩だけなら、まだ」

割と本気でいっている滝岡を、じっとりと永瀬が眉を寄せたまま睨む。

「真面目にいってる?」

「はい」

常に割と真面目な滝岡が、どうやら本気でいっているのに。

 む、とくちを結んで永瀬が、むーっと怒りをみせて。

「いいから!じゃあ滝岡!おれが命令する!おまえ、この病院での検査はフリーでしろ!検査に制約なんてつけるな!」

びしっ、と指さしていう永瀬に、モニタ越しで滝岡が淡々と答える。

「勿論、既に態勢は整え始めています」

「よし、やるんだな?」

「公式にはなりませんが。―――うちは感染症指定病院でもありませんし、国の機関も通さない検査になりますから」

勿論、検査の結果確認されたなら報告しますが、と。

 穏やかに滝岡がいっている。

 永瀬の発言が一同を驚愕させたもとは。

 神尾の報告での、何気ない一言から始まっていた。





 滝岡総合病院。

 その外科オフィスで、滝岡がいつもの通り自分のデスクで壁面に投影された各自の画像をみている。

「テスト通ってますか?西野です。順調ですね、はじめますか?」

自宅から操作してる西野が、滝岡の依頼で召集の掛けられた全員にアクセスが出来ているかを確認していく。

「そうだな、頼む」

滝岡がうなずき、西野が開始のサインを送る。

「今晩は、皆さんありがとうございます。先日から病院の体制を変えていますが、その点に関して今後の状況に関する共通認識をもっていただくことが目的で今回は皆さんに参加していただきました」

滝岡の言葉で幾度目かのミーティングが始まり、西野が引き継ぐ。

「この会議の内容は、後から病院内部全体で共有されます。配信は院内のみで視聴可能です。記録に対する発言の確認、資料等に関しては、いつものように翌朝タブレットからアクセスができます。それでは、よろしくお願いします」

 西野が宣言するのは、通常この滝岡総合病院で行われているこうした一部の人を集めた会議等でも、院内の職員すべてが視ることができる配信システムに内容が登録されるということになる。

 院内の会議の一つとして、公式記録として残すという宣言にもなるのだが。

 そして、この会議にいま参加している面々以外にも、公開される、ということなのだが。

 光のいきおいの良い声が響く。

「とりあえず、つまり、この会議の目的は、認識の共有だ」

 ――光にしてはまともだな。

 会議の始まりに先に打ち合わせていた内容通り、光が発言を最初にして、という内容通り。

珍しく、普通に進みそうだ、と一瞬滝岡が思ったそのすぐあと。

「いま、世界ではいつパンデミックになってもおかしくない、とんでもない疫病が広がり始めている!日本にもすでに入っていると仮定して行動する!この新興感染症に、治療法はみつかっていない!以上だ!」

「…――――光、…」

 額に手を当てて、滝岡が目を閉じて低く呟く。

 このいとこが、穏当に始めるわけもなかったのだが。

 ――期待、してしまったな、…。

 一瞬、と。

 しみじみしている滝岡を置いて、次期院長候補でもあり、滝岡総合病院第一責任者兼外科医神代光がはっきりという。

「いいか、未知の感染症だ。治療薬はない!感染する方法は不明だ。わかっているのは、飛沫感染と接触感染。公式に国際機関と発生国でアナウンスはしてないが、ヒトーヒト感染する前提で行動する!質問は!」

発言を求めるランプが点いて、西野が組んだ会議システムの特徴で、発言者の映っている画面が中央に出てくる。

 ――師長、…。

滝岡が姿勢を戻し真顔になって見つめる。

「質問です。光先生、つまり、それは十四日から訓練として、この病院全体で防疫対応を続けているのと関連があるんですか?」

小柄で厳しい面持ちの師長がいうのに、光が応答する。

滝岡総合病院の看護師全体を統括する師長は、きっぱりとした物言いときびきびとした態度で知られている。

 どうやら自宅かららしい師長が映る画面の背景は、何故か綺麗な南海だ。

 ――確か、西野が背景を選べるようにしたといっていたな。

 滝岡が思いながら見る前で。

「その通りだ。訓練として始めてるが、実際には中国で昨年末発生したと報告があった感染症対策として行っている」

「ありがとうございます。そうですか。では、今後、これからより対策を強いものに変えたりはされますか?その感染症の影響はどういうものなんでしょう?いまは、看護師も通常勤務のシフトで動かしていますが、人員の増員とかは考えておられますか?」

「それは考えている。正義」

光に振られて滝岡がうなずく。

「師長。お忙しい中、ありがとうございます。先日からすでにきいておられるかと思いますが、取り壊し予定だった旧棟の取り壊しをやめ、この感染症専用の病棟にする予定です」

滝岡の言葉に、しばし考えるように師長が見返す。

「それは、随分な増員が必要ですね?」

「ええ、それに関してですが、勤務に関して、了承をいただけた方に限り、専用病棟で専任勤務をしてもらう予定でいます。人員をどれだけ必要とするかは、難しい処です。今回、もしくは、今日が終わった後に、必要な人員の算定等に参加していただけると助かります」

「わかりました。今日頂ける情報次第ということですね?それと、今後の状況次第」

「その通りです。看護師の皆さんにどれだけ動いて頂く必要があるかについては、状況がどう変化するかにかかっています。一般病棟もありますから、今後の状況に余裕をもたせる為にも、人員の募集を行いたい処です」

「わかりました。いま私からは以上です」

「ありがとうございます」

師長がうなずき、画面の中央から左隅の表示に下がる。

 光の声が改めて響く。

「では、現状の認識について、神尾先生から話してもらおう。神尾先生」

 緊張した神尾の姿が中央に。

 そして。

 忘れられないひとことを、全員に残す神尾の言葉が響いていた。

「まず、―――これは僕の個人的な予測です。何処かの国の公式見解でも、国際的に承認された確かな事実というものでもありません。それは、最初にお断わりしておきます。まったく、今後違う展開を辿る可能性もあります。この予測は絶対ではありません。その前提でお聞きください、―――――」

 神尾が言葉を切る。

「―――この新興感染症に関する僕の予測は単純です。幾つかのシナリオが考えられますが、…―――――」

 滝岡が、その予測を初めて神尾から聞いたときと同じ言葉で。

「一番良いシナリオで、―――――人類との共存。それが、この感染症に関する僕の予測です」

 一番良いシナリオが、人類との共存、―――――…。

 そう、滝岡にいったときの神尾の顔色は蒼褪めていた。

 いまはまだ白くはあるが感情を殺した神尾の顔が、モニタには映っている。




「一番良いシナリオで、―――――人類との共存。それが、この感染症に関する僕の予測です」

蒼白な顔で神尾が話し出すのを滝岡は受け止めていた。

 神尾の抱えている恐怖、焦り、…そして、―――。

 それは、憂いだろうか?

 あるいは、防ぐことのできない方向へと向かっていく世界を見つめることの焦燥であり、自責と、何かできることはないのかという悲鳴にも似た言葉を呑んで淡々とできるだけつづろうとしている。

 胸底に奈落を抱えてそこに落ちていくような。

 重苦しく、その予測に押し潰されそうになっている。

 しかも、そして、…――――間違った方向に行く世界を、止める手段は持たない。

 坂を転がり落ちていくさまが見えているのに、静止する術が何処にもない、――――。

 苦しい言葉を、絞り出すようにして神尾がそれでも一見は淡々と最後まで綴るのを、滝岡は聞き取っていた。

 そして。

「…神尾」

「――――はい」

 蒼白な貌に苦悩と悔やむ気持ちを殺せないでいる神尾を前に、あえて滝岡は穏やかに微笑んでいた。

「すまんな、つらい調査をさせた」

「―――――…滝岡さん」

驚いてみる神尾に、しずかに。

「悪かった。まず、それをいわせてくれ。謝らなくてはならない。おまえに任せきりでいた。…そして、神尾」

「滝岡さん」

しばし視線を落とし、考えを纏めて。

「おまえの予測は、その通りだとおもう。今後、状況がかわることはあるだろうが、基本は動かないだろう。情報がさらに入るようになれば、解ることも増えて対処法も変わり、予測もまた違う未来がみえてくることもあるだろうが。だから、―――」

言葉を切り、滝岡が神尾を見直すようにして。

「すまんが、おれはこの病院を守ることしかできない。それも完全に出来るかは不明だ。おまえの予測を、まずこの病院と患者さん達を守る為に使わせてもらう」

きっぱりと言い切る滝岡に神尾がすこし驚いたようにしてみる。

「…滝岡さん、」

「すまんな。…それしかできない。一応は、この地域の基幹病院ではあるから、行政に進言はしてみるが、その効果は不明だ。まったく、聞き入れてもらえない可能性も高い。本来なら、おまえのいうことは国や世界の保健衛生に関わることとして、そうした機関に伝えるべきことだろうが、おれにはできない。」

「いえ、―――…滝岡さん」

何か荷が軽くなったように、少しばかり目をひらいて滝岡を見直している神尾に。

 淡々と続ける。

「すまんな。おれは、この滝岡総合病院の院長代理にすぎない。この病院と、患者さん達、この地域の保健衛生、ここにきてくれる人たちを守るのが仕事だ。光や、他の人にもできるだけ頼んでみるが、…――――どうなるかはわからない」

「いえ、…――いえ、滝岡さん、…すみません」

「あやまらなくていい。こちらが、力不足だ。いまやっている対策を、より強化して当たることを徹底するしかいまはできない。準備は進めているが」

僅かに緊張を、その途中である準備を思い返して少しばかり表情に出してから、滝岡が息を吐く。

「いかんな。まず、できることをしよう。皆にも説明をお願いしたいが、できるか?」

穏やかに問う滝岡に驚いて神尾がみる。

「…僕の、この予測をですか?」

「そのままでいい。おまえのいま抱いている危機感を皆と共有したい。尤も、おまえの危機感を全員が肯定するとは限らない。それでいいか?」

「―――はい。でも、…いいんですか?この僕の予測は、」

「いまは証拠がない、おまえの、…――つまりは、エピデンスとかが揃っていない、勘が主体だというんだろう?」

面白げにいう滝岡に、少しあきれて。

「ええ。―――それを、全体に?いいんですか?本当に?」

「勿論だ。それに、誓っていうが、――――神尾」

「いってみることだな。おまえの見解を皆がどうおもうかは」

「―――はい」

少し緊張して見返す神尾に、滝岡が口許に笑みを。

「おれは、よくいわれるんだが、――――」

滝岡の言葉に、びっくりして神尾が目をみはる。




「つまり、神尾先生。発言はよろしいですか?」

「はい、どうぞ」

師長の申し出に緊張した面持ちで、その予測を話し終えた神尾が応える。

 それに、師長があっさりと。

「ありがとうございます。つまり、この新しい感染症は、中国から始まって、いまはまだ殆どが中国国内に留まっている段階ですが、いずれ世界中に広まるということですね」

「――――はい、師長さん」

神尾の言葉に、ゆっくりと師長がうなずく。

 そして。

 さらりと。

「では、最悪の予測が、人類が亡びるというお話ですから、いずれ世界中に広まったとしても、まだ人類が滅んでいないだけ幸運だということですね」

「―――――…師長さん?」

驚いてみる神尾に、どこか落ち着いた微笑みを浮かべて師長がうなずく。

「わかりました。では、私達はわたしたちにできることを致しましょう。看護の体制については、滝岡先生にお伺いすればよろしいですか?」

「――はい、いえ、…あの、」

戸惑っている神尾に、柔らかく暖かな微笑を向けて、師長が歯切れよく滝岡に話しかける。

「滝岡先生、先程の増員についてのお話ですが」

「はい。途中だが話を引き取る、神尾」

断って滝岡が神尾の映る画面をみるのに、神尾が気づいてうなずく。

「…ど、うぞ、はい」

まだ戸惑いながらみている神尾の前で、落ち着いて滝岡が話を引き取る。

「この新興感染症対策として設ける専用病棟ですが、そこにどれだけの人員を当てるのかと、増員をどうするかという話ですね?」

滝岡の言葉に師長がうなずく。

「その通りです。箱だけ用意しても、人がいなくては回りませんからね?」

「はい。先に申し上げた通り、ある程度は一般病棟から移動を募集していこうと思っています」

「感染対策と各自の事情によっては、移動が無理な者達もありますから、―――ですが、まあ」

「ええ」

師長の微笑みに、滝岡がわかっているように笑みを返してうなずく。

それに、思わず神尾がくちをはさんで。

「あの、…何を?」

師長がその神尾に気付いてにっこりと微笑む。

「最近、神尾先生は現場に出ておられませんから、ご存知ないかと思いますが」

「そうだな。それを、先にいっておけばよかったかもしれないが」

穏やかに、何処かうれしそうにいう滝岡に神尾が瞬く。

「…あの?どうしたんです?」

「ええ、先に実は滝岡先生と打ち合わせをしていましてね」

「病棟に入ってもらうのは看護師さん達の協力が一番必要になる。現状をあわせて話をしていたんだが」

師長と滝岡の顔を画面の中で見比べる。

 穏やかな滝岡に、師長のどこか自信を持つ表情。

「…その?」

「つまりは、患者さんが減っているんだ。これは感覚ではなく、実際に予約の取り消しや何かが数字になって出ている」

「来院される患者さんはとにかく減りましたからね?神尾先生」

「――――え、…それは、あの、」

戸惑って二人をみる神尾に、西野の声が。

「それは僕も保証します。減ってこのへんなお二人はよろこんでおられるんですけど、―――…病院経営的には難しいと思いますよ?予約のキャンセル、予定手術の延期申し出に来院患者さんの数、―――定期的に受診されている高齢者の方々や持病の管理をされている方達は、軒並み減少がみられています」

まだ、月が途中なので集計結果が出ていませんが、前年比で、―――といっている西野の言葉に、茫然と神尾が画面に映る人達の顔をみて。

「つまり、それは?」

驚いていう神尾に、滝岡が笑む。

「患者さん達の方が、賢かったというわけだ」

楽しそうに、少しばかり。

 師長もうなずく。

「看護師の間では、すでに話題になっていたんですよ。いつもこられるご高齢の方達とか、事務の方も、電話で何が理由とはいわれませんけど、病院に来る予定をキャンセルされる方が増えていると」

「―――それは、つまり、…―――」

師長が考え深くいう言葉に、神尾が驚く。

穏やかに笑んで滝岡が。

「病院を避け始めたということだ」

「え?つまり」

まだ驚いて声もない神尾に、師長が続けている。

「ニュースで沢山やりましたでしょう?もう一月半ばから、病院に来る予定をキャンセルされる患者さん達が増えていますからね。」

「あの、…ニュースで、ですか」

思い返す。日本で流れていたニュースも確かに幾つかみたが。

「…高齢者と持病がある人以外は注意しなくていい、とか、インフルエンザとかわらないとか、正しく怖がれとかいう理不尽なニュースで、ですか?」

「まあ、何というか、よく意味合いのわからない謎なニュースが確かに流れているようだがな」

神尾がすこしばかり辛らつになりかけて止めた言葉に、滝岡がうんうんとうなずく。

それに西野が。

「まあ、あんなの信じている人はいませんよ」

「…―――西野さん」

神尾が思わず西野を見直していうのに。師長が、きっぱりといつもとかわらないきびきびとした口調でいう。

「都市封鎖ですか?そういうのが起きる前にも、何ですか?中国でおかしな肺炎が流行していて、悪くなる人は高齢者や持病のある人だけで、亡くなるのもとか、そういうわけのわからないニュースが流れておりますでしょう?」

「――――はい」

師長の言葉に神尾が思わず反射的に応える。

それに、茫然と神尾がみている前で、滝岡がしみじみとうなずいて。

「患者さん達はばかではない、ということだ」

うれしそうに滝岡がいうのに、師長が。

「当然ですとも。御自分の病気を一番よく知っておられるのが患者さんご本人ですよ。高齢者や持病のある人が危ないといわれたら、まっさきに病院を避けますとも」

「感染の危険性が一番高い場所だからな」

きっぱりいう師長に滝岡がいうのを。

「あの、…それは、いいんですか?いえ、あの、その?」

言葉をどう選べばいいのか、と二人の画像を見つめる神尾に滝岡が。

「つまりは、患者さん達が賢いということだ。感染の危険を自ら避けてくださっている」

「ですから、いま病院はある意味ひまですからね?人員についても、いまの内に増員も確かに必要ですが、ある程度配置転換をしても大丈夫でしょう」

「――――そう、いうことですか、…え?」

驚いている神尾に滝岡が深くうなずいて。

「確かに、日本でも流行するのは避けられないだろう。しかし、一番リスクのある人達が、感染機会を避け始めてくれたということは、良いニュースだ」

「そうですとも。昔から、病院にいって風邪をもらってくる、とはよくいいますからね。インフルエンザの季節でもありますから、御年を召した方は、病院を避けるようになさいますものね」

「市中の介護施設には、インフルエンザの季節だから元々面会を制限する所が多い。幾つか、面会禁止を始めてくれている施設もあるそうだ」

「うちは元々、面会禁止ですからね?テストケースだとかおっしゃって、いらした方には、オンライン面会なんて無茶をさせていらっしゃるでしょう」

滝岡が師長の言葉に視線を向ける。

「すみません。ですが、インフルエンザの季節ですから、納得してもらいやすかったでしょう?」

「厳しいというか、まだそこまでではありませんが、面会制限と患者さんへのオンライン面会テストは、元々この病院がおかしなところだと皆さん理解しておられますから、大丈夫でしたけどねえ」

師長がうなすきながら現場での苦労をくちにする。

「御面会の禁止、差し入れを一時お預かりして、消毒等をしてからお渡ししたり、衣類等必要品のお預かりもなくしてレンタルでのみご対応させていただくとか、ご納得いただくには色々とまた大変でしたけどねえ。元々、この病院は他と違って、面会に来られるにも記帳と許可証をもらってからの入館が必要でしたからね。他の病院ではしてませんけど、そういう辺りが元々ヘンな病院でしたから、患者さん達も御家族の方も慣れられるのはお早かったんでしょうね」

「…――――ええと」

神尾が師長の述懐に思わずくちにしかけてつまる。

 それは、そのつまり、―――――。

「当然だな。日本の病院がおかしいのは誰でも勝手に病棟に入り込めるということだ。あれはおかしいぞ?それで、窃盗があるとかいっているんだからな?セキュリティ対策として当然だ」

光の発言に、滝岡がうなずく。

「それはそうだな。うちは、新病棟になってから、入館管理を始めたので、患者さん達にもいまの体制に戸惑いが少ないんだろう。師長、ご迷惑をお掛けしていますが、現場で患者さんや皆さんの仕事にやりにくい処があるようでしたら、また報告をお願いします。入館制限が元々院内全体に掛かっているので、いま防疫がやりやすくなっているという面はありますね」

穏やかにくちにする滝岡に師長がうなずいてから。

「そうですね。患者さん達には不自由をお掛けしている面もありますが、全体的にはご納得いただいております。看護師や他の方達の行動に関して、不自由がある点に関しては常に改善要望を受け付けている処です。特に、いまはテスト期間ですから、不便があれば普段よりさらにいいやすい環境にはなっているかとおもいます」

もちろん、それでも出てこない意見を吸い上げるように努力はしなくてはいけませんけれどね、と。

「それに、いまは入院されている患者さん達もいつもよりは少なくなっておりますから、看護師達もお世話が行き届いておりますよ」

「…病院の経営的にはどうかとは思うんですけどね」

西野が天井を眺めながらいう言葉に滝岡が笑う。

「まあ、それはいい。それよりも、患者さん達が安全でいることの方が大事だ。勿論、看護師さん達や、他のスタッフも」

穏やかにいう滝岡に師長がうなずいて。

「未知の感染症ですからね?わからないことも沢山ありますが、常に基本として行っていることを丁寧に、もらさず、あわてずにやっていくしかありません。」

「その通りです。私達は、いまこの感染症のことをまったくといっていいほど知りませんが。まず基本は入れないことです。通常の院内感染対策と同じように、丁寧に、見落としなく、時間をおしまずに基本を徹底する」

「――てえ、ことだわな、…神尾ちゃん、おくには何か奇妙なことしてるらしいけどさあ、…。入国制限とか、検疫とかよくわからんけど、日本国内に入れて、ええと、感染してるか調べるにも、確か、封鎖した都市から来た人と接触があったひとだけしらべるーとかさ、わけわからんこといってるらしいけど?」

唐突に、それまで白かった一角――画面に、何かが映り始めて、さらに唐突に永瀬の声が響いてくる。

「永瀬さん?」

驚いていってから、神尾が、画面の隅で何か青いキャップを取る永瀬の頭が下の方から微妙な動きで揺れているのを見つめてしまう。

「あー、すまん、すっきりした。遅くなったけど、せめてさ、どーして中国人じゃないのよ?中国の一地方から来た人とせっしょくしたーなんて、わかるか?そもそも、外国にいって、おまえさん、日本人だと自己紹介はしても、いちいち、神奈川から来ました、とかいうか?普通?横浜から来ましたとかいうか?金沢区から来たとか、海外で紹介するか?いっても、日本から来た、だろ!」

一気にいってから、額をごしごしこすって永瀬が顔をあげてにらむ。

「そもそも、中国国内で移動ないのか?直接、その都市から来たひとだけって、あたまおかしいのかよ?」

「…先輩、くちが悪いですよ?」

滝岡がたしなめるが。

「だってな?おれだって、インターネットで調べたんだぞ?中国国内でも、工場や何かが多くて、栄えてる都市だそうじゃないか!だったら、首都やどこかと常に移動はあるだろ?そこへいって、他の都市にいってから、日本に来たら、――――て、どうした?」

言葉を切る永瀬に、そっとうかがうようにして滝岡が。

「…――――先輩が、…ですか?」

「なにが?」

「―――インターネットです。…永瀬さんが、インターネットご自分から利用されたんですか?」

滝岡の問いにきょとんとする永瀬に、西野がおそるおそる訊ねる。

 そうして。

 つまり。

「おれだって、その中国の都市がどういう所か調べたんだぞ!インターネットで!」

 この発言につながって。

 非常事態を、皆して実感することとなっていたのだった。―――――





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